六章   夜の終わり

※WARNING※

この章は、現在、修正を行っています。

ストーリーを早く知りたい方以外は、お待ち頂くことで、より一層、お楽しみ頂けるかと思います。


 街が揺れるほどの轟音が起きる少し前、リン所有のマンションではダルクによる、セラへの尋問が行われていた。

 始めは、マンションのこの部屋を借りているとセラが主張し、事なきを得そうであった。

 しかし、このマンションはリンが所有物で、誰も出入りしていないはずというウンノの反論が起きるも、真相を知るであろうリンは広いマンションのどこかにいるという。

 結果、ウンノとコレットがリンを探している間、セラは自称自室での待機となったのだ。

「ここがお前の部屋だとしてもだ。店が終わってから来るには早すぎないか?」

 首を振ったセラは、自分の足を叩く。

「半獣種ですよ? トラの」

「そういえばそうだったな。走れば間に合うか」

 納得したダルクだが、疑問はまだいくつも残っていた。

 次の質問を投げようとした直後、セラの入ってきた扉の方からドアを叩く音が聞こえる。

 玄関となるドアを叩く音ではない。

 ドアの向こう側には空間があり、その向こう側の扉を叩くような音だった。

『開けてくれ! リン先生!』

 ドアを叩く音に混じって向こう側から聞こえてくる音の中には、セラを除いた三人は聞き覚えのある声も混じっていた。

「エマさん?」

 問うトーサカに扉を叩く音が一度止む。

『トーサカさん? どうしてここに?』

「それはこっちのセリフです!」

『帰ったら同居人が血を流して倒れていたんです! リン先生を呼んでください!』

「とりあえず、開けますね!」

 叫ぶように会話が交わされた後、トーサカが玄関のドアノブを回すと、食堂へと繋がっていた扉から声を掛けられる。

「それじゃ、開きませんよ」

「リンさん!」

 白衣を脱いだリンがもう一つのドア付近に立っていた。

「どうしてここに?」

 ウンノとコレットのどちらかが呼んできた様子はなく、自ら現れたような印象のため、ドアノブから手を離したトーサカが尋ねる。

「このマンションは俺と一心同体だからな。何が起きているかぐらい分かるさ。それに今はそんな場合じゃない」

 ドアノブをつかんだリンは、何かを考えるように一度、目を閉じた。

「彼女が呼んでいるのは最上階の一号室だから……」

 回すことなくドアノブを横に引くと、玄関扉がスライドして、荷物の積み重なった廊下へと繋がった。

「外じゃない!?」

「このマンションの扉は当てになりませんよ。先生次第で色々なところに繋がりますから」

 目の前で見たトーサカの驚きに答えたのは、戻ってきていたウンノであった。隣にはコレットもいる。

 やはり、マンションで過ごす人には、急患であったり、来訪者を感じ取れるものがあるのだろうか。

「変なこと言うなよ。俺次第でもあるけど、基本的にはルールがあるっての」

 閉まり際のドアから反論したリンは、そのまま廊下へと消えていった。

「すいません。遅くなって……」

 部屋の中央、机の近くへと謝りながらやってくるウンノとコレットに、待っていた四人はセラの話より先に聞かなければいけないことがあった。

「彼、一体何者?」

 代表して全員の疑問を言葉にしたトーサカへ苦笑いを返しながら、ウンノがたったの一言で表す。

「魔法使いですよ」


 ウンノがトーサカたちにリンの話をしている間、隣の廊下ではリンがシュメットの容態を見ていた。

 エマの腕に抱かれたシュメットの姿は、余りに異質だったため、直視と透視による診察に加えて問診も行う。

「彼、有角種かい?」

「ああ。半獣とのハーフだよ」

「この黒いのは?」

「エネルギーを加えると柔らかくなる物体? 止血に使えると思って」

 ──まあ、ハーフだから大丈夫かな……。

 傷口を透視したリンは、これから行う手術に、久しぶりの不安を抱いていた。

 問題は二つ。黒い物体の処理と、エネルギー不足だ。

 エマがエネルギーによって形を変える物体を傷口に当てたことで、流血は治まっている。

 しかし、エネルギーの流出は別だ。

 透視を行ったリンの見解では、傷口付近の黒色棒は赤く変色し、かなりのエネルギー反応を示している。

 一見すると、エネルギーは外に流れていないように見えたが、それはこの黒い物体が吸収しているだけに過ぎなかったのだ。

 結果として、傷に接している黒い物体は、固まることなく、少し固いスライム状になっていた。

 もしも、固い物体であったなら、それこそかさぶたのようにはがすことができたであろうが、スライム状のため、傷口の洗浄にリンは不安を抱いていた。

 それに加え、グレの手術同様のエネルギー不足が常につきまとう。

 それに、まだ、角は発現はしていないが、それも時間の問題であろう。

 考えるが早いか、フィンガースナップをリンがすると、エマの腕からはシュメットの体重が失われる。

「分かった。もしかしたら、ちょっと手伝ってもらうかもしれないから、部屋で待っててくれ」

