其之終 真弓千聡の日記 #10

7月6日 くもりのちはれ


 久しぶりに、つぐみんと会った。私が鬼界……透先輩がたまに言う“イドの世界”に言ってる間、こっちでもかなり色々ごたごたしていたみたいで、ずっと後処理に追われてたんだって。そのせいか、つぐみんはなんだかやつれて見えた。


「んッとに大変だったんだよ。I市からの増援も、全然勝手がわかってないからさ。かえって混乱しちゃって。結局、先発組で対処しなくちゃなんないところが多くて。含福寺の執行者は三人しか居なくて、お兄は昼間は学校行くわけじゃん」


「じゃ、先輩は夜中に仕事してたの?」


「そうだよ」


 通りで、部活にも顔を出さなかったわけだ。


 つぐみんはズゴゴ、とオレンジジュースを啜って、長いため息をついた。ブレザーの内側に着ているブラウスに、細かい皺が寄っている。


「疲れてるね……」


「霊脈の調整に今朝までかかってさあ。日付の変わらないうちに全部終わる予定だったんだけど、結局徹夜になって、起きたら一時よ。土曜日が半分、どっかに行っちゃってるじゃない」


 つぐみんはヤケみたいにポテトの赤い箱を掴むと、中身を口の中にぶちまけた。もぐもぐやりながら私を見ている目が、据わっている。


「まあ私らが苦労しただけあって、T市は当分、大丈夫だわ。下手すりゃそこらの街より安全だから。ちさちゃんは安心して住んでればいいよ」


「そおなんだ」


「気のない返事だなあ」


「そう言われても、実感がなくて」


 喉元過ぎればなんとやらというやつで、半月も経ってしまうと、鬼界の記憶も薄れ始めていた。日記を読めば、まだあの時の感覚を呼び覚ますことは出来るけれど……そもそも、向こう側での出来事は、何もかもが夢の中みたいに現実感を欠いている。


「まっ、そんなもんか。霊脈の流れなんて、ふつーは気にしないからねえ」


 ほんとは、ちさちゃんくらい視える人はわかっとくと便利なんだけど。つぐみんはまたジュースを啜って、ぼやいた。


「今は、上がうるさいからなあ。私の一存じゃ、ちょっとね」


「上?」


「街一つ鬼界落ちしかけたからね。スーツ組がピリピリしちゃってんのよ。T市以外にも、執行官を増員するなんて言っててさあ……」


 瞳を濁らせて、つぐみんはかぶりを振った。


「やめやめ。それよりもうちょっと、楽しい話しようよ。ちさちゃんは最近、どうなの? まだ変な夢見る? 服のレパートリー増えた? お兄とは仲良くやってる?」


「そういえば、嫌な夢は見なくなりました。服は、まあ、追々。透先輩とは、最近会ってない……っていうか、つぐみんは先輩と忙しくしてたんでしょ」


「そうだね」


 ふふふ、とつぐみんは笑った。


 実際のところ、私も、私の周りも、何にも変わっちゃいない。半月前に感じた、何かが終わるときの高揚感は、すっかり私の中から消え去っていた。


 透先輩に送られて家に帰ったとき、怒り狂うとばかり思っていたお母さんは「友達は選びなさいよ」と言ったきりだったし、おばあちゃんは「寺生まれの子なら心配要らないよ」って私をかばっているんだかいないんだかわからない台詞を吐いただけだった。


 それでもその夜は、鬼界にいるよりずっとマシだと思ったけど、最近はやっぱり、どっちが良いのかわからなくなってきている。


 相変わらずお母さんは私のやる事にあれこれ口を出すし、おばあちゃんは「あれもあんたのことを考えているんだよ」としか言わない。高校を卒業したら絶対に県外の大学に行こう、とは思っているけど、その日にはまだ遠い。


