006 犯人はこの野郎でした
それからというもの。
ノックアウトされてしまった昌也君を、リカさんに頼んで送って行って貰った。集まった面々の中で、一番冷静な大人が彼女だったからである。
私としては、昌也君を警察に引き渡すつもりはない。これ以上
ただ、気になることが一つ。
昇太兄ぃの推理は正しかったんだろうか。というのも、昌也君が徹底して否認を続けていたからだ。あれだけ追い詰められるぐらいなら、正直に話して謝ったほうが良かったような。なのに否認を続けていたのには、何か
スマホの着信音。出てみると、相手はリカさんだった。
「やっほー、彼を送り届けてきたわよぉ」
「ありがとうございます。すみません、面倒な事に巻き込んじゃって」
「いいのよぅ。それよりも大丈夫?」
リカさんなりに気を遣ってくれているらしい。
「うん、大丈夫です。本当にありがとうございました」
電話越しに一礼すると、リカさんが優しい声で言った。
「それよりも、他にお礼を言う相手がいるんじゃない?」
……昇太兄ぃのことだろう。馬鹿兄貴だと思ってたけど、私の為に色々と動いてくれた。それにあの時――
「彼、格好良かったわね」
そう言われてドキリとした。尚も矢を放とうとする昌也君に、臆せず立ち向かったのは確かに格好良かった。
「ああ見えて彼、結構な好青年だと思うわよ。あなたのお母様から聞いたけど、人当たりもいいし根は真面目そうだって」
昇太兄ぃは私の両親から信頼されている。私にしてみればただの変態だけど、それ以外は完璧なイケメンだ。この場合の『イケメン』とは、顔だけじゃなくて総合的に見ての評価。就職難の時代にあって、あっさり大手不動産会社の内定を取ってくるぐらいだし。彼は顔だけじゃなくて相当優秀な人材なんだろう。
「真面目といえば、真面目ですよね。就職する前だっていうのに、昨日は就職先に挨拶行ってたらしいですから」
「え? それは変ねぇ」
リカさんが素っ頓狂な声を上げた。
「どういう意味ですか?」
わけが分からないので質問を返す。
「いえね。私ってば職業柄、不動産業やってるお客さんともお話するんだけど。この業界は普通、水曜日が休みらしいのよ」
――何ですと?
「水曜日に契約すると、契約が『水』で流れるって……
瞬間、私の頭がめまぐるしく働いた。昇太兄ぃの推理に納得できなかった理由が、これで解った。
「リカさん、ちょっといいですか?」
「何かしら?」
「二つ、頼まれてくれませんか」
「構わないけど、何をすればいいの?」
「もう一度、公園に行って確かめてきて欲しいんです。その後、私と一緒に来てくれませんか」
ここで、私は確認して欲しい事項をリカさんに伝えた。
「分かったわ。その次は、どこへ行けばいいのかしら?」
「はい、行き先は――」
昇太兄ぃのところだ。
部屋のドアをノックすると、昇太兄ぃが中から顔を出した。私の方から来るとは思っていなかったらしく、意外そうな表情をしている。
「どうした、めぐり。リカ……さんも一緒じゃないか」
一旦、深呼吸。
そして私は、相手に告げた。
「真犯人は、昇太兄ぃだったんだね」
一瞬の間。
「……ほぅ、面白いことを言うじゃないか。では、キッチンで話を聞こう」
「いいえ。私は、昇太兄ぃの部屋で話をしたいの」
きっぱり言うと、彼は僅かに顔をしかめた。
思った通りだ、自分の部屋に入られるのを嫌がっている。
「……分かった。では中に入りたまえ」
断ったら却って怪しまれると思ったんだろう、昇太兄ぃは私達を招き入れた。
「では、話してみろ。お前なりの真相をな」
椅子に座って、ふてぶてしい訊き方をする。
私はリカさんの目を見た。彼女は頷いてくれる。さっき、私の考えを話して聞かせたら、ゴーサインを出してくれたのだ。こういう時、オカマちゃんは本当に有り難い。
「じゃあ始めるね。まず、昌也君がアーチェリーの弓と矢を使ってパンツを外に射出したってやつ。あれ、不要なトリックだよね」
「ほう。俺の推理にケチを付けにきたのか」
「そうだよ」
負けてたまるか。
「だってさ、パンツを外へ出すのに、わざわざアーチェリーの弓と矢を使わなくてもいいじゃない」
そんな面倒なことをしなくても、窓から外に投げたほうが簡単だし、時間も省略できる。
「しかしな、木の幹に穴が開いていただろう」
「あれは、矢の穴じゃない。多分だけど、五寸釘でも使って開けたんじゃないかな」
「推測だ」
「いいえ。公園で昌也君が放った矢、木の幹に刺さってたよね。さっき、リカさんに頼んで、二つの穴の大きさを測ってきて貰ったんだ」
