私が書いた百合小説の世界に転生したけどヒロイン達が可愛すぎるっ!

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私が書いた百合小説の世界に転生したけどヒロイン達が可愛すぎるっ!

喩慧ゆえさん?」


 低めの声で、目の前のショートボブで姫カットの少女が私の顔を覗き込む。

 名前を呼ばれた瞬間に、私はふと自分が産まれる以前のことを、一つ前の人生の出来事を思い出した。

 思い出した理由もわかる。

 だって今日は、6月11日の月曜日。

 それは、このストーリーの中での私の役割が開始した日だ。


「喩慧さーん??」


 再び少女が私の名前を呼ぶ。

 くるんとした可愛らしい眼で私を見つめている。

 彼女の名前はあずまあるみ。

 本編では名前は無く、設定上では円城寺えんじょうじ喩慧ゆえ、つまり私の取り巻きA。

 この世界では流石に名無しではないらしい。髪型なども設定しなかったけれど、似合いの髪型になっている。


「だいじょぶですか??」

「ええ、ごめんなさい、あるみ。少し考え事をしていただけよ」


 やや芝居掛かった調子で答え、自身の髪をかきあげる。

 慣れた仕草ではあるはずだが、以前の記憶が戻った今では多少の違和感を覚える。以前の私では、絶対にこんな仕草はしなかっただろう。

 僅かに苦笑してから、ちらりと窓際最後部の席を見やる。

 目的の少女、その一人目。

 肩くらいまでの黒髪に、切れ長でつり目気味の黒い瞳は彼女の理知的で合理的な性格を表す。

 三浜みはま一二三ひふみ、短歌部に所属する少女がそこには座っている。

 机上にはルーズリーフを広げ、考え込むようにシャーペンを回していた。

 何を考え込んでいるのか、私にはわかる。今日の短歌部の歌会、その課題を考えているのだ。

 一二三は短歌部に入部したばかりで、この日の題詠だいえいにだいぶ苦戦している。

 そういうことになっている。

 ひとつだけ想定外のことがあるとすれば、彼女が思いの外美形であった事だろうか。

 彼女に関しては目付きが悪いという描写を何度か行なったが、欠点としてつけたはずの設定が、高潔な才媛を想起させる形に昇華されるほど、各パーツが完成されている。

 同じクラスになってからは何度も顔を合わせているはずだが、やはり記憶が戻る前と後では、世界や人の見え方も随分と変わる。

 さて、と小さく溜息をつく。

 今度は少し前の席に目を移し、椅子を鳴らして私は席から立ち上がる。

 窓際の前から二番目の席、目的の少女の二人目。

 ショートの黒髪に、座っていてもわかるスタイルの良さ。

 高橋たかはしたえは、一枚のルーズリーフを微笑みながら眺めている。

 こちらは背が高く、人懐こい雰囲気の少女として描写していた。

 大きく丸い、やや垂れた瞳。通った鼻筋に健康的な紅の差した頬。明るくて友達も多い彼女らしくて、こちらの少女もとても可愛らしく美しい。

 眺めているルーズリーフに何が書いてあるのか、私は見たことはなかったが勿論覚えている。

 ルーズリーフに書いてあるのは、一二三から貰った相聞歌そうもんかという名のラブレター。

 初めての部活の時に、一二三が初めて詠んだ三十一文字みそひともじ

 紗にとって、それはとても大切なもの。

 そして私は今日、そのルーズリーフを踏みつぶさなければならない。

 ……そういうことになっている。

 今日、6月11日は私がこの小説に初めて登場した日。

 間も無く紗が手からルーズリーフを滑らせる。

 私はそれを態とらしく踏みつけて「あら、ごめんなさい」と殊更に厭わしく紗に吐き捨てる。

 そうすることで、物語は私の考えた通りに進んでいく。

 ここは、私が書いた小説の世界。

 一二三と紗に陰湿で悪意のある行いするのが、この世界での私の役目。

 なんの因果かは定かではないが、そういった役回りならば十全に演じ切ってみせよう。

 近づいて、パンプスを鳴らす。

 すると、測ったように紗の手からルーズリーフがこぼれ、私の足元に滑り込む。

 それを確認し、脚をあげた。

 こぼれたルーズリーフには、こんな一首がしたためられていた。


『大丈夫、受け入れられる、たぶん、ほら、私も海にゆく人だから』


 ……この一首は作中で初めて一二三が詠んだ歌で、一二三が悩む紗に送った歌だ。

 語りかけるような軽い口調で、あなたの変わったところを受け入れてあげる、とうたったラブレター。海に行く人、という言葉は変わり者の比喩として使っている。

 その短歌を見た瞬間、私は足を止めてしまう。

 片足をあげたまま、両手で顔を覆う。


「……いい」


 思わず、口からこぼれた。

 ……だってさ、最高じゃない?この短歌。

 一見クールな一二三が、悩む紗に贈ったこの一首には優しさと温かさで溢れているんだよ?

 周りから好かれている紗がちょっと苦手かも……なんて思ってた一二三が、紗が弱みを見せただけでこんな優しみ溢れる短歌を送っちゃうなんて……!

 ちょろい!

 ちょろ可愛い!

 尊みに……溢れている……!

 最高か?

 この一二三が作った短歌、最高なのか……?

 無理!

 このルーズリーフを踏みつけるなんて、絶対無理だから!

 だって!

 この丸っこい文字!

 クールな一二三がこんな字を普段書くはずがない!

 紗に贈るから、一生懸命頑張って可愛く書いたんだよ?

 おうちで「丸文字 書き方」とかググりながら、書いたんだよ?

 クールぶってるあの一二三が……?

 かわいすぎませんか?

 それをわかっていながら、あえて口には出さず大事に持っている紗!

 良い子か?

 良い子なのか?


「あ、ごめんね」


 私がどこかにトリップしていると、紗が私の足元に手を伸ばした。ので、それを制してかわりにルーズリーフを拾い上げる。


「素敵な短歌ね」


 つい、本音の百分の一ほどが漏れてしまった。

 すると紗は照れたようにハニカミながら笑って、「ありがとう」とお礼を口にする。

 ……かわ、いい!