 宙に浮いたシュメットともに、外へと出て行ったリンを見送り、エマは肩を落として目の前の部屋へと進む。

 おそらく、玄関越しに会話をしたトーサカも居ることだろう。

 情報を提供したため、当然と言えば当然だが、エマには不思議でならなかった。

 なぜ、彼は応接間でなく、リンの病院で話を聞かされていたのか。

 答えを求めて、扉を開けると、予想に反してトーサカ以外にも見知った顔、知らぬ顔併せてかなりの大人数が集まっていた。

 そして、一様に、視線をエマの頭上へと向けていた。

「えっと……どうかしました……?」

 首を傾げたエマの問いに最も早く答えたのはセラであった。

 ただし、武力という言葉で。

「有角種か……おまえは!!」

 瞬時にトラの半獣となったセラは、手袋を破り現れる爪でエマに襲いかかった。

 すんでのところで、横によけたエマへ、セラの追撃が入り、二人はベランダのガラスを割って闇へと消える。

「本当だったんだ……」

 一瞬の出来事に、理解が追いつかなかった部屋の中に、ぽつりと、か弱い声が響いた。

「グレ!」

「……起きたの?」

 声の主であるグレがベッドの上で状態を起こすと、ウンノとコレットがそれぞれの反応をしながら近づく。

「うん。結構前に」

「だったら、さっさと起きろよ! 心配したんだぞ!」

「……本当。人騒がせ」

 話し始める三人の間に、ミスズが割ってはいる。

「楽しそうなところ、申し訳ないけど、グレ君。今のはどういう意味だ?」

「えっと、ミスズさんでしたっけ? 昔、有角種が襲われたのは知ってますか?」

 他の全員にも目で知っているかを訪ねて、ミスズが代表して答える。

「ああ。角を狙われた奴だろ」

「その時代……僕ら有角種には噂のようなものが流れたそうです……有角種を守る王が現れるって。その噂は伝承として今も伝わっています……」

「おいおい、まさか!」

 何となく察しの付いたミスズが声をあげると、グレは頷いて伝承の続きを語る。

「特徴は……いくつもの角が、頭を囲うように伸びていることだそうです……まるで……」

 エマの頭には、角が生えていた。

 全力で走った為、有角種としての力を使ったのだろう。

 事前に種族を知っていたミスズたちは、そこまで驚かないはずだ。

 しかし、あまり角を見かけないとはいえ、明らかに異常と分かるその角に、誰もが目を奪われた。

 その形状は、まるで──

「まるで……王冠のように……」


 エマはホリクトのメンバーで、デスクワークの担当とは本人の談だ。

 実のところ、彼女の言葉は半分が本当で半分が嘘であった。

 確かにホリクトのメンバーではあるが、彼女の所属はホリクトの中心も中心、守護者直属の後継者本人である。

 エネルギー効率が良い有角種を見つけたホリクトは、まず、その候補者のクローンを作り出す。

 クローンが成長するまでの間、候補者は厳しいの訓練を積み、クローンと候補者が同じ年齢になった時、クローンの角を移植される。

 エネルギー効率が倍になると、候補者は倍の厳しい訓練を受ける。

 そして、またクローンが成長するとを繰り返す都度、十二。

 候補者の内、その非人道的な訓練、手術ともにそこまで耐え抜いた候補者が後継者となるのだ。

 しかし、ある時、エマは疑問に思ってしまった。

 逃げ出した後継者たちがみんな抱いてきた、比較的平和な時代の自分の存在意義と、痛み、苦しみに満ちた自分の人生について考えてしまった。

 エネルギー効率だけなら師匠にも引けを取らぬ彼女は、この考えるだけの人生に終止符を打つことにする。

 師匠であった守護者へ自分の言いたいことだけを言った後、追跡を受けつつも何とか逃げおおせたエマは、この街へとたどり着く。

 朦朧とする頭で隠れようと街外れの森へ入った彼女は、小さな家の前でほとんど行き倒れるようにして地に伏してしまった。

 しばらくの後、気が付くと手当は施され、真っ白な部屋にいた。

 状況が分からずにいたところに、丁度やってきたリンの説明によると、倒れた家の主人である同じ有角種の人が運んできた上に、治療費も払っていったらしい。

 首を傾げるも、結局動けず、天井を見上げるだけの生活を続けていると、どこから話を聞いたのか、自分を助けたという有角種の男性がやってきた。

 そして、角を見られたのか守護者と勘違いされた上で提案をされる。

『何があったか知らないし、聞きもしない。金も払わなくていい。ただ、私の跡を継げ』

 払えるはずのない金額を前に、エマは断ることなどできなくなってしまった。

 今の彼女にはお金も何も持ち合わせていなかったため、どうしようもなかったのだ。

 ともに、彼女は自分の人生は、誰かの代替でしかないことを痛感する。

 以来、エマは顔を変えて跡次ぎ、武器商として何とかやっていた。

 それも、今までの話。

「有角種ぅぅううう!!」

 今は嫌でも後継者に戻ってしまう。

 ──なんなんだ、こいつは……!

