≪番外編≫魔術教会

「マスターったら、"この薬を服用して万が一何かあっても、死ぬほど苦しむだけで死ぬことは無い”なんて言うのよ?信じられる!?」


政子の声でランプの灯が揺れ、牢の中の影が慌てた様に踊り始めた。


「そりゃ信じられるさ、あの人だもの。」


政子が、牢まで見舞いに来てくれた。

それはありがたい事なのだが、着いて早々聞かされたのは尾花に対する愚痴である。


なんでも、尾花が開発した新薬試験を行う際、集まったモニターに対して極端に不安を煽るようなことを言ったそうだ。

小児薬の予定で作成したので副作用も薄い物だと、事前に政子が説明した後にこれである。

政子の面目も丸つぶれ、残った命知らず共に本来予定していた報酬の二割増しを支払う事で何とか治験に漕ぎ着けたらしい。


無論、尾花にもそのことを問い詰めたらしいが、


「政子、君の説明は不明瞭かつ不的確だ。小児薬だからとて治験におけるリスクでは成人の物とそう変わらん。小児薬の薬用量は体重によって決まるが、薬というのは20kgの子供に1つだから60kgの大人なら3倍の3つという単純なものではない。インフォームド・コンセントを怠るなど医学を修める者に取ってあってはならんのだ。」


