エピローグ 昼、即ち日常

※WARNING※

この章は、現在、修正を行っています。

ストーリーを早く知りたい方以外は、お待ち頂くことで、より一層、お楽しみ頂けるかと思います。


 小気味良いリズムとともに、いい香りが漂うマンションの食堂へ、車椅子に座ったグレと、それを押すウンノが入ってきた。

「……二人とも、早い。仕上げが残ってる」

 キッチンから顔を出したコレットが非難の声を上げる。

「ごめん。美味しそうな匂いがこっちまで来てたからさ」

「……ありがとう。だとしても、グレ君は休んでた方がいい。まだ、傷、塞がってない」

「痛み止めが効いてるから平気だよ。それに、ずっと、ベッドだと、気が滅入る……」

 ウンノとともにキッチンへ入ったグレは、ため息をつきながらコレットの側に近づいて、調理台の上をのぞいた。漂う独特の匂いと、まな板に並ぶ切られたトマトを、火にかけられた唯一の鍋に入れるコレットに、立てていた昼食の予測を口にする。

「カレー?」

「……そう」

 薄々予感はしていたものの、改めて現実を突きつけられたウンノが明らかに嫌そうな表情を浮かべた。

「……何?」

 目の端に留まったウンノを、コレットが鋭くにらみつける。

「いえ……別に……また、お皿が赤く染まるのかなって」

「……そうね。でも、あの時は少し違う」

 表情のニュアンスを微妙に変えたコレットは、鍋の中から具材の一つをお玉に掬ってみせる。

「……ほら。チキン。この前はお肉入れなかったから」

 わずかな沈黙の後、ウンノが口を開いた。

「それだけ……?」

「……え?」

 さらに追ってきた沈黙の中、どちらが初めかわからないが、ウンノとグレが、静けさを払拭するように笑い出す。

「……何?」

 喧嘩を売られたときのような暗い感情を抱いたコレットが、二人へ視線を飛ばしながら不服そうに疑問を表す。

「だって……自信満々に言うんだもん……チキンって……」

 少しずつ収まる笑い声を混ぜたグレの説明に、いまいち理解できないからこそ起こる、疎外感をコレットは態度で示す。

「……二人とも具かお米無しね」

「悪かったよ。でも、チキンて……」

「……わかった。ウンノは両方抜き」

「ごめんなさい。それだけは……」

 未だ抜け出せない笑いの坩堝に囚われたウンノがコレットに直訴を行うよそで、いち早く抜け出したグレがコレットに訪ねる。

「でも、いいの? 鳥の半獣として」

「……私、猛禽類だし。命に、重さも同類も同属もない。全部大切に地球の上を回ってる」

 鍋にお玉を戻し、円を描くように回すコレットは、誰の目も見ることなく、ただ、二人にも聞こえるように呟く。

「……だから、グレ君が生きててよかった。本当に」

「そうだな。大切なグレが生きていてよかった」

 赤らめる顔を下に向けるコレットの様子を見たウンノが、若干のからかいを込めてコレットの肩に手を置きグレの方へ顔を向ける。

 なんだか気恥ずかしくなり、うつむいてしまうグレを見て、ウンノは何か思い出したように、手をたたいた。

「そうだ。アレを忘れた。ちょっと、取ってくる」

「何だよ、アレって」

「アレはアレだよ。アレ」

 グレの疑問もはぐらかしたウンノは、満面のちゃかすような笑顔で食堂を出て行った。

 息を吐いたグレは、ずっと鍋を混ぜ続けているコレットへ、今の気持ちを素直に伝える。

「ありがとう」

「……うん」

 なぜか会話が続かず、無音になってしまう。

 静かな二人の間を埋めるため、調理器具くらいしかないキッチンから話題を探したグレの目に留まったのは、やはり、コレットの混ぜるカレーであった。

「最近カレー作ったの?」

「……グレ君が手術の後。あの時はおいしくできなかったけど、今回は大丈夫だと思う」

「なんで?」

 当然の流れでグレが理由を訪ねると、笑顔でカレーを見ていたコレットは、何かに気づいたように息を飲んだ。

「コレット?」

 黙ってしまったコレットを心配してグレが顔を覗くと、赤い顔を背けたコレットが言い訳するように呟く。

「……知り合った人においしい作り方教えてもらった」

「どんな人なの?」

 何の疑問も抱くことなく、興味の矛先を変えるグレに安堵したコレットは、間違いなく事実でもあるその知り合いについて話すことにした。

「……買い物してるときに声をかけられて──」

 あの時みたいに動揺していないからなんて、自分には似合わない言葉を隠して。



 食料品店で野菜と見つめ合うアレーの持つかごに、レコがいくつかのお菓子を持って来て何も言わずに入れた。

 野菜の一つを手にとったアレーは、細部を確認しながらも、離れようとするレコを呼び止める。

「そんなにいらないでしょ。戻してきなさい」

「まだまだ! かご、半分にもなってないだろ? 俺のは俺が払うんだからいいじゃねえか。体によくはないだろうなって思わせるこの味が好きなんだ」

「買うのはいいけど、それをうちにおいていくのはやめろ」

 生返事をしてレコが別の売場へと歩き去ってから、いくつかの野菜をかごに入れていると、アレーの持つかごに再び衝撃がかかる。

「いい加減に……」

 振り返るとそこにはレコではなく、代わりにファーグが立っていた。

「ごめんなさい。どうしても食べたくて……」

 かごには頼んでいた調味料と一緒に、ミント味のガムが入れられている。

「僕こそごめん。レコがたくさん入れるから勘違いしちゃった。それにしても珍しいね」

「たまに食べたくなるの……」

 小さな肯定を示しながら歩き始めるアレーに続いてファーグも歩き始めるが、すぐに足を止めて、隣の精肉コーナーを見始める。

「肉、無かったっけ?」

 特に選んでいる訳ではなく、ただ見ているだけといった様子だったアレーに、ファーグは首を傾げながら訪ねた。

 声をかけられたアレーは、再び食材を探し始めて、ファーグへことの経緯を語る。

「この前、ここで、トマトとカレーを持って悩んでる女の子がいたから、アドバイスをしたんだよ。前に作ったら、何も感想を言われなくて悔しいかったんだって」

「負けず嫌いなのね」

 食材をすべて見つけ終えたアレーが、会計を済ませてレジ横の台で自前の袋に買ったものを入れていると、両手にビニールの袋を持ったレコが戻ってきた。

「待ってろよ!」

「なんでさ」

「おいおい、俺が車を出してやってんだから、それくらい待ってくれよ。体張った大爆笑のネタを用意してたってのに。友達だろ?」

 目を向けることなく黙々と袋に食材を詰めていたアレーは、買い物かごを空にすると、にこやかな笑顔をレコに向ける。

「友達だからこそ、付き合ってられないこともあるんだよ?」

 そのまま、出口へと向かうアレーを追って、レコとファーグも外へでると、日は傾き、町が別の顔を見せ始めていた。

「なあなあ、このまま、飲んで行かね?」

「嫌だよ。食材買ったし」

