第2話

池面イケメンくん、今の話信じてくれるの?ボタンも留められないくらい酷いって」

「えっ、だってそうなんだろ。もしかして嘘なのか?」

「嘘じゃないけど、でもここまで酷いって変でしょ」


 この冷え症が中々人には信じてもらえないレベルだって事は、自分が一番よく知っている。だから池面くんも、きっとこの苦労を分かってはくれない。そう思っていた。


「変かどうかなんて知らねえけど、それで日枝が困ってるってのは本当なんだろ。でないと、わざわざそんな恰好でいるわけないからさ」


 そう言われて、改めて自分の姿を見る。中途半端にボタンが留められている、このみっともない恰好を。

 今更だけど、池面くんの前でこんな姿でいると言うのが恥ずかしくなった。


 慌ててボタンを留めようとするけど、それができたら苦労はしない。掴んだボタンはそのたびに滑ってしまい、まともに手に収める事さえ難しい。池面くんの前でそんな醜態をさらしているかと思うと、ますます恥ずかしくなってくる。

 それを何度繰り返した時だろう。


「俺が留めてやろうか?」

「えっ!いや、でも……」


 池面くんの提案に、私は小さく叫んだ後焦ったように身をよじる。いや、手伝ってくれるのは嬉しいんだけど、男の子に、特に池面くんにボタンを留めてもらうかと思うと、なんだか物凄く恥ずかしい。

 それにほら、いろんなとこ触ることになるかもしれないし……


 どうやら池面くんもその辺を察したみたいで、急に慌てたように言う。


「あっ、ごめん。それはマズいよな。その、他意があったわけじゃ無いんだ。忘れてくれると、助かるんだけど……」

「う……うん」


 ちょっとだけ気まずい空気が流れて、沈黙する私達。もう、どうしてこんな事になったんだろう。


「カイロとか、暖かいものがあったら何とかなるのに」


 この空気を何とかしたくてそんな事を言うと、池面くんもそれに応えてくれた。


「そうなのか?」

「うん。悴んだ手を何とかするには、直接温かい物に触れるのが一番だなの。それも、できることなら手を包み込むようなものの方が良い。カイロだったり、お湯で濡らしたタオルだったり。けど学校だとそれもむりだからね」

「そっか……」


 それができたらどんなに良かったかと思ったのは、一度や二度じゃない。けどカイロの持ち込みは禁止されているし、一部を除けば学校の水道からはお湯なんて出てこない。

 だけどその時、池面くんが何か思いついたように言った。


「暖かいもの、これじゃダメか?」

「えっ?」


 私が返事をする間も無く、池面くんの両手が私の手を包んだ。


「人間カイロ。俺、体温高いんだ。さすがに本物のカイロほどじゃないけど、これだと変わりにならねえか?」

「えっ?えっ?」


 戸惑う私の手に、次第に心地良い暖かさが伝わってくる。池面くんの暖かさが。

 言うだけあって、池面くんの手は暖かかった。冷え固まった私の手とは大違い。そして今まで動かなかった手が、次第に自由を取り戻していくのが分かった。

 だけど私は、正直それどころじゃなかった?


「池面くん、手――――」

「あっ、こんなんじゃ無理?」

「うぅ、そうじゃないけど……」


 冷えに対する効果は抜群だった。それはまるで、張り付いていた氷がゆっくりと解けていくようにも思える。

 だけどそれ以上に、池面くんに手を握られていると言う事実の方がずっと大事だ。だってあの池面くんにだよ。

 さっきボタンを留めようとした時は色々察してくれたのに、どうして今回は気づいてくれないの?もしかして池面くんくらいのイケメンになると、女の子の手を握るくらいなんでもないとか?


「多分もう、大丈夫だと思う」

「そう?」


 本当はまだ少しだけ動かしにくかったけど、これでもう十分だ。と言うかこれ以上は、ドキドキしすぎて心臓が持ちそうにない。

 お礼を言って早速ボタンを留め始めると、少しだけ苦戦はしたけど結構すんなりと全部留める事が出来た。


「あ、ありがとう。池面くんの手って、暖かいんだね」

「普段から動いているからかな。けど手が冷たい人ほど心が暖かいって言うから、その理屈だと俺は心が冷たいのかもな」

「そんな事無いよ」


 きっと池面くんは冗談で言ったんだろうけど、たとえ本気じゃなかったとしても、私は断固それを否したかった。


「こんな風に心配してくれて、助けてくれて……そんな池面くんの心が冷たいなんて、そんな事あるわけない!」

「そ、そうか?」


 その勢いがあまりに強すぎたんだろう。池面くんが気圧されたように答える。だけどそれから、フッと笑顔を見せてくれた。


「ありがとな。俺はともかく、日枝ひえの場合手が冷たい人ほど心が暖かいって言うのは、きっと当たってるな」

「えっ、いや、そんな事は……」


 その言葉になんて言っていいか分からず困っていると、教室の扉が開いてようやく先生が入ってきた。


「いやー遅れてすまない。授業を始めるぞ」


 先生が来たところで、池面くんとの会話も強制終了だ。もう少し遅れてくれても良かったのにそう思いながら、もう一度チラリと池面くんの方を見る。

 すると向こうも同じようにこっちを見ていて、その口が素早く動いた。


「また手が悴んで困ったら、いつでも人間カイロになってやるよ。日枝の手、冷たくて気持ち良かったからな」

「!?!?」


 小声でそれだけを囁くと、池面くんは前を向く。私はと言うと、顔だけは一応先生の方を向きながら、だけどその声はちっとも聞こえてこなかった。


 手を意識すると、とっくに離れたはずの池面くんの暖かさが今でも残っている気がする。そして胸の奥の最も深い場所には、それと同じくらいポカポカした暖かさが広がっていくような気がした。


 ずっと私を困らせて、大嫌いだった冷え症。だけど今日私は、初めてこの冷え症に少しだけ感謝した。

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それでもこの冷えた手が 無月兄 @tukuyomimutuki

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