逆にお叱りを受けたそうである。


御伽噺のような街並みの世界で、嫌に現実味のあるコンプライアンスを守ってどうなると思うが、それが久住尾花という人である。

我が道が無ければ舗装してでも行く人だってことは、出会って1週間程度の俺でも分かることなのだ。

政子なんて10年来の付き合いなのだ、それを今更"信じられる!?"も無いだろう。


俺はてっきり政子がカリカリしているのは、尾花が約束を忘れていたことが理由だと思っていた。

昨日の帰り際の尾花だって、それについて叱られることに怯えていたのだ。


「マスターのことだから絶対に約束なんて忘れるだろうし、約束してた時間を実際に説明会を開く時間より早い時間にしといたの。案の定、忘れてたでしょ?」


……流石は十年来の付き合いである。


そして、一つ分かった。

つまり尾花のことを知り尽くした友であっても、尾花の道を共に歩むのは茨の道と言う事だ。


今まさに裸足で茨でも踏んでいるかのように苦々しく顔を顰めている政子。


「もー……死ぬほど苦しい思いしてるのは我が家の経済状況なんだよ?これからは締めるとこ締めていかなきゃいけないのに……。」


政子が吐いた鈍い色のため息は、牢の中の重く湿った空気に溶け、暗澹な密度を濃くするのに一役買った。


政子の溜息の原因は、先般の騒動における被害の補償についてだった。


騒動の原因はデヴィット・カッパーフィールドと言う何処の誰とも知れぬ悪意ある第三者の仕業という事になった。

他人に迷惑をかけるだけかけて、捕まった挙句に首を刎ねられたらしい。

そんなはた迷惑な奴ならば親の顔も含めてそいつの顔を見てやりたかったが、俺はそいつの親の顔まで知っている気がする、なんなら親の泣き顔まで想像出来そうだ。


賠償請求する先がいなくなると、その責任は商業ギルドに一任される。

要は、ギルドで損害の補填を行うのだ。


基本的にクァドラプル・ホイールで何か商売をしようとするのであればギルドへの登録は必須である。

登録せずに商売を行った場合、それは処罰の対象となる。


ギルドに登録すると、ギルドへの納付金を支払うことになるのだが、補償については納付金の額によってマチマチである。


全額負担の対象者は良いとして、問題は納付金の額をケチってきた連中である。

もしもの時など無いと楽観している連中に限って、もしもの時には人一倍ゴネて煩いものである。


しかし、ここで甘い顔を見せてしまえばクソ真面目に納付金を納めてきた人たちの立場が無い。

無論、ギルドとしては毅然とした態度で対応に当たったわけである。


そうなると、やり場の無い怒りが向かう矛先はその他の組織や個人へと向かう。

世間では、教会所属の俊英たるサスキアが、デヴィッド・カッパーフィールドなる馬の骨にしてやられ結果、今回の騒動が起きたことになっている。


普段偉そうにしている分際で肝心な時に何をやってやがる、と言った具合だ。

主犯格が誰だとか、責任は誰が負うだとかはもはや関係ない。

自分の怒りをぶつけ、なんなら損失を補填してくれる手ごろな対象にサスキアと教会は打ってつけだったらしい。


教会がいくらギルドと共同で説明責任を果たし、サスキアに咎が無い事を訴えたところで、祭りの様に盛り上がった人々の熱はそう簡単に静まらない。


昨日今日と、中央広場の大聖堂前ではデモが起こっており改築工事は難航している。


「なるほど、あのねーちゃんが隔離されてるって尾花が言ってたけど、それも原因か。」


「あの娘、目立つからね。何せ見た目が良いし。」


サスキアは人目を惹くような容姿だった。

それだけで人から好意と同じくらいに嫉妬も買うことになる。

そこにあの喧しい高慢ちきが混ざり合い、それが大失態を犯したのだ。

普段から燻っていたボヤはたちまち大炎上……いや、もはや大噴火する事は想像に難くない。


そして、厄介な事に火の手という奴は足が速く、たちどころに周囲に飛び火する。


教会は尾花にも対応を求めてきたのだった。

要は、尾花の魔術でこのような事態になったのだから、その責任を取れという事である。


これには対岸でほくそ笑んでいた尾花も驚いたことだろう。

その隣で胸を撫で下ろしていた政子など、下した物が競り上がって口から戻しそうになったのではないだろうか。


丁々発止の押し問答の末、なんとか責任を教会と尾花達で折半することになったらしい。

しかし、あくまで組織である教会に対して、尾花並びに政子は個人である。

責任能力の差など、比べる労力も惜しいほどの開きがある。


そもそも、教会は弁済責任について無理をすれば全額対応できる額だったらしい。

その責任の半分が尾花に行くことは、教会としても願っても無い事である。

しかも、教会が無理をして全額負担できる額の半分というのは、政子と尾花がそろって逆立ちしてさらに無い袖を振っても支払えるかは怪しい額である。

すると、その弁済責任で尾花が潰れる可能性だって出てきたわけである。


「教会からすれば、まさかの禍転じて福来たるってわけ。だから私は、お兄のお見舞いに来る事を惜しんで昨日から街中を走り回ってたの。」


再び重く溜息をついた政子。


そして、暇を惜しんで金を惜しんで働こうとした矢先に尾花がやらかしたわけである。

尾花と教会の折り合いの悪さが原因で政子が奔走する羽目になっているのに、その原因の片割れに出鼻を挫かれたのだ。

政子が俺の見舞いに来てまで、愚痴を言いたくなる気持ちもわかる。


「あのさ、一つ聞いて良いかい?」


「ん?」


「なんで尾花と教会ってそんなに折り合いが悪いのさ?」


政子の溜息の原因は、尾花と教会の折り合いの悪さなのだ。

それが解消すれば、尾花や政子ももう少しは楽に生き安い気もするのだが。


政子は俺の問いにキョトンと目を丸くした。


「あれ?マスターから話聞いてないの?」


「お前から聞けってさ」


政子の口がへの字に曲がった。


「……さてはマスターめ、説明が面倒だから私に投げたな。」


そして、あきらめたように開き直ると、俺の方へと向き直った。


「この世界の魔術と、マスターの魔術の違いは聞いた?」


「陸上のレコードホルダーと自転車みたいなもんだろ?」


こっちの魔術はいわば才能の様な物で、尾花の魔術は文明の利器。

百メートルを10秒以下のタイムで走ることは限られた人間しかできないが、自転車ならば、誰でもそれなりのスピードで走ることができる。


大体こんな認識である。


「まぁ、及第点。魔術の凄さはお兄も分かってるでしょ?」


「この身を持って味わったからね。」


サスキアの魔術に、あの司教とか言う爺さんの魔術、尾花の魔術は言わずもがなだ。

人を一人殺すには、充分を超えて余計な程の力である。


「魔術は兵器運用はもちろん、他にもインフラ的な能力もあったり、占いなんかは政治的な能力になるのかな?とにかく強力な能力を持っていて、それを扱う魔術師の数もこちらの世界では極めて希少。そうなれば、魔術師が特権階級になるってのは分かるでしょ?この世界の魔術師は学者であり、軍人であり、為政者でもあるの。」


「あのねーちゃんやあの爺さんが偉そうなのはそれが理由か。」


サスキアもあの司教も、俺や尾花への対応は酷いものだった。

サスキアの場合、政子に対しては別ベクトルで苛烈だったが。

それらが選民的意識からくる物であれば、納得出来ると同時に腹立たしい。


俺の思っていることが伝わったのか、政子は苦笑する。


「それで、その魔術師を統括しているのが教会、正式には魔術教会ね。土地を所有する王であれ諸侯であれ、その元に仕える家臣や一兵卒、果ては農家の子供でも、魔術師なら魔術教会に属するの。つまり、教会はこの大陸の最大最強の暴力を一挙に手元に置いているに等しい存在ってわけ。もちろん、それだけ巨大な組織になれば一枚岩で無くなるし、教会の力を借りて自分の権勢を拡大させようとする野心家も多分いる。色々な身分や様々な土地の出身者がいるから権益の衝突は免れないだろうし、教会内部での政争、教会に所属している魔術師諸侯の争い、それらの問題を抱えている状況で教会も万能で無いのは事実。だけど、それでも教会に楯突けば大陸中の魔術師たちを敵に回すことになる。マスターが現れるまで、それはこの街もそうだったの。」