「ほら、繁華街まで近いだろ? ファーグの前の職場も近い……」

「ダメ!!」

 完全に思いつきであり、本人もそこまで本気ではないレコの提案を、ファーグが完全に否定する。

「……それはダメ」

 珍しく大きな声を出したファーグに驚き足を止めた二人を見て、ファーグは一人先に車へと向かった。

 それだけは絶対に許されない。

 なぜなら彼女の前職は──



 まもなく本日の営業を控えた『ヘブンリーバス』の事務所で、ミントガムを口にしたヘレンが椅子に座って体を伸ばしていた。

 周りには同僚たちが待機し、いろいろな用意にいそしんでいる。

 外には相も変わらず、看板を持った客引きのシロが誰かと話していて、用意もしていないヘレンの耳にも声が届いていた。

『……探偵……』

「ミスズちゃん!?」

 わずかな単語を聞き、ヘレンが窓を開けて顔を出す。待ち望んでいた恋いこがれるミスズの姿を夢見て。

 しかし、目に入ったのは一応、この店の経営者である、ジェイであった。

 冷めた目をしたヘレンは顔を戻し窓を閉める。

 次のお客様はミスズと決めたはいいものの、いつ来てくれるとも限らないため、ヘレンはずっと、待っているのだ。

 事務所に入ってきたジェイは、準備をしていた従業員全員へ、何かを渡して、ため息混じりにヘレンへ近づく。

「ヘレンさん……いい加減、お客様を受けましょう?」

「嫌。言ったでしょ? 次はミスズちゃんだって」

「そんなこと言ったって、売り上げが……」

「だったら、辞めたあの子でも呼び戻せば? 私より人気だったでしょ」

 ここまではいつもと変わらない言葉の応酬だったが、その日のジェイはいつもと違った。

「できるわけ無いでしょう……本当に頼みますって。探偵の野郎、今、忙しいみたいで来れないんですから……」

「どういうこと?」

 席を立ってジェイへ喰ってかかるヘレンの前に、見覚えのあるマークが描かれた持ち運び用のカップが差し出される。

「仕方ないんで行ってきたんですよ、『豆と甘味料』に。来てもらえないかって」

「ジェイ……あんた、いい奴だったのね……」

 珍しく感激してジェイが買ってきたおみやげのコーヒーを受け取る。

「まあ、会えなかったんですけど」

「感動を返しなさい!」

 熱いコーヒーの入ったカップ側面をジェイの頬に当てようとするヘレンを避けたジェイは、自分が手に入れてきた話をそのまま伝える。

「マスターがいうには──」



 街を少し離れた町の中心部と中心部の中間ともいえるような、暗い死角ともいえる荒廃したビルの間を、ミスズが走り抜ける。

 ゴミ箱を蹴り飛ばして進むと、すぐ後ろから不良風の男たちが、それを飛び越えてミスズを追う。

「待て、コラ!」

「待てって言われて待つバカがどこにいるんだ!」

 走り続けるミスズが路地を曲がると、前には先回りしていた不良の仲間が待っていた。

「先回りするんだったら、待つ必要ねえじゃんかよ……」

「まあ、そういうこった。返してもらえるか?」

 わざとらしく笑って迫る背後の男が肩に手を置き、振り向かせようとするタイミングに合わせて、ミスズは拳を突き出す。

 予期していたかのように手のひらで受け止めた不良は強くミスズの拳を握る。

「握力……強いですね……?」

「あんたは弱いな?」

 拳を握り込まれたまま腕を引き、うつ伏せにさせられたミスズの背中に、不良の足がおろされる。

 肺から空気と声にならなかった音が漏れた。

「どこにあんだよ! さっさと、出せ!」

「わかりました……これです、これ……!」

 上から押さえられつつも、懐に手を伸ばしたミスズは、やや分厚い茶封筒を取り出し、真上の不良へと手渡す。

 一瞬、中身を確認した不良は、最後に背中を強く蹴ってからミスズの顔をのぞき込むようにしゃがんだ。

「最初から渡せばいいんだ。無理に拒むから地面に倒れることになるんだよ」

「はい……」

 立ち上がった不良が来た道を引き返そうとすると、ミスズは倒れたままで会話を続ける。

「でも、立ってた方が危ないこともあるぜ?」

「は?」

 下を向きつつ振り返った不良の前にミスズの姿はなく、直後、狭い路地に響く特徴的なエンジン音で前を向くと、眼前に溝の入った黒いタイヤが迫っていた。

 避けられるはずもなく、そのまま、顔をバイクのタイヤに踏まれて倒れる不良の元に、路地の横に逃げていたミスズが近づいてくる。

「な? 危ないって言ったろ?」

 不良の手から封筒を取り返したミスズは、必要以上に踏まないよう、器用に前輪を浮かせたまま後ろへ下がり、待機していた運転手の後ろへ乗り込む。

「もう、変なとこから変なもん買うんじゃねえぞ!」

 倒れる不良を飛び越え、おびえる不良の仲間を割り、走ってきた道を引き返す。

「うまくいってよかったな、探偵」

「よくねえよ! 思いっきり背中蹴られたぞ! さっさと来いよ」

 差し出されるヘルメットを被りながら、バイクを運転するトーサカに非難を向ける。

「路地だらけでわかんねえんだもん」

「地図どうしたんだよ」

 今回の依頼の展開を見越したミスズは、万が一のことも考えて、あらかじめ複雑な路地をすべて紙に書き起こした地図をトーサカに渡していた。だから、わからないはずが無いのだ。

「ああ、そんなもんあったな」

「お前なあ……」

「で、どこに行けばいいんだ?」

 怒る気力すら削がれて肩を落とすミスズに、大通りへ抜けてから適当に走っていたトーサカが尋ねる。

「そうだな。一回、戻るか。報告しなきゃだ」

「オッケー」

 暗くなった道路を、赤いテールランプが一筋の線を引いて、消えていく。

 自分たちの落ち着ける、カフェを目指して。



 よほどの繁盛店でもない限り、常にお客様がいるなんてことはない。ましてや、大勢に受け入れられているわけではない『豆と甘味料』では、なおのことだ。

「ありがとうございました」

 お会計を終えたバーニルがお客様を見送ると、店内にお客様は誰もいなくなり、一時の余暇が訪れる。

 根がまじめであるバーニルは、たとえ業務が無くとも、いつもの立ち位置でお客様を待つ。

 戻ろうとレジから出た瞬間、カウンターの中から何かが高速で飛んで、バーニルの制服に当たった。

「痛っ!」

 刺さるほどのものではないものの、相当な衝撃があり、床に落ちてるコースターが当たったとは思えなかった。

「ちょっと来い」

 カウンターの中のマスターがいつにもまして低い声でバーニルを呼ぶ。

 こんなことをせず、直接呼べばよいのではないかと心の中で悪態をつきながらも、コースターを拾ったバーニルはマスターの元へと近づく。

「何するんですか。痛いじゃないですか!」

 怒って勢い良くコースターを放り返すバーニルだが、マスターに届くことなくカウンターに舞い落ちる、自分の手から放たれたものを見て、恥ずかしくなる。コースターを手裏剣のように投げるとは、いかなる技術なのだろう。

