第五章 悪魔の娘

 暴風雨の中、館の外に居るのは、二階建ての西洋館に覆い被さる程の巨大な少女だった。


 全身ずぶ濡れのシュミーズ姿、あどけなさを残した顔に長いブロンドの髪がべっとりへばり付いている。ぬかるむ地面に両手を付き四つん這いになって、床に置かれた模型の家の内部を興味津々と覗き込む子供のように。


「な、何だよ……、この化け物はっ!? 」


 ヴェレーノは悲鳴のような声を絞り上げ、間合いも何も無く両手剣を闇雲に振り上げると巨大な顔に斬りかかった。


 ガシャン ガシャーーン!


 大窓の硝子ガラスが粉々に砕け散り、さんごと吹っ飛ぶ。ゴウッという唸りを上げて、雨混じりの強風が室内に傾れ込んだ。


 しかし窓に貼りついていた少女の顔は豪剣の一撃を避けた素振りもなく、そのままそこで笑みを浮かべている。よく見れば彼女の輪郭は、破れた窓から見渡せる真っ暗な空と融け合うように微かな半透明だった。人間では無い。それどころか実体を持つべきこの世の存在でさえ無い。


「ブ ラ ン シ ュ ネ ー ジ ュ ‥‥ 」


 少女らしい甘いしとやかな声音がまるで地の底から湧くような轟音で部屋一杯に広がる。しかしそれは哀しげな響きだった。


「わ た し の ブ ラ ン シ ュ ネ ー ジ ュ 、ど こ に 、い る の ‥‥ ? 」


 あまりにも異常な事態に圧倒された盗賊の頭は、膝をつき剣を手放した。少年たちもあの不逞なバスラと共に床にへたり込んだ。


「あ……、悪魔の、娘……? 」


 それはサーシャが幼い頃、小間使いのハンナから繰り返し聞かされた寓話。


 悪魔の娘はいつも独りぼっち。とても寂しがりで人間の少女をかどわかしては友達にしようとする。さらわれた少女は玩具箱の家で一生暮らすのだという。数十年に一度、誰でもが心細く人恋しくなる冬の嵐の真夜中に、悪魔の娘は新しい友達を求めて人の里に降りて来る……


 子どもの頃、ハンナの膝にすがりついて震えながら聞いてきたあの恐ろしい物語。今では年老いの小間使いをからかう語り草だった筈なのに。


 青い満月のように澄んだ二つの瞳で広間を一通り見渡した異形の少女は、入り口のアーチの下に居るサーシャを見つけるとパッと表情を輝かせた。


「ま あ、ブ ラ ン シ ュ ネ ー ジ ュ ! そ ん な と こ ろ に か く れ て い た の ね ‥‥ ! 」


 壊れた大窓に差し入れた巨大な白い右腕が部屋の中に入り込もうとする。掌をいっぱいに広げ、触手のような五本の指がサーシャの体を捕らえようと伸びて来る。


「いやあああっっっ!! 」


「サーシャっ!! 」


 悲鳴を上げ必死で車椅子を操ろうとするサーシャと異形の少女の間に、シリウスが割り込んだ。床に転がるロングソードを手にすると、伸ばして来る腕の手首に狙いを定め思い切り振り下ろした。確かにその白い大木のような腕を捉えた筈だった。


 ドガーーンッ!


 しかしシリウスには全く何の手応えも感じられ無かった。豪剣はそのまま空を切り、絨毯敷きの床に突き刺さる。


「ひいいぃぃっっ! 」


 サーシャは車椅子を廊下に向け、細い腕で懸命に車輪を回した。そのまま目の前の小部屋に飛び込むと、勢いが余り椅子から投げ出された。


 体を起こし必死に床を這い、いつも開け放しの入り口のアーチの陰にある引き戸に辿り着くと両手で扉の下端を掴み、渾身の力で引き出す。


 ……カシャン……


 小さな音を立てて部屋は閉じられた空間になった。


「ア……、アリュマージュ…… 」


 車椅子のポケットにあるヒイラギの杖を振ると、部屋の片隅に置かれた小机の上のキャンドルに火が点った。


 部屋の中央に魔方陣、四方に儀式の魔具と真っ黒な垂れ絹を吊り下げただけの殺風景な小部屋。そこは今宵まだ何事も起きていなかったあの時間に、サーシャが一人かい巻き夜具を被って過ごしていた、あの部屋だった。


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