 空中で爪を立てようとするセラを、エマは巴投げの要領ではがす。

 ひとまず近くのビルへと着地しようとするエマの目に、別のビルの側面に手足をつけて体を沈ませるセラの姿が映った。

「逃がすか!」

 直後、セラが砲弾のような勢いで戻ってきた。

 砲弾となった二人が、降り立とうとしていた廃屋の一つを倒壊させる。

「有角種ぅぅぅ……」

 コンクリートの山の中、黄色と黒の毛を赤く染めて立ち上がるセラを、エマは見据える。

 ──なんなんだ……こいつは……。

 一定の距離をとっての均衡状態、エマのセラに対する評価が、多少の危機感を覚えるまでになった。

 目の前のトラは、大小問わず怪我をしようとこちらへ向かってくることだろう。

 なぜなら、その姿はベクトルこそ違えど、かつての自分を見ているようなのだ。

 まるで自分が師匠から逃げ出したとき、防御にも攻撃にも意識を割かず、ただ、ひたすらに逃げたように、セラは自分の喉笛を噛みちぎることしか見えていないようであった。

 今のエマは全盛期とは言えない状態だ。

 訓練なんてしばらくしていないし、何より、角の一カ所が折れてしまっているため、技術こそあれど体が追いつかない。おそらくはセラと同じ程度の戦闘能力だろう。

 そんな状態で全ての力を持って自らへ襲いかかるセラを、エマは制圧しなければならないのだ。

 猛攻を防ぎ、時に反撃し、最後には取り押さえる。

 同じだけの能力で闘う以上、色々なことに気を回すエマの方が、どうしても不利になってしまうのだ。

 歯噛みをしたエマが対応を考えていると、セラが大きくこちらへと腕を振った。

 目を狙って飛んでくる小さな塊を反射的に打ち落としたエマの元に、次々に同じものが投げ込まれる。

 立ち上がる際に、コンクリートの一部でも握っていたのだろうか、セラは少しずつ距離を詰めながら、塊を放ち続けてくる。

 不用意な接近戦を避けるべく、迫るセラに合わせて後ろへと下がっていくと、塊を放っていた手から、煙状のものが拡散した。

「……くっ!」

 投げ続けていたコンクリートを握りつぶしたのだろう。ばらつきのある塊とともに、エマの目をつぶす。

 直後、瓦礫を蹴った音が聞こえ、セラが煙幕を切って現れた。

 わずかな視界でセラを察知し、かろうじて体の中心を逸らすも、セラが通り過ぎた後の肌からは、血が滴り落ちる。

 間を置かず、迫り来る殺気を感じたエマが、再び、セラを避けるが、やはり、完全に避けることはできない。

 視界を奪われた以上、今のエマは、セラよりも圧倒的不利にたたされている。避けることに精一杯で、制圧することなど、気にかける余裕もなさそうだ。

 苦しそうなエマを中心に、セラは周囲を飛び跳ねながら、砲弾のように肌を切り刻む。

 目のコンクリート片に悩まされながら、瞬間的判断を要求される現状の中で何か解決策を探しながら耐えていたエマだったが、突如として有利なセラが動きを止めたことで、痛む目を開ける余裕くらいはできた。

 眼前で立ち止まるセラを前に、エマが考えを回す。

 が、それより早く、予想外の事態が起きた。

 穴の開いた手袋を片方外したセラが、片手に両手袋を持つと、手には黒い身の刀が現れたのだ。

「有角種……」

 今までのような弾丸のような勢いではなく、ゆっくりとセラがエマへ近づく。

 余りに自然な動きに、一瞬、エマの反応が遅れた。

 まずいと感じた時には、すでに間合いに入っていた。

「止めろ! セラ!」

 しかし、次の瞬間、影が二つ、割って現れた。

 散々聞いた声の主はダルクだ。叫びながら、エマを守るように、セラとの間に立ちふさがっていた。

 問題は、そのダルクと、セラの間。

 そこには、ダルクよりほんの少しだけ遅れて現れた、まさしく影と呼ぶにふさわしい存在がいた。

 頭の先から足の先まで、黒一色で身を包んでいて、果ては、柄のない刀でさえ、真っ黒に染まっている。まるで、一人歩きしている影のようだった。

 振り抜かれ、すぐ側まで迫っていたセラの刀を、黒装束の影は、同じような見た目をした刀で防いでいたのだ。

「……邪魔するのか? なにをする!」

「邪魔も何も、私は守っただけ。貴方が違う人を切らないように」

 セラと話す影の声は、凛として、聞くだけのエマとダルクにも聞き覚えのあるものだった。

 エマはともかく、ダルクは忘れるはずもない、その声に、その影に、恐る恐る、話しかける。

「エヴァンス?」

 振り向くことなく、セラの刀を押さえ続ける影が、口を開く。

「……久しぶり」



 エヴァンスが現れる少し前、有角種たちに広まる守護者の話を聞き終えたミスズたちは、グレから話を聞こうとしていた。

「お前を襲ったのは切り裂き魔か?」

「多分……」

「写真を撮ったときに一緒にいたんじゃないの?」

 曖昧な答えを、トーサカが優しく問いつめると、自信が無いのか、うつむき加減でグレは答える。

「切り裂き魔かって言われると、わかりません……」

 緊張がほどけたのか、ミスズたちはいつの間にか止めていたらしい息を吐き出して、体の重心を後ろへと移動させる。

 現状、持ちうる手がかりの中で、最も有力と思われていたところで、情報が途切れてしまったのだ。

 しかし、グレの話には続きがあった。

「でも、犯人は知ってます……」

「悪いが、俺たちは別に君を襲った犯人を追ってるわけじゃない。君たちが写真を撮った人を探してるんだ。犯人探しなら警察にでも……」

 興味ないとでも言いたげなミスズが適当にあしらおうとすると、グレの口からは、予想外に有力な情報が発せられる。

「犯人は、撮った写真と同じ刀を持ってました」

「……どういうことだ?」

 切り裂き魔と同じ物を持った犯人に襲われたと言うのに、グレは犯人が切り裂き魔かどうかはわからないと言う。

 普通、同じ物を持った人に襲われれば、同じ人を犯人だと思うのではないだろうか。

 グレの発言をミスズはてっきり、写真を撮った人が犯人で、その被写体となった人物が切り裂き魔かは、わからないのだろうと思っていた。

 だが、事実は違ったようだ。

「窓から出て行ったトラの人に、襲われました……」

 割れた窓を指さすグレが、今までとは違い、自信を持って断言する。

 切り裂き魔は二人居たのだ。

「ダルク!」

 切り裂き魔と言う存在は、エヴァンスとセラ、二人が共犯して出来上がった存在なのだろうか。どちらかが切り裂き魔の模倣犯という可能性も、実は、二人とも模倣犯で、本当の切り裂き魔は別にいる可能性もある。