 時々、得体の知れない迫力や技量を持つマスターは、手で目の前のカウンター席に座るよう示した。

「今もアレ、持ってるのか?」

 素直に従ったバーニルに、マスターが尋ねたのは、少し前に一度見せたガンドガンのことであった。

 当然だ。

 サービス業をする上で、お客様を危険にさらすかもしれないものを持つ店員を、マスターは知っておかなければならない。

 報告をし忘れていたバーニルは、まず、謝る。

「ごめんなさい……」

 答えにならない答えを前に、マスターは呆気にとられて仕舞った。

「そうですよね……ガンドって言っても、骨くらい折ろうと思えば折れるし、危ないですもんね……先に言っておくべきですよね……」

「いや、待て……」

 勝手に悲観的な方向へ話を進めていくバーニルが最終的に言い出しそうなことを、何となく察したマスターが止めるのも聞かずに、彼女はエプロンを脱いだ。

「申し訳ございませんでした……」

 最後に深く頭を下げたバーニルは、下を向いたまま店を後にしようとする。

 落とした肩でもドアに手をかけると、さっきまでいたカウンターに何かが置かれる音が聞こえた。ウサギだから、耳には人一倍自信がある。

 振り返ったバーニルの視線の先には、丁寧にセッティングされているアイスコーヒーが置かれていた。

「落ち着け。まだ何も言ってないし、俺の質問にも答えてないだろ。飲むまで今日の業務は上がらせない」

「でも……」

「いいから、戻れって言ってんだ……」

 心の底から出たマスターのため息はバーニルを動かすだけの力があったらしく、肩を落としたままのバーニルは元の席へ戻る。

 それでもなおうつむいたままのバーニルを見て、もう一度ため息をついてからマスターは話を再会する。

「俺は持ってるかだけ聞いたんだが、何で、辞めさせる方に想像するかな……」

「だって、お客様が危険だろうし……」

「それがわかってるなら、何でおまえは持ってたんだ?」

「それは……」

 あの日、突然やって来た訪問武器商が見せた武器は、ガンドガン以外にも、人を傷つけるものも多数有った。

 その中からバーニルがガンドガンを手に取ったのは、自分を守るためなら最低限の武力でいいと判断したからだ。

 翌日、カフェのエプロンをつけるときに、自分が腰にガンドガンを忍ばせた理由を思いだし、バーニルは恥ずかしさで顔を染めつつ、ありのままをマスターへ伝えた。

「それは……お客様を守る為……です……」

 一瞬だけ力強く自分の目を見て、再びうつむいてしまったバーニルへ、マスターは歯を見せて笑う。

「なら、辞めさせる理由なんてないだろうよ! さっさとエプロンつけろ! いつ、お客様が来るかなんてわからないだろ!」

「……はい!」

 自分の想像が完全に否定されたバーニルは、若干の涙を目に浮かべながら元気良く返事をした。

 エプロンを返され、身につけている間に、バーニルはもう一度同じ質問をマスターから受ける。

「で、ガンドガンはどうしたんだ?」

「はい! 捨てました!」

「捨てた!?」

「はい! ゴミ捨て場に!」

 打って変わったように元気になったバーニルが、腰でエプロンの紐を蝶結びした後、急いでコーヒーを飲み干す様子を眺めながら、マスターは困ったように頬をかいた。

 バーニルがもし、まだガンドガンを持っているようなら回収するように、マスターは頼まれていたのだ。

「あ、お客様がいらっしゃいそうですね!」

 窓を見て所定の位置に用意するバーニルを見ていると、マスターはなんだかどうでも良くなってきてしまった。

 ──まあ、いいか……。

 一瞬だけ、依頼主の顔を想像するが、すぐに接客用に頭を切り替えて、笑顔を浮かべる。

「いらっしゃいませ!」

 仕方ないと割り切って。



 外から中が見られないよう、特殊な窓がはまった黒塗りの車が街を進む。

 夜に溶け込むように、橙色の街灯から逃げるように進む。

 乗っているのは運転手のルーと、後部座席のオガミ。それに、非番で私服のクロセが同じく後部座席に座っている。

 沈黙がやたら重い車内で、初めに口を開いたのは全く事情もわからぬまま、無理矢理つれてこられたクロセだった。

「あの……俺は一体どこに連れて行かれるんだ……ですか……?」

 いつもであれば絶対にオガミ相手には使わない敬語を使うほどに、嫌でも隣から伝わってくる不機嫌な空気をクロセは浴びている。いつものどこか親しみやすさは見せていたオガミではない。

 目だけでクロセを見たオガミは、ため息をついて太股に肘から手首までの腕をついて、上体を支えた。

「そういえば、伝えてませんでしたっけね……」

 言葉にも覇気がなく、よく見れば目の下に隈を作っている。

 警戒は引き続きしながらも、敵意は感じられないため、おそるおそる、なるべくいつも通りを装ったクロセが出せる言葉は、心配するくらいのことしか無かった。

「……どうした?」

「いやあ、ちょっと……」

 直後、二人は車内で大きく揺さぶられる。

 話そうとしたオガミの口が説明し始める前に、車が蛇行運転を始めたのだ。

 すぐさまシートベルトをはずしたオガミは、運転席と助手席の間から半身を乗り出し、ルーの顔を強めに何度も叩き出した。

「おい! しっかりしろ!」

「……ああ! オガミさん……おはよぅ……」

「だから、飲めっつったのに……起きろ、バカ! 死ぬぞ!」

 さらに体を乗り出したオガミは、ハンドルを握り、何とか蛇行運転だけはくい止めてから、完全に目を閉じたルーに声をかけ続ける。

「なんだ……? 居眠りか?」

「まあ、そんなところです。悪いんですが、トランクに栄養ドリンクとちっこいスタンガンが有ると思うんで、取って貰っていいですか? しばらく直線ですけど、なるべく早く」

 自分も生命の危機にあるクロセが言われるがまま、自らのシートを前に倒すと、中には明らかに異常な量の箱に入ったままの小瓶型栄養ドリンクと、膨らんだ黒いボストンバッグが積み込まれていた。

 栄養ドリンクはともかく、スタンガンが見あたらないため、黒いバッグを開けたクロセは、驚き言葉を失う。

「早くしてくれませんか……!」

「……オガミ……おまえは……」

 一瞬だけ後ろを見たオガミは、事態を把握して、クロセへ指示をする。

「その中には無いです! 早く……旦那?」

「ああ……」

 あまりのことに忘れようと頭が動いているのか、クロセはバッグのファスナーを閉めてトランクを探す。

「これか……?」

 トランクの下の方にあった親指ほどのスタンガンを模したおもちゃのようなものをオガミに渡すと、彼は笑ってルーの腕にそれを押し当てる。

「あがっ!」

「おはよう。まずはハンドルを持て」

 可笑しな声を上げるルーに声をかけながら、オガミが手で栄養ドリンクを催促するため、クロセもそれに従う。

「寝起きの一杯だ」

 受け取ったオガミは蓋を開けて、ルーの口に小瓶をくわえさせた。

 中身が減っていくのを確認してから後部座席に座り直したオガミは、安心したようにシートへ背中を預ける。

「飲み終わったら、一回、停めろ。疲れた……」

「ひょうちッス!」

 ゆっくりと路肩へ動いた車が完全に停止すると、オガミがクロセの聞きたいことを察したかのように語り出す。

「あの武器はガートがうちのシマで売りさばいてたもんですよ……」

「あんなにか!」

 自分の座るシートを見たクロセにオガミは首を振る。

「まだ一部です……」

「嘘だろ……」

「だから、手伝って欲しいんですよ……俺らが行くより、よっぽど旦那の方がみんな武器を出してくれますよ。腐っても警察官だし……」

 明らかに疲労を見せて、トランクに栄養ドリンクを取りに行ったオガミは一体、いつからろくに寝ていないのだろう。バックミラー越しに見えるルーも、わずかだが寝ている。

 トランクで武器を見た瞬間、オガミが組から武器を盗んだか、命令かで売りに行くのだと思った。なら、いっそ、このままどこかに車でぶつかる方が街の為なのではないかと、クロセは固まっていたのだ。