 そして少し離れたところの一二三も、こっちの会話を聞いてないふりして内心ではめっちゃ喜んでるはず!

 可愛い……。

 私の書いたヒロインたち、ほんと、可愛すぎませんか……?

 この子たちに意地悪するなんて、絶対に無理!!






 あまり覚えてないけど、確か私は女子大生だった。

 趣味は百合小説の執筆。

 書いた小説を小説投稿サイトから全世界に向けて放っては、反応があったりなかったりで一喜一憂してる、割と普通の女子大生だったと思う。

 信号待ちしてたらトラックが突っ込んできたか、通り魔に刺されたかは覚えていないけど、確かに私は死んだんだろう。

 それがどういうことか、どうも転生してしまった、らしい?

 転生自体は何回も読んだ事があるけど、自分でしてしまうのは初めてで。どうせならチート能力のひとつでも寄越せば良いのだけど、少なくともこの16年の間にチート能力らしき物を使えたことは無い。

 そして転生先だが、どうも私が初めて書いた百合小説の世界らしかった。

 一二三と紗というの二人の少女が、二人きりの短歌部での活動を通して青春と初恋を体験する、作者的にはとてもエモ可愛い小説。

 初めて執筆したということもあり、思い入れの強い作品だったが、まさか転生してしまうとは。

 私の転生先の名前は円城寺喩慧。

 可愛くて友人の多い紗に嫉妬する、お金持ちでスタイルのいいお嬢様。所謂悪役令嬢的なポジションなのだけど……。

 この役目は、たぶん私には務まらない。

 私は、紗も一二三も、なんなら喩慧もめちゃくちゃ大好きなのだ。

 小説を書く人間にとって、自分の作品は自分の子供みたいなものだと言うけれど。

 私にとっては、登場するキャラクターも同様。可愛い可愛い娘みたいなもの。

 二人に意地悪するなんてとても出来ない……。

 でも、二人にはくっついて欲しいんだよなぁ。

 はてさて、どーしたものか。






 本日6月11日は、第2話の日だ。

 文化部の部室棟の端っこは、短歌部の部室。私は体を丸め、しゃがみながら部室のドアに耳をあてていた。


「喩慧さん……?」


 脇に立つあるみが奇妙な物を見る様な目で私を見ているが、二人のことを思うと気にしていられない。

 第1話は、この世界では約1週間前。

 普段は友達が多いのに、部活では部員がひとりのため寂しい思いをしている紗。その紗に同情して短歌部に入部した一二三。そして、紗の希望でふたりで恋人ごっこをしながら相聞歌ラブレターを贈り合うという遊びを始めた、というのが第1話のあらすじになっている。

 第2話の最初の段階では、紗は一二三への感謝の気持ちが恋愛感情に発展しかけてる。

 一方で一二三は始めたばかりの短歌が面白くて、紗への気持ちはまだ友人といった感じが強い。

 つまり、今日の段階ではまだ紗の片思いのはず。

 今回の第2話では、喩慧わたしに踏まれたルーズリーフを一二三が紗のために書き直す。

 嬉しくなってテンションがあがった紗が、一二三と手を恋人つなぎにして、その気持ちを短歌にする遊びを提案する……、とそんな流れだ。

 つまり、


「円城寺さん、一二三ちゃんの短歌褒めてたよ?」

「へぇ……。円城寺さん短歌、興味あるのかな」


 室内の会話には、糖度がぜんぜん足りない。ほんとはもっといちゃいちゃするハズなんだが……。

 いや、まあ、そもそも私が役目を果たせなかったことが問題なんだけど。

 第2話はいちゃいちゃ回なのに、私のせいでストーリーが変わってちゃったかなぁ……。

 ふたりの会話をよく聞こうと、ますますドアに体を寄せながら、ぺたりと耳をつける。


「あの……喩慧さん、何してるんですか?」

「大丈夫よ、貴女は気にしなくていいの、あるみ」


 あるみに向かってふふっと優美に微笑む。

 166センチの体を丸め、必死に盗み聞きにふけっている現状に優美も何もないが。

 大丈夫とは言ったが、それでもあるみちゃんは心配そうにこちらを見つめている。ごめんね……、貴女の憧れていた喩慧にこんな事やらせてしまって……。

 心の中で謝りながらも盗み聞きを続行するが、室内では特に会話はない。

 あるみちゃんは私を見おろしながら、うーんと唸って首を傾げてからゆっくりとしゃがんだ。

 膝を折って私と目線を合わせてから、真剣な顔をする。


「喩慧さんがやってること、真似しても良いですか?」

「……??」


 この子は何を言ってるんだ……。

 いやそもそも私が何やってんだって話だけど。

 しゃがんだあるみは私と膝を突き合わせる格好になると、ドアに耳を当てる。

 折れた膝がスカートの裾からのぞいて、姫カットの前髪の下から丸っこい目に光が宿っている。


「あの、あるみはやらなくてもいいのよ……?」

「いえ、喩慧さんがやってることは、なんでも真似してみたいんです」


 あるみは真剣な眼差しで私を見つめると、


「喩慧さんは私の憧れなんで」


 と小声で言い切った。

 ……めっちゃいい子じゃん。

 ちょっとアホの子っぽいけど、めちゃくちゃ可愛い……。

 私はこんないい子をモブ扱いしてたの?