ぐ、と喉が詰まる音。
「私の予想通り、穴の大きさは違ってた。同じ直径の矢が刺さってたはずなのに、穴の大きさが違ってるっておかしくない?」
「矢の威力が違ったんじゃないか? 五十メートル先の場合と、それより近い距離で刺さった場合とでは、穴の大きさが違っててもおかしくない」
昇太兄ぃが視線を外す。逃げの体勢に入った合図だ。
――逃がさない。
「そもそも、昨日は強い風が吹いてた。いくら昌也君がアーチェリーの名手でも、強風が吹いてる中で木に命中させるのは無理なんじゃない?」
床が揺れる。地震じゃない、昇太兄ぃの貧乏ゆすりだ。
「ははっ、なるほど。では俺が推理したトリックは間違いだったと認めよう。しかしな、俺が真犯人というのは論理の飛躍じゃないのか? そもそも、お前の部屋には昌也君以外、誰も入っていないんだぞ」
私が部屋に鍵を掛けていた間は、誰も中に入れない。それ以外では、私自身が部屋に居た。当然ながら、昇太兄ぃが部屋に入れる余地はない。
――あの時を除いて。
「私が五分間だけ、鍵も掛けずに部屋を空けた時があったでしょう?」
朝、トイレに行った時のことだ。
「その五分間で、部屋に入り、下着を盗んで、外に出るのは不可能だと言ったはずだが。それに俺は昨日、外出してたんだぞ」
昇太兄ぃが外出してたってのは嘘だろう。だって、就職先が休日なのに挨拶行くような人は居ないはずだから。しかもこれは既に先方へ確認済み、回答は「休みでしたが」。
今にして思えば、昇太兄ぃはドア越しに「出掛ける」と言ってただけ。ドアの向こうで息を潜めて、玄関の靴も隠しておけば、外出していたふりが出来る。
「私の部屋のドア、外開きでしょ。階段と反対側に開くタイプだから、私が部屋を出て階段を降りる時は死角になるはず。きっと昇太兄ぃは、ドアの向こうに隠れていたんだよ」
「……俺がお前と鉢合わせしたらどうする」
段々、相手の声が弱くなってきた。
「その時は『忘れ物を取りに来た』とか言い訳すればいいんだよ。それくらいの逃げ口上、考えていたんだろうけど」
少しの間、昇太兄ぃは考えるそぶりを見せた。
「ここまで、完全な推測だな。俺がお前の部屋に入ったという証拠が無いぞ」
追い詰められた犯人は、証拠の提示を要求する。
「確かに、物的証拠は無い。でもね、昇太兄ぃは初めっから、自分が犯人だと言ってたんだよ」
「何だと?」
兄貴の表情が変わった。
「昇太兄ぃ、私が彼氏と別れたって推理したでしょ。その時に何て言ってたか覚えてる?」
確か、こうだった。
――先程お前の部屋に入った時、〈オレンジページ〉を見掛けたのだよ。背表紙に発行日が書いてあってな、一番古いのが半年前のもの。一番新しいのが六日前、つまり今年八月二日のものだった――
寸分違わず、昇太兄ぃは同じ台詞を口にした。この記憶力だけでも驚異的だと思う。
「それが何か……あッ!」
ニヤリと笑う私。相手はついに気付いたらしい。
私は隠し持っていた〈オレンジページ〉八月二日号を取り出した。
「これ、ベッドの下から出てきたんだよね。私ってばうっかりしてて、この一冊をベッドの下に隠してたの忘れてたんだ」
けれど彼は、見ているはずのない雑誌を見ていた。
「他の〈オレンジページ〉は紐で括っておいたんだけど、この八月二日号だけはベッドの下にあった。これが何を意味するかというと、
昇太兄ぃは、ずっとベッドの下に居た。その時に、この雑誌を見掛けた
ということになるんじゃないかな」
ちなみに、他のは昇太兄ぃへ投げつけたことで散らばってしまったけど、それだけでベッドの下に潜り込むはずがない。だから八月二日号だけはベッドの下に初めっからあった、というのが真実だ。
多分、彼が私のパンツを盗んだ方法はこうだろう。
私が部屋に鍵を掛けず外に出たところへ、まんまと中に侵入し、一旦ベッドの下に隠れた。そして私が居なくなった頃を見計らってパンツを盗んだ。
そういえば今朝、私がタンスの前でパンツを探してた時、昇太兄ぃは私の真後ろから現れたんだっけ。その事実が「彼はベッドの下に潜んでいた」という推理を補強する状況証拠になる。
昇太兄ぃは施錠されていない隙に侵入して、あとはずっと部屋の中にいた。私がいつものように鍵を掛けることで、密室が完成した。そう考えれば、何も不思議なことはない。
「どう? 穴があったら教えてよ」
心臓が高鳴る。自信ありげに話してたけど、見落としが無かったとは言い切れない。ほんの些細な間違いから、推理が崩れてしまう可能性もある。
「……いや、筋は通っている」
よし、通った。あとは最後の仕上げ!