 しかし、実際はその逆だった。

 彼らは自分たちとは方法は違えど、街を守っている。

 それに比べて自分は街の治安を守るべき存在でありながら、何もせず、オガミからの手みやげに喜んでばかりだ。最近も切り裂き魔を引き渡され、浮かれていた。

 ドアを開けて戻ってきたオガミに、クロセはいつも通りを繕い返事をする。

「協力するよ。いつも手土産、貰ってるしな」

「本当ですかい!」

「ただし、俺が非番の時だけな?」

「ありがとうございます! ルー、行くぞ!」

 嬉しそうに笑ったオガミは、運転手の顔を叩いて起こす。

 ──優しい狼もいるか……。

 昔、聴取を取った少女の言葉を思い出して微笑んだのも一瞬のこと。

 すぐに自分が出世、手柄をあげるための手段を考えてしまうクロセの癖は、そう簡単に抜けるものではなかった

「ところで、この武器はどいつが売ったんだ?」

 下卑た笑いを浮かべるクロセの意図を察したオガミは、再び萎びたため息を吐いて犯人を告げる。

「旦那が捕まえた人ですよ」

「え?」

 しかし、断るには遅かった。

 選択を間違ったのではないかと、クロセが思うより早く、黒塗りの車が街へと溶けていった。



 心の底から生まれる種族を間違えたと思ったのは、武器商に自分の作ったガンドガンを見てもらった時だった。

 人を傷つけない為に作られた、護身用の銃の存在を知り、独学で作ったガンドガンはなかなか質の良いものができた。

 自分の才能を信じて、いろいろな武器商を回るが、口を開けば誰もが、どの人種が作ったものかと聞く。半獣種と答えると実物を見る前に追い返され、唇を噛むしかなかった。

 そのときだ。

 なぜ自分は半獣種などに生まれたのかと後悔したのは。

 親は悪くない。愛していた。だから、仕方ないと割り切れたはずだった。

 その妥協すらも、彼女には許されなかった。

 自分は被害者でも、被害者の親類でもないのに、かつて行われた角狩りを振りかざして半獣種を殺す有角種がいる。

 彼女の親は、そういった人間に殺された。

 自作の武器の評価をしてもらえず、両親を殺した両方の原因となった有角種を、彼女は恨む。

 だからといって、有角種を手当たり次第に殺せば同じことだ。

 悩んだ彼女に悪魔が手を差し出した。

 利益のためなら他人の心をなんて使い捨てる悪魔は、彼女を武器商として雇う提案する。

 それが彼女の武器の評価であり、武器商や発明家を主にする有角種への意趣返しになるだろうと、彼女の心を手のひらで転がした。

 時を同じくして街に切り裂き事件が起きて、護身用の武器は飛ぶように売れ始めた。

 自分の武器の正当性を証明された彼女は浮かれる。心のどこかに、仄暗い感情を抱えて。

 だが、武器が売れるたのも一時的なもので、武器なんて流行らない時代、それも護身用のものなんて、切り裂き事件以降、間が空くとなかなか売れない。

 だったら、自分で事件を起こすほか無いではないか。

 当然のように彼女が狙ったのは、少ないものの、待てば通りかかる有角種であった。

 小さなナイフを持って、有角種を切ったとき、彼女は抱えていた仄暗いものの正体を理解した。

 結局のところ自分には、有角種を傷つける実感が足りなかったのだ。

 有角種を切り裂いては、武器を売る、マッチポンプの生活は充実していた。

 そのうち、出歩く人が少なくなり、相対的に有角種を見つけられなくなった彼女は、悪魔にお願いをする。

 街にいる有角種の住所を知りたいと。

 だから、悪魔は教えた。

 彼女に街の殆どを知る、別の悪魔を──



 左右を壁にふさがれ、目の前には光るモニターがあるだけの空間で、エリアスはシュマーフォを使って念話していた。

「はい……ああ、それは良かった! また、使ってくださいよ。ええ、サービスしますよ」

 シュマーフォを耳から話したエリアスは、モニター左側から棒付きキャンディを引っ張り出して後ろを振り返る。

「で、何?」

 そこには相変わらず不機嫌そうなアリアの姿があった。

 包み紙を取ってキャンディを口にくわえるエリアスの笑顔に、アリアの目つきが険しいものになる。

「異人種くんの情報。『代わりに話し聞いてくる』って言ったきり、俺はいつまで待てばいいんだ?」

 数度、目を瞬かせたエリアスは、自分で自分の頭を拳で小突いた。

 予想通りといった様子で、大きくため息を吐いたアリアを前に対し、エリアスは反省する様子も見せない。

「まあ、いいじゃないか。切り裂き魔で一面取れたんだろ?」

「そこは感謝してる」

 確かにエリアスから切り裂き魔の写真を渡されていなければ、いち早く記事にすることは叶わなかっただろう。

 そのため、彼女はいつまで経っても連絡してこないエリアスを待っていたが、忘れていそうなため、自分から出向いたのだ。

「だが、それとこれは別だ。約束だろ? それとも、信頼を失うのか?」

「それは、困るけど、切り裂き魔に関しての情報と引き替えのはずだろう? アリアは切り裂き魔の情報を持ってきてないじゃないか」

 否定の言葉が喉の中程まで上ってくるが、アリアの頭の中身がそれを押し戻して、別の言葉を吐き出す。

「本当だ……」

 よく考えれば、切り裂き魔の情報を探したものの、結局、顔を変えたらしい、エマとの接触ができたまでで、疲れから殆ど話も聞けないまま終わっていた。オガミから圧をかけられたアリアは、体にむち打ってエリアスに忠告をしたまでだ。

 ぐうの音もでないアリアは、血が出るほどに唇を噛んだ。

 わずかな光を頼りに、笑ってアリアの様子を見ていたエリアスは、彼女の顎に伝う赤い線を見て、目を丸くする。流石にそこまでは予想していなかったのだ。

 悩んだ末、アリアも少しは納得するで有ろう罪滅ぼしを、エリアスは思いついた。

「でも、僕が約束を忘れていたのも事実だから、切り裂き魔に関しての情報を一つ聞いていいよ。僕は君がどこまで知っていて、何を知りたいかわからないからね」

 結ばれたアリアの口から力が抜ける。

 その提案は、アリアにとってもかなり有意義なものだ。

 決定的瞬間を写真に収めたアリアは、現在、上司からの期待も大きい立ち位置にいる。そこで次の切り裂き魔事件の情報を報道できれば、相当な功績になるだろう。犯人が捕まった今、自分の自作自演なんて嘘が広がる恐れもかなり少ない。

 仕事用に脳を変えたアリアは、友人としてではなく、記者としてアリアに問う。

「わかりました。では、お聞きします。切り裂き魔こと、セラ容疑者はおおむね自供する中で、一つだけ、街の有角種全員のデータの入手方法だけは明かしていません。現在わかっている調査結果は、『ホリクト』の支部内部のパソコンから情報が抜かれていたとのことです。たた、セラ容疑者は半獣種であり、『ホリクト』のパソコンを使うには目立ってしまうため、誰か、有角者の協力者がいたものと思われています」

