第一章 冬の嵐

 ジョーゼット王国の片田舎デパール。町外れの小高い丘の上に、町の人達が人形の家ドールハウスと呼ぶ二階建ての西洋館があった。


 屋敷と呼ぶには手狭な、それでもささやかな庭園もある品の良い見栄え。一階のリビングにはその庭を見渡せるように特別あつらえの大きな掃き出し窓を具えている。荒野にそれだけがポツンと取り残されたように建つ不思議な光景は、正に玩具の人形を飾るための模型の家のようだった。


 まだ夕刻前だというのに 辺りはすっかり薄暗くなって来た。薄暮が西洋館を包んで行く。晩秋の空気はひんやりと冷たく、黒雲に覆われた空は今にも泣き出しそうだ。


「風が冷たくなって来ました。サーシャ様、今夜は嵐かもしれませんよ 」


 恰幅の良い年老いの女小間使いが、古めかしい掃き出し窓に掛けられた分厚いカーテンを引きながら言った。南側の壁のほぼ全てを占める程の大窓を厳重に閉じるとまた主人の身ごしらえに向き直る。


 女主人のサーシャはまだ十代半ば程の少女。整った顔立ちに、透き通るような白い肌、漆黒の長い髪、冴え冴えと深い碧の瞳。少し人離れした感じさえする程の美少女である。


「それじゃハンナも早く行かないと。馬車駅に着く前に雨が降り出したらたいへんだわ。それに先に出かけたマーカスも焦れているだろうし…… 」


 小間使いはサーシャのきめの細かい黒髪を丁寧に梳きながら、ため息を吐き 忌々しそうに呟いた。


「村長もずいぶんと間の悪い日を息子の結婚式に選んだものですわ。私達は別にあの性悪息子を祝ってあげたいなんてちっとも思っていないのに 」


 サーシャが形の良い細い眉をちょっとひそめて、苦笑しながら小間使いをたしなめる。


「ハンナ、おめでたい行事にそんな悪態はいけないわ、村をあげてのお祝い事なんでしょう? 久しぶりに生まれ故郷に帰って、マーカスとゆっくりしていらっしゃいな 」


 それでも小間使いは相変わらずうかない顔付きだ。


「ですけどねぇ……。冬の嵐の晩は、悪魔の娘が寂しがって友達を探して彷徨くそうですよ。よりによってこんな日に、亭主と二人で出かけなければならないなんて。このお屋敷にサーシャ様をお一人残して行くのは心配で…… 」


 またいつもの古めかしい言い伝えを持ち出してきた老婦人に、サーシャは呆れた様子で切り返した。


「悪魔の娘ねえ……。実体の無い悪魔みたいな存在は単なる迷信よ。昔お父様やお母様が戦って討ち滅ぼした、魔王軍のような異種族の侵攻とは訳が違うわ、そんな者を恐れてもしょうがないでしょう? 」


 しかしサーシャの指摘は何の効果も無いようだ。


「今夜はぜひ魔方陣の間でお過ごし下さいまし。大魔導師であらせられたお母様が抗魔の結界を施されたあのお部屋なら、きっと魔の者を寄せ付けませんから 」


 年老の小間使いは、若い主人に真顔で懇願した。


「ここはどうか年寄りの言う事を聞いて下さいな。サーシャ様にもしもの事があったりしたら、ハンナは亡くなられたご両親に顔向けが出来ません 」


 こうまで真剣に身を気遣われては無碍にも出来ない。サーシャはしぶしぶ小間使いの言いつけを守る事を約束し、それでも負け惜しみのように一言付け加えた。


「でもそれなら、悪魔もだけど泥棒にも気をつけなくちゃ。ハンナ、出かける前に扉や窓の戸締まりだけはしっかりとお願いね 」


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