愛と幻

桜々中雪生

愛と幻

「ん……」

 窓から入り込んだ風に、私は目を覚ました。小さく身動ぎをして、身体を起こす。

 そこは、ほとんど日の落ちた薄暗い教室で、窓際の一番後ろの席──私の親友、ナオの席だ。

「……やな夢見ちゃったな」

 額に手を当てて、先程まで見ていた夢を反芻する。はっきり言ってそれは、悪夢だった。


『やだ、やめて。助けて……お願い』

 夢の中で怯えたような声を出して、尻餅をついたまま後退あとずさっているのは私……ではなく、ナオ。私はそれをどこか冷静に眺めていた。

 ──どうしたんだろう。

『ねぇ、おねが、お願い。どうして……』

 誰かに懇願するけれど、その誰かは返事をしない。ナオは、どうすることもできずに、長い廊下をずるずると後退するだけだ。

 ──廊下?

 そこで私は初めて、夢の舞台が学校であることを知る。普段賑やかなはずの校舎はやけに静かで、涙を流すナオの表情も相俟って、私の目にはひどく奇妙に映った。

『ひっ……!』

 『誰か』が動きを見せたらしい。

 ナオは、喉奥を鳴らし、震える足で必死に立ち上がって、よろめきながらも走り出した。向かう先は──。

 教室だった。私の、ナオの、2-Aの、教室。けれどナオは、きっとそんなこと気づいていない。ただ、進むべき道が、壁で塞がれていたから。それだけの理由で、そこへ飛び込む。

 それが、絶対に出ることの叶わぬ檻であるとも知らずに。

 追って入ってきた『誰か』が、後ろ手に扉を閉め、鍵を掛ける。

 その音で、逃げられないと悟ったナオがしゃがみこむ。 『誰か』は、何の感慨もなさそうにナオに近づき、見下ろした。

『どうして……どうして、こんな……』

 ぶつぶつと譫言うわごとのようにどうして、と繰り返すナオに向かって腕を上げ、それを振り下ろした。

『……っ!』

 ゴッ、と鈍い音がして、ナオは声もあげられず崩れ落ちた。それでも『誰か』はその手を止めない。ナオの頭部は原型を留めていないほどぐしゃぐしゃに潰れ、辺りは赤く黒く染まっている。

 床に溜まった血液が『誰か』の足元へと流れてゆく。その靴が血に浸る。

 握っていたものが手から滑り落ち、血液がねた。そして、その人は──。


 そこで目が覚めた。いくら夢とはいえ、親友が殺されるところなど見たくはなかった。

「……さっさと忘れよう」

 わざと声に出して呟いた私は、そこでようやく、教室を漂う異臭に気づいた。

 月明かりに照らされたその光景は、暗闇に慣れた目にぼんやりと映り込んだ。

 そこには、夢で見た通りに頭の潰れたナオと、ナオから流れた血の海と、血がべっとりと付いたハンマー。

 それを見て、ようやく私は理解する。

 そしてその理解を裏付けるように、目を覚ました私の両手は赤い。その手で触れた頬にも、とっくに乾いたナオの返り血がこびりついていた。

「あぁ……またやっちゃったんだ」

 重すぎる想いゆえの行動。うまく言葉にすることができずに、相手を壊し、生命いのちを奪うことでしか伝えられない。

 それが相手に届くことなどないと気づかぬまま。

 今日もまた、『私』は親友を殺すのだ。

「早く、次の友だちを探さなきゃ」

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