「なにが言いたいんだい?」

 現状を説明するアリアを前に、エリアスは楽しそうに笑顔を浮かべていた。

 その不適な笑みに、アリアの記者としての本能が疼く。

「あなたなら可能ですよね。妖精種と有角種のハーフである、エリアスさんなら、機械を相手に魔力を使ってデータを抜き取るくらい。学校でもやってたし」

「そうだな……」

 下を向いて鼻から息を吐いたエリアスは、悪戯めいた笑顔で答える。

「それは守秘義務かな」

「はあ!?」

「僕は聞いて良いって言ったんだ。答えるなんて言ってない」

 爽やかな笑顔を向けたエリアスは、不満そうなアリアを閉め出すように個室の扉を閉めて鍵をかける。

「おい! ふざけるな!」

「悪いね。僕は多忙なんだ」

 アリアが叩くドアからの音を聞きながら、エリアスはモニターへ向かう。

 データファイルから、町に住む有角種の住所に関するデータを取り出すと、誰かへ当てて送って、シュマーフォで念話をかけ始めた。当然、頭の中だけで。

『もしもし、ガートさん?』



 豪華絢爛、壮大華麗。情報が多すぎて目眩がしそうなほどに飾りたてられた部屋に、同じくらい派手なスーツで着飾った男がいた。

 部屋の中央、奥に置かれた唯一のデスクに着き、一通の手紙を手に取った男は、円柱状のペン立てに刺さったペーパーナイフで封を切る。素早く内容に読み終えると、立ち上がって、コートハンガーからジャケットを手に取った。手紙を口にくわえて腕を袖に通し、扉へと向かう最中、入れたままであったシュマーフォがジャケットの胸元で震える。

 口から手紙を離してシュマーフォと入れ替えると、歩きながらに念話を取った。

「やあ、ミスターエリアス。気分はどうだい?」

 扉を開けた先は、部屋とは違うものの、格調の高さを感じさせる絨毯と柔らかな間接照明の廊下であった。他にも多数の扉があり、高級な宿泊施設のようだ。

「それなら、何よりだ。データはこちらで、適正に処理しよう。それくらい、依頼人として当然だ」

 余裕の笑いを見せながら廊下を進む男は、エレベーターのあるホールまでやってくると、一つしかない下へ向かうボタンを押した。呼びつけている間、彼は何も気にしないかのように声を張る。

「私の依頼人? ああ、彼ならご満悦だが、ご立腹でもあったな。自分の後継者の角が折れていれば当然だろう」

 場にあった控えめな音でエレベーターが扉を開けると、派手な男は台無しにするように大きく身振り手振りをしながら乗り込む。

「後継者を捜すために自分の役割を汚すとは、とんだ守護者様だ。それに、最初の事件は彼がやったらしいじゃないか」

 楽しそうに男が話すうちに、エレベーターは途中で停まることなく、目的階にたどり着く。

 再び、控えめに鳴ったベルで扉が開くと、豪奢なシャンデリアが輝く、高い天井のエントランスが男を迎える。

 男が一歩、エレベーターから降りると、フロントを初めとして、業務をこなしていたホテルマンたちが、一人残らず彼へ向かって頭を下げていた。

 手で顔を上げるよう、指示した派手な男は、ホテルマンたちに見送られたドアマンが開けたすべての扉を過ぎて、車に乗り込む。

 行き先を告げずとも進み出した車の中で、手紙を手に取った男は、意地悪く笑った。

「ところでミスターエリアス。俺が来てるって、ミスタートウドウに漏らした角の生えた妖精を探してるんだが、それも探してもらえるのかな?」

 相手の反応に、再び声を上げて笑った男は、手紙を弄びながら、街の高いところを走る車から夜景を眺める。

「もう知っているなら、それでいいんだ。ただ、言伝を頼みたい」

 シュマーフォを耳と肩で挟んだ男は、膝の上で手紙に折り目をつけ始めた。

「いいかい? 『ジャケットの心配、ありがとう。傷つかないからどれでもいいし、どれも安物だから、心配には及ばない』頼んだよ。それじゃあね」

 念話を終えてシュマーフォをジャケットに仕舞った男は、膝の上の手紙だった紙飛行機を手に取り、車の窓を開けた。

「この街、いや、この世界は俺のものさ。ミスタートウドウ」

 派手な男──ガート・ハワードが投げた手紙飛行機は、ゆっくりと街へと消えていった。



 暗く湿った、ひび割れたコンクリート打ちっ放しの部屋で、一つだけ異質に置かれた革製の一人掛けにトウドウがソファに座る。

 横には足を肩幅に開いて、手を腰のあたりで組むミヤモトの姿もあるが、それ以外に人気はない。

 しばらくしてミヤモトが反応を示したのを見計らい、トウドウが腰を上げた。

「来たみたいだね」

 階段を下りる音が聞こえて、無理矢理はめたような木製の入り口が開くと、派手なスーツの袖で口元を押さえたガートが部屋に入ってきた。

「久しいね」

「やあ。ミスタートウドウ。まさか、こんな犬小屋だと思わなかったから、通り過ぎてしまったよ」

 上体が少し高笑うガートへ倒れるミヤモトを目線で制したトウドウは、ゆっくりと、部屋の中央へ向かう。

 と、同時にガートも歩み寄り、有る程度の距離をおいて相対する。

「こうして会うのはいつぶりだろうね」

「不可侵を結んでからだ、ミスター。耄碌したかい?」

「そう見えるかね?」

「まさか」

 肩をすくめてみせるガートの軽口を流したところで、トウドウはミヤモトを視線で呼びつける。

 両方の手のひらの上に、ベルベットのしかれた大きな一枚板を乗せてやって来たミヤモトが、トウドウとガートの間に立った。

「勝ったら私は、君の知るであろう、情報を渡す。いいね?」

「もちろんだ。俺は商売人でもあるからな。でも、俺が勝ったらシマの利権をもらうでいいんな?」

 二人はお互いに条件を再提示した後、ミヤモトの持つ板の上へ自前のナイフを置いた。

 二人が手を離すと、ミヤモトがゆっくりを板を回してナイフを入れ替える。

 二人の反社会的組織の頭はこれから斬り合うことになる。不可侵条約を結んだときにも、話し合いと称して行っていた決闘を行うのだ。

 お互いが持つナイフで相手に一筋でも切り傷をつけたら勝利し、提示した条件を相手に飲ませる、単純なものである。

 絶対的ルールはたった一つだけ。相手を殺してはならないと言うことのみだ。

 そのため、刃に毒を塗られている可能性を考え、ナイフを交換したのである。

「おまえのナイフは相変わらず派手だね」

 金と茶を基調とし宝飾で飾りたてられたガートのナイフは、両刃でありどちらかというと短剣に近いものであった。使いやすいかと言えば、確実にそんなことはない、旧時代の遺産のようだ。