 どれにせよ、この中では一番セラのことを知って居るであろう、ダルクの方へ視線を向けると、そこには誰もおらず、椅子だけが残されていた。

「……あの人なら、出て行きました」

「え?」

 察したように語るコレットに、驚きの声を上げたのはトーサカだった。

 ミスズはというと、すでに席から立ち上がって、扉へと手を掛けている。

「待て!」

 扉を開けて今にも出て行こうとするミスズを、追いかけるように立ち上がってトーサカが止める。

 相棒とも呼べる存在からの制止には、ミスズもそのまま出て行かずに振り返ると、いつものように小馬鹿にしたトーサカが、表情の裏に何かを隠していた。

「探偵……この依頼はもう止めよう。危ない」

 トーサカの忠告ももっともだ。

 探し始めてからすぐオガミに捕まって警告をされ、今は、切り裂き魔かもしれないセラを追って出て行ったダルクを追おうとしている。

 何が起きるかわからない。下手をすれば死の危険さえ有る。

 しかし、ミスズの中で答えはすでに決まっていた。

 ドアを開く。

「探偵!」

「受けた依頼は、完遂するか、諦めるかだ」

 再び背後から引き留める声を聞き、外の廊下へと出つつミスズはトーサカに自分のポリシーを語る。

「依頼主を死なせるわけにはいかないんだ」

 扉を閉める直前に見せたミスズは寂しそうに笑っていた。

 自分が死ぬことなんて考えていないだろうが、ミスズが何を求めているのか、その顔にトーサカは頭を激しくかきむしる。

「えっと……トーサカさん?」

「……本当に、あいつは諦めが悪いよ。変なところまでな」

 あまりの様子に声を掛けたウンノへ、トーサカが自虐的に笑った。

「でもさ、そんなやつの助手をずっとやってる俺も変な奴なんだろうな」

 決意を確認するように、誰でもない自分への言葉をウンノに宛てて、トーサカは扉の外へと消えていった。



 薄暗く、細長い、鰻の寝床のようなスペースで、地鳴りと大きな音を聞いたエリアスは、すぐにどこかへと念話をかけた後、自分を含めた四人をエレベーターに乗せた。

 顔なじみのファーグと少し怖い印象のアリアという女性は、行き先がわかっているらしいが、永斗だけはわかっていない。

「……どこへ向かってるんですか?」

「屋上さ。きっと見えるはずだ」

 ゆっくりと上がっていくエレベーターが、遠くに音を聞く度、激しく揺れる。されど、速度を緩めることなく、上へ上へと向かっていく。それはまるで、笑顔のエリアスに答えるかのようだった。

 居心地の悪さを感じている永斗は、エリアスが何を見せようとしているのか、心臓が跳ねて口から飛び出しそうなほどに緊張していた。

 体にかかる圧が変化して、最上階に着いたことをエレベーターが告げる。

 先に出て行くエリアスとアリアに続き、ファーグに押された永斗は屋上へ出た。

 人工の光に照らされた街は、夜と呼ぶには到底明るく、しかし、光源は地面からと言う、永斗にとっては不思議な光景に、見とれてしまう。

「これが僕らの住む街なんだ」

 振り返ったエリアスの言葉を聞いて、彼が何をいいたいか、永斗は何となくではあるが理解した。

「ほら、あれが、君が今日だけで得た成果だよ」

 ビルの端まで歩き、下をのぞき込んだエリアスが示す先には、人工の物とはまた違う、自然のものではあるが何かが決定的に違う、どこか暖かい光があった。

 同時に光の周りを、縦横無尽に跳ね回る影も見える。光に近づいては離れ、再び暗闇を走り回り、近づきを繰り返している。

「やっぱり、そうだったか……これは、僕の成果だけど、間接的には君の成果でもある。だから、感謝してるよ、ジェクト君」

「僕が……何を……?」

 何故か自己完結をしてお礼を言われる永斗は首を傾げるしかない。

「だから、事件が解決するんだって。あの、影こそが切り裂き魔さ」

 驚くのは永斗以外の二人で、とうの永斗は未だに腑に落ちては居なかった。

 いきなり、違う世界へ飛ばされ、全く知らない事件を解決する一部になっていると言われても、そんなこと、永斗には理解できるはずがない。彼は直接は一切関わっていないし、そんな事件があったことも知らないのだ。

「おや。これは予想外だ。誰か来るよ」

 しかし、状況は永斗を置いて動いていく。

 なんだか映画でも見ているかのような感覚で、実感も何もない永斗は下を覗くことを止め、屋上を歩き始めた。

 よくわからない機械や、見覚えのある室外機が数台置かれているだけの、ただ広い空間もすぐに飽きが来て、下を眺める三人の元に戻ろうとした時、何かが足に当たって屋上を擦っていく音が聞こえた。

