≪番外編≫こちらの魔術、あちらの魔術
----時系列は29部の翌日になります----
「魔術について知りたくはないか?」
「腹いっぱいになるほどに思い知ったから、もうおかわりは良いよ。」
昨日に引き続き俺の容態を見に来た尾花が不意にそんな事を言い始めた。
懲りない人である。
あの騒動だって、その口頭から始まったのだ。
食傷気味にえずくジェスチャーをした俺を、尾花は怪訝な顔で見つめる。
「であれば、私はもう帰るし明日以降の見舞いも控えるぞ?私だって好き好んでこの様な個室もどきの場所に来ているわけではないのだ。やることも無いのだから、どうせ暇なのだろ?だったら少しは話を聞いておけ。」
「アンタの場合、話だけで終わらない可能性があるから恐いんだよ。」
話だけであればいくらでも聞いてやる。
この人の言う様に、どうせ暇なのだ。
「今日は何をするつもりもない、本当に話だけだ。」
尾花は、そう言うとベッドから降りる。
そして一度咳払いをした後、大げさに手を広げた。
「さて、国衛。私がする魔術の講義についてだが、そのテーマはずばり!我々のいた世界の魔術とこちらの世界の魔術の違いについてだ!」
「俺、駄目なんだよ。そういう繊細な違いが分からない男でさ。」
味の違いだとか、風味の豊かさだとか、音の温かみだとか、色彩の感覚だとか、そういうのマルッと全部良く分からないのだ。
「鋭敏なテイスティングが必要になる話ではない。いいから、先ずは話を聞け。」
そして、不敵に笑うと俺を指差した。
「時に国衛。君は魔術と聞いて、どんなものを想像する?」
「……なんか唱えたら火が出るとか」
ゲームでよく見るアレである。
「他には?」
「……怪しげな儀式?」
これも映像作品なんかでよく見るアレだ。
複数人で中央に供えられた生贄をナニするとかそんなイメージの。
我ながら薄っぺらい回答だと思ったが、尾花は存外呆れた顔一つ見せなかった。
てっきり嫌味や皮肉が飛んで来るものと身構えていた俺は拍子抜けである。
そして、尾花は俺の回答を咀嚼するように幾度か頷く。
「なるほど。トールキンやC・S・ルイスから影響を受けた世間一般のイメージとそう大差無いわけか。」
「良かったよ、"可"判定は貰えたみたいで。」
その二人が誰なのかは分からないが……多分その界隈では著名な魔術師なのだろう。
両者とも元いた世界では大分胡散臭い目で見られたのではないだろうか。
「君の回答で言えば、前者がこちらの世界の魔術、後者が……強いて言えば元いた世界の魔術に近いかもしれん。そうすると先ず、こちらの世界の魔術を説明しようと思うのだが、その前に……」
もったいぶる様に尾花は一呼吸置く。
「第一質量プリマ・マテリアとエーテルについて説明しよう」
プリマ・マテリアと言う言葉は初耳だが、エーテルについては聞き覚えがある。
尾花の言葉からも幾度か出てきたし、日本のテレビゲームをしたことがあるなら、一度くらいは耳にしそうな単語だ。
「エーテルって聞くと、魔法の力を回復させるアレのイメージだな」
俺がつぶやくと、尾花は驚いたように目を丸くした。
「良く知っているな……“エーテル”は古来より錬金術師たちが追い求めた根源に至る力または完全なる力の事だ。もとい“賢者の石”と言えば分かりやすいか、こちらの魔術は全てそのエーテルを利用していることを言おうとしたのだが……」
「昔の学者さんには夢の物質でも、21世紀の子供にとっちゃ常識の類なんだよ」
尾花は不可思議な物を見るような目で俺を見ていたが、再び話を続けた。
「まぁ良い。先ず、この世界の万物の一切は第一質料プリマ・マテリアから生成されている。」
……?
はい?
