第四章 夢想と現実


 キィーー……  キィーー……


 暗い廊下に木の車輪が回る音が響く。普段は自分の足と一緒にローブスカートの裾で覆い隠しているが、サーシャの椅子の両脇には移動用の大きな車輪が付いていた。手慣れた様子で細い両腕を添えて上半身の力を込めると、椅子はゆっくりと廊下を移動していく。


 シリウスは椅子の背もたれに取っ手のようなものが付いているのに気づき、手を添えると静かに前に押した。車椅子の負荷が軽くなった事に気づいたサーシャが振り返ろうとすると、平衡が崩れて横に倒れそうになった。ルカが慌てて両手で押し戻す。


「ありがとう、シリウスにルカだったわね 」


 サーシャが初めて微かな笑顔を二人に向ける。シリウスは気まずそうに視線を逸らしながら言った。


「すまない、お嬢さん。バスラの兄貴は人の気持ちが解らないんだ…… 」


「私はサーシャよ。あなたたちは、あの人たちとは違うみたいね。どうして盗賊の仲間なんかになったの? 」


 シリウスは重い口を開いた。七年前のあの戦争で両親を亡くし、身よりもなく浮浪児として街角で暮らしていたこと。同じ境遇だったルカとの出会い。そして盗賊ヴェレーノに拾われ、生きる為に彼らの下働きのようなことをしている現在。


「そう……。あなたたちもあの戦争の犠牲者だったのね…… 」


 廊下で話し込んでいた事に気づいた三人は目の前の扉の無いアーチをくぐり、真っ暗な部屋に入った。



「アリュマージュ 」


 サーシャがヒイラギの杖を振ると中央のシャンデリアが一斉に点灯する。そこは幾つかの書架を具えた小さな書斎だった。


「わぁ、すごい! さっきもそうやったんだね。俺らおいら魔法を見るのは初めてだよ 」


「うふ……、でもこんな事ぐらいしかできないのよ 」


 ルカが子供らしく無邪気に目を輝かせる様子にサーシャは笑みを漏らし、それから少し寂しそうに付け加えた。


「物語の魔女みたいに箒に乗って空を飛んだりできたら、どんなにか素晴らしいでしょうねえ…… 」


 シリウスとルカはサーシャの椅子の足元の床に直に座り込んだ。ルカが申し訳なさそうに口を切る。


「ごめんよサーシャ。庭の木を登って、屋根裏部屋の窓から忍び込んだのは俺らおいらなんだ。それから下の部屋の鍵を開けて……。ヴェレーノには無理だったって言えば良かったなぁ…… 」


「まあ、この嵐の中を二階の大屋根から? ずいぶん身軽なのね 」


 心底驚いた様子のサーシャに、ルカは少し照れて返した。


「エヘヘ、それだけが取り柄なんだ。あ、だけどシリウスはもっとスゴイんだよ。剣だって使えるし……」


 それまで黙って周囲の書棚を眺めていたシリウスが、ルカの言葉をあわてて遮る。


「ルカ、その話は……! 」「あ、そうか。ごめんシリウス 」


「……? 」


 二人のやり取りに怪訝な様子のサーシャに、シリウスは観念したように話し始めた。


「実は、僕の父親は普通の市民じゃなくて騎士団付きの剣士だったんだよ。サーシャのご両親みたいな英雄じゃ無いけど、やっぱりあの戦争で街を守って死んだんだ…… 」


「そうだったの…… 」


 サーシャは自分と同じ境遇のシリウスに深い共感を覚えた。


「小さい頃から父さんに手ほどきを受けていたから、剣は一通り扱える。でもヴェレーノ達にはそれを知られたく無いんだ 」


「そうね、あの人達ならきっとその腕前を悪い事に使おうとするものね…… 」


 それから三人は今まさに隣の部屋で起きている由々しい出来事を忘れたかのように、昔なじみの友人のように、打ち解けて語り合った。


「君の足は……、やっぱり戦争で? 」


「いいえ、幼い頃にそこの丘から落ちて…… 」


 言いにくそうに問いかけたシリウスだが、サーシャはもう気に留める様子も無くあっさりと答えた。


「もちろん全て自分のせいだったんだけど、お父様もお母様も事故の責任を感じて本当に大事に育てて下さったわ。気にし過ぎなぐらいね、この家も私が暮らしやすいように部屋の扉を無くしたり…… 」


