13人目の調停者

白い翼猫の少女が、真っ白な空間に立っていた。彼女の目前には、十字架の形をした大樹が生えている。大樹は、無数の人体によって構成されていた。真っ白な鷲の体毛を持った女たちと、白い翼猫の少女たちが、お互い体を組み合わせ、十字架を構成している。

 その十字架には、赤い眼を持つ翼猫の少年が架けられていた。

 少年を見上げ、少女はアーモンド型の赤い眼を歪める。好きな方向に伸びた癖毛がかすかにゆれ、彼女の纏った漆黒のドレスがふわりとたなびいた。

「どれだけ、私たちは罪を重ねればいいのですが? 救世主さま……」

 澄んだ声が、十字架の少年にかけられる。だが、少年はその眼に微笑を湛えたままだ。

「どうして、私たちを生み出したの、兄さん……」

 少女の声が哀切を帯びる。少年が表情を変えることはない。少女は悲しげに眼を伏せ、十字架の背後を見つめた。

 十字架の背後には、白い壁が聳え立つ。その壁一面に、球体状のカプセルが埋め込まれている。カプセルの中は液体で満たされ、白い猫耳を生やした少女たちが体を丸めて浮かんでいる。その光景は、子宮を漂う胎児を連想させた。

 彼女たちは胎児そのものだ。クローン技術によって大量生産された翼猫たち。虐殺によって数を減らした人類に変わり、彼女たちはアトランティスと戦う運命にある。

 聖戦に勝ち残り、人類の未来を切り開くために。

 もう、数十年も前の話だ。

 アトランティスを崇拝する勢力と、対抗する勢力が起こした2度に渡る戦争を乗り越え、人類は繁栄を極めていた。

 不可侵地帯たるアトランティスは聖地として崇められ、誰もがその地に住む魔女と翼猫たちを敬っていた。

 そんな彼らが、人類を滅ぼすと宣言してきた。

 お前たちは増えに増え、地球を汚した。魔女たちを虐殺してきた。その報いを受けるべきだと。

 人類は大いに動揺した。

 自分たちは過ちを悔い、アトランティスを聖地として扱ってきた。なぜ滅ぼされなければならないのか、理由がわからない。

 悔い改める猶予も与えられないまま、アトランティスからの裁定は下される。

 大戦以前にアトランティスから捕虜として連れてこられた魔女の子孫や、翼猫たちが暴走を始めたのだ。

 魔女の子孫たる女性たちは次々に大樹へと転じ、大量の翼猫たちを産み落とした。その翼猫たちが、人間たちを一方的に殺していった。

 そして、女性が子供を産まなくなった。その異変は全人類に広がり、人間は瞬く間にその数を減らしていった。

 そんな中、1人の女性が子供を産んだ。真っ白な翼猫の少年だった。

 少年は人類に告げたのだ。

 魂の根源たるセフィロトが、翼猫の調停者たちによって乗っ取られようとしている事実を。調停者たちは人類を滅ぼし、乗っ取ったセフィロトとともに地球を捨てようとしていることも。

 少年は自を、セフィロトが生み出した13人目の調停者だと名乗った。自分の役割は、人類に真実を告げ、セフィロトに代わって人類に助けを求めることだと。

 セフィロトは滅ぼされようとしている人類に、助けを求めてきたのだ。自分の精神が乗っ取られる前に、狂った12人の調停者たちを殺して欲しい。魂の源たる自分が地球から失われれば、地球の生命は滅びてしまう。それだけは、何としても防ぎたい。

 そして、最悪の事態に備え、新たなセフィロトの萌芽を人類に授けた。自分の精神が乗っ取られても地球の生命が滅びることがないように、セフィロトは、精神の一部を13人目の調停者に授けたのだ。

 彼の母親はその姿を大樹へと転じ、白い翼猫を産み落とした。彼女たちは人類を守り、人類を狩る他の翼猫たちと戦いを始めたのだ。

 そして、少年に率いられた人類は、アトランティスに攻め込むことになる。始めは、調停者の母である、魔女たちに協力を呼びかけたりもした。

 だが、彼女たちは言ったのだ。自分たちが我が子である調停者を説得する。どうか、彼らを殺さないで欲しいと。

彼女たちの懇願に人類は耳を貸さなかった。成層圏からアトランティスを攻めるために、巨神兵器ネフィリムが作られ、アトランティスに投下されていった。不可侵の生地は、瞬く間に戦場へと変わっていたのだ。