「それはつまり俺もアンタも、そのなんたらで出来ているって事?」
「そうだ。」
尾花はクソ真面目な顔で頷く。
俺は思わず鼻で笑ってしまった。
俺は自分を学のある人間だなんて自惚れちゃいないが、それでも人間の身体が何で出来ているくらいは知っている。
スポーツ飲料の宣伝を見てみればいい、60~70%は水で出来ているなんて謳っているじゃないか。
それから夏バテ対策でミネラルを取りましょうなんて事も言ってるし、乳製品にはカルシウム表示をしている。
肉は炭で焼いた方が美味いらしいし、ダイヤモンドを人が欲しがるのだって本能的に炭素を求めているのかもしれない。
ともかく人間の身体を作っている物が、プリマなんたらなんてお歳暮の枕詞に付きそうな物じゃない事くらいは知っている。
「では聞くが、その水は何で出来ている?」
俺の思っていることが伝わったのか、それともそれが表情に出てしまったのか、鼻で笑ったのがまずかったのかもな。
尾花は、眉間に皺を寄せて俺を睨む。
「なにって……水素が2つ酸素が1つで出来てんだろ?」
「ではその原子は何で出来ている?」
「いや、それは……」
「それは?」
顔を近づけ詰問する尾花。
回答に躓いていることもあってか、その迫力は並の高校教師よりも強い。
「アレだよ、電子だかがあってそれが何かだかの周りをぐるぐる回ってて、アレ?逆だっけ何かだかがが電子の周りを……アレ?」
「では、原子核を構成する陽子と中性子、そしてその周りを回る電子は何で出来ている?」
「……アンタ、ムキになってるだろ。」
俺から回答が出なくなったのを確認した尾花は、いたく満足げに鼻を鳴らして笑う。
「ムキになどなっていない。第一質量プリマ・マテリアを説明する上では重要な事だ。物質を構成する要素を極限まで解き解し、最後に行き着く先、これが第一質量プリマ・マテリア。そういう認識で良い。」
「キャベツの皮を取っていって、最後に残った芯ってわけね。」
「……君がそれで理解出来るのなら、それでも良いだろう。」
尾花は呆れた目を俺に向けている。
しかし、原子だなんだを持ち出すくらいなら、この説明のほうがよっぽど分かりやすいと思うのだが。
「第一質量プリマ・マテリアについては大方分かったろう。それでは”エーテル”について説明する。」
元いた世界では夢の物質、現代の子供には魔力回復アイテム、ではこの世界の”エーテル”とは何なのか。
「君が言っていたように魔術を使用するためのエネルギーでもある。しかし、それ以上にこの世界では”物質を構成している力”の事を言う」
ここでふと疑問がよぎった。
それは先ほど言っていた第一質料プリマ・マテリアと、どう違うのだろうか?
「第一質料プリマ・マテリアは”構成する物”に対して、エーテルは”構成する力”だ。第一質料プリマ・マテリアにエーテルが働きかけ、この世界は創られている。」
「良くわからん。」
「小麦粉を想像してみろ。アレにイースト菌を混ぜればパンに、塩水を使えばうどんの麺、かん水と卵なら拉麺、油であげれば天ぷらと、様々な用途があるだろ?」
「作るもんによって小麦粉も種類変わるんじゃなかった?」
「……まぁ、それは今は良いのだ。さて、小麦粉を第一質料プリマ・マテリアとするならば、物質を構成する力であるエーテルは、この場合何になると思う?」
そこで俺は少しばかり思案する。
この場合のエーテルは、小麦粉を調理するにあたって全てに共通して必要な物、という事になるのだろう。
エネルギーと言うからには、何かしらの動作が伴う事になるのだろうか。
動作、と言う単語で頭の中に一つの閃きがよぎった。
「……腕とか、手とか?」
麺を打つにも、こねたり揉んだりなんらかの力が必要なわけである。
つまり、この場合の構成する力というのは、それらの動作を行う為の腕や手の事を言うのではないだろうか。
尾花は満足げに頷く。
「素晴らしい答えだ。いちいち屁理屈を言うだけあって、頭の回転は中々の物だな、君の答えは”概ね”正解と言える」
「色々と引っかかる言い方だな」
俺が訝しむ目を向けると、尾花は笑いながら俺を宥める。
「私のエーテルについての解釈は、もっと根源的な部分を差している。君の言っていた腕や手は”パンを作ろう””麺を打とう”と思って始めて動くわけだ。そして、作成する物によってその動作も細微までが変わってくる」
「つまりエーテルってのは、”何かしよう”って思う意志って事か」
尾花は手を打った。
「御名答、もっと言えば物質が”こうありたい”だとか”こうあろう”とする意志まで内包していると思って良い」
今、この人はものすごい事を言ったぞ?