 取り巻きのAなんて扱いにしてごめんね……。


「……あるみ、いい子ね」


 くすりと笑いかけると、あるみは恥ずかしそうに、そして嬉しそうに頷く、


「喩慧さんに褒めていただけるなんて、とっても光栄です!」


 ふふっ、と私が笑うと、あるみもえへへとハニカミながら笑った。

 ああ〜、かわいいぃぃ〜。

 小型犬的な可愛さ……。

 忠義溢れるちっちゃ可愛い女の子……。

 こんな取り巻きの子がいるとか、チート能力より全然嬉しい……。

 かわ、かわ……。


「何してんの?」


 開いたドアの向こうに、一二三が立っていた。






「あ、もしかして短歌興味あるの?」

「……ええ、そうですわ」


 しゃがんだまま、ふぁさっと髪をかきあげて、苦し紛れに誤魔化す。

 いや、短歌好きなのは嘘じゃないんだけどさ。さすがに盗聴してましたとは言えないよね……。


「ああ、やっぱり。さっき円城寺さんのこと、高橋さんと話してたんだよ」

「あら、そうなんですの?」

「うん、私の短歌、褒めてくれたんでしょ?」


 一二三は恥ずかしそうに笑いながら(かわいい)、しゃがむ私に手を差し伸べた(良い子)。

 その手に掴まり立ち上がると、そのまま私の手を引いて室内へ導いた。

 中にいた紗が私を不思議そうな顔で見ている。


「さっき話してた円城寺さん、短歌に興味あるんだって」

「そうなんだ、よろしくね」


 紗は朗らかに笑う。

 そのなんてことない笑顔に、作者である私には彼女の心中がわかってしまう。


「……もし良かったら、短歌部に入らない?」


 紗は変わらない笑顔で私に話しかける。

 しかし、私には、その笑顔を見ているのが居た堪れない。


「……あの、せっかくの申し出は嬉しいのですけど、今日は見学に来ただけですの」

「あー、そっか」


 彼女は心底残念という表情を見せ、肩を落として落胆する仕草をした。

 その表情にも仕草にも、私には彼女の心の内が見えてしまう。


「今から歌会だけど、参加していく?」

「……いえ、今日は様子を見に来ただけですので。これで失礼します」


 私は踵を返し早々に部室を後にする。

「え、待ってください」と言いながら、早足であるみが後を追いかけてくる。

 残ったふたりは、何しに来たんだろうかという表情で見ていることだろう。

 だけど。

 だけど私には、その場に留まることがどうしても出来なかった。

 紗のあの朗らかな笑顔。その内にある想いが感じ取れてしまっては、留まっっていることなど出来ようもなかった。

 だって、あの時の彼女の表情は、


(うう、一二三ちゃんとふたりっきりが良かったよう。でもそんなこと言えないし、顔に出しちゃったら失礼だよね。だから笑顔でいないと。わかってるけど、でもでもせっかくデート気分でいれたのに。いやでも一緒に短歌出来る子が増えて嬉しい。けどやっぱり一二三ちゃんとふたりが良かったなぁ……)


 という表情だった。

 ふたりっきりがいいけど、そんなことはまだ一二三には言えない。

 喩慧わたしたちにも失礼だからと頑張って作った笑顔。多少のぎこちなさも残さず自然な笑顔ができるのは、彼女が我慢することの多い人生を送ってきたからなのだ。

 作者である私には、そこまで紙背が読める!

 なんて可愛くていい子なのだ……!

 あんな表情をされたら、とてもあの場になんかいられない。

 あのふたりの邪魔なんてできないよ……!

 はー可愛い、好き。

 一二三も紗も、ふたりともめっちゃ好き……。

 自分の書いたキャラクターがこんなに可愛いなんて……。

 木製の廊下にパンプスを鳴らしながら、私は彼女たちを応援することを強く誓った。






 陽は傾き、オレンジ色の光がグラウンドを染めている。

 短歌部を後にしたままの流れで校舎を出ると、校門の前に夕陽に黒光りする高級感のある車が停車している。円城寺家の迎えの車だ。


「あ、もう来てますよ」

「……ええ」


 校舎のエントランスから校門までの僅かな舗装路を、背の低いあるみと並んで歩く。私が166センチで、あるみが多分150センチ無いんじゃないかな。

 私は黙ったまま、先程の紗の表情を思い出す。紗らしい、朗らかな笑顔。そしてその内にあったであろう複雑で優しい想い。

 なんとかしてあげたいと思うのは、紗の魅力ゆえだろうか。


「……あるみ、話したい事があるの。今日は一緒に乗っていって貰えるかしら?」

「え、はい……良いですけど」


 すこし驚いた様子を見せてから、あるみは了承してくれた。

 ちょっと待ってねと断ってから、車のドアをあけ運転士である侍女に尋ねる。

「今日は彼女と一緒に帰りたいのだけど、先に彼女を送ってもらえるかしら?」と、確認すると、侍女も随分驚いた様子で了承した。振り返ると、あるみも同様に驚いている様子。

 さっきからなんで驚かれてるの?


