エピローグ

 部室に到着すると扉の向こうからぬわーとゆるい悲鳴が聞こえてきた。またトランプだろうかと思いながら扉を開くと案の定だった。若林、梶山、入瀬の三人がテーブルを囲んでいる。

「あ、こんにちはー」

 扉の真正面に座っていた梶山が挨拶してきた。入瀬と、大量の手札を抱えてテーブルに突っ伏しかけた若林もこちらを向いて声をかけて軽く頭を下げてくる。

「こんちは。何やってんの?」

「大富豪ですよー。今のところ亜衣梨の一人勝ちです」

「いい加減都落ちしましょうよー。入瀬先輩これで何連勝ですか」

 カードをまとめながら若林が嘆く。

「まだ五回くらいじゃない?」

「引き強すぎません?」

「実力実力。三人くらいなら残ってるカード大体覚えてられるし」

「あ、じゃあ人数増えたら勝機ありますね! 部長も入ってください! ついでに階級もリセットで!」

「それ若林が大貧民から抜け出したいだけじゃないの? まあいいけど。入ります?」

「ん。入る入る」

 椅子を引いて梶山の向かいに座った。

「ルールはいつも通り?」

「はい。カオスモードです」

 シャッフルしながら若林が答える。通常ルールの大富豪は戦略性に乏しいのでウチの文芸部ではどこかで耳にしたローカルルールを全て採用しているのだが、結果として大富豪に似た別のゲームに成り果てている気がしないでもない。

「ところで、大富豪もいいけど、原稿の進み具合はどうよ」

 配られるカードを手元に寄せながら言った。若林の手が一瞬止まった。梶山はわざとらしく目をそらして口笛を吹き出した。こいつら。

「何度も言ってるけど、締切は今月末だからな。もう二週間ないからな」

 脅しはかけるが、実はデッドライン自体はもう少し先だ。部誌製作は会員対編集の情報戦である。真の締切は編集だけが知っていればいい。

「善処します」

「結果で答えろ」

「やーこれからですよこれから。締切が迫ってからこそ私たちの真の実力は発揮されるのです。ねー亜衣梨」

「いや私もう提出したし」

 うそぉ、と素で驚いたように梶山。ほんとほんと。裏切ったね! 一緒にゴールしようねって言ったのに! マラソンじゃないんだから。そもそもそんな約束してないしー。

「え、ほんとですか部長」

「ああ、入瀬はもう原稿出したよ。八十枚くらいの短編小説」

「ほへー。参考までにジャンルは?」

「あれは……ミステリー、でいいの?」

「フーダニットです。ど真ん中の本格ミステリですよ」

「相変わらず難しそうなもの書くんだねぇ」

 カードが配られたので表にする。パッと見、強い。絵札はそこまで多くないがジョーカーが二枚ともきていた。四人勝負ならかなり優位に立てるだろう。ペアになっているものを分け、残りを弱い順に揃える。階段はなかった。

「難しいかな。むしろ私ミステリ以外の小説をどうやって書いたらいいかまったく分かんないんだけど」

「言いますねえ。あ、ダイヤの3あったんで俺からで」

 ハートの4。まずは穏当な立ち上がり、と思ったら続く梶山がハートの5で縛ってきた。ついでに5飛ばし。いきなり順番を飛ばされて入瀬がむっとうなる。

「へへ、亜衣梨は勝ちすぎだから一回休みね」

「これ数字までは縛んないよね?」

「はい、マークだけです」

 確認して、いらないジャックを切った。ジャックバックも採用しているので一時的に革命状態となる。つくづく思うが大富豪のジャックは絶妙に使いづらいカードだ。

「まあ亜衣梨はそういうのばっかり読んでるからそうなのかもしらんけどさ、私からしたらミステリー書くほうがよっぽど大変そうだよ。トリックとか思いつかないもん」

「私だってトリックなんてほとんど思いつかないよ。ってか今どき新しいトリックなんて思いつける作家の方が少ないくらいだし。それよかロジックのが重要よ」

「そういうなに、論理的思考とかそういうのも苦手だわ。数学で手一杯」

「数学より国語力だと思うけどね」

 パスが続いて入瀬の手番、少し迷う素振りを見せてからハートの3を出した。革命時では最強のカードだ。迷っていたということはペアの一部を崩したのだろうか? ジョーカーないなら流しますよ、と言いながら入瀬は出されたカードの山を端にのけ始めるが、まあこんな序盤でジョーカーを切るわけもないのでそのまま流した。