ありとあらゆる物質が”自分はこうありたい”と思い、この世界が構成されているのだとすれば、つまりこの世界の生命はもちろんの事、火や水、土や空気にだって意志があることになる。
元いた世界ではもちろんの事、この世界に来てからだってそんな意志を感じた事は無かったし、声だって聞こえちゃ来なかった。
「私は自然の意志を感じます!」なんて人間が目の前に現れてみろ。
俺には自然の意志よりも、そいつの発言の真意の方が気になる。
「私だって、そんな輩など信用しちゃいないさ。元いた世界では、宇宙に衛星を上げてようやく自然の機嫌が窺い知れるようになった程度だと言うのに。ただ、この世界ではエーテルという力が存在し、その力を利用できる存在や環境があると言う点では、元いた世界よりもそういう輩の発言に信憑性が出るかも知れん。」
尾花は可笑しそうに笑っていたが、俺の視線を感じると一度咳払いをして真面目な顔に戻った。
「しかし、君も流石は純正日本人だな。八百万信仰について本能的に分かっているじゃないか。世の全てには意志があると考え、それらの意志を読み取りあわよくば操ろうと言うのが魔術だ。」
「……一つ、良いかい?」
第一質料プリマ・マテリアとエーテルについては分かった。
つまり、エーテルを操作して第一質料プリマ・マテリアを自由自在に操ろうとするのが魔術という事なのだろう。
そして、そのエーテルについて俺は一つの疑問を持ったのだ。
「なんだ?」
「いや、そのエーテルについての事なんだけどさ。俺は別に”俺でありたい”と思って生まれてきたわけじゃないし、今からでも文武両道の超絶イケメンで心にも懐にも余裕がある人間に生まれ変わりたいと思っているけれども、じゃあ何で俺は俺として今この場にいるんだい?」
エーテルが”こうありたい”だとか”こうあろう”とする力ならば、俺がなりたい俺になる事くらいなら出来そうな気もする。
別に他の誰かや何かをどうしようと言うわけでも無いのだ。
「エーテルはあくまで力だ。使い方一つで味噌にも糞になるし、エネルギー効率というのもある。努力だけで、誰も彼もが自分の思い描く人間になれるわけではないという事だな。」
なるほど、現実は非情且つ不公平で、おまけに理不尽だという事か。
誰もが好きな自分になれるのであれば、世の中はユーチューバーだらけになるだろう。
昔の学者さんはこのエーテルを万能だと良く言ったものである。
どうも案外と融通が効かないみたいだぞ。
俺一人くらいなら何とかならないものだろうか。
そんなことを考えていると尾花が軽く手を打った。
「さて、ここまでの話を整理しよう。この世界は第一質料プリマ・マテリアにエーテルが働きかけることによって構成されており、魔術とはそのエーテルを自身の意思によって操作することを指す」
「それで?アンタの魔術とこの世界の魔術の違いってのがそれとなんの関係が有るのさ?」
「それをこれから説明する。」
尾花は牢の隅においてあった水を張った桶に近づいた。
朝の洗顔用に汲んで貰っていた物だ。
そこに指を組んで、手を浸す。
そして、小指側面をこちらに向けると内側に圧力をかける様に勢いよく手のひらをたたんだ。
「……」
特に何も起こらなかった。
「私はこれが出来んのだ」
おそらく手で、水鉄砲をしようとしていたらしい。
しかし、手のひらが小さいせいか、はたまたそもそものやり方が悪いのか、水は尾花の手を濡らすばかりだった。
「国衛、君はこれが出来るか?」
俺は尾花の隣にしゃがむと、尾花と同じように水を手のひらで組む。
そして、尾花へと小指側面を向け、勢いよく手の平に圧力をかけた。
「あぶぶ??」
「あ、ごめん。」
俺の手から勢いよく放たれた水は尾花の顔面へと見事に当たった。
「ケホッ!この、このように手のひらで水鉄砲を打つ場合、その威力に個人差があるわけだ。それと、この仕打ちは覚えておけよ、国衛。」
濡れた顔をローブの袖で拭った尾花は、サイドテーブルへと近づいていく。
少しして戻ってくる時には、手にはカップが握られていた。
それを桶に浸し、すぐにカップは水で満たされた。
そのカップの口は俺へ向けられているが……。
「ぶへっ??」
先ほどの仕返しとばかりに、水は俺の顔面めがけて飛んで来たのだった。
「このようにこいつを使うと、私でも君の顔に水をかけることは能う。」
先ほどの仕返しとばかりに、嫌味に口角を上げる尾花はカップを弄ぶ。
濡れた顔を服の袖で拭った俺は、尾花を努めて平素に、平常心で、睨んだ。
「それで?この水遊びが一体何なわけ?」
ただの仕返しだったら、どんだけこの人は子供なんだ。
いや、見た目だけなら充分子供なんだが。
「先ほどの手を使った水鉄砲がこの世界の一般的な魔術ならば、このカップが私の魔術というわけだな。」
例の如くよくわからない。
「順を追って説明しよう」
尾花は分かっていたというふうに、話を続ける。
「この世界の魔術は、魔術師の心包ソウル・バスケットに蓄えられたエーテルを利用するものが一般的だ。」
また、分からない単語が出て来た。
ソウル・バスケットとはなんだ?