「珍しいですね、私に話があるなんて……」

「……そうかしら?」

「メイドさんに許可を取るのも、なんだか喩慧さんっぽくないっていうか……」


 あー、そういうことか。

 確かに喩慧ってそういうことしないタイプだよね。実質二人分の記憶が乗ってるんだから、多少人格が変わっても仕方ない。

 まあ、礼儀正しくなる分には構わないでしょ。


「そうね、少しだけ心境の変化があってね」

「……そうなんですか」


 私の言葉に、あるみは納得しかねた様子だった。

 ふたりで後部座席に乗り込むと、あるみは侍女におおよその家の場所をつたえる。

 ゆっくりと車は発進し、窓の外の景色が流れ始める。

 流れる景色を見るとはなしに見ながら、

「それで」と切り出す。

 あるみは居住まいを正した。


「私はね、あの二人を応援しようと思うの」

「……ええっと?」

「紗は、一二三のことが好きみたい」


 あるみは息を飲んだかと思うと、徐々に顔を赤くしていく。


「そーなんですか!?」

「ええ、間違いないわ」


 私がそう書いたからね。

 あるみは顔を真っ赤にしたまま、「ふぇぇ」と言いながら隣に座る私に視線を向けている。かわいい。


「だから、私は二人のことを応援しようと思うのだけど」

「そーですねそーですね!それがいいと思います!」


 ぶんぶんと頭を上下に振って、食い気味に同意するあるみ。

 その勢いに少し笑ってしまう。


「……よかったらあるみも協力してくれる?」

「はい、はい!もちろんです!」


 うむ、重畳重畳。協力者は多いほうがいい。

 私は微笑んで「これで私からしたかった話はおしまい」と告げる。

 車は丁度学校のある通りから大通りに入るところで、赤信号で止まっている。

 窓の外に視線を移そうとしたところで、あるみが私に話しかけた。


「喩慧さん、なんか良いですね!」


 彼女の言葉の意図がつかめず、頭にハテナマークを浮かべていると、彼女は言葉を続けた。


「今の喩慧さん、なんか、好きです……!」


 あるみは屈託なく笑う。

 うーん、やっぱりこの子も可愛いなぁ……。



 * * *



 数年前に建て替えられたばかり近代的な駅舎。構内の柱にかけられた時計は朝の8時50分を指している。

 私は駅の中央改札を、構内の柱の陰から眺めている。

 今日6月17日の日曜日は、第3話の日だ。

 第3話はデート回。散歩などをしながら目についたもので短歌を詠む吟行ぎんこうという活動をする、という建前でデートをする回になっている。

 ただ、私の書いた小説の中では、デートの当日は雨が降り、結局お家デートになるという内容だったはずだが、今日の天気は快晴。うーん……。

 仕方なく本来の待ち合わせ場所であった駅の改札前で、ふたりが出てくるのを待っていた。

 もちろん、ふたりのデートを陰ながら応援するためだ。決して野次馬根性で見にきたわけではない。

 今日こそはふたりの仲を進展させねば……!

 待ち合わせの時間は9時からなので、もう間もなく来るはずだが、意外と人が多い。

 改札から出てくる人間を見張っているが、これだけの人がいると見逃しそう……。

 柱の陰から体を出して、少しだけ改札に近づく。

 万が一にも一二三か紗に見つかってはならないと柱の陰にいたけれど、こんだけ人がいれば平気でしょ。見逃すリスクのが高そう。

 こそこそと人の波に紛れて改札に近づくと、ひとりの少女とぶつかりそうになった。


「あれ、円城寺さん?」

「……!?」


 ……早速、フラグを回収してしまった。

 一二三は不思議そうな顔で私を見上げている。

 黒のショルダーバッグと藍錆色のキャスケット。ラフで可愛い印象のお出かけスタイル。私服も素敵ですね……!


「円城寺さんもお出かけですか?偶然ですね」

「ええ、ちょっとあるみと……」

「そうなんですね」


 一二三は爽やかに笑いかける。

 普段はあまり笑うほうではなかったはずだが……なんか私に対する好感度高くない?短歌を褒めたから?

 紗に対する好感度に比べればまだ低いとは思うけど、まさか私との間にフラグが立っても困る。


「そういえば、高橋さん見ませんでした?今日は私も彼女と予定があって……」

「いえ、生憎ですが……」


 高橋さん、という呼び方が若干気にかかってしまう。

 私の書いた小説では第2話で名前呼びに変わったはずだが、こちらではまだ苗字にさん付けの呼び方が変わっていない。

 私としては違和感がすごい。


「そだ。円城寺さん、短歌好きでしたよね」

「……ええ、そうですけど」


 嘘ではない。喩慧は別に短歌好きの設定ではないが、私が短歌が好きなので。

 まあ喩慧に短歌好きの設定くらい追加してもなんとかなるだろう。


「今日は短歌部の吟行歌会で来たんですけど、用事が終わった後にでも一緒にやりませんか?」

「え」


 やっぱり、私に対する好感度がかなり高そう。

 あるいは単純に短歌が楽しくて、紗以外の人とも歌会をやってみたいだけ?


「い、いえ。生憎と私も忙しい身でして」

「あー、まあそうですよね」


 一二三は少しだけ残念そうな顔をする。まさか監視、もとい応援する相手のデートに同行するわけにはいかない。

 さっさと彼女から離れようと考えていると、また改札から人が流れてくる。また電車が到着したらしい。

 二人で改札から離れ、人の流れが少ないところに避難しようとしたところ、


「一二三ちゃんと、円城寺さん?」

「……ん!?」

「あ、高橋さん」


 高橋紗が近づいてくる。

 紗は白い無地のティーシャツに黒のマキシ丈のフレアスカート。

 避暑地のお嬢様のような格好は彼女によく似合っており、確か小説のお家デートでも同じ格好をしていたはずだ。


「……円城寺さん、どうしたの?」


 いつもの爽やかな笑顔。

 しかしこの笑顔には、作者としての行間を読んでしまう。

 これは……嫉妬!


(どうして一二三ちゃんが円城寺さんと一緒にいるの?今日は私とデートのはずだよね?いや正確にはデートじゃないけどさ。でも私、結構楽しみにしてたんだけどな。一二三ちゃんはそんなことなかったのかな……。円城寺さんと一緒でもいいのかな……)


 ああ、わかってしまう!

 彼女の表情から、彼女の心の内が!

 可愛い!

 嫉妬する紗、可愛い!


「円城寺さんも短歌好きだから一緒に行こうって誘ったんだけど、断られちゃった」

「……そっか、残念だね」


 紗は苦笑する。

 ……やっぱり可愛い!

 ついて来られなくてよかったという安堵感と、一二三が誘っていたという事実に対する嫉妬と、それを顔に出さないよう表面上では残念な感情をださなければという見栄と、でもあまりに残念そうにするともしかしたら気が変わってついて来られちゃったら困るからほどほどの残念感にとどめなくてはという計算高さと、そんな計算高さに自己嫌悪に陥ってしまいそうになる性格の良さ!

 あーーー、可愛いよう……。

 この紗とかいう子ほんといい子だし可愛い……。

 この世界での生みの親と小説の世界の生みの親(私)に感謝したい。

 はぁーーー、好き。

 この子のためにも、ふたりを絶対にくっつけてみせる……!






 窓際の席で、木製の四角いテーブルをあるみと二人で挟んで座っている。店内は広々と作られており、隣席との間隔は随分と広くて居心地がいい。

 大きな窓から十分な採光はあるが、吊られている電球色の灯りが周囲に暖かな印象を与えている。


「紅茶、おかわり頼んでいいですか?」

「私のも頼んでくれる?」


 あるみは無言で敬礼する。「了解」ってことなのかな?

