頑固本屋

平中なごん

頑固本屋

「ラーメン屋……いや、本屋なのか?」


 お昼時、偶然店先を通りかかった本屋は、そんな〝ラーメン屋〟と見まがうような店構えだった。


 古惚けた一戸建てで、入口の格子戸の上に「本屋」とだけ書かれた暖簾がかかっている。


「客をなんだと思ってるの!」


「こんな本屋、二度と来るかっ!」


 と、僕がその店先を〝本屋〟なのか? それとも〝本屋という店名のラーメン屋〟なのか? と小首を傾げながら眺めていると、一組の男女がひどく激昂した様子で、そんな文句を口にしながら乱暴に格子戸を開けて出て来る。


「なんか、〝がんこオヤジのやってるラーメン屋〟に来たお客のような……」


 鼻息荒く脇を通り過ぎて行く二人を目で追いながら、僕はその本屋さんらしき店に興味を覚えた。


「おじゃましまーす……」


 そこで、今しがた乱暴に閉められた格子戸をおそるおそる開け、僕はちょっと覗いていってみることにした。


「いらっしゃい……」


 すると、カウンターの向こうで新聞を読んでいた白髪頭の店主が、鼻眼鏡になった老眼の隙間から僕を睨むように眺め、ぶっきらぼうに愛想なく挨拶をする。


 僕は「感じ悪い店だな」と思いつつ店内を見回し、どうやら〝ラーメン屋〟ではなかったらしいことを確信する。


 カウンターの向こうに厨房らしきものはないし、無論、鶏ガラや豚骨を煮込んでダシをとっているような臭いもしない。


 この紙とインクの発する独特な臭いは、まごうことなく本屋さんのものだ。


 だが、だからと言って、普通の…僕の常識としてイメージする本屋さんともその店は明らかに違っていた。


 本屋ならば必ずあるはずの本棚が一つもなく、ガランとした店内には机と椅子のセットが四つばかり置かれ、壁際にはちゃぶ台の二つ置かれたお座敷席もある。


 その光景は、やはり本屋というよりもラーメン屋か大衆食堂の方がしっくりくる。もしかして、もとはそうした店だった建物を使って本屋を開いたのだろうか?


「あのお……ここって本屋さんなんですよね? えっと、本は……」


 そんな店内の様子をひとしきり見回した後、僕は客ながら遠慮がちに、まるで愛想のない仏頂面の店主にそう尋ねた。


「ん。そこを見ろ。うちはそれ一本でやつてるんだ。嫌なら帰んな」


 すると、とても客に対する態度とは思えない礼を欠く素振りで、店主は僕の背後――お座敷席の壁に貼られた「太宰治 『人間失格』 六五〇円」という紙を顎で指し示す。


 なんだか、ほんとにラーメン屋さんのようだ。


「で、いるのか? いらないのか? どっちだ?」


 その斬新すぎるというか、アバンギャルドな販売システムに唖然としていると、やはり客商売にはそぐわない口調で店主は簡潔に訊いてくる。


「は、はい! じゃあ、一つ…てか、一冊……」


「フン!」


 その高圧的な物言いに思わずそう答えてしまうと、店主は礼を言うでもなく、むしろ迷惑そうな顔をして奥へと入って行く。


「ほらよ。650円」


 そして、僅かの間を置いて戻って来ると、真新しい『人間失格』の文庫本を一冊、相変わらずの不愛想な態度で僕の方に突き出した。


 なんか流れで買ってしまったけど……ま、太宰は今までちゃんと読んだことなかったし、いい機会だと思えばいっか。


「あ、はい……じゃあ、千円で」


 少々不要な出費感はあるが、そう考えて自分を納得させると、僕はその突きつけられた『人間失格』を受け取り、サイフの中から千円札を取り出して代金を支払った。


「チッ……350円の釣りだ」


 だが、店主はちょうどの金額にしなかったことを責めるかのように舌打ちをし、ひどく不機嫌そうに釣銭を差し出す。


「あ、どうも……」


 ほんとに感じの悪い店だな……しかも、なぜか釣銭細かいし……。


 と心の中でツッコミを入れつつ、百円玉2つと五十円玉2つ、十円玉5枚をこちらもムスっとした表情で受け取り、ともかくも本は買ったし、早々にこんな店お暇しようと思うのだったが。


「売ってるからには最高の状態で読んでもらわねえとな。正しい読み方を教えてやるからちょっとそこで読んでみな」


 立ち去ろうとした矢先、店主はそんな、やはりがんこなラーメン屋のようなことを言い出し、また顎を使って机の方を僕に示す。


「…………はい?」


「ほら、何ぼうっと突っ立ってんだ。早くしねえと刷り立ての本が伸びちまうだろうが」


 正しい読み方ってどういうことだ? 買った本の読み方にまで口を出す本屋など聞いたことないぞ?