 魔女たちは調停者を守るために、翼猫たちに偽りの情報を教え、戦わせた。

 人間が引き起こした大戦で地球環境が汚染された。最後の安住の地を求め、人間はアトランティスを攻めるのだと。魔女の言葉を信じた翼猫たちは、ニンゲンたちに牙を剥いた。

 そして、最悪の事態が起きる。

 13人目の調停者が、セフィロトと意識を同調させることが出来なくなったのだ。

 それは、セフィロトの精神が、他の調停者に乗っ取られたことを意味していた。

 13人目の調停者は、自分の身を新たなセフィロトへと転じていった。本来、マナの塊であるセフィロトは実体を持たない。セフィロトは眷属である地球の生命体の肉体を介して、自分の姿を保つことが出来る。

 言葉を変えると、セフィロトを物質世界に留めるためには、大量の生物の肉体を必要とする。その肉体は、マナの影響を色濃く受けている魔女や、翼猫のものが最適だ。

 アトランティスでは、死んだ魔女や翼猫の肉体が、セフィロトを顕現させるために使われていた。長く続いた大戦の影響なのか、ここ数十年でアトランティスのセフィロトは異常な速さで巨大化しているのだ。多くの翼猫や魔女たちが、人間によって殺されたことが原因だ。

 13人目の調停者がセフィロトとなった事で、人類はアトランティスに総攻撃をかけることを決意した。アトランティスを殲滅し、12人の調停者たちに汚染されたセフィロトを消滅させる。そのために、大量の翼猫のクローンが作り出され、マナによって可動するグリゴリと名付けられた巨神兵器が製造された。

 だが、総攻撃は失敗に終わる。わずかに自我を保っていたセフィロトは、完全に精神を乗っ取られた。調停者たちは乗っ取ったセフィロトを伴って地球を脱出したのだ。

 人類は、宇宙に逃れた調停者たちを追うことにした。

 人類には、新たなセフィロトが残されている。このセフィロトの影響なのか、女性たちは子供を身ごもり始めた。クローン技術によって生き残ってきた人類にとって、それは驚きと喜びの連続だった。

 産まれた我が子を見て、その親たちは思った。

 この子たちのために未来を切り開くと。そのために、障害になる調停者たちとの戦いを、続けなければならないと。

 調停者たちは地球を脱出するさい、見せしめとして大量の人類を殺戮していった。流れ星となって地球に降りそそいだ同胞を見て、人類は決意したのだ。

 調停者たちを必ず止めてみせると。

 そこに、新たな犠牲が生まれようとも――

 すっと眼を細め、少女は俯く。

 翼猫たる少女は、宇宙に逃れた調停者たちを追うべく造られた存在だ。

 ここへ来るたびに、少女は考えてしまう。

 自分たちが調停者を殺したところで、戦いは終わるのだろうか。また、新たな戦いの種が芽生え、同じことが繰り返されるのではないか。

 自分たちの起源である、人類の歴史がそれを物語っている。

 争いは、人を形作る遺伝子の螺旋構造のごとく、どこまでも果てしなく繰り返される。

 太古の昔から、遠い未来に向かって、永久に続く不毛な螺旋構造なのだ。

 それを、罪と呼ばずして、何と呼ぼう。

「ナナ、こんなとこにいたのか。探したぞ」

 少女を呼ぶものがあった。少女はその人物へと振り返る。軍服に身を包んだ青年が、少女を睨みつけていた。

「すみません司令。ただ、兄に別れを告げたかったのです」

「兄ねぇ……。お前たち翼猫に、そんな情があるとは思えないがな……」

 青年は、整った容貌に冷笑を滲ませた。十字架の大樹を見上げ、彼は言葉を続ける。

「ほんと、こんな禍々しいものに生かされてると思うと、反吐がでる……」

 少女は、青年の顔を見つめる。彼は眼を鋭く細め、大樹に架けられた翼猫の少年を睨みつけていた。

 青年は、少女の上官だ。アトランティスとの戦いによって、彼は両親を失った。翼猫に対する憎悪は、誰よりも強い。だからこそ、彼は若くして殲滅部隊の一員として抜擢されたのだ。

