最終話

懐中時計は11時を指していた。カーテンを開け、外が暗くなったのを確認しベッドから降りる。

クローゼットを開けて水色のドレスに着替え、姿見を見て髪を整え、帽子と手袋を付ける。流石に借りた服で帰るわけにはいかない。それに、ここにはもう一生戻って来ないだろう。婚約者と結婚すれば屋敷の中でずっと過ごす事になる。私は蝋燭に火を付けたキャンドルスタンドとバッグを持って部屋を出た。


部屋の外は当然真っ暗だった。火が薄暗く廊下を照らし、私はズキズキと痛む左足を庇いながら、壁を伝って歩く。松葉杖は大きな音がしてすぐ気付かれてしまうので、部屋に置いてきた。

廊下を渡りきって、今度は階段を降りる。一段一段ゆっくり、転ばない様確実に。窓から覗く月明かりが階段を照らし、廊下よりは明るいという事が唯一の救いだ。

何とか階段を全て降り、私はほっと胸をなで下ろす。バッグから鍵を取り出し玄関へ向かう。確か、外に出て庭を抜けたところに公衆電話があったはずだ。電話を使ってホテルの馬車に迎えに来てもらう事も出来る。兎に角、彼に気付かれない様に玄関の鍵を開け、外に出れば良いのだ。


深呼吸して、私は震えた手でドアの鍵穴に鍵を差し込んで回す。ギィッと音と立てて開いたドアから風が吹き込み、蝋燭の火が消えた。一瞬の出来事だった。

慌ててバッグからマッチを取り出し火を付けようとしていたらある事に気付いた。玄関に立て掛けてあった猟銃が無いのだ。


彼が起きている。


急いで歩き出そうとするが、背中に固く冷たい鉄の感触を感じ、恐怖を感じた身体はすっかり動かなくなった。


不気味なほどの静けさが漂う中、私は庭の前を通り過ぎる馬車を見つめていた。彼が居なければあの馬車でホテルまで戻る事が出来たかもしれない、などと叶いもしない事を考えて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Cage 牛乳ラブ @murasakina_MILK

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