 結局、私はぐつぐつした不満を抱えたまま、代わり映えのない毎日を送っている。


「ま、私のは仕事だからね……」


 つぐみんはぼんやりと、空になったジュースの紙カップを啜った。カップの“M”の字がぼやけて見えた。


「そういえば、部活は続いてんの?」


「え? うん」


「部室がなくなるとか言ってたじゃん。あれは?」


「ああ、あれ。とりあえず、しばらくは大丈夫そうです」


 生徒会を牛耳ってた笹軌先生が入院したせいで、部室棟の再編は当分延期になった。今居る文化部の大半を追い出すことになるし、引越しの手間を請け負うのは結局生徒だし。


 新しく部室を貰う予定だった部活には、代わりに倉庫になっていた空き教室があてがわれた。渋る先生の代わりにあれこれ手続きを進めたのは、狛田先輩だと聞く。


「狛田史? あの子も元気にやってるの」


「そうみたい。忘れてたけど、生徒会長なんだよね、あの人」


「ま、そりゃ何よりか……。霊障が残らなくて、良かったね」


「先輩は、気をつけとけって言ってたけど。笹軌先生を入院させたのは、あいつなんだからって」


「一理あるね。あの子も、一度は千方に目をつけられるだけの素質を持ってる。“まつろわぬ心”ってやつ。気をつけるに越したことはないよ」


「それだと、私もそうなるけど」


 つぐみんは面白そうに眉を吊り上げた。


「その通り。ちさちゃんのこともちゃーんと見ておくからね。今度はイドに落ちる前に、助けに行くよ」


「それでも落ちたら?」


「その時は……私は諦める。後はお兄がなんとかするでしょ」


 ぽいっと捨てるようにそう言って、つぐみんは紙カップに残った氷を流し込んだ。


「ところで、ほんとにそれだけで良かったの? アップルパイとか、おやつにしかならないと思うけど」


「おやつの時間ですから。つぐみんのお昼が遅すぎるんだよ」


「ごもっとも。私にはありがたいけどね」


 つぐみんはレシートをしまって(金銭の出納はきちんとつけるの、だそうです)、私たちはまた、服を見てから帰った。


 今日の晩御飯は夏野菜のカレー。お味噌汁の茄子とカレーの茄子がかぶってしまった。つぐみんに唆されるままに注文してたら、絶対おなかに入らなかったと思う。



7月7日 はれ


 七夕。今年はから梅雨で、この時期なのにあんまり雨が降っているのを見てない。天気予報を見る限りでは今夜も晴れるってことだから、織姫と彦星も無事に会えると思う。


 今日は現像作業をしに、学校に行った。記事を書いたり編集したりするならともかく、フィルムを扱う時はそれなりにまとまった時間が欲しい。


「あれ、何してるんですか」


 昼過ぎに顔を出したら、部室で先輩が参考書を広げていた。空の弁当箱が出しっぱなしになっているところを見ると、午前中のうちから出てきていたらしい。


「自習。再来週から期末だろ」


「え」


 思わず固まる。先輩が顔をしかめた。


「忘れてたのか?」


「思い出さないようにしてただけです」


「まあ、いいけど。夏休みに補修はだるいぞ」


「別にさぼってるわけじゃないですよ」


 私はキャビネットの棚を開けて、マゼンタのブラックバードを取り出した。思えば、このカメラに触るのも鬼界から帰って来て以来のことだ。


「……あれから、彰さんは」


 先輩は首を振った。


「真弓が見てなきゃ、僕が見てるわけないだろ。言うほど親しかったわけじゃないんだから」


「ですよね」


 短く答えて、暗室にこもった。あれから二週間、一度も彰さんの姿は見ていない。二、三日姿を消すことはあったけれど……やっぱり、あれで消えてしまったんだろうか。生きている人の喪失は葬式で区切りをつけられるけれど、死者の喪失に区切りをつけるには、どんな儀式がふさわしいのか、私はまだ、わからないでいる。


「よし!」


 作業を全て済ませてみなければわからないけれど、今回はかなり思い通りの写真が取れた感じがある。惜しむらくはレフ板を持っていけなかったことだけれど、状況を考えれば及第点だろう。