「ミスターのはずいぶんと質素だな。なんだい、この持ち手?」

 一方、ガートのナイフはというと、持ち手にくらいしか特徴がなかった。

「特注なんでね」

 歪に変形した黒い持ち手くらいしか。

「初めっ!!」

 直後、ミヤモトの合図に二人がナイフを手に取る。

 その段階で勝負は決していた。

 瞬間、ライオンの特徴を体に宿し、ナイフとともに床へ倒れたガートへゆっくり近づいたトウドウが、しゃがんでガートの頬に傷を付ける。

「ミスター……なんだい、これ?」

「いいだろう? うちの武器商が作った『魔力で魔力を切るナイフ』さ。ちょっとばかし、燃費の悪い、試作品だけどね」

 かなり厚手の布を使ってナイフを拾い上げたトウドウは、素早くミヤモトの用意していたケースへと仕舞った。代わりに受け取った魔力供給用の電子煙草を吹かし始める。

「だから、最初から狼の格好なんてしてたのか……」

「おまえに疑われたらお仕舞いだからな。ちょっt持つだけでも、相当きついんだからね」

 うつ伏せに倒れるガートのたてがみをつかんで、お互いのマズルがふれそうな距離感に顔を近づける。

「じゃあ、約束通り、答えても貰おうかね。子猫」

 煙を浴びながらもガートは笑う。

「何がおかしいのかね」

「いや? ミスターはとっくに知ってるんだろ? 切り裂き魔事件における俺の動き」

 ガートの言うとおり、オガミからの推測によって、切り裂き魔事件の裏で、彼が武器を売りさばいていたことをトウドウは知っていた。

「だったら、俺の商談が終わってることも知ってるだろ。今更、俺の損になることがあるのかなって」

「それは、わからないけれど、先に言っておくよ。君のところに武器を売って稼いだであろう金は入らない。むしろ、減るんじゃないかね」

 不適に笑みを浮かべ続けるガートに、トウドウは淡々と事実だけを突きつける。

「君の売った武器は、うちで今、殆ど回収してるよ。もちろん、お客様の言い値で。その金額と手数料を含めて武器は君のところに返してるはずだけどね?」

「ダァァルゥクゥゥウウウ!!」

 ガートの低い叫びが部屋をふるわせる。

 部下の裏切りに加えて、他の組織に金を奪われることは、ガートの人生において最大の損失であった。

「さあ、そんなことはいいから、答えて貰おうか。その商談相手の彼女をこちらに渡してもらうには、君をどうしたらいいのかね」

 トウドウの質問にガートは、目を大きく開いた。言っている意味が理解できなかったのだ。

「ミスター? 何を言って……」

「そのままさ。うちも系列組織が欲しいと思ってね。君のところのダルク君、いい子じゃないか。向こうのシマを見てればわかるよ。みんな幸せそうだもの。人望ってものがあるんだろう。組との縁はうちも含めて最悪なんだろうけどね」

 立ち上がったトウドウは、ガートを見ることなく自分の所感を伝える。

 それこそ理想の部下でも見つけたように、大きく裂けた口を上向きにつり上げ、尖った牙を覗かせながら。

「待ってくれ……! 彼女はうちのファミリーだ! 裏切るわけ……」

 途中まで語ったガートは、自分が言ってはいけない言葉を口にしたことに気づくも、聞き逃さなかったトウドウが目の前に戻って来た。

「語るに落ちたな。そう信じて、裏切られたんだろうよ、お前は。いい加減諦めたらどうだね」

 利益は最大に、損失は最小に。

 商売人として当然の利益を出すための仕組みを頭の中で思い描いて、ダルクを手放すことは、損失から損害となってしまうと理解しているのだ。

 穏やかな声とは裏腹に、目の笑わぬ老いた狼は、口をつぐむライオンに問う。

「それとも、まだ抵抗できるだけの魔力が有り余ってるのかな。安心するといい。完成品はたくさん用意してあるからね」

 近づいたミヤモトが見せたケースの中には、夥しい数のナイフが入っていた。

 ダルクより自分の身を案じたガートは笑顔をひきつらせた。



「いいのか? 見つかったら、どうなるかわからないぞ。その時は、私もどうなってるかわからない」

 いつものバルのいつものカウンター席に座るのは、少し印象の変わったダルクであった。

 ざわついた店内でかけるシュマーフォを介した念話は嫌でも声が大きくなる。彼女の声も例に漏れず大きいものだが、相手に確認を取る言葉一つ一つには確かに重みがあって、床に落ちていくそれをわざわざ拾うものは、バーテンダーを含めて誰もいない。

 だからこそ、彼女のいる一角は完全に隔絶された別の空間であった。

 念話の相手は、ダルクの母国でガート・ファミリーの一員で、割と重要なポジションに着いている人物である。

 彼女は現在、同じ街を仕切るもう一つの組織と商談を行っていた。

「わかった。恩に着るよ」

 念話を切ったダルクは魔力補給用の電子煙草を吸い込む。国をまたいでの念話はやはり魔力を消耗するのだろうが、きっと、彼女は自分がしようとしている不義に決心を付けたいのだ。

