解けて消え去る、その前に

@momose8325

1か月目


 7月7日

 目が覚めた日から随分と経ったなあ。今回のこの日記帳は、もう私の大切なものを忘れないために書こうと思います。

 あれから随分たって、心の整理もできて、やっと向き合うことが出来ました。

 もうずっと前にも思えるけれども、覚えていることを書き残して。私が生きた証を2度と失うことのないように。


9月20日

 目が覚めた時、まっさきに目に入ったのは真っ白な世界で、次に目に入ったのは額縁にいれたような青空だった。すごく青くて、広くて、きれいだなあ、と思ったんだけど、ぴっちりと閉められた窓は何だか無機質で冷たかった。

 何かしなきゃいけなかった、そんな気もしたんだけど、頭の中は靄がかかったようで、ぐるぐると「何か」を探して上っ面を滑っていた感じがした。

 暫くぼんやりしていたら、女の人が部屋に入ってきて何か話しているようだったけれど、私の耳は全く機能を果たさなかった。服とか、周りの景色から、病院の個室らしいということはわかったんだけど、どうして此処にいるのか、そういうのが全く分からなかった。

 たぶん、そんな私を見て看護師さんは困ってしまったみたいで、部屋から出るとお医者さんを連れて戻ってきた。

 うーん、書くのがめんどいな。いろいろ精密な検査とかそんなこととかして分かったのは、聴力が失っていたということと記憶を失っていたってこと。

 わたしが誰で、なんなのか。それがわからなかったから、すごく怖くなった。


9月21日

 テレビのニュースは1週間ほどまえに起こった大震災のことで持ちきりだった。

 机や棚をひどく揺らしたり、すべてを飲み込んでいく火災だったり、津波だったり、そんなのがひっきりなしにテレビに映っていた。私もこれの被災者らしいのだけど、全く覚えていないし何も感じなかった。

 テレビでみているものはまるで現実感が無くて作り物のようだった。


9月28日

 聴力を失った、といったな。あれは嘘だ。

 嬉しいことに、聴力は日々回復していくらしい。先生と筆記でしゃべるのはめんどうくさかったし、チープにいえば絶望していた私は少なからず希望をもった。

 私はいまだに私が誰かわかっていない。


9月30日

 そういえば、窓からみえる景色は地震のあととは思えないほど普通の街並みの中にあった。

 様子をみにきた看護師さんに聞いてみたら、あ、聞くというか、もちろん筆記でね、、、、それで、被災地からずっと遠くに搬送されたらしい。どこも病院は満杯で、でも意識不明者を野ざらしには出来ず、自衛隊のヘリで此処に搬送されたのだとか。人生初のヘリだったのに、私は眠っていたことが悔やまれる。



10月15日

 随分日が飛んだ。でも、とくに書くこともなかったから仕方ない。

 この日、初めて面会というものがあった。男性と女性だ。仲睦まじい二人は夫婦のようだと思った。40代も半ば、というところで、もしかすると私の両親なのだろうかと思った。まだ、自分の名前すら思い出せていなかった。

 二人は私を見るなりぽろぽろと涙をこぼした。困った私は試しに「お母さん」と呼んでみたのだけど、口になじまない気がして更に動揺した。なんでかわからなくて、私までおろおろとした気持ちになっていたら、二人は私を抱きしめてくれて、何か囁いてくれた。女の人が、耳元で確かに囁いたのを感じ取ったのだけど、でも、その言葉を拾えるほど耳は機能をはたしていなかった。

 親かわからない。

 当たり前がわからない。

 そのことに酷く動揺して、あまりそのあとを覚えていない。二人は、暫くして病室を出た。男の人は女性の肩を抱いていて、此方を振り返りもしなかった。

 きっと、この人たちは違うのだろうと雰囲気で悟った。なんだかぐったり疲れて、そのあとはずっと眠っていた。


10月16日

 入院してもう1か月がたとうとしている。

 全く私の身元は不明だった。不安ばかり大きかった。自分のことはなにも思い出せないくせに、入院費とか保険証とか学校とか、そういう知識ばかりある。このままだと入院費払えないです、とお医者さんにいったら、笑って大丈夫だよ、と言われたのをよく覚えている。確かお医者さんの名前は安藤さんといった。小児科の先生だ。


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