槁木―コウボク―
相良あざみ
槁木―コウボク―
そのとき私は、全てを恨むだろうか。
チクショウ、と、そう呟いたのはきっと生まれて初めてのことだった。
別に、清廉潔白に、悪態ひとつ吐かずに今まで生きてきたなんて言うつもりは毛頭ない。
ただ、思わず溢れた音ではなくて、それを言おうと――言わなければやってられないと思って口にしたことは、初めてだ。
『もって二ヶ月』
そんな言葉をかけられる事になるとは、思いもしなかった。
そんな言葉は、作り物の世界だけに存在すると思っていた。
否。
事実、この世界中で、誰しもにありえることであると理解はしていても、自らに降りかかるとは思ってもみなかった。
生と死は隣り合って存在しているのに、多くの人間が、死は自らの一番遠くにあるものだと信じてやまない。
未知なるものへの恐怖から、そう思いたいのだろう。
砂像が突風に吹かれて先端から崩れるように、私はこれから削れていく。
身体自身が生み出した奇病であろうか。
それとも何らかの感染症であろうか。
医者はむつかしい顔をして医学書を捲り直し、方方の伝手を頼り調べに調べた。
感染症であっては取り返しがつかないと、直ぐ様陰圧室へ入れられていて、その間のことだ。
結果、分からなかった。
これまで地球上に存在したどんな病とも取れず、身体からは何の異物も見付からず。
ただ私の身体は指先からさらさらと崩れ落ちていく。
フケのようなものかといえば、否と答える。
それは
腐ってはいない。
血も、流さない。
確かに私の身体の中心では心臓が脈打っているというのに、身体中へ血管が張り巡らされているというのに、崩れるに合わせて縮こまっているかのように、赤色ひとつ見せはしない。
まるで吸血鬼じゃないかと、笑えもしない冗談を心の中で吐き捨てた。
「調子は、どう」
そう言って私の目蓋へ口付けを落とした女に、変わらないよと答える。
変わるか変わらないかで言えば、本当に調子は変わらない。
崩れていくのはほんの僅かずつで、痛みも何も感じない。
幻肢痛もないし、私は最早、どこまで自分の身体が存在しているのかも分かっていないのだ。
「聞いてほしい、ことが、あるの」
女の言葉は辿々しい。
見た目は純日本人のようで、女もそれを否定したことはないけれども、どことなく不慣れさがあった。
「何、改まって」
やけに深刻そうに口を開くものだから、あえて笑いを滲ませて答える。
いるかも分からない神を恨むのに、私はあまりにも無力だった。
そして、幸せそうな人達を恨むにも、もう疲れていた。
私の頭の中は最早灰になってしまったのだろうか――もはや何に対しても強い感情を持つことが出来ず、今の私はそんな人間を装っているだけにすぎない。
「あたしね、吸血鬼なのよ」
笑えないなぁと、思った。
あまりに私の心を踏み躙る冗談ではないかと、そう。
けれども女はあまりにも、真っ直ぐ私を見ていた。
ああ、そういえば。
女は最中、よく噛み付きたがったなと、あえてそれらしい理由を探し出す。
シルバーは嫌いよ、と。
ニンニク、嫌いだから絶対食べないわ、なんて。
ああ、そう、言って。
分かっている。
それらしい理由をわざと探しているだけで、そんな人間はごまんといることくらい。
ただ、こんなことになった私を厭わず毎日やって来るこの女がそう主張したいのだから、そう認めてやっても良いじゃないかと、どこか傲慢とも取れる口調で私は、頭の中で呟いたのだ。
「あたしの、せい」
「はぁ?」
「あたしの、せいなのよ」
女が、吸血鬼だと言うのなら。
それがよく見る映画のように、しもべを増やせるというのなら。
そうかなるほど、私は日光にでも負けたというのだろう。
あの映画たちに比べてあまりに緩慢で、穏やかなものだとしても。
私はそれを、否定してやろうとは思えなかった。
「あたし、試したの。あたしをホントに愛してくれるなら、どんな目に遭っても、愛してくれるなら、あなたをあたしのものにしようって」
そう、とだけ呟く。
あまりに私の頭の中は凪いでいて、責めるという概念すらさらさらと崩れ落ちていくようだ。
「だから、ね、もう、あたしのものにするって、決めたから。良いでしょ?」
いいよ、と、目を細める。
ベッド脇に座っていた女が身を乗り出して、私の目蓋へ口付けた。
「少し、眠って。そうしたら、もう、全部終わって、あなたは、あたしのものに、なってるから」
ぽつり、水滴が落ちたような気がした。
ああ、馬鹿だなぁ、そう思って、唇を、歪め
た。
かのじょは、こんな、わたしを
でも、ああ、おもわれて、いる
それは、とても
しあわせ、だ
っ
た
「ホントに、あなたって、傲慢で……あたしの言うこと、信じないわよね」
――まぁ、それでも良いけれど。
槁木―コウボク― 相良あざみ @AZM-sgr
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