 暗い中、目を凝らしながら近づくと、歪な柄をしたナイフと、少し離れたところにそのカバーらしき物が落ちている。

 何故か屋上に落ちていたナイフに、下で起きていること何かより、よっぽど興味を持った永斗は、ナイフを拾い上げてしまった。

 それが、どんななものかも知らずに。

「わっ!」

 直後、腕に電気が流れた。いや、電気が出て行ったような痛みに近い感覚が走った。この世界には電気が無い。そのはずだ。

 持ち上げようとしていた力のまま、突如として訪れた衝撃に、永斗は声とともに、ナイフを上へと投げる。

 回転しながら、高く上がったナイフは、そのまま飛んで行き、エリアスたちが覗くビルの下へと落ちていった。



 セラの居合いをいとも簡単に押さえたエヴァンスが振り返り、その手に持つ物をはっきりと目にしたダルクが、悲しそうにつぶやく。

「エヴァンス……その刀、やっぱり……」

 ウンノたちが撮った写真に、現実として目の前に立つエヴァンスを前にして、ダルクは半信半疑であった自分の推測を、確かなものとせざるを得なかった。

「うん。私だよ。私が切り裂き魔だ。それは間違いない」

 決定的な自白を受けてダルクは、糸が切れたように、崩れこそしなかったものの力を失う。

 同じく自白を聞いてしまったエマが、間合いを取っていたため、離れたところから一つの疑問を投げた。

「じゃあ、シュメット……森の家で少年を切ったのも……?」

 エマにとっては、それこそが最重要項目である。

 鋭い刃物で何カ所も刻まれたようなシュメットの傷は、突然のことに驚いていたあの瞬間から時が経てば経つほど、切り裂き魔という言葉が連想された。

 その犯人を、シュメットを傷つけた張本人を前にして、エマは冷静で居られるはずがない。

 静かに込められた煮える思いに、エヴァンスは首を横に振った。

「違う。それは私じゃない」

「そうですか……誰が……」

 呟くエマは、相手に答えを求めている訳ではなかった。ただ、自分の行き場のない思いを吐き出したに過ぎない。

 が、エヴァンスはその犯人を知っていた。

「彼女」

 顎でエヴァンスが示したのは、刀に力を込め続けるセラであった。

「私も切り裂き魔。彼女も切り裂き魔。貴方の言う少年を切ったのは、私じゃないから、彼女」

「……本当なのか?」

 ダルクの問いに文字通り獣じみた目をしたままセラが話す。

「有角種は許さない。私がやった。ああ」

「なんで……なんで、おまえ等はそうなんだよ……」

 うつむいたダルクをよそに、エマの足下から、破裂音が響く。

 驚くも気を抜けない刀を持つ二人が一瞬だけエマを見ると、コンクリートの粉が舞っていた。

「シュメットを……」

 薄く光っていたエマの角が、煌々と揺れ始める。赤くマグマのような輝きは、心に秘めた怒りを何とか形にとどめているようなものだった。

 暖かな光とはもう呼べない。

 一歩、一歩とセラたちの方へと近づくエマは、そのたびに、目から光を消して行く。

 対し、三人は動けない。動こうと思えば動けるのだろうが、それぞれが誰かの足を引っ張り合って動けなくなってしまっているのだ。

 ダルクはエヴァンスが三度どこかへと消えてしまう不安から。セラはエマに向かっていきたいのに、エヴァンスに阻まれて。エヴァンスは自分が避ければ、セラがエマまでの道にある障害物を斬り伏せると理解しているが故の行動だ。

 着々とカウントダウンが進む中、全く別の方向から、けたたましい音が聞こえた。

「ダルク!」

 走ってきたダルクと同じ方向から、叫びながらこちらへやってくるミスズとトーサカの姿があった。それも、黒く塗られた一台の車を連れて。

 眩いヘッドライトの車は速度を緩めることなく、エマとダルクたち三人の間に停車をすると、中からオガミが現れる。

「よう、切り裂き魔諸君。ちょっとばかし、話を切きたいんだが、ご同行願おうか?」

 ──まずい……。

 エヴァンスにとって、それは、望まぬ、最も厄介な状態だった。

 前門の虎、後門の狼。外には鬼が居て、傍らには守るべき存在。

 最悪、いや、災厄とも呼べる見事な拮抗状態を破ったのは、空から落ちてきた、小さな銀色だった。

「っく……!」

 小さな悲鳴にもならぬ声をあげたセラが、力を失ったようにその場で地に膝を着く。

 一体何が起きたかなど全くわからないが、今この瞬間を唯一チャンスと捉えたエヴァンスがとったのは、第三者に頼ることであった。

「ごめん」

「え?」

 ダルクにだけ聞こえるように呟いたエヴァンスは、ミスズの方へとダルクを突き飛ばす。

 突然のことに、バランスを崩すダルクが腕をエヴァンスへ伸ばすが、その手を取るのは、後ろから支えるようにしたミスズだった。

「大丈夫か!」

「エヴァンス! エヴァンス!!」

 泣き叫ぶダルクの先に、エヴァンスはすでにいなかった。

 オガミが舌打ち混じりに上を見ている当たり、きっと、暗い空へと消えていったのだろう。

「泣くな。おまえが依頼したのは誰だ。俺が絶対に見つける」

 引きずるようにダルクをオガミたちから離したミスズは、真剣な表情で決意をして、依頼主を安全な位置まで何とか歩かせようとする。

「探偵! 危ない!」

 背後から投げられたトーサカの言葉に、前を向き視野を広げると、ルーの乗る黒塗りの車が、少しずつだがバックでこちらへと近づいてきていた。しかし、タイヤは前に進もうと空転し、運転席には焦るルーの姿が見える。