「最後に、パンツの
あんまり想像したくないけど、私のパンツは彼のパンツのもっこりした部分に入れられて持ち出された……とか。
「だから、この部屋を探せば見付かると思うんだ」
そう言って、私は目を閉じた。
と。
「ベッドの下を見たわ!」
リカさんが叫んだ。
――かかったな!
目を瞑れば、相手はその隙に隠した場所を見るはず。この賭けは、私の勝ちみたいだ。
内心ガッツポーズすると、私はベッドの下に手を差し込んだ。
かくして、〈ウサギさんパンツ〉は。
「あった!」
これぞ動かぬ証拠。昇太兄ぃに一泡吹かせてやれたと思うと痛快だった。
「さあ、どういう言い訳を聞かせてくれるのかしら?」
ちょっとだけお嬢様口調になりながら、相手に詰め寄る。私の完全勝利と言ってもよかった。
「……見事だ。俺のミスリードを覆すとはな」
投げやりな拍手を送られても嬉しくない。
この馬鹿兄貴は、自分で探偵役を買って出ておきながら、実はしっかりパンツをゲットしていた。しかも偶然できた密室を悪用して、唯一部屋に入った昌也君を犯人に仕立て上げるとか、色々最低だ。今更だけど、そんな彼がずっとベッドの下に居たなんてゾッとする。
「ふふふ……一晩中、妹のベッドの下で尿意と戦い続けるプレイは中々に素敵だったぞ」
訂正。あんた、予想の斜め上過ぎるよ!
「悪いけど警察呼ぶからね」
昇太兄ぃは一度、痛い目に遭わされるべきだと思う。
「ふはははは!」
いきなり兄貴が高笑いを上げた。
「甘いぞ、めぐり! お前は刑法第二四四条を知らないのか」
「何それ?」
「〈親族相盗例〉――つまり、兄が実の妹のパンツを盗んでも、お咎めなしなのだよ」
「それ……本気で言ってるの?」
「勿論だ」
……ああ、こりゃもうダメだわ。
私はスマホで、しかるべきところに通報した。
昇太兄ぃを乗せて遠ざかる救急車。
強制搬送される彼を見送りながら、私は呟いた。
「警察のほうが良かったかな……」
「いいえ、これで良かったのよ」
リカさんがフォローを入れてくれる。こんな時でもオカマちゃんは優しい。
「だけどまさか、妄想と現実の区別が付かなくなっていたとはね」
私と昇太兄ぃは実の兄妹じゃない、ただのお隣さん同士だ。幼馴染みだから「昇太兄ぃ」って呼び方が定着してしまっただけで。
彼があんな風になってしまったのには、色んな原因があると思う。うちの両親が彼を自由に出入りさせてたのもあるだろうし、思春期に受けた精神的ショックなんかもその一つだろう。
「我が弟ながら、不憫よね。これも全部、私が悪いんだわ……」
リカさんが肩を落とす。
ある日突然、兄が『姉』になったら、弟はどう思うだろう。何もかも無かったことにして、記憶を上書きしたくなるかもしれない。そして私を実の妹と思い込むことで、心の平穏を保っていたとしたら。
――なんて、同情するわけ無いけどねっ!
女の子のパンツを嗅いだり、かぶったり、集めたり、盗んだりするような男はもうコリゴリ。世間の男がみんなそうなら、私は激しく幻滅する。
「リカさん、決めた」
「何を?」
「私、勝負パンツいらないや」
「どうして?」
だってさ。
リアルの男とは、もう二度と付き合わないから。
[おわり]
私のパンツを盗んだ犯人はこの野郎でした 庵(いおり) @ioriorio
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