第57話 祝福

「私さ。山に関わる仕事をしようかな」

 私がそう言うと、ギンはようやくこちらに榛色の瞳を向けた。


「山に関わる仕事って?」


「まだ、明確には考えてないけど……。山の木や葉を使ったビジネスってあるのよ。そんなのとか……」


 私は、むぅ、と口をへの字に曲げて空を見上げる。

 まぁ。

 本当に現実性が薄い話ではあるのだけど。


 でも。

 ギンと一緒に過ごす時間を増やそうと思ったら、紅葉谷村に住んで生活するのが一番なのよね。


「木や葉をどうするんだ?」

 ギンは不思議そうだ。私は肩を竦めた。


「料理を扱うお店に卸すの。料理やお弁当の彩りに使ったりするのよ。葉っぱビジネスとか言われてるんだけど……」

 ただ、コネもつてもないのに、そんなことを始めて食べていけるのかは不安だ。


「それか……。民芸品的なモノを作ってネットで売る、とか……」

 言いながら、これもなぁ。売れないだろうなぁ、と実は思っている。


久世くぜの家は、本当に不思議なことを考えるな」

 ギンは感心したように言うけれど、なんか馬鹿にされているようにも聞こえる。


「高校卒業したら、この村に戻るつもり。おじいちゃんの家に厄介になろうかな、って」


「姑殿は? 怒ってないか?」

 急にギンが不安そうに尋ねるから、また私は吹き出す。今のところ、ギンがもの凄く怖れているのは私のお母さんだ。


「めちゃくちゃ反対してる。せめて大学出てからにしなさい、って」


「なら、そうした方が良い」

 ギンが私の目を見て断言する。


「俺は里や人のことはよく分かんねぇけど。だけど、比佐子……。姑殿が、朱里を大事にしていることはわかる。姑殿が言うことは、お前の為になるから、やっておけ」


 真面目な顔で、ちょっと諭すように言われて私は口ごもった。

 正直。

 それが、正論なんだろうなぁ。


 だけど。

 多分、ギンはわかってない。


 私が大学に進学した場合、場所によっては月に一度も会いに来れない、ってことを。


「……もし私が、大学とか行っちゃったら、こうやって月一回も会えないかもしれないよ? ものっすごく遠い大学に進学したら、年に数回しか会えなくなるんだよ? ギンはそれでもいいんだ」


 こんな顔しちゃダメだよな、と思うけど、顔はどんどん不機嫌になる。声だってそうだ。なんだか暗くて低い声が出た。今だって月に一回しか会えないんだから、もっと可愛い声で、可愛い顔だけ見せようって思うのに。これだよ。もう。なにやってんだか、私。


 自己嫌悪に陥って、顔を背ける。

 なんでこんなこと言ったんだろ。

 そう思った矢先、ふわり、と私の周囲から影が遠ざかる。

驚いて顔を上げると、ギンが私の帽子を取ったところだった。


「ギン……?」

名前を呼ぶのと、ギンの指が私の顎に触れるのは同時だった。ひやりとしたギンの指が私の顎をつまみ、自分の方に向ける。


「え……」

 声を漏らしてまばたきをする。

 鼻先を。

 甘くて。だけど澄んですっきりとした薫りが掠めた。山百合の匂い。ギンの匂い。


「……ぎ……」

 ギン。名前を呼ぼうとしたのに、不意にその口を口唇で塞がれた。


 ぎゅっと押し付けられたギンの口唇。指と同じですこしひんやりしていて、着物と同じ甘い呼気がする。


「……なに……」

 わずかに口唇を離すから、睫毛がふれあいそうな距離のまま、私はギンを上目づかいに見る。


「月に一度しか会えなくても、年に一度しか会えなくても、俺はお前のことが大好きだ」

 ギンの呼気が私の頬を撫で、榛色の瞳はただただ、私の瞳だけを見ていた。


朱里しゅりに会うたび、朱里にふれるたび、俺はいつもそう思ってる。お前は違うのか?」


 そんなことを真面目な顔で問うから、顔が熱くなった。妙に火照ったまま、私は顔を背けようとするのだけど、ギンはそれを許さない。逃れ出たぶんだけ、私に顔を寄せる。


「朱里」

 瞳を見詰めて名前を呼ばれ、促すように首を傾げるから、私は口を開く。なんだか緊張して口唇が震えた。


「私も、ギンに会うたび、ギンの事が好きだなぁ、って思う」

 真っ赤になって伝えると、ギンは途端に破顔した。


「だったら、問題ねェよ」

 言うなり、ぎゅっと私を抱きしめる。私をかき抱く腕に無造作に力を入れるもんだから、私はギンの胸に顔を押し付けて「ぐう」と呻いたのに、ギンは気づきもしない。


「朱里に寂しい思いさせてすまねぇな。よしよし」

 そう言って更にぎゅう、と抱くから、「苦しい、苦しいっ」と悲鳴を上げ、ギンをぱかぱかと叩く。そこでようやくギンが腕の力を緩めたので、私は慌てて彼の腕から逃れ出た。


 もう少し力加減をしてよ、と言おうとしたら、ずい、と顔を近づけて、にやりと笑われた。


「次会う時まで、寂しくないように。俺のことを忘れられなくしてやろうか」

 言うなり、レジャーシートに押し倒された。


「ちょ、ちょちょちょちょちょっ……っ」

 首元に顔を埋めてキスしてくるから、慌てて両手で押しとどめ、木々の方を見やる。


「カワウソたち、いるからっ!! もうすぐ戻って来るからっ!!」


「……じゃあ、場所変える?」


「そういう問題じゃなくてっ!」

 ギンの腕の間からまたもや抜け出し、私はレジャーシートの端っこに両膝を抱えて座り込んだ。


「ギンのことは好きだけど、まだ、そういうのはいいです。まだ早いと思います」


 きっぱりと言い切る。ギンは苦笑して自分も胡座に座りなおした。「つまんねぇの」。そんなことを呟いたけれど、無理強いするつもりはないようでほっとした。


 そうっ、っと様子を伺いながら、私はギンの隣に移動する。ギンは横目で私を見やると、小さく笑った。


「朱里がどこにいてもさ」

「うん」


「傷が完全に治ったら、会いに行くよ。朱里のところに。今度は無理のない範囲で」

 私はギンの手を握り、「うん」と頷く。


「それまで、我慢できるか?」

 心配そうなギンに向かって、私は大きく頷いた。


「私も頑張って進学して……。その間に、どうやったらギンと一緒に生活できるか考えるね」

 ギンがぎゅっと手を握り返してくれる。


 私はギンと並んで座り、山の紅葉を眺めた。


 こうやって。

 私は山を見て暮らす。

 春には桜が彩り、夏には若葉が茂り、秋には紅葉が覆って、冬には雪が舞う。


 そんな山を、ギンと一緒に眺めるのだ。

 笑ったり、喧嘩したり、喜んだり、泣いたりしながら。


 私はどうやってこの山で暮らすかを考え、ギンはどうやって私と里で暮らすかを考え。


 お互いがお互いのベストの方法を考えて。

 そうやって暮らしていけたらいいと思う。


「朱里」

 名前を呼ばれ、私はギンを見る。榛色の瞳が、ふわりと緩んだ。


「大好きだ」


「うん」

 私は頷き、ギンに抱きついた。


 きっと。

 大丈夫。


 きっと。

 上手く行く。


 世界は。

 私達を祝福している。


                 (了)

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紅葉谷山花嫁御寮輿入綺譚 武州青嵐(さくら青嵐) @h94095

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