かき乱される恋と約束

 まれに心地よい二日酔いという現象がある。アルコールは睡眠を浅くするので、かえって目覚めが良い。体は少しだけモヤンと疲れが残るが、頭はやけにすっきりしていた。昨日は火曜だったというのに、平日にしてはかなり濃い飲み会であった。そして、何より手ぶらでは帰ってきていない。

 そう、クリスマスの約束!

 樋口との約束を土産に家に帰り、ルルは眠りにつくまでニヤニヤが止まらなかった。時折「ふふっ」と自然と出てくる声にびっくりして、そのびっくりした自分に笑うありさまだった。夢は見たか見ていないか分からないが、終始脳裏には樋口の笑顔があった。

 「どのお店をと~ろ~お~かな~~あああ」

普段はアラームを5回以上かけても起きれないルルが、目をパッチリ開けて、枕もとで歌っていた。ただ、一瞬、真顔で考え込むこともあった。

 昨日の樋口に、1ミリも引っかかるところがないと言えば嘘になる。樋口はバツイチで、子供もいる。もしこの先、樋口とうまくいって交際できたとして、結婚という話になったとしたら、自分の親はバツイチ子持ちの樋口との結婚を許してくれるだろうか。子供が何歳なのかは知り得なかったが、樋口の年齢から計算しても、まだ成人しているとは考えにくいので、養育費も払い続けなければならない。子供との面会だって、樋口が希望すれば「愛する娘と会う父親の権利」を理解している妻を演じ、地元に行く夫を送り出さなければならない。そうでなければ、あんなに女性に臆病な樋口との夫婦生活は、遅かれ早かれ破綻してしまうだろう。


― こうして美空さんに会えた。これって運命だよね。—


 不安の波を、また樋口の言葉がかき消していく。浮き沈みを繰り返す感情の波に、ルルは背中にじんわり汗を感じた。

 イケる! いやダメ。 大丈夫! もう無理だ。 好きなんだからいいじゃない!

 ルルは、枕もとでダラダラと思考の堂々巡りを繰り返していた。そして、ベッドから起床し、朝食をとり、化粧をし、これから会社で樋口と顔を合わせるという現実にどんどん近づくにつれて、また違う不安が襲ってきた。

 昨日、酔った勢いでクリスマスディナーを誘ったはいいものの、ルルは幾分かの恥ずかしさを感じ、後悔すらしていた。そもそもクリスマスに女が男を誘うなんて、『私たち、そういう関係になりませんか?(もう、言わなくても分かるよね?)』と言ってるようなものだ。ほぼ告白。樋口は、それを酔っぱらった後輩の戯言と片付け、すっかり昨日の記憶とともに忘れているのではないか。それとも本気で受け取られて、その上であっさり断られたら?頭と体が起きてくるに連れて、頭の中は喜びよりも、みじめな悩みでうるさいほど埋め尽くされていった。


 「おはようございます。」

出勤したルルは反射的に係長のデスクに目を配る。樋口はまだ出勤していない。ほっとため息をついたのも束の間、 

 「おはよう!」

いつものさわやかな声。樋口だ。ルルはビクッと肩を震わせ、樋口を恐る恐る見る。昨日、ビールをたらふく腹に入れた人とは思えないほど、さわやかな樋口。いつもの完璧さは健在だった。

 「お、おはようございます。」

ルルは小さく頭を下げる。

 「美空さん。」

 「はいっ」

ルルは一気に固まった。約2時間前、枕もとであんなに浮かれていたのに、今はまともに樋口の顔も見られない。ここから消えてしまいたい。樋口はさっとルルの顔の横へ近づいた。

 「(昨日はお疲れさま。店のチョイス、よろしくね。)」

樋口が去って、少し時差をもって、ルルの耳元がかっと熱くなった。昨日のルルの誘いは、樋口はちゃんと伝わっていた。そして、まさかの、超超超快諾。


― この恋は、やっぱりうまくいくんだ! —


 半端ない安堵と、じわじわと盛り上がる自信にルルの心は燃え上がった。樋口に実際にまた会ったら、さらに好きになった。なんだ簡単なことじゃないか。私は樋口係長が好き。それでいいのだ。バツイチ子持ちがなんだ、今は3組に1組が離婚する時代だ。そもそも、樋口はダメな夫でも、ダメな父親でもなかった。元嫁が勝手に被害者ぶって、誠実な樋口と真剣にぶつかり合おうとしなかったのが悪い。樋口は何も悪くないのだ。