「心包ソウル・バスケットとは、実際には目に見えるものではないがエーテルを蓄える臓器だと思えばいい。心包ソウル・バスケットを持つ人間をこの世界では魔術師と言う。そして、心包ソウル・バスケットが先ほどの水鉄砲でいう手のひら、エーテルが水だと考えてくれ。」
そして、再び指を組んで先ほどの水鉄砲のジェスチャーをした。
「心包ソウル・バスケットの大きさは、手のひらと同じく個人によってその大きさは違う。そして水を発射させるコツ、この場合だとエーテルの物質変換効率のことをいうわけだが、これも個人の技量・才能によって千差万別な訳だ。」
「人によっては全く使えないし、またある人によっては物凄い魔術が使える。つまり、人によって魔術の能力にばらつきがあるわけか。」
尾花は頷く。
「対して私の魔術は、このカップ。水を入れられる容量は決まっており、誰でもある程度は水を遠くへ飛ばせるわけだが……つまりどういう事かわかるか?」
俺は少し思案した。
つまり、一度に溜め込める水の容量も一定で、操作も簡単、誰が使ってもそれなりに遠くへと水が飛ばせるわけで……誰でも!?
「誰でも同じように魔術が使えるってことか。」
俺の発言に尾花はくしゃりと破顔する。
その背格好に相応しい幼さと純粋な笑顔。
この人も、こんな笑い方が出来るのか。
「私の魔術は誰でも一定の効力が得られるよう魔術を公式化、典礼化、簡素化、そして一般化させた物だ。
エア・リアルも使い方さえわかれば猿でも使える、ルーン文字のタリスマンは持っているだけで効果がある、といった具合だな。」
俺は思わず感嘆し頷いた。
どことなく抜けていて、はた迷惑な事をしでかすが、やっぱりこの人は凄い人なのかもしれない。
魔術的発明というべきだろうか。
この世界には無い魔術を持ち込んで行使する様は、最近のネット小説のようである。
「君も私の凄さが分かっただろう?それと言うのに、あの教会の奴らは……。」
尾花が何か言いかけた時だった。
「マスター・オバナ、マサコ様がお呼びです。」
暗く湿った牢の中に、乾いて冷たい声が響いた。
そこまで大きく力んだ様子も無いのに、吹きすさぶ北風が生ぬるい空気を一層するかのように声は良く通る。
俺と尾花は、声のする方を同時に見た。
牢の外、燭台で揺れる灯火に、エルマの褐色が疎らに浮いていた。
「……安心しろ、国衛。彼女が今すぐ君に何することも無いだろう」
一瞬、言葉を失った俺に、尾花が落ち着いた声で諭す。
だが、その表情は笑っていない。
この人の深刻な顔は、こちらまで余裕が無くなるのであまり見たいものではない。
俺は、尾花が牢の外に出て行くのを黙って見送った。
外にいるエルマがどうも気がかりで、「さよなら」の一言も出なかった。
「あぁ、そうだ。」
去り際に尾花が俺の方を振り返った。
「、教会の奴らについて話をしてやろうと思っていたんだが、続きは政子から聞くと言い。彼女も明日辺り、ここへ顔を出すそうだ。」
そう言えば騒動の後、政子の姿を一度も見ていない。
尾花の話と様子から、どうやら無事であることは分かってはいた。
「アイツも、見舞いくらいは来てくれても良さそうなのに。」
「そう言うな。彼女は、私なんぞ比にならぬ程に忙しい身なのだ。無論、君と比べるなどは持っての他だ。今日だって、置き薬用の治験モニターに、サンプルの効能や服用方法について説明を……あぁ」
そこで尾花の表情は固まり黙って、俺を見ていた。
「どうしたのさ?」
「いや、その説明を私がやってくれと政子から頼まれていたのを忘れていたのだ。」
尾花の固まった表情は、闇に浮くほどに青ざめていく。
「先ほどの教会の話だがな、明日"政子の機嫌が良ければ"聞くと良い。それと、先ほど君の安心は私が保証しただろ?その余裕が出来た心で私の安心を保証してはくれないか?」
それだけ言うと、尾花は意志を持たない機械の様にそのまま姿を消していった。
それが伝染したのか、俺も"何かしよう"という意志も薄弱なまま、サイドテーブルの灯りを消すとそのまま眠りに就いた。
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