 サーシャの言葉に思わずルカが膝を叩いた。


「あ、そうか! さっきの部屋、南側の壁がそっくり大きな掃き出し窓になってるのもサーシャの為なんだね。あそこから外に出られるんだ 」


「ええ。でも車椅子で外に出ても仕方が無いわ。遠くに行けるわけでもないし、ただ庭を眺める為だけの窓なのよ…… 」


 シリウスが立ち上がり、ゆっくりと周りの書棚を見渡して歩く。


「冒険の本ばかりだね……。旅に興味があるの? 」


 突然心を見透かされたような質問に、サーシャはちょっと言葉を詰まらせた。


「こ、子供の頃からこの家の周りしか見た事が無かったから……。でも結局、私にはこの部屋で色々想像を巡らせる事しか出来ないもの…… 」


 シリウスは無作為に手に取った本をパラパラとめくりながら、一人言のように呟いた。


「そうかな……。この町にも冒険者ギルドはあるし協力してくれる仲間さえ居ればサーシャだって。冒険は無理でもちょっとした旅ぐらいなら…… 」


 様々な職種の統括を行うギルドの中でも、冒険者ギルドは諸国を旅して回る風来坊の様な連中が集まるあまり品の良くない溜まり場だ。大抵は酒場のような体をなし、一緒に旅をする仲間パーティーを探す交流の場になっている。


 太平の時代と言っても、町や村から少し外れれば異種族のモンスターも居れば山賊や盗賊といった不逞の輩も闊歩する物騒なフィールド。しかし未知の体験や宝物探しを目当てに敢えてそういう旅に身を投じるのが冒険者だ。彼らは一般市民と違う何らかの能力を持っているのが普通で、つまり仲間パーティーにもそれを期待する訳だ。


「うん! 魔法使いは冒険者の中でも人気の職業ジョブだもん。サーシャの魔法の能力ちからを生かせれば、車椅子の移動を手伝ってくれる仲間達だってきっと見つかるよ! 」


 ルカが弾んだ声で叫ぶと、シリウスはサーシャの沈んだ碧の瞳を見つめて強く力づけた。


「そうだよ。本格的な冒険は無理でも、まずはちょっと外の世界を体験するだけでも良いんじゃないかな? 」


 しかし少年たちの励ましはサーシャの心には響かなかった。


「そういう事もね、この部屋でさんざん“想像”して来たの。でも実際には面倒な厄介者を抱えて、大して険しくもない山野をただうろうろするだけのつまらない旅に付き合ってくれるような冒険者なんか、居るはず無いもの…… 」


 にべも無く否定され、シリウスは返す言葉が見つからなかった。


「そ、そんなものかなぁ……? 」ルカはバツが悪そうに口ごもった。




 その時突然、凄まじい絶叫が周囲に轟いた。


「うわあぁぁぁっっ!!!? 」


 三人は弾かれたように振り返る、それは先ほどの居間からだった。


「ヴェレーノの声だ、一体何が……! 」


 シリウスが部屋を飛び出すとルカが慌ててそれに続く。取り残されたサーシャは懸命に車椅子を操り、二人の後を追った。



 ようやく居間に辿り着いたサーシャが見たのは異様な光景だった。


 シリウスとルカが部屋の入り口で呆然と立ち尽くしている。先刻ふてぶてしく高ぶっていたバスラが、壁際で腰を抜かし這い蹲っている。頭目のヴェレーノが震える両腕でロングソードを構え、怯えた表情で大窓に向かって何者かと対峙している。


 庭に面したあの掃き出し窓一杯に映っているのは、あまりにも巨大なだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る