 一二三と紗の二人が合流したあと、私は早々に退散しあるみと合流して二人の後を尾行している。

 二人は昼食をとったあと現在は、駅前のシネコンに入っている。

 なんの映画を見ているかはわからなかったが、私とあるみはふたりが出てくるのを喫茶店で待っていた。

 まだ入ったばかりなので、あと二時間は出て来ないだろう。

 しばしの間は、私もあるみとのデートを楽しむことになる。


「喩慧さん、このパンケーキもいいですか?」

「あとこっちのほうじ茶シフォンも頼んでおいて」


 はーいと言って、あるみは呼び出しボタンを押すと、飛んできた店員に注文している。今日は私から誘ったため私の奢り。なので、あるみはやや遠慮しつつも好きなものを注文している。

 高校生が自由に注文するにはやや高い値段設定だが、こっちは実家が金持ちというスキルを有しているのだ。転生した時はチート能力の一つでも寄越せやと思ったけど、この抜群の容姿と金持ちの実家というのはこの世界ではチートみたいなものだから許した。

 何語かもよくわからない歌詞のついたBPMの低い音楽がかかる店内で、あるみと二人どうということのない会話を楽しむ。


「喩慧さんって紗さん嫌ってましたよね?」

「んー前は嫉妬してたかもね。でも今は純粋にいい子だと思ってるし、普通に好きかな」


 あるみは首を傾げて、不思議そうに目を丸くする。


「……それも心境の変化なんですか?」

「そうね。ある時を境に、盲が啓いたとでも言うのかしら?」


 あるみは前のめりになり、興味深そうに目を輝かせる。


「じゃあ、私のことはどうですか?ちょっとは変わりました?」

「あるみは前よりも随分可愛く見えるわ」


 あるみは上目遣いで、嬉しそうに頬を朱に染める。


「た、例えば……?」

「小型犬みたいなところとか」

「小型犬……??」


 あるみは考え込むように首を傾げて腕を組む。ころころと変わる表情、いちいち可愛い……。

 悩む姿を見てによによしていると、彼女は私の視線に気付く。


「もー、笑わないでくださいよ」

「あら、ごめんなさい。可愛くてついね」


 むー、と唸りながら、あるみは口を尖らせる。


「可愛いなんて言われたら怒れないじゃないですか」

「だって、本当のことですわ」


 私が微笑むと、あるみは顔を赤くして俯いてしまった。


「その、喩慧さんも……可愛い、ですよ?」


 ひとことずつ、躊躇うように口にする彼女が可愛くて、私の頬はまた緩んでしまう。あー、もう、かわいいなぁ……!






 結局その日、一二三と紗の間には大きな進展はなかったらしい。映画をみたあとは、そのままシネコンの前で別れ、それぞれ帰路についていた。後で聞くと、その翌日に歌会をやろうと決めて別れたらしい。