「私も、自分の名前を聞くたびに、同じ気持ちになります……」

 少女も兄である翼猫の少年を見上げる。

 少女の名前は、ナナといった。過去、2度の大戦を終えて、人類はアトランティスを不可侵の聖地に定めた。その際、アトランティスには結界が張られ、周囲と完全に隔絶された。

 そのアトランティスから、帰って来た男がいた。結界を張るためにアトランティスに取り残された12隻の母艦。その中の1つ、赤城に乗っていた男だった。

 男には、幼い妹以外に身寄りがいなかった。その妹の面倒をみるために、彼はアトランィスから戻ってきたのだ。

 男は、後に魔女の子孫たる女性と結婚することになる。その女性の子孫が、13人目の調停者を産んだ母親だった。

 自分の名前は、その男が赤城に残してきた翼猫の娘につけた名前だという。7月に産まれたから、ナナ。男はナナを外の世界に連れて行きたがったが、魔女たちがそれを許さなかったらしい。

 外の世界で産まれた我が子に、男はナナという名前を授けた。アトランティスに残してきた、翼猫の娘を忘れないために。

 そして、男の子孫たちは女の子が産まれるたびに、その名前を娘たちにつけるようになったのだ。

 いつか、アトランティスに行って、ナナに会いたい。

 そんな男の思いを、次の世代に伝えるために。いつか、自分たちの子孫がアトランティスに行き、ナナに巡り合うという希望を託して。

 だが、その思いは――

「行きましょう、司令。ここにいても、時間の無駄ですから……」

 少女は、黙考をやめ青年に話しかけていた。彼を見つめ、微笑みを送ってみせる。

「そうだな。出立の支度もある。お前も、せいぜい地球最後の日を楽しめよ」

「司令こそ……。ご家族にお別れはいいのですか。お墓参りに行かれては――」

「家族なら、ここにいる……」

 ぽんっと青年は少女の頭に手を乗せていた。少女は、唖然と彼を見上げる。恥ずかしそうに頬を赤らめながら、彼は少女の頭を撫でた。

「だから、黙ってどっかに行くな……バカ」

「矛盾、してますね。アキラ」

 少女に名前を呼ばれ、青年は大きく眼を見開く。苦笑を浮かべ、彼は言葉を続けた。

「自分でも、そう思うよ。ナナ」

 ぎゅっと、彼は家族である少女の手を握り締める。少女をけっして離すまいという決意を表すように。

 少女は、そんな青年に微笑みかけていた。

 自分は、名前の由来となった翼猫の少女と巡り合うことになるだろう。

 殺し合う、敵同士として。お互い、大切なものを守るために。

 だが、自分はきっとナナを殺してみせる。翼猫を憎みながらも、自分の手を握ってくれる人のために。

 ――愛しいアキラのために、翼猫を殺してみせる。

 戦いの螺旋は終わらない。だからこそ、少女は立ち向かうのだ。

「行きましょう、アキラ」

「あぁ」

 少女は握った手を引き、青年を促した。青年は、静かに頷いてみせる。手を繋ぎながら、2人は大樹の十字架に背を向ける。

 白いホールには、パッヘルベルのカノンが優しく鳴り響いている。その曲を耳にしながら、少女は大樹の十字架を振り返る。

 十字架に架けられた少年が、寂しげに眼を歪ませている。少女は一瞬眼を見開いたが、何も言わず十字架から顔を背けた。

 何も見なかった。

 そう、自分に言い聞かせながら、少女は青年とともに白い空間を後にした。

 カノンが、白い空間に響き渡る。

 優しく、残酷に、そのメロディはいつまでも心地よく鳴り響いていた。


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ナナ島クロニクル 猫目 青 @namakemono

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