当然、何わけのわからないこと言ってんだと僕が呆然と佇んでいると、ますますラーメン屋のようなことを言って、店主は僕に読むよう急かす。


「本が伸びるて……」


 小声でそんなツッコミを入れつつも、店主の強面と凄みの利いた声に反論する勇気もなく、仕方なく僕は椅子に腰かけると、今買った『人間失格』を読み始める。


 なになに……私は、その男の写真を三葉、見たことがある……へえ、こんな始まり方だったんだあ……これは〝さんまい〟と読むのかな? それとも〝さんよう〟でいいのか?


 それでも、いざ本に向かうと真っ白い紙面に踊る文章に集中し、意外と知らない名著の冒頭と、そんな古風な言い回しに早くも興味を覚えていたのだったが……。


「なにちんたら読んでやがんだ! 太宰の文体の良さってのはなあ、その修辞が多く長いのにも関わらず、すらすらと読みやすいとこにあるんだ。もっと流れるように読めねえのか!」


 自分で読めと言いながら、僕の読書を邪魔するかのように店主がケチをつけてくる。


 な、何? それがお客に対して言う台詞? ここって本屋さんだよね? でもって、僕はお客さんだよね?


 その予想外に浴びせられた暴言に怒りを感じるよりも、僕はむしろ驚いたというか、呆れてしまって目をパチクリとさせる。


「………………」


「…な、流れるようにですね……」


 だが、こっちをじっと睨みつける店主の据わった眼が怖いので、僕は仕方なく、今度はさらっと文章を目で追いながら、パラパラとなるべく早くページを捲くるようにした。


「なに飛ばし読みしてやがんだ! そんなんじゃ美しい太宰の文体を半分も味わえねえだろうが! もっとじっくりと噛みしめるように読まねえか!」


 ええ~っ? さっきと言ってること反対じゃん!


 しかし、理不尽にも気難しい店主は、僕のそんな努力を踏みにじるかのように、またも頭ごなしに読み方を批判してくる。


 どんだけ太宰LOVEなのかなんなのか知らないが、それでも商売人なのだろうか? てか、まともに商売する気あんのか?


「そ、そうだ! 用事があるのを思い出したんで、僕はこれで失礼します!」


 もうこれ以上、こんな失礼極まりない本屋につきあってやる義理はない。


 いろいろと文句を言ってやりたい気持ちはもちろんあったが、怒らせれば何されるかわかったもんじゃないし、こんなことで低俗なケンカするのも大人としてどうかと思われたので、僕はそんな言い訳を口にすると、文庫本片手にいそいそと椅子から腰を上げる。


「フン! 最近の若いヤツらはちょっと言われるとすぐこれだ。何があってもへこたれなかったメロスの我慢強さをちったあ見習えってんだ」


 すると、その言い訳はどうやらみえみえだったらしく、店主は不機嫌そうに鼻を鳴らして、太宰の『走れメロス』を題材に僕ら若者世代を一まとめに批判する。


 いや、別にこれは我慢強さとかそういう問題じゃないからね? それよりも、むしろ、あんたがメロス読んで自分の生き様を見直せ!


「おっと、そういやもう9月……ブドウの季節か。うっかり忘れるとこだったぜ……」


 出口へ向かおうとした足を止め、唖然とそんなツッコミを心の中でする僕だったが、今の会話から店主は何かを思い出したらしく、不意にそんな独り言を呟くと再び奥へと入ってゆく。


 そして、またすぐに戻って来ると、何やら手に持っていた一枚の紙を「人間失格」の〝お品書き〟のとなりに貼った。


 それには、こんな文言が書かれている……。


〝『走れメロス』はじめました〟


 『人間失格』一本でやってるとかなんとか言っといて、別の作品も扱ってるじゃん……。


 一旦、大きく見開いた目を呆れたように細め、僕はシラケた顔でそのチラシを見つめながら、今度も心の中でツッコミを入れる。


 ……てか、冷やし中華かぁっ!?


                            (がんこ本屋 了)

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頑固本屋 平中なごん @HiranakaNagon

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