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  • 現代ドラマ

そうなのだ


1人称の日記は安心する。安心できる。
私はそもそも臆病ゆえに人の顔をうかがって生きる人間で、小さいころから「心の中がよめたらなあ」と何度も思ったことがある。
実際読めたら苦しみが増えることはわかっていた。
・「貴方が嫌い」
・「こいつめんどくせえ」
・「きも」
そんなことを大好きな友人に対しても思うときがある。勿論永遠に続くネガティブな感情ではなくて、その瞬間だけなんだけれども、心が読めたらそんな一瞬で消え去る気持ちまで受け止めることになる。
そんなの無理。
人間不信になる。
無理。心読めなくてよかった。

前置きが長くなった。

つまり、そういうことなのだ。
1人称の小説は主人公の気持ちが手に取るようにわかる。
ポジティブな気持ちもネガティブな気持ちも、無意識な表情の変化まで。
そうすると、安心して読み進めることが出来る。悪く言えば見下して読める。
天空から見下ろす神様のように小説を俯瞰できる。あるいは、自分が主人公になったかのよう。


……とか、だらだら書いてたら頭の整理がつくかなあ、と思ったけど、言語化難しいので匙投げます。
また今度ね。

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自分の書く物語は主人公にフォーカスを当てまくってるけど、そうじゃない物語もいいと思うのだ。

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