 なんだか、色々と嫌な予感がする……。

 もともと第3話から大きく物語が展開し、第4話で最終回という構成になっている。

 その第3話でストーリーに進展がないとすると、ちょっと色々マズイかもしれない。

 少なくとも、私の書いた物語のレールにはもはや乗ってはいない。ストーリーは、私の知らない方向へと進んでいる。

 うーん、どうしよう……。

 私としてはなんとしてでも彼女たちをくっつけたい。

 日々なんとかせねばと考えてはいるのだが、いまだに次の行動が取れずにいた。


「喩慧さん、帰ります?」

「……ええ、そうしましょうか」


 ショートホームルームが終わり、本日も放課後を迎える。窓から見える空模様は曇っておりやや湿っぽいが、雨は降っておらず涼しくて過ごしやすい。

 今日は短歌部の活動のない火曜日なので、一二三は紗に軽く手を振るとなにも言わずに帰っていった。

 私もあるみに声をかけられ、今日は帰って次のプランを考えねばと帰り支度を始める。


「円城寺さん」


 私にそう声をかけたのは高橋紗。

 いつかの私服も可愛かったけど、見慣れた制服姿もやはり素敵だった。


「なにかしら?」

「このあと、少しいい?」


 彼女の顔があまりに真剣で、どこか悲壮感を滲ませているものだから、私の方が心配になってしまう。

「ええ、もちろん」と言ってできるだけ朗らかに笑う。あまり刺激しないように。


「ごめんね、あるみ。先に帰ってくれる?」

「私も一緒じゃダメですか?」


 ちらりと紗の顔を伺うと、困ったように首を横に振る。とても絵になる仕草だった。


「ごめんね」

「……それなら、終わるまで待ってますよ」


 いいですか?と彼女が首をかしげるので、私は苦笑しながら了承した。本当に忠義に篤い小型犬だ。


「じゃあ、終わったら連絡くださいね」


 そういって教室を後にしたあるみを見送って、私は紗に向き直る。


「で、なにかしら?」

「とりあえず、部室に行っていい?」


 私が首肯すると、彼女は動き出した。後に続いて、ゆっくりと文化部の部室棟に向かった。






 私の書いた小説には、もちろんこんなシーンは存在しない。

 喩慧は本当にただの悪役で、物語を通してわずかなシーンでしか出番がない。

 紗から呼び出されたのは、完全に私の考慮から外れている。


「あのね……」

「どうしたのかしら?」


 できるだけ笑顔で、と思ったが、そうするたびに彼女の顔がこわばっていく気がする。うむむ。

 少し前までは完全に彼女の思考が読めたが、今は全く読めないぞ……。


「円城寺さんは……その……」


 言いづらそうに口ごもるので、私は首肯して続きを促した。


「……私のことは、嫌い?」

「!?」


 おお、びっくりした……。

 いきなりそんなことを聞かれるなんて、もうちょっと可愛い質問かと思ってたから驚いた。


「んん……、そうね。少し前までは貴女に嫉妬することも多かったけど、今はむしろ好きよ」


 まだ私の中に喩慧しかいなかった頃は紗に嫉妬していたけれど、今はむしろ応援するくらい好きなのだが……。

 私の言葉に、何だか紗は今にも泣きだしそうな表情をしている。その顔は、あまりにも可哀想で見ていられない。


「どうしたの、私何かしてしまったかしら……?」

「ううん、違うの!やっぱりいい、ごめん!」


 出て行こうと、私の横を足早に通り抜けようとする彼女の手首を捕まえる。

 彼女の勢いに引かれ、くるんとその場で半回転してから座り込むと、彼女も同じように座り込んだ。

 俯いていて表情は見えないが、泣いているようにも見える。気丈な彼女をここまで追い詰めるものは、一つしかないだろう。


「……三浜さんのことかしら」


 無言のまま、彼女は首肯する。

 どうしようかと途方に暮れていると、彼女は私に問う。


「……日曜日、一緒にいた?」

「いいえ、偶然駅で会っただけ」

「……そうだよね」

「どういうことかしら?」


 彼女は懺悔するように吐き出す。


「あの日、一二三ちゃんが、円城寺さんのことを楽しそうに話してたの。それが、何だか悔しくて、悲しくて……」

「……ええ」

「でも、一二三ちゃんへの気持ちは、どうしても諦められなくて……」


 膝立ちになって彼女に近づいて、落ち着かせようと彼女の頭を抱えるように抱きしめた。

 泣きじゃくる少女は、苦手。私は幸せな百合が好きなのだ。

 余りにも可愛くていい子すぎるのだけど、流石に泣く子を前にしてはテンションも上がらない。

 腕の中で泣きじゃくる少女に、私はゆっくりと語りかける。


「私は、貴女が三浜さんのことを特別に想っている事に気付いていたわ」

「……そうなの?」

「私は、貴女達を応援したかったから、こっそり後をつけてしまったの、ごめんなさい」


 腕の中で彼女は顔を上げる。

 涙を溜めながら、目も頬も鼻も赤い顔。

 年相応の幼さの残る素敵な顔。


「ええ、私は貴女のことが大好きだから、応援したかったの」

「……うん」


 彼女は泣き止み、私の胸に頭を埋める。


「わかった、ありがとう……それと、ごめんなさい」


 胸に顔を当てているせいで、ややくぐもったように謝罪の言葉が聞こえる。

 ……可愛い!!

 嫉妬しちゃう紗、めっちゃ可愛いぃ。

 もう泣き止んだから、テンション上げていいよね!!??

 てゆーか可愛いすぎか?

 一二三のこと好きすぎるでしょ!!!

 ああ、最高……。


「ありがとね、喩慧ちゃん……」

「応援しているわ、紗」


 ああー!!

 ゆえちゃん!!!???

 最高か??

 このタイミングで名前呼びかぁ!?

 あーもうだめ。

 好きすぎる。

 絶対に、意地でも、応援するんだからねっっ!!


「……あの、何してるんです?」


 入り口の方から声が聞こえ目をやると、あるみが呆然とした様子で立っている。

 あるみになら話しても良いかと口を開いたが、紗が首を振ったので止めておいた。


「なんでもないわ」


 そういって意味深に微笑む。

 私と紗が笑いあうと、あるみは不満そうにしていた。



 * * *



「一二三ちゃん、おはよう!」

「おはよう……?」

「今日は、えーと、なんか、か、可愛いね!」

「そう?いつもと一緒だけど」

「そうだよ!制服とか、似合ってるよ!」

「……高橋さん、何かあった?」


 朝の教室内。ショートホームルーム前の時間は、常と何も変わらない。いつも通りの匂い。いつも通りの景色。いつも通りの人間たち。

 この空間で現在最も異質のものといえば、残念ながら高橋紗だ。


「一二三ちゃんは、えっと、その……、か、顔も良いよね……」

「ええと……」

「高橋さん、ちょっと良いかしら」


 困惑して、若干引いている一二三をよそに、私は彼女の手首を掴んで教室を退出する。後ろであるみが「喩慧さん?」と疑問符交じりに問いかけたが、聞こえないふりをして足を早める。