「どうだった?」


 って聞いてきた透先輩にそう答えたら、妙な顔をされた。


「撮れてたのか」


「当たり前でしょ。フィルムの入ったカメラで写真を撮ったんですよ」


「そうじゃなくて。イドの世界で使ったのは、そのカメラじゃないだろう。冬柴さんの作った部室から持ち出したんだから」


 私は手にしたカメラを見て、先輩を見た。それから、もう一度カメラを見た。縦に並んだ二つのレンズに、私の姿が映っている。カバーをはめて、私はレンズから目をそらした。


「そういうこともあるでしょう!」


「……ああ、そうだな」


 珍しく、先輩は静かにうつむいた。おなかでも痛いのかな? 机を回り込んで、顔を覗き込んでみる。それで、気づいた。


「あれ? 先輩、眼鏡変えました?」


「うん。……どんなに拭いても、汚れが取れなくてさ」


「それ、傷ついてたんじゃないですか? 拭きすぎかも知れませんよ」


「ああ、うん。そうかも」


「どの道、買い換えなきゃしょうがないですけど。新しいのも似合ってますよ」


「ありがとう」


 先輩はまだ少し、釈然としない表情だったけれど、それでやっと、少し笑顔を見せた。ちょろい。


 フィルムが乾くのを待つまで、暇だった。椅子に腰掛けてぼんやりしたり、スマホをいじったりしながら、先輩が問題集にひと段落をつけるまで待った。


「先輩、暇なら水泳部の見学に行きませんか?」


 赤ペン片手に丸付けをしていた先輩が顔を上げた(ノートには八割がた丸がついていた)。


「暇に見えるか?」


「ちょっとくらい休憩を入れてもばちは当たりませんってば」


「悪魔の囁きだな。でもいいよ」


 先輩は参考書に栞代わりのペンを挟んで、閉じた。


「なんで急に水泳部なんだ?」


「忘れたんですか? 彰さんは、水泳部だったんですよ」


「そりゃ覚えてるけど……」


「私が一人で行ったら、水泳部に入りたい一年生みたいになるじゃないですか」


「僕が行ったら、覗きみたいになるんじゃないのかな」


 先輩はそうぼやいたけど、足を止めるようなことはなかった。日曜日のプールでは、水泳部の人達が何本も何本も二十五メートルを往復していた。


「坂本さんが復帰してるそうなんですよ」


「冬柴さんの後輩か……」


「私が救急車で病院まで付き添った人ですよ。この私が!」


「はいはい、そうだったな」


 私たちにとっては先輩に当たる。私たちはフェンスの向こうから目を凝らして、目当ての人がどこに居るのかを探した。


「やめた。僕、坂本先輩の顔、知らないんだよ」


「私は知ってるんですけど……」


 当然、水泳部の人達は皆ゴーグルをつけて、水泳帽を被っている。遠目には、ちょっと誰が誰だか判別するのは無理そうだった。


「そういえば――」


 フェンスに寄りかかるようにしてプールの方を眺めながら、先輩が口を開いた。


「冬柴さんの母親な、退院したそうだぞ。来年から本格的に教職に復帰するってさ」


「ああ、そうなんですか。あいつとは別れないんですかね」


「よく知らない人のこと、あいつなんて言うなよ。そこそこ上手くやってるってさ。兄貴からのまた聞きだけど」


 まあ、そう言うものかも知れない。彼らのとっての娘は、ずっと前に亡くなっているのだし。冬柴さんがああいう形で残っていたことが、そもそもイレギュラーで、これからあの夫婦も正しい位置に戻っていくんだろう。


「ちょっと、悔しいですね」


「僕らが覚えていればいいさ」


 がしゃん、と音を立てて、先輩がフェンスから身を離した。


「本当はな」


「なんです?」


「ちょっと駄目かと思ったんだ。ここの屋上で、真弓が目覚めなかったときに」


 先輩はポケットに手を入れた。黒ずくめのファッションは、半そでにしていても七月の機構にはあっていないように見えたけれど、先輩は汗一つかいていなかった。


「つぐみんから聞きました。『私は諦める』って」


「あいつはそれでいいんだ。含福寺が皆僕みたいにやってたら、今頃T市は終わってる」


 先輩は続けた。


「屋上で雑怪に囲まれた時と、千方を仕損じた時と、名前を失くした時――僕は怖気づいてたんだ。正直言うと、思い出して今でも時々びびってる」


「何が言いたいんですか」


「……真弓が死ななくて、良かった」


 透先輩はぼそりと言って、背を向けた。


「もう、戻ろうぜ。暑いよ」


「今の、もう一回言ってくれません?」


「やだ。戻ってエアコンつけようぜ……」


「予算、降りてないんですよ」


「どうせ、電気代は学校持ちだろ」


 水泳部が飛び込んだ音が、一際大きく聞こえてきた。


 先輩は私を目をあわせようとしないで、歩き続けていた。この人はどうやら、照れているらしかった。鬼界で一緒に居たときとは、まるで別人の顔をしている。


 でも、私は知っている。その時が来ればいつだって、透先輩はもう一つの表情を引っ張り出して――文句を垂れながらかも知れないけれど――きっと、「破ぁー!」しに飛び出していくはずだ。


 だから――やっぱり寺生まれ私の先輩ってすごい。七夕の午後を歩いていく先輩の横顔を眺めながら、私は改めてそう思ったのでした。


(了)

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それいけ!T高怪奇探索部 斎藤麟太郎 @zuhuninja

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