 直後、車体は縦に回転しながら、トーサカのいる背後へと抜けていった。

「邪魔」

 車があった場所には、赤く光る角を持った鬼が立っている。

「おいおい、あんた、本当に、あの武器商か?」

 真後ろで起きた物音に、振り返ったオガミがひきつった笑顔を浮かべている。きっと、勝ても止められもしないことを悟ってしまったのだろう。

 セラ以外の物は関係のない障害程度にしか考えていないのであろうか、明らかな敵意を以て歩み寄るエマに対し、オガミは一瞬だけ後ろを見ると、舌打ち混じりに車を追った。

 街の平和を乱すが命は取らない切り裂き魔と、部下の命を考えてのことだ。

 邪魔する物がなくなってなお、エマはセラへと街を歩くかのように近づく。

 なんとしてでも相手に復讐を遂げる。

 そういった意志をを強く感じさせる歩みであった。

「エマさん!」

 叫ぶ誰かの声など、聞こえている様子もないエマは、瞬きせずセラを睨めつけている。師匠に教わったことだ。目を離せば相手は一体何を仕掛けてくるかわからない。だから、常に相手だけを見て、周りのことは風景に溶かすよう、散々言われてきた。

 足先に触れるかどうかのところまで近づくと、エマはうつ伏せに倒れているセラを足で仰向けにしつつ、その上を跨ぐように立ち見下ろす。

 今すぐにでも殴りたいその顔を我慢して、有角の守護者は肩口に足を置いた。刀を離させる為に、最も効果的な位置だ。

「セラ!」

「おい、止めろ! おまえが危ない!」

「でも……!」

 エマを止めようとするダルクを、ミスズが必死に止める。

 エネルギーを吸収している有角種に肩を踏みつぶされたのなら、いくら再生能力の高い半獣種であっても完治までは相当な時間がかかるだろう。

 それがわかっているからこそ、ダルクは助けたいし、ミスズも止めなければいけない。

 肩に当てられたエマの足がわずかに浮くのを見て、ダルクもミスズも、少し離れているトーサカですら顔を逸らす。

 しかし、その後にはセラの声もなければ、骨が折れる音も聞こえてはこなかった。

「二人とも。見て見ろ」

 ことの次第をいち早く確認したのはトーサカだった。

 恐る恐る、顔を上げた二人が見たのは、足を降ろす直前で、動きを停止しているエマであった。

「なんだ?」

 固まるエマを注視したミスズは、彼女が何かを見ていることに気づく。

 彼女が足を降ろすはずだったセラの肩。暗くてよく見えないが、そこには何か金属らしき棒状の物があった。

「ありゃ、企画段階のナイフだな……そうか、それで……」

「オガミ!」

 同じくセラの肩に刺さったものに気づいたのだろう、ミスズの後ろからオガミが声を掛ける。

「ルーは無事だったのか?」

「ああ、お陰様でな。元気そうだ」

 心配するミスズへオガミが見せたルーは、小脇に抱えられ頭から血を流しているものの、笑顔で手すら振ってみせる。

「そ、そうみたいだな……で、今の『それで』ってなんだ?」

 苦笑いをしながら話題を変えるミスズに、オガミは瓦礫の上に座って煙草を取り出しながらに答える。

「あのナイフはウチの組で作ってる物だ。正確には、武器商……あの鬼がだな。何でも、魔力を使って魔力を切るとか」

「じゃあ、セラは!」

「そうだな……魔力不足でぶっ倒れてんだろうな……」

 煙を吐き出しながら呟くオガミの言葉に、最悪の展開がダルクを筆頭に全員の頭をよぎる。

「助けるには、あのナイフを抜かなきゃいけない。そのためには、周りが見えていないであろう、エマさんに近づかなきゃいけない……ってことですか……」

「それにナイフに触れてもぶっ倒れず、あのトラっ娘を引っ張ってくるってのもあるぞ。見たろ? 一瞬でぶっ倒れたの。ありゃ、一瞬で魔力を持ってかれたってことだ。少し触れてもアウトだろうな」