 切り裂き魔事件が終わってからというもの、彼女の周りは一変してしまった。

 セラは一度オガミたち狼堂会に連れ去られた後で警察の手に渡り、エヴァンスは再び行方不明。

 自分の周りから深くガート・ファミリーと関わる人は、一人たりとも居なくなってしまったのだ。

 失意のダルクであったが、バルの維持やガートへの報告に奮起していると、オガミがある商談が持ちかけてきた。

 それは、単純に武器を買えと言うものであった。

 自分たちのシマの秩序を乱す可能性のあった、ガート・ファミリーが売ったらしい武器の山を、手数料込みで買い直せと言うのだ。

 彼女は理不尽ともいえる商談を、何の交渉もせずに受けた。

 不可侵条約を破ったこちらの落ち度だと、街を守るために当然だと頭まで下げて、引き取ることにしたのだ。

 ただ、売ったはずの収入が自分の元に無い以上、ダルクは同等の金額すらも用意することができない。

 であれば単純な話だ。

 かつて、自分がどうやって生きてきたかを思い出せば良かったのだ。

 売り上げが直接ガートの元に動いていることを悟ったダルクは、ファミリーの仲間に念話をかけた。

 ガート・ファミリーの財政を一手に引き受ける、自分と同等かそれ以上に重役の仲間に。

 事情を聞いた彼は、念話の間に支出を確認し、軽口をいいながらも二つ返事で横領することを承諾した。これも、ひとえにダルクの人となりがなせる技だろう。

 これからガートを敵に回すと考えると、ダルクは背筋が震えた。

 ただ、それ以上に自分の部下がしたことの落とし前をつけなければいけないという、責任感が彼女を動かす。

 それに、簡単に死んでやるつもりも更々ない。

 なぜなら、自分は生かされたし、彼女も生きていた。

 だったら、自らが探して止まない、彼女を連れ戻すまで、自分は死ぬことなど許されないのだ。

 口に残った魔力の残骸を吐き出して、使い終わった電子煙草を握り折った。



 機械的が壁を覆う巨大な空間に、黒い服の女性が一人、中央を浮遊する球状体を眺めている。

 赤く光る球を、最下層の床で見上げる姿は、空にあこがれる冥界の住人を連想させ、彼女の手に握られる、二振りの物騒な凶器が拍車をかけていた。

「ここに居たのか……」

「先生」

 螺旋状足場の最下段にある扉の一つが開くと、白衣を纏った鳥頭のリンが、いくつかの箱を抱えて現れた。

 重そうな荷物に揺れる度、箱の中身が音を立てて左右に振られる。

「君はここが好きだね」

「はい。私には、光を遠くからみるくらいがちょうどいいんです」

「そうなんだ……?」

 機械の一つに向かいながら雑談として話しかけたリンに返ってきたのは、微妙にずれた答えであった。

 もはやいつものこととあまり考えなくなったリンは、黒服の女性──エヴァンスを気にせず操作を始める。

「私はいつもそうです。暗い場所から光る何かを眺めて、使われて、そちら側にはいけないんです」

「だから、逃げる為に顔も変えたんだっけ?」

「それは違います。私はダルクに笑っていて欲しい。けど、ガートさんの言うことは守らなきゃいけない。だから……」

 エヴァンスはガート・ファミリーの一員である。

 そのため、ガートの指令には絶対服従しなければいけない。

 この街に派遣され、どうにかダルクのシマを増やすことができた直後やって来たガートは、彼女にだけ、いるかも分からない守護者の後継者を探せという指令を残していった。

 裏を生きるからこそエヴァンスは、守護者という単語の危険性を理解している。だからこそ、その戦闘能力を考え、ダルクの元から何も言わずに去った。

「まあ、よく分からないし、どうでもいいさ。いつも通り、手伝ってさえくれれば」

 興味なさげに聞いていたリンは、機械の調整を終えたのか、言いよどむエヴァンスを呼びつけて、箱の一つを渡した。

 中にはシュメットの手術の時に入手した、エネルギーを吸収する黒い物体が入っている。

「これをあそこに投げて欲しいんだ。とりあえず、これから」

 指示された石のようなものを手に取ったエヴァンスは、箱をおいて投げ易いように感覚をつかむ。

 リンに頼まれたことをエヴァンスは、できる限りではあるものの殆どを必ずこなしていた。顔を変えた際の費用と住み込みの家賃を代わりだ。

 このマンションは大まかなルールに沿って出入り口が違うものと繋がっている。たまにリンが気ままに入れ替え、戻し忘れるため迷子になったり、予期せぬ来客があるものの、屋上に出れば街を見渡せる、後継者探しにおいて、見つからず見つけやすいエヴァンスの知りうる限り、最高の物件であった。

 そのため、彼女は住み込みで後継者を捜していた。セラも同様である。

 一番しっくりくる持ち方をしたエヴァンスが軽く腕を振ると、動作に似合わない速度で石が飛び、赤い球状体に突入した。

「……やるね」

 見守っていたリンは口笛を吹いて機械での観察を再開した。

 何の変哲も無いように見える赤い球状体の変化など、切ることしかできないエヴァンスには一切わからない。

 しかし、あの太陽のような球の正体は知っている。幾度と無く自分が切って集めたものくらい把握している。

「ビンゴ! やっぱりだ! わずかだが、全体に収縮反応が見られる」

 機械の測定結果を見たリンは当たり前のことを喜んでいた。

 高エネルギー体にエネルギーを吸収するもの入れれば、その分、小さくなるのは当然だろう。

 対価として要求されるリンの手伝いのうち、ここ最近、もっとも多くの割合を占めるのが、有角種に対する切り裂き行為であった。

 闇医者の傍ら、リンはエネルギーを集めている。

 自然にあるエネルギーはもちろん、一度でも処置をしたことのある有角種には漏れなく埋め込まれる、極小のマシンによって、日々、街中のエネルギーがこの場所に集められてた。その中でも、効率的にエネルギーを集められるのが、皮膚を何カ所も切り裂かれた有角種、特にマシンを埋め込まれている有角種らしかった。

 エネルギーが空気中に出ることに加え、どうにかエネルギーを戻そうと角が発現し、リンのところに通ったことがあるならマシンからの供給も増すらしい。また、マシンが無くても怪我をすれば、リンのところに来る可能性もあるため、切り裂き魔をしてくるよう、頼まれていたのだ。

 正直なところ、この手伝いはエヴァンスにとっても、好都合であった。

 後継者探しは写真さえ無く、念入りな準備を必要としたため、いくつもの可能性を考えて作戦を立てる必要がある。

 ただ、エヴァンスは妖精種だ。他の種族とは時間の流れが違う。精密に作られた作戦が構築されるより早く、守護者はしびれを切らしてしまった。

 守護者は相談もせずに、エヴァンスが考え得る限り、もっとも望みの薄い、有角種を傷つけるという手段を取ってしまった。

 結果、エヴァンスは先の見えない方法で、有角種を犠牲にしながら、もっと有効な探し方を考えなければいけなくなって仕舞ったのだ。

 幸いであったのは、ちょうど良く見つけたセラの存在だろう。

 黒い格好で有角種を狙う姿を見つけたエヴァンスは、黒い刀を交渉材料に協力者として近づき、セラをリンのマンションに住まわせることにした。万が一の時は、お互いのアリバイ工作をするという、約束をした、歪な関係だ。

 もっとも、それも、リンが扉を元に戻し忘れてしまったせいで、崩れてしまったのだが。

 そんなこと、お構いなしで喜ぶ、白衣のリンは、機械を操作してはエヴァンスに黒い石を投げるよう指示を出す。

 次第に肉眼でも分かるほどに小さくなったエネルギー体は、代わりに少しゼリー状に変化していた。

 無心で投げるエヴァンスは、このエネルギー体は一体、何のために、存在しているのかを知らない。

 だからこそ、不用意に聞いてしまった。

「先生は何のために、エネルギーを集めてるんですか?」

 珍しくエヴァンスが問うたためか、不思議そうに振り返ったリンは、少し悩んでから、たったの一言で自らの目的を語った。

「フられるためかな?」



 かつて、多くの人が魔法を使え、地上には今でこそ幻想となった生物がいた時代から、段々と科学や人間へと、星の表面が書き換わる頃、もっとも、二つのバランスがとれてしまった時に、彼は生まれた。

 悪魔とも天使とも言われる、夢の間に生まれる存在と、人間との間に生まれた彼は、予言を初めとした魔法を使う。その精度は、宮廷に遣えていた魔術師の立場を、若くして奪うほどであった。

 二代の王に道を示し、後に史上有数の魔法使いと謳われる彼は、文学に名を刻むだけでは飽きたらず、誰でも名前くらい聞いたことのある存在になった。

 マーリン。

 それが、アンブロワーズ・ペレグリンこと、リンという男の正体でもあり、また、その逆でもある。

 マーリンは、リンをモデルとして創作された、登場人物であり、実際には存在しない。

 そのため、リンをもっとも簡潔に表す言葉はマーリンであり、マーリンはリンというニアイコールの関係が成り立っているのだ。

 しかし、創作と現実ではやはり、差異がたくさんある。

 中でも、もっとも、明確に差があるのは、最後。マーリンの死であろう。

 文学上のマーリンは、妖精に恋をするも、自らの予言通り生き埋めにされて仕舞うが、とうのリンは、文学と同じ、遙か昔から生きている。

 もともと、彼には人間以外の血が混じっているため、長生きということもあるのだが、彼は、現在、自分の体を時の流れが極端に遅い、別の空間に保存していた。街に住まうリン自身は、夢を生きる血筋を使い、世界中の全員が見ている白昼夢のような不確かな存在として暮らしているのだ。

 わざわざ彼がそんなことをしてまで生きながらえているのは、なにも死ぬことを恐れてのことではない。

 ただ、自分が残してしまった予言を守ろうとしているのだ。

 予言は自分の意志とは関係なく、どこからか降ってくる。

 言い換えるなら運命といえるかもしれない。

『落ちる』

『溺れる』

『貫かれる』

 この三つの運命のうち、二つはすでに終わっている。

 始まりは文学のマーリンと同じく、恋に『落ち』たことだ。しかし、背中を見せるばかりで振り向くことの無かった彼女は、自分を置いて死んでしまった。

 なお、諦めることのできなかったリンは、彼女を生き返らせるため、ありとあらゆる研究に『溺れ』た。森の中、狂人と揶揄されながら、何とか生きながらえて、方法を辿る。

 だが、最後の予言が来ることはなく、いつの間にか時代は過ぎていた。森はなくなり、人間は過ちから、かつて見た、幻想生物と変わらぬ見た目になっていた。

 森を追われ新たな拠点を探していたリンは、壊れた建物と街を歩く人々を見て、研究に足りなかった最後のピースを埋める確信を得る。

 リンが生まれた頃にはもう、遠ざかっていたが、人間よりも幻想生物が多い時代は、すぐ側に明確な死が存在していた。地面の下には冥界というものが存在して、死んだ人間はそこへ向かうようになっていた。