 教室を出てから廊下の端まで彼女を連れて行くと、手を離して顔を近づける。


「……だめだった?」

「ええ、不自然すぎて三浜さんは困っていたみたい」


 私がはっきりと伝えると、彼女は目を伏せて「んんん……」と唸る。落ち込んでいるのだろうか。

 彼女が私を部室に呼び出した日。彼女が泣いてしまったあのあと、泣き止んだ彼女は私に言った。


『これからは、もっと積極的にするから……。ダメなところがあったら教えてね』


 力強いその言葉に、私は安堵して改めて二人を応援することを約束した。

 一時期はどうなることかと思ったがこれで一安心だなぁ、などと思っていたらこれである。


「とりあえず、お昼の約束でもしたらいいんじゃないかしら。短歌の話題を出せば、結構食いつきがいいのではないかしら」


 私のアドバイスに、こくこくと真剣な面持ちで首肯する紗。

 素直だし、真面目だし、性格も良いし、顔もいいし、私が一二三だったら部活以外でも仲良くなりたいと思うけどなぁ……。

 じゃあ戻ろうか、と声をかけ、ふたりで教室に戻る。

 教室内では、不思議な様子でこちらを見ている一二三と、同じく首を傾げているあるみが見えた。

 さあ、と紗の背中を軽く押す。

 紗は覚悟を決めたように窓際後方の一二三の座席に向かって歩き出す。


「一二三ちゃん?」

「どうしたの?」

「今日のお昼ご飯、どうするの?」

「パンを買ってきたけど……?」

「……なにパン?」

「バターロールだけど……それが?」

「……そーなんだ」

「うん」

「……へぇ」

「……」

「高橋さん?ちょっといいかしら?」


 つい強めの語調になってしまいながら、私は再度紗の手首を掴むと、先ほどと同じように教室を抜け出す。

 先程と同じ廊下の端で、またしても彼女と額を付き合わせる。


「紗、何をしているのかしら?」

「なんか想定通りに行かなくて……」

「緊張するのはわかるけれどね……」

「ごめんね、今度はうまくやるから」


 もうホームルームまで時間がない。

 さあさあと、彼女の背中に手を当てながら再び教室に戻ると、入ってすぐのところに一二三が呆れたような顔をして立っている。


「あのさ、さっきから二人でなにをやってるの?」

「あ、や、その……ごめん」

「……なんか朝から変だし」


 僅かに怒気をはらんだ一二三の声音に、紗はたじろいでしまう。

 うう、どうしてこんなことに……。


「ごめんね、ちょっと喩慧ちゃんに相談してて……」


 喩慧ちゃん、と紗が口にした時に少しだけ一二三の顔が曇った気がした。


「ふたりで何かやるのは良いけど、巻き込まないで。言いたいことがあるならはっきり言って」


 冷たく言い放って、踵を返す一二三。

 声色はいつも通り淡々としていたが、明らかに不快感を帯びている。

 まずい……。怒らせてしまった……。あまり感情を出す性格ではないはずなので、これは本当に怒っているらしい。


「ごめんなさい……」


 紗が小声で謝るが、彼女の言葉は一二三には届いていないだろう。

 紗は思いつめたような表情をしている。


「ごめんなさい、紗。三浜さんを怒らせてしまって……」

「ううん、私が頼んだことだから、喩慧ちゃんは謝らないで」


 紗は悲しそうに笑うと、ホームルーム前の予鈴が鳴った。

 紗は軽く手を振って窓際前方の席に戻っていく。

 私も小さくため息をついて、自席に戻る。

 ……ああ、やってしまったなぁ。

 私が席に着くと、隣席のあるみはつまらなそうにスマホをいじっている。


「あるみ、どうすればいいかしら……」

「知りません。二人で解決したらいいんじゃないですか?」


 仲よさそうですし、と末尾に付け加える。

 あるみはなにやら不満そうにもにょもにょと言っていたが、聞き返す前にホームルームが始まってしまう。

 あんなに忠義深かった小型犬にすら呆れられてしまうのかと思うと、切なさが込み上げた。






 授業も聞かずに考えあぐねた結果、お昼休みの時間になっても良い策は何一つ浮かばなかった。

 ため息をつきながらお弁当を一人でつつく。いつもはあるみが向かいに座っているのだけど、今日は隣の席から動こうとせず、黙ってスマホを操作している。

 どうにも朝から機嫌が悪い。何かをした覚えもないが……。


「円城寺さん」


 声をかけたのはあるみではなく、一二三。

 細い指を私の机に乗せる。


「ご飯が終わったら、少し話せますか?」


 シンプルにそれだけ告げると、私の答えを待っている。少し離れた席で、紗が何度かこちらを見ながら様子を伺っている。

 少し見上げると、薄い下唇が目に入る。涼しげな表情はいつもと変わらない。


「ええ、いいけど……」


 私が応じると、彼女は「屋上にいます」とだけ言って去っていった。

 切れ長の瞳の奥でなにを考えているのか、見当もつかなかった。






 無論、この学校の屋上は生徒が自由に出入りできる。何故なら私がそう設定したからだ。

 お昼時に人気が無いのは天気のせいだろうか。朝から出ていた雲はますます厚く黒くなり、降っていないのが不思議なくらい。


「降りそうですね」

「ええ、そうね」


 一二三は少し離れたところに立っている。セミロングくらいの黒い髪を風に遊ばせて、黒い雲が流れている様子を憂いの表情で見上げる。そんなアンニュイな雰囲気が、一二三の魅力をより引き立てているようでもある。

 空を見上げたまま私を見ようとしない一二三は、理知的で合理主義な彼女らしくないように思えた。

 何かを恐れるように、見上げたまま彼女は尋ねる。


「高橋さんと、何かありました?」

「……ええ」


 おや?何を聞くかと思えば、紗のこと?


「高橋さんと仲良くなったんですね。前はそうでもなかったと思いますけど」

「ええ、ちょっときっかけがあって」


 一二三のことで、彼女と仲良くなったとは流石に言えない。それにしても、わざわざそんなことを聞くために呼び出したとは思えない。

 しかし、今日の彼女は随分と遠回りが好きみたい。


「……高橋さんと円城寺さんは、スタイルもいいし、クラスでも目立つし、なんか近い感じしますね」

「うーん、そうかしら?」


 やっと、彼女は視線を下ろし私を見る。

 相変わらず、表情はどこか憂いを帯びている。


「朝、高橋さんとなにを話していたんですか?」

「……それは、言えませんわ」


 言えない。私が言ってしまっては意味がないだろう。

 お手伝いはするけれど、ふたりのハッピーエンドは、ふたりの手で手繰り寄せて欲しい。


「不快にしてしまった事は謝ります。ですが、決して貴女を害しようとしたわけではありませんわ」

「……ふーん」


 納得したのかしていないのか、一二三は目線を逸らして曖昧に相槌を打つ。


「それが、三浜さんの聞きたかった事ですの?」

「……いいえ、違います」


 では、なにを?と尋ねようとすると、一二三が目線を逸らしたまま先に口を開いた。


「高橋さんとは、どんな関係なんですか?」

「……普通の友人ですわ」

「……そうですか」


 そう呟いた彼女の顔には、わかりにくいが安堵の色が浮かんでいる。

 そういうことか……。

 ふふふ、これは思いの外上手くいっていたということかもしれない。

 これは少し、挑発してみても良いかもしれない。


「でも、紗はいい子ですわね」


 私が紗と呼ぶと、一二三は一瞬身体をびくりと震わせた。


「……もしかしたら、好きになってしまうかもしれません」


 伏し目がちに一二三から目を逸らし、風に遊ばせるように髪をかきあげる。

 意味深な微笑みを浮かべれば、完璧に恋敵キャラになりきった。

 これは、かなり絵になってるんじゃないかな?


「もし……」

「ダメぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 ……なんか、あるみが飛び出してきたんだけど。



 * * *



「ダメですダメです!!絶対にダメです!!!!」


 屋上から校舎屋内に続くドアから勢いよく飛び出してきたあるみは、その勢いのまま私の肩を掴んで前後に揺らす。


「喩慧さんには私がいるじゃないですか!!私のことはどうでも良いんですか!?」

「ちょっと、あるみ、落ち着いて……」

「落ち着いて!??どの口が言うんですか!!私のことは遊びだったんですか!!?」

「何を言ってるの……」


 勢いをつけて訳の分からない主張を繰り返すあるみは、やっと前後の揺さぶりを止めてくれた。

 と思うと、私を見つめながら両目いっぱいに涙を溜めている。


「喩慧さん、私のこと好きって言ってましたよね……?私のこと、可愛くて、大好きだよ……って」

「言ったかしら……?」


 記憶を巻き戻す。

 前世も含めて巻き戻したが、どうしても思い出せない……。

 可愛いは言ったけど、大好きはたぶん言ってない。


「私の気持ち、どうしてくれるんですか……?」


 あるみは祈るように眼で私を見上げる。

 くっ……かわいい……!