 分析したトーサカへ、さらに冷静な分析をしたオガミが条件を追加する。

「後は、エマさんを止めるか……」

 現状、ほとんど無理だが、最も効果的な対処法をトーサカが呟く。

 それができそうな人を、ミスズは一人だけ思い浮かべていた。

 会ったこともなければ、声を聞いたことも、見たことすらないが、今、どこにいるかはわかる。

 最もエマを止められる可能性が高い、彼女に一番近い、彼女の大切であるだろう人の存在を、彼は思い浮かべていた。

 しかし、連れてくるなら、それは、人を止めなければできない所行だ。

 ──もし、その人が自分から、来てくれたなら……。

 無意識に頭の中に浮かべたミスズの考えは、それだけですでに人としてどうかというものだ。

 気づいたミスズは強く頭を振って、考えを外へと追い出した。

 だが、街に人の心はない。街はこの考えを良しとした。

「エミー」

 まだ若い声が、辛そうに夜へと消える。

 声の方向には、車から降りる少年の姿があった。

「エミー」

 二度目の同じ言葉は、幾分か軽やかに。

 フラフラとエマの元へ近づこうとする少年を、車の中から現れた青年が支える。

「エミー……エマ!!」

 三度目は、強い思いをそのまま吐き出したかのように。

 どこまでも響きそうな声量に負けて少年は咳込むが、足を浮かせて硬直していたエマが動く。

 機械仕掛けかのように振り向いたエマの視線の先には、包帯だらけとなった同居人──シュメットの姿があった。



 ウンノたち三人組を残して誰もいなくなってしまった部屋に、三人以外の声が流れる。

『終わった……って何があったんだ?』

 唯一、扉も何もない壁が透過し、隣で手術を行っているリンが映し出される。グレの時とほとんど同じ手術の為、銀色の鳥が、リンの持つ銀色の巣へと戻っていた。

「エマさんを見たセラさん……黒い服でトラの半獣の人が襲いかかって出て行ったんですよ」

『えっと……窓から?』

 起きたことをウンノが簡潔に話している間に、部屋の全容を見たリンが、当然ともいえる帰結を出す。

 無言で肯定したウンノは、代わりに経緯を話し始める。

「セラさん、有角種を狙った切り裂き魔だったんみたいで。グレを襲ったのもセラさんだったって」

『グレ君、起きたのか! おはよう』

 部屋の惨状ばかりが目に入って、ベッドの上にまでは気が回らなかったらしいリンに、グレが真っ先に気にしたのはお金のことだ。

「すみません。ご迷惑を……治療費は自分で払うので、二人には……」

『もう、貰ってるよ。どうしてもって言うなら、ちょっとだけ、確認をして欲しい』

 治療費はともかく、ため息混じりに話したリンの確認という妙な言い方に、白い部屋のグレたち三人は顔を見合わせる。

『さっき運ばれてきた子、傷口に何だがよくわからない物が張り付いてて、はがしてから縫ったんだけど、その確認して欲しい。エネルギーを吸収するらしいから、グレなら分かるんじゃないかなって』

 マスクや手袋を外して鳥の巣頭をかくリンを見て、ウンノが半分腰を浮かせると、グレが手でそれを制した。

「いいんだ。もし、何かあってからじゃ、僕は悔やむよ。幸い、ここにいると元気がでるんだ。難しいことじゃなければできると思う」

「グレ……」

「先生。平気ですよね?」

 察しのいいウンノから肩を借りたグレが、壁越しのリンへと上体を起こしながら尋ねる。

「ああ。傷口に向かって、ほんの少しエネルギーを放出してみてくればいい。本来、角から以外エネルギーの吸収を受け付けないはずだ。もし、跳ね返されないなら、そこに残ってるってことになる」

「ほら、それくらいなら大丈夫だ」

 それでもなお微妙な顔をするウンノに、後ろから見ていたコレットが声をかけた。

「……ウンノ。……グレがやろうとしていることは良いこと。……それを邪魔するやつは、私、大嫌い。燃やしたくなる」

 睨みつけるかのようなコレットの目を見たウンノは、グレの表情を見てから大きく息を吐き出す。

「わかった。何かあったら、すぐ言えよ?」

 別に暗かったわけではないものの、いっそう表情が明るくしたグレが、元気よくリンへ根本的な問いを投げる。

「先生、その子はどこに!」

「え?」

 返ってきたのは、以外にも、間の抜けた一文字であった。

 後ろにある治療台を見たリンは、あわてて当たりを見回す。

「まさか……」

 様子のおかしいリンへ呟いたウンノを筆頭に、三人が壁を隔てたリンへ疑いの目を向けた。

 視線を感じたリンが、頭に手を当てながら三人の方を向く。

「えっと……逃げちゃった……?」


 手術中に目を覚ましたシュメットは、薄く目を開けて、自分が今、治療を受けていることを理解した。

 体中を縫われているというのに、不思議と痛みは感じない。

 そのせいで、一瞬、死んだか、もしくは、自分は実は縫いぐるみだったのかと錯覚したのも無理はない話だ。ただ、意識が戻ったおかげで、死んだのなら縫う意味はないだろうし、血が見える当たり、縫いぐるみでないことに安心し、頭も良く回るようになっていた。

 手術が終わって医者が壁に手をつくと、どこかの部屋が映し出された。

 と、同時に、痛みも戻ってくる。

 驚きやら痛いやら、とりあえずは安静にしていようと、横たわっていると、シュメットの耳に聞き慣れた名前が飛び込んできた。

『エマ』

 大切な人の名前だ。

 一層、聞き耳を立てると、どうやら、エマは自分を襲ったのと同じ人に襲われ、ベランダから外へ連れ落とされたらしかった。

 慌ててベッドから起きあがったシュメットは、すぐに、しかし、静かに出口らしい扉へと向かう。

 ドアを抜けた先は、洗面台がある白い通路で、医療器械や薬が大量に並んでいた。

 何となくでここが病院であることを察したシュメットは、激しく痛む体でエマのところに向かう上で必要な物をいくつか見繕う。母親が医療系の研究者であるシュメットにとって、痛み止めを初めとした、今の自分に必要な薬を見つけることに全く迷いはない。

 水場で薬を飲んだ後、ついでに松葉杖も借りて、一番奥にある扉を押すと、シュメットの目には予想に反したマンションの通路が飛び込んできた。それも、エントランスからすぐのドアから出たようだ。

 病院であったはずなのに、手術室らしき空間から、いきなり外に出されたシュメットは、クエスチョンマークを頭に浮かべつつも先を急ぐ。

 体重を杖に預けながら、いつも何倍も時間をかけてマンションを出ると、遠くから炸裂音に近いものが聞こえた。

 ──エミー……!!