 つまるところ、簡単な話、冥界を近づけることができれば、自分の願いは叶うのだ。

 初めからその可能性だけを模索していたリンであったが、景色を前に考え方が改めさせられる。

 冥界は近づけるのではない。元の位置に戻さなければならないのだ。

 ただ、不可逆である時間は戻すことはできない。

 だから、彼は未来を過去と同一にしようと考えた。

 人類の歩んできた道筋を、そっくりそのまま、なぞるように戻るのだ。

 まずは、地球から奪ったエネルギーを返すことが、人類史に置ける逆行の手がかりであろう。

 そのためで有れば、いかなる犠牲も問わない。

 有角種が傷つこうと彼の死ったことではない。

 結局のところ、彼は人間では無いのだから。

 自らが、『貫かれる』その日まで、自分の意志を信じて、前へ、前へ。



 その部屋は、異質としか言いようが無かった。

 部屋中の壁を棚が覆い、その一段一段に、大量の石が並べられている。

 ここまでなら、石を収集する趣味の人物の部屋と言えたかもしれない。

 ただ、問題は、天井にこそ有る。

 高く手の届きそうにない天井には、一面写真が貼り付けられ、その一枚一枚に全く同じ人物が写り込んでいた。

 不吉な天井を眺めることができるのは、真下で横になる少年だけだ。

 全身を包帯で覆われ、殆どの身動きを制限されてしまったシュメットは、自室のベッドに横たわって天井を見つめる。

 彼は切り裂き魔によって傷をおった。自らの作った、特殊な刃物によって。

 物作りに力を発揮し武器商として各地を回る有角種の父と、科学分野に強く研究者として働く半獣種の母を持つシュメットは、主に科学分野へ興味を示した。

 特に、地学に興味を持っていたシュメットはいろいろな石を集めては調べていた。

 しかし、唯一、父が持つ、エネルギーで硬度と色が変化する鉱石だけは、図鑑などでは見つからず、貰ったばかりのシュマーフォで、調べてしまう。

 正式名称を溶角岩石といい、溶岩石と有角種の骨を混ぜ合わせた、人工の鉱物であるという、結果など、考えもせずに。

 エマも知らない事実を知ってしまったシュメットは、驚き、倫理というものを考え直したが、殆ど間を置かずに別の考えが脳を埋めていった。

 それこそが、黒色の刃物の発想だった。

 結局のところ彼は有角種でも有るのだ。

 有角種の角と成分の骨を使っているだけあって、溶角岩石もエネルギーを角にかけると、蒸発し、再び、元の場所に戻ろうとする。

 これを利用すれば、角のように、刃自体を気体として持ち運べるのではないかと考えたのだ。

 そして、父の指導やアドバイスを受けつつ、何とか形にしたのが、黒色の刀と、同じく黒色の服であった。

 刀は素材が素材のため、たとえ、折れてしまったとしても、再び戻せるという、利点が付属し、気体を全身に纏うための、溶岩石を全身に縫い込んだ服装には、エネルギーを扱えない人種の為に、エネルギーを吸収し、手袋から流すことのできる装置を底に組み込んだ靴を用意し、父から絶賛を受ける仕上がりになった。

 ただ、シュメットは、武器商になる気も、なろうとも思ったことない。

 この一式の装備だけを例外的に父から指導を受けつつ作り、無理にどこかへ売って貰ったのだ。

 諦めさせるために。

 仮に自分の探しているものがどうしようもないくらい原型をとどめていなかったなら、きっと、諦めるはずだと考えた。

 だから、彼は研究者の母親に尋ねたのだ。

 有角種の髪の毛から角は作れるのかと。

 いつか、武器商として働く彼女が、この武器を見たときに、自分の折られた角が入っていることを認識すれば、取り戻すことを諦める。そうすれば、彼女は何にも縛られることはなくなり、真に自由になれる。

 本気でこの考えを疑わなかった。

 彼は彼女のことを愛している。

 だから、どうにかしたかった。

 例え、彼女が納得し、家を出ていったとしても、それはそれで良かった。

 彼女が幸せだと思えるなら、彼はそれで良かったのだ。

 しかし、彼の計画には、根本的破綻が潜んでいた。

 彼女は何と無くで角がこの街に有ることを感じていた。

 その言葉を強く飲み過ぎた、彼は刀を見たときに、気づくかどうかなんて、考えてもいなかったのだ。

 彼は笑う。

 自分の行った無意味な行為と、多くの犠牲と、崩壊した倫理観を前に、ただ、笑う。

 今だけ。

 今だけは、天井の愛するエマから向けられる視線が、苦しかった。



 控えめにいって、エマは浮かれていた。

 切り裂き魔が捕まったことで、狼堂会からの注文は一部がキャンセルとなったものの、返金はしなくて良いとのことで、思わぬ収益が出たのだ。悪い気もしたが、処理が面倒ということで、お言葉に甘えることにした。

 さらに、自分を止める為に無理をしたシュメットは、リンの病院で入院を余儀なくされていたが、それも無事に退院許可が出て、ようやく、家に帰ってきたのが、今朝のこと。

 お祝いに豪勢な料理を作るべく、臨時収入の一部を持って、繁華街近くの少しお高い食料品店に赴いていたのだ。

 特に作るものは決めていないものの、シュメットの好きなものを目に付く限り、次々にかごに入れていく。未だ、完全復帰はしていないため、食べられるものにも制限があるらしいが、とりあえずは、気にせずに全部取っていった。

 自分のせいで入院が長引いてしまった罪滅ぼしの念もあるのだが、エマがそこについて言及すると、シュメットの機嫌が見る見る悪くなるため、あまり考えないようにしている。

 だから、今夜は何も考えず、おいしいものを食べて、シュメットとともに夜を過ごすことにしたのだ。

 シュメットが入院している間の、一人で食べる食事は、いつもと同じはずなのに、味気ない、点滴のような食事であった。

 すべては自分の後悔と、いつもは居るはずの同居人がいないからだと、気づいた時、彼女は、何でもないところに幸せがあったことに気づいた。

 例え、角を失ってしまったとしても、自分には他の角があるため、大した障害にもなっていない。

 これだけの時間探して見つからないのは、いつからか自分は角を本気で探さなくなってしまっていたからではないか。今の心地よい生活を手放したくなくて、探している振りをしていたのではないか。

 捜し物は探さなければ見つからない。

 最近、頭によぎっていたその考えは、あの日のキスですべて証明されてしまった。

 彼女にとって大切なものは、いつの間にかすり替わっていたらしい。

 浮かれた彼女は、人の目も気にせず、かご一杯に食材を買い込んでいく。

 持ってきたお金では少し足りなくなるともしらないで、楽しそうに、浮かれて。

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デミヒューマンズシティ・プラスワン 阿尾鈴悟 @hideephemera

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