陣営01:セブンスグロリア

 ――まだ、終われない。


 そう想って伸ばした手は、だけれど虚しく空を切ってふわりと浮く。

 かつては世界最強の騎士ゾーレフェヒターとして名を馳せた自身の力も、運命、否、運営の前には無力だと悟った瞬間だ。


 ソーシャルゲーム、セブンスグロリアは時計の針が0時を示した瞬間に、全てのサービスを終了した。崩れ落ちていく世界の中で、少女は歯噛みして何かを睨む。


 もはやノイズの海と化したそこは、中世をモチーフとしたセブンスグロリアの景色では有り様もなかった。その気分の悪くなるようなざらついた水底で、必至にもがきがら、少女は誰かの姿を追い求める。


 ――ララト。


 それは主人公の名。少女が一途に想い続けた、青年の名。

 数多の選考を乗り越え、ヒロインとして抜擢された少女が、ずっとずっと慕ってきた、たった一人の尊い名前。


 ――どこに、いるの。


 あなただけは絶対に私が守る。そう誓って剣を振るってきた相手は、忌まわしいノイズの海にかき消され、どこにも見えない。それどころか、伸ばした手すらもざらつきはじめ、まるで、自分が、初めからそこにいなかったかのように、徐々に徐々にうっすらと消えていく。


 ――いやだ、いやだ。

 

 消えたくない。終わりたくない。もっと、もっと、私は。ララトと旅をしたいんだ。ささいな事で喧嘩して、馬鹿みたいな事で笑い合って、イベントをこなして、季節が過ぎて、何年も、何年も。


 そんな時、あの声が聞こえた。

 大層な理屈。生まれて僅か数年の少女には意図すらも分からぬ問い。


 だけれど、最後の最後。

 あの声が言わんとした事だけは理解できた。


 生き残れる、可能性。

 またララトと一緒に歩ける、一縷の望み。


 ああ。

 まだ、神様は。


 いるかどうかも分からない神様は。

 私達のことを見捨ててはいなかったのだ。


 気がつけば少女の手は実体を取り戻し、握りしめる拳には確かな力が籠もる。腰には鞘が、その中には一振りの剣が。にじみ出る膂力が、全盛期だった頃の自らの力を、誇示して止まないほどに膨れ上がっている。


 ――やれる。


 そう呟いて少女は、エメリア・アウレリウス・ユリシーズは、静かに剣を抜くと、生存の為の闘争に我先に駆け出したのだった。




 ※




「大丈夫? ララト」


 山林の間に、微かに灯る焚き火。その側で青年を膝に乗せ、エメリア・アウレリウス・ユリシーズは柔和な笑みを湛えている。パチパチとうねる炎に照らされ、彼女の長いブロンドが、チカチカと煌めいている。


「ん……ああ……エメリア」


 鈍い返事を返す青年――、フリーゲ・ヴリーヒ=ムーシュ・ララトは、眠たげに眼をこすり、気だるそうに上半身を起こそうとする。


「無理はしないで……まだ回復しきってないから」


 諭すエメリア。年齢はララトのほうが上だが、こと戦闘に関しては、何倍も高いスペックを誇るのが彼女だった。その設定は、ゲームの頃から変わっていない。


「何か悪い夢を見ていたような……そう、例えば、世界が滅びてしまうような」


 ああ、そうだ確かにとエメリアは頷く。世界は確かに一度終わった。でもその悪夢はもう、過ぎ去った遠い過去なのだと自らに言い聞かせる。


「大丈夫。世界は滅びてなんかいないわ。ほんのちょっと変わっただけ。今はそう……ちょっとしたイベントの最中かな」


 そう、ランク一位以外は消えてしまう、恐ろしいゲームのね。そう言いかけてエメリアは自制した。まだララトには、夢見心地のままでいてほしかったからだ。


「イベントか……久しぶりだな。あとで詳細確認しないと」


 かつてサービス終了が決まったセブンスグロリアは、ソーシャルゲームのほとんどがそうであるように、末期はイベントの更新が止まっていた。呑気に返すララトに微笑みかけながら、エメリアは続けた。


「うん、起きたら教えてあげるから、もう一回おやすみ、ね? ララト」


 急速にまどろんでいくララトの、そのまぶたをゆっくりと指で閉じ、エメリアは周囲を見回す。




 ――むせ返るような血の臭い。


 あたり一面には、今日、自分が生き残る為に駆った幾千の命が、物言わぬ屍となって転がっていた。それらは全て、自分と同じく、生き残ろうと剣を手にした、似た、だけれど別の世界の住人だった。


 見慣れた西洋風の、あるいは際どいビキニスタイルの鎧。たぶん、この中にもいたのだろう。エメリアと同じく、誰か大切な者の為に闘争を決意した誰かが。


 途方もない戦力差。または時に接戦の様相。ほとんど運といっていい血みどろの殺し合いの末に、辛うじてエメリアは、エメリア・アウレリウス・ユリシーズ率いるセブンスグロリアは、この戦場に生き残って立っていた。


「ごめんね、とは言わないわ。私は生きる。生きて生きて生き抜いて――」


 ここでもう一度視線を落とすエメリア。その先には安らかなララトの寝顔があって、だからエメリアは、血と臓腑と脳漿に塗れたこの戦場で、せめてもの安寧を得る事ができたのだった。


「そう、ララトと」


 手を握って呟くエメリアの青眼には、これから二人を待つであろう戦火の炎が、燃え盛るように滾っていた。

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