「でもやっぱりミステリー書くやつって発想が違うなとは思うよ。今回の入瀬の小説読んでますます思った」

「そうですか?」

「へー。どんな内容なんです?」

「アリスっぽい感じの世界が舞台のミステリーなんだけど。無無意識の庭ってところが現場で、なんだっけ、庭の中では無意識の行動ができないとかなんとか、そういう設定」

「……それはまた、おかしなこと考えたね」

 入瀬は答えずに6のペアを出した。こちらの最低ペアも6だったのだが。仕方ないのでクイーンのペアを出すと、高すぎですよーと若林から文句がかかった。しぶしぶといった感じにパスをする。

「……あれに関しては、思いついたってわけでもないんですけどね」

「思いついたんでなければなに。どっかにそういう設定の作品があるの?」

「いや、書いたのはさすがに私が最初だと思うけど……私が思いついたっていうか、夢で見たまんまというか」

 手札を見つめながら呟くように入瀬が言った。その言葉に出すカードを選んでいた梶山の手が止まる。

「夢?」

「え。あっ。いや、えーと……うん、夢」

 入瀬は自分の言葉に自分で驚いていたようだったが、最終的には苦笑いしつつ認めた。

 夢で見た、とは。

「入瀬先輩、いつから不思議ちゃんキャラになったんですか」

「あーやっぱそういう反応? おかしいよねぇ。分かってるんだけどさ、見ちゃったものは見ちゃったわけだし」

「えー何それ。夢で見た内容を小説にって、それがすでに小説じゃん! ファンタジーじゃん!」

「うん……しかも続き物でね、今回提出した分以外にもいくつかネタがあったり」

「シリーズ化待ったなしだね!」

 梶山が手を叩いて笑う。手札を持ったまま器用なことだ。それを受ける入瀬は前髪をいじくってどこへともなく目をそらしている。

「じゃあ、続きも書くんだ? あの設定けっこう面白かったから続きが読めるなら読んでみたいな」

「ああ、ありがとうございます。たぶん書きます。……書いてもいいはずなので」

 またも不思議な言い方だ。梶山も引っかかったか、首をひねりながらキングのペアを出した。入瀬はそれをちらと見てほとんど悩まずにエースのペア。

「夢で見たものを書くのは気が引けるとか?」

「いや、別にそれはいいんです。問題はもっと広くミステリ書く上での心構えというか……でも心構えなんて必要でもなんでもなくて……何も考えず楽しんでればいいんですよ、書く方も読む方も。それで何も問題なんてないんです」

「はあ」

「でも必要ないこと悩んじゃう誰かだってどこかにはいるはず……はずっていうか、居て欲しいんですね。私が。居たらいいなぁと。そういう誰かに、私もここにいるぞって伝えたいんですが……伝えられるまで書くつもりなんですが、どうでしょう、伝わりますかね」

「……ごめん、何が言いたいか正直あんまり分かんなかった」

「まあ、ですよね」

 入瀬ははっと短く息を漏らした。何が言いたいかは分からなかったが、小馬鹿にされたわけでもあるまい。ウチの部員には伝わらないと端から踏んでいたというところか。まあ、ここの部員でミステリーを書くのも読むのも入瀬だけだし、仕方のないことなのだろう。届くべきところに届けばいいと思った。

 さて、ゲームの続きだ。2とジョーカーで上回るでもいいが、入瀬の手札はまだ8枚残っている、ここで勝負を急ぐ必要はないだろう。パスをすると、若林と梶山も続いてパス。場のカードが流れる。また入瀬の親番だ。

 すると、入瀬がニヤッと笑った。

「これは、もらったね」

 そう言って5のペア。飛んで飛んで入瀬の番、四人しかいないので流れる。続いて789の階段。8切りで流れ、ついでに7渡し。スペードのジャックが渡された。いらない。それからクラブの2。8枚あった手札が一気にリーチである。

「また亜衣梨はそういうコンボをー」

「大富豪はブレインよ」

「このままだと入瀬先輩あがっちゃいますよ! ジョーカー持ってる人は出してください!」

「はいはい」

 言われなくてもだ。ジョーカーの片割れを出す。入瀬のことだ、残っている手札はキングかエースか、どうせ強力な札に違いないが、一枚だけなら気をつけていれば対策はできる――と考えていると。

「はい、あがり」

 入瀬はぱっと、最後の手札をジョーカーの上に投げて被せた。

 スペードの3だった。

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不可思議の国の殺人 たたら @key_into

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