 樋口は、完璧な男なのだ。

 私は、樋口を傷つける女に絶対ならない。


 昼休み、ルルはスマホに向かって、グルメ情報サイトとにらめっこしていた。クリスマスの約束を快諾してもらえたのはいいものの、今はもう12月中旬。クリスマスまで日はなかった。都心のオシャレなレストランや、バーなんてのはもうとっくに埋まっているだろうなと思い、郊外の、自宅の近所の隠れ家的な店を予約しようかと思った。以前、母親が東京に遊びに来た時に、一緒に行った店だ。店主が趣味でやっているような小さな店で、店構えはレストランのそれとはかけ離れていた。古民家に多少それっぽいランプをつけた、という感じ。知る人ぞ知る店といったところである。予約客しか受け付けず、この店ならまだ間に合うかもと思った。

そして、一番のもくろみは、ディナーの後、自宅へ呼べる可能性が高いということである。うしし。

 ルルだって恋は未経験ではない。それなりに恋愛遍歴もあり、楽しく青春も謳歌してきたつもりである。ただ、今回、今までの男たちと違うところは、10以上も年上で、尊敬できて、完璧で、とてつもなく神々しい男性が相手というところだ。

よし、電話してみよう。デスクから立ち上がった時、後ろから月嶋ユイカに声をかけられた。

 「ルルちゃんて、クリスマスひま!?」

 「えっ・・・あ、う~ん、いやぁ。」

どうしよう。本当のことを話したら社内にばれてしまう。ユイカの不意打ちに、上手な嘘が出てこない。

 「えっ!もしかしたらルルちゃん彼氏できたの!?」

ユイカの悪気のないキンキン声に、社内のみんなの視線がこちらに集まる。ルルは、視野見で係長デスクへの意識を集中させた。

 「そういうわけじゃないんですけど・・・」

 「クリスマスに予定がない者同士集まって、24日プチ忘年会やろうかって話してたのよ!そうでもしないと、なかなか若い者同士で飲んだり語ったりできないじゃない、うちの会社、飲み会だって主導権はいつも(おっさん)ばっかだし。」

ユイカが、「おっさん」の部分だけずいぶんと音量を下げたので、一応ユイカなりにデリカシーはあるんだなとルルは思った。どうしようかな、樋口係長のことを出したら説明が大変だし。なにより私の気持ちがばれてしまう。あ、そうだ!親が来ることにしよう、すっごく無理があるけど。クリスマスイブの24日に母親が遊びにくることにしよう、そう、「イルミネーションが見たい」っていう理由で。すっごく無理あるけど。

 「あ、あのね、実はクリスマス、おゃ・・・」

 「美空さんいいじゃない、その飲み会、参加しようよ。年齢制限あるの?是非俺も誘ってよ。」

ユイカの後ろにいたのは、樋口だった。

 「係長も参加できるんですか!?じゃぁ24日、決まりで! ね、ルルちゃん!」

 「あ、はい・・・。」

え?なんで?どうして?なんで樋口係長がユイカの誘いに乗るの?私との約束は?もしかしてさりげなく断られてる?

 ルルは頭が真っ白になった。朝、『よろしくね。』って耳打ちされたのに。こんなにあっさりクリスマスがなかったことにされるなんて。意味が分からなかった。

樋口係長、何考えているか、分からないよ。

 呆然と立ち尽くすルルのポケットが、ブルッとなった。

 『みんなと飲んだ方が楽しいと思うよ。俺もよくよく考えたけど、今からクリスマスの予約も大変でしょう?2人でのディナーはまた今度にしよう。』

スマホに、樋口からのメッセージが入っていた。

 店選びをしていたルルの、スマホを見る目がそこまで険しかったのだろうか。半分図星で、半分違う。ルルは、そのままガクリと椅子にもたれた。

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謳って~リアルで撃沈したOLが歌い手と結ばれるまで~ しょくぱん @syokupan2509

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