「私と付き合ってくれるって、言いましたよね……?」


 それは、絶対に言ってない……!

 しかし、あるみの潤んだ目での上目遣いに、私の心はとろとろに溶け出している。

 ああ……、かわいいぃぃぃ……!

 なんでこんなにかわいいの……?

 円城寺喩慧の物語では、彼女は立派なヒロインだ……!

 こんなに可愛い子を不幸にするなんて、絶対に出来ない……!


「ええ、確かに言ったわね……」

「!」

「あるみ、私とお付き合い、してくれるかしら」

「……はい!」


 私は両腕で、強くあるみを抱きしめる。

 今にもこぼれそうなほどに涙を両目に溜めたあるみは、私の胸に額をくっつける。

 私も同じように、彼女の肩の横から両手を背中に回し、強く、強く抱きしめた。


「喩慧さん、大好きです……!」

「私もよ、あるみ」


 抱き合いながら二人、愛を囁き合う。

 彼女のつむじのあたりの匂いが、私を多幸感で満たしてくれているような感じがした。


「……一二三ちゃん」


 抱き合っている私たちをよそに、屋内からもう一人、高橋紗が出てきた。

 紗は一二三の名前を呼びながら、一二三のそばに寄っていく。


「紗?」


 一二三が彼女の名前を呼ぶ。呼んだ。

 あれ?いま名前で呼んだよね??

 ちょっと、あるみを抱きしめながらだと、詳しくはわからないけど、なんだか紗が震えてるみたい。


「……やっと、名前で呼んでくれたね」


 紗の震える声が、ここまで聞こえた。

 あぁー、あるみの髪いい匂いする……。


「……もっと、紗のこと知りたい」

「うん……、私も一二三ちゃんのこと、もっと知りたいな」


 すんすんと鼻をうごしながら、あるみの髪の匂いを嗅いでいると、頭の下から「あんまり嗅がないでください、恥ずかしいです……」という抗議の声があがった。かわいい。

 私は嗅ぐのをやめるかわりに、一層腕に力を入れた。

 暖かで心地の良い感覚が、心の中に広がる。

 このまま溶け合って、彼女とひとつになっていく妄想が頭の中を支配した。


「……その、一二三ちゃん」

「うん」

「私もふみちゃん、て呼んでいい?」

「……うん、いいよ」


 離れたふたりは恥ずかしそうに俯いてるみたい。

 それはまるで、お互いの呼び方を変えた原作の第2話のシーンを再現しているようだった。





 放課後、部活動の時間。私は文化部部室棟一階の端っこの部屋にいた。


 詠み手:三浜一二三

「こんな日は肉球熱くないですか」隣を歩くヒトが尋ねる


『夏のアスファルトを猫と人が一緒に歩いているのを猫視点で捉えているのでしょうか。猫に丁寧語を使う「ヒト」が可愛いですね。 8点』(高橋紗)

『猫から見た人間をカタカナのヒトと表現するのは面白いですけどもう少し捻りたい。「ニンゲンが言う」くらいの方が好みです。 6点』(円城寺喩慧)

『猫は可愛いと思った。 9点』(東あるみ)

 」


 短歌部の部室にて、私は本日の歌会の報告書をまとめていた。

 結局、私は短歌部に所属する事にした。可愛い愛娘ふたりに頼まれてしまっては、断る事は出来なかった。まあ、短歌は好きだしね。


「なんかこれ、私だけバカみたいじゃないですか?」


 隣のパイプ椅子に座り、長机に肘をついて報告書を覗き込んでいたあるみが批難の声を上げる。


「……そうかしら?」

「そうですよ!」

「でも、あるみらしくて可愛いと思うけど……」


 私がそう言うと、あるみは「んんー」と唸りながら身体をもぞもぞとくねらせる。

 頬を真っ赤に染めながら、いやぁ、とか、そのぉ、とか、嬉しいですけどぉ、とかぶつぶつと呟いていた。かわいい。

 あまりの可愛さに、つい吐息が漏れてしまう。


「あるみって、本当にかわいい」


 私が微笑むと、あるみはますます身体をくねらせながら、もぅ、とか、すきぃ、とか、喩慧さんの方がかわいぃ、とか呟いている。


「あの、いちゃついてないで早く書いて貰えます?このあともまだ活動あるんで」


 若干イラついた様子で、長机の向かいに座る一二三が急かした。隣の紗は困ったように笑っている。ごめんね。

 あるみは一二三のセリフをさほど気にした様子もなく、さらりと言ってのける。


「そんなに羨ましいなら、一二三ちゃんも好きな人といちゃいちゃすればいいのに」

「私と紗はそういう仲じゃないから……!」


 普段はあまり感情を表に出さない一二三だが、珍しく顔を赤くして否定している。

 あるみは「別に紗ちゃんのことだなんて言ってないけどねー」と楽しそうににやにやと笑っている。

 一二三の隣では紗が顔を赤くして、困り顔で苦笑いを浮かべて頬をかいていた。


「……その、私はふみちゃんと、いちゃいちゃしたい、かな」

「そういうのは、付き合ってから……!」


 紗と一二三は、まだ付き合ってはいないらしい。

 お互いに想いは同じだろうけど、なかなか最後のきっかけをつかめずにいるようだ。

 このもどかしい関係を眺めているのは、なかなか楽しくもあるのでもう少し見ていたいところではあるが。


「はやく付き合えばいいのに」

「準備と順序があるの……!」


 あるみの言葉を、一二三は意地になって否定している。

 まあ、ふたりの関係はふたりにお任せしよう。


「あるみ?」

「あ、はい。なんですか喩慧さん?」


 私には、この可愛い恋人がいるから。


「ふたりのことよりも、今は私といちゃいちゃして欲しいわ」

「は、はい!喩慧さん!」


 あるみは立ち上がると、パイプ椅子にかける私の頭を抱きしめた。

 いまは二人のことよりも、この可愛い小型犬の恋人を大切にしたいと思うのだ。

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私が書いた百合小説の世界に転生したけどヒロイン達が可愛すぎるっ! @yu__ss

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