 今の自分に出せる全速力を持って、シュメットは音の方向へ向かう。

「シュメット君?」

 直後、後ろから走ってきた車に呼び止められる。

 後部座席から窓を開けて話しかけてきたのは、昔のことのように感じる

が、一日も経っていない間に会ったばかりの、アレーであった。



 シュメットを傷つけたと聞いたときから、エマは機械となった。

 たった一つの目的だけをプログラミングされ、到達するための最適解を導き動く旧世代の兵器のように、ただ、目的へと向かって進む。思考は檻に閉ざされ、本能へ必要な戦闘技術を供給するのみで、口を挟む余地などない。

 さながら、海中にいるようであった。

 空の景色は見えるのに、手は出せない、魚のようだ。

 セラにたどり着き、まずは武装を剥ごうする視界を見ていると、足を置こうとする肩口に刺さるナイフが見えた。

 それは、シュメットがアイディアをくれた、自分にとっても想いの強い、魔力で魔力を切るナイフであった。

 セラが倒れているのは、そのナイフが原因だろう。自分の魔力で機構が動き、さらに魔力を切られているのだ。

 魔力量が相対的に低い半獣種であるセラにとって、魔力を使われるのは致命的だろう。

 このまま、足を降ろせば、確実に復讐を遂げられる。

 しかし、それはシュメットの本意ではない。

 狼堂会の武器商であることを知った上で、シュメットがこの武器の提案をしてきたのは、彼にも半獣の血が流れているからだ。

 全員が狼の半獣種である狼堂会の構成員は魔力に弱い。だから、傷つかないために必要なのだと、シュメットは説いた。誰にも死んで欲しくないというのは我が儘だと分かっているから、自分の知っている大切な人を、弱い人を傷つけず守ろうとする狼堂会の構成員を守る武器を作ろうとしたのだった。

 自分がこのまま足を降ろそうという人は、強い人で、大切な人でもなく、狼堂会の人でもない。だからといって、魔力不足で弱っている人へ、降ろしてしまっていいのだろうか。

 シュメットは誰も死んで欲しくないことを我が儘だと言った。

 この人は助けられる人だ。

 誰かを助けるために作られたナイフと、誰かを助けるために学んだ戦闘技術で、助けられる人を傷つけて良いのだろうか。

 シュメットはそれを望むだろうか。

 海の中のエマが水面に手を伸ばす。

 出そうとしなければ、出る手はない。覚悟を決めて、水から手を出す。

 見えていた自分の足は思い通り、降ろすことなく止まった。

 しかし、それまでで、それ以上、水面に出ることはできない。

「エミー」

 遠くから、声が聞こえる。慣れ親しんだ、シュメットの声だ。

「……エマ!!」

 はっきりと聞き取れた声の方へエマが頭を向ける。

「シュ……メット……」

 途切れ途切れに紡がれるエマの言葉、目、顔がこちらに来るなと言っていた。

 そんな拒絶に気づかずか、シュメットは進む。

「エミー、帰ろう」

「やめ……あぶな……」

 必死で止めるがエマの体は意に反し、拳を固めて腕を振り上げている。

「そんなことしても、何も変わらないし、何も返ってこない。家に帰ろう」

「ダメ……ッ!!」

 腕を伸ばせば届きそうな距離にシュメットが入ると、止める意識とは裏腹にエマは拳を突き出す。

 必死に止めた影響もあってか、急所からは逸れたものの、十分な威力を持ったエマの拳がシュメットを捕らえた。

 腕に衝撃を受け、後ろへ吹き飛ばされたシュメットは、鈍い音を立てて地面へと倒れる。

「シュメット……ッ」

「平気だよ。今、行くから」

 すぐに立ち上がったシュメットが、折れてしまったであろう、殴られた腕とは逆の手で松葉杖をついて、エマの元へ向かう。

 その様子に、エマは再び迎撃体制となる。

「やめて……おねが……い……」

「止めないよ。僕はエミーを連れて返らなきゃいけないんだ」

 後、少し。

 シュメットは、着実に歩みを進める。

 もちろんそれにはエマの協力が必要不可欠だ。強い精神力で、少しずつ自由に動けるようになっていたエマは、必死で体が動こうとする方向とは逆の方向に力を込めていた。

 後、数歩。

 もうすぐでシュメットがエマへたどり着くという時、破裂音が響く。

 揺れる身に、その場にいた誰もが、息を飲んだ。

「エミー……!!」

 松葉杖が地面に落ちて、シュメットが腕を伸ばす。

 崩れゆくエマの身へ──

「シュメット……」

 後ろへ倒れていくエマは、再び海中に沈む気分だった。

 今度は、もう、二度と戻れない。深海まで、落ちるように、体から力が抜けてゆく。

 しかし、それはそれでいいのかもしれない。

 これで、シュメットを傷つけなくて済む。後継者の任に戻されることもないし、武器だって作らなくていい。

 自分が動きそうなことを察して撃ってくれたダルクに感謝をしながら、最後の最後まで伸ばし続けた腕の先の先が、海中に呑まれる瞬間、何かが強く手を握る。

 そして、手を握った何かは、自分と一緒に倒れながら、唇を重ねた。

 ほんの一瞬の出来事。

 ただ、エマの意識を引き戻すには十分すぎるものだった。

 自分と入れ替わるように腕を引いていたシュメットが、セラの上へと倒れていく。多少、身をひねった影響か、セラの真上ではない。

 しかし、代わりとなって先にあるのは、黒く闇に溶ける柄のない刀だ。

「シュメット!!」

 勢いをそのままに、回転して立場が逆となったエマは、何の躊躇もせずに、シュメットが倒れようと言う、刀のある方へ足を踏み込む。

 足に鋭い痛みが走る。やはり、刀はあったようだ。

 腕にはうつ伏せのシュメットが抱えられている。

 振り返るシュメットへ、今度はエマが言うべき言葉があった。

「帰ろう」

 たった、その一言に、色々な感情が込められていることを、間近で聞いたシュメットだけが知っていた。

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