クアトラブル・ホイールは商人の自治によって運営される商人の街、財の量であれば大陸全土を見てもここまでの都市はそうそう無いらしい。

しかし、教会に楯突くことが出来ないのはクアトラブル・ホイールも他の国や都市と一緒であり、長年教会に膝を屈し、辛酸を舐めさせられていた時期もあるそうだ


だが、ある時からこの街においてはその立場が逆転してしまった。

それが、尾花と政子の異世界転移というわけである。


「マスターの魔術にも技術の巧拙による魔術の効力の差はある。けど、理論を理解し技術を磨けば誰にでも使用できる、物によってはそれらすら理解せず持っているだけで効果のある物まである。家電製品の原理を知らなくても使えるのと同じね。つまり、後天的な努力の行き届く範疇で魔術が使用できると言うのはこの世界におけるブレイクスルーになったの。」


なるほど、尾花が目の敵にされる理由が段々と分かってきた。

新しい技術や思想は、取って代わられる事を恐れた既存の物たちからのやっかみを受けるのはどこの世界も同じというわけだ。


「マスターの魔術とクアトラブル・ホイールの財を合わせれば魔術教会にすら対抗できる。それどころか、この街は一大貿易都市なわけだから、マスターの魔術が他国や他都市に行き渡る可能性は高い。そうなれば教会の大陸での権威や特権は失墜する。マスターの魔術は教会の既得権益を脅かすわけだから、教会が目の敵にするのは、まぁ、当然と言えば当然ってわけ。」


「喧嘩して、握手して、今日から友達ってほど事は単純じゃないのか。」


政子は、重い首が重力に負けた様に頷いた。


つまり教会にとっては、尾花の存在そのものが破滅への片道切符ということだ。

水と油だって、もうちょっと互いに融通を利かせていそうである。

話を聞くに、両者が最初から仲良く出来る要素など無かったのだ。


「それでマスターには見事、異端的不可触階級ワイルドカードってわけ。要は異端扱いって事。」


「いたん?」


「この世界の魔術は、その規模や威力によって”オープン級””レギュラー級””ポスト級””ワールド級”といった具合にランク分けされているの。オープン級が一番下、ワールド級が一番上、そして魔術師たちも使用出来る魔術のランクによって”レギュラー級魔術師”や”ポスト級魔術師”って階級があるのね。」


そういえば、尾花もそんなことを言っていた。

サスキアの魔術を”ポスト級魔術”とかなんとか。


そして、異端的不可触階級ワイルドカードという単語にも聞き覚えがあった。

たしか、尾花がそんなことを言われていた気がする。


「この世界の魔術師は、魔術を偉大なる御身グレイト・オブ・ドゥから恩恵だと思っているの。異端的不可触階級ワイルドカードってのは、魔術教会が自分たちの教義に反する魔術に付けた総称って事。」


「お前も尾花も良く火炙りにならなかったな。」


「教会としては、出来ることなら今からでもしたいんじゃない?でも、それは出来なかった。」


そこで政子は鎮痛な表情を浮かべ、言葉を切った。

今までの説明から、次に政子が言わんとしていることは想像に難く無い。

だが、それを言いかねているのは先の一件が起因するのだろう。


「つまり、あのおっさんの力が働いていたって事か。」


政子は静かに頷いた。


この街でのバート・クライフの立場は、教会すらも黙らせることが出来るほどに強大だ。

そして、その立場を支えているのが、自身の財力と尾花の魔術である。


だが、先の一件で尾花はバートへの不信感を露わにし、政子もそれに同調した。

俺に関しては言わずもがな、なんせ殺されかけたのだ。


だが、政子と尾花に一切のお咎めが無かったのは、自身の立場に揺らぎが見えたバートのご機嫌取りなのだろう。

であれば、俺がこうして首も刎ねられるずに生きているのだって、その延長線上なのかもしれない。


しかし、政子や尾花もそのご機嫌取りに同調しなければ、今度は教会が牙を剥く。

尾花とバートと教会、この三者のバランスを常に緊張して渡らねばならない政子の心労。

政子の栗毛色の髪が数年もしないうちに白く染まってしまいそうで不憫である。


ランプの灯りで陰を帯びた政子の顔。

最初は暗くて分からなかったが、よく見れば頬は腫れており、頬の上の下まぶたには薄らとクマが出来ている。


「お前さ。」


「んー?」


「俺と立場代わるか?」


政子は少しやつれた表情で苦笑する。


「やだ、ここ臭いもん。」

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