全編 弐ノ段「改訂中」
優しい先輩はお嬢様?
「なあ、桜木……僕が悪かったって……」
自分の部屋に戻った僕は、そう桜木に話しかける。
『どーせ、わたしなんていなくても、アキトくんは仲直りできると思ってましたよーだ』
さっき家に帰ってきてご飯を食べ終わったかと思えば、桜木の機嫌がすこぶる悪い。
「そんなことないって、桜木がいたから落ち着いて作戦通り出来たんだよ」
桜木がいてくれたから和美を前にしても慌てふためくようなことはなかったからな。
『……でもアキトくん、髪ゴムなんてわたし言ってないのに準備してたし……』
何でそんな拗ねたような声を……。
「まあ、その……あれはたまたま思いついただけで――」
『あんなのをプレゼントされたら女の子はイチコロだよ!』
「イチコロって……そこまでいかないだろ」
それでイチコロだったら世の悩める片思いの男子は全員髪ゴム持ってることになるぞ。
『しかも、パフェも普通のじゃなくて思い出のパフェだよ!?』
「そ、そうだけど……いけなかったかな?」
『そんなことない! むしろ良かったよ! というかわたしイラナイ子だったよ!』
「いや、それはない!」
ここはしっかり否定する。
『な、何で? わたしが何もしなくても……ちゃんと仲直りできてたじゃん』
「いや、桜木がそばにいてくれなかったら、僕はきっと慌てて盛大に何かやらかしてたと思う」
『…………』
「それに、この仲直り作戦を考えたのは桜木じゃないか」
『そう、だけど……』
何でそう自信なさげなんだよ。
「そうだよ。桜木と一緒に作戦を練ったから、あのとき喫茶店で一緒にいてくれたから、何かあっても桜木を頼れるって思えたから、桜木がいてくれたから――」
「――僕は和美と仲直り出来たんだ」
桜木に僕の感じたこと全てをぶつけるが……、
『…………』
アレ。桜木の声が全く聞えなくなったぞ?
ま、まさかな?
「さ、桜木?」
『あ、ううん。何でもないよ!』
おお。生きてた。一瞬成仏しちゃったのかと心配になったぞ。
『でも、わたしお役に立つとかいったのに、本当にお役に立てたか心配で……』
「そんなこと心配するな。また困ったことがあったら、相談するからな」
『……! うん!』
よし。何とかいつもの桜木に戻ってくれたみたいだ。これでひと安心……じゃないな。
まだ朝の着替えの件をきちんと謝ってない。こっちも謝罪しないと。
「あ、それと、今朝はごめん」
『へ? 何のこと?』
僕の言っていることが分からないのか、訊き返してきた。
も、もしかして忘れてちゃったのか?
「その、桜木がいるのを忘れて、勝手に着替えちゃったろ……?」
『……あ、う、ううん! 気にしないで! わたしが見えないのが悪いんだから!』
「いや、これは完全に僕が悪い。本当にごめん!」
声の聞える方へ頭を下げる。
『もう、やめてよ! わたし最初から怒ってなんかないよ?』
桜木は僕が頭を下げるのが本当に嫌なのかそんなことを言ってくれる。
「優しいんだな、桜木」
『そんなことないよ』
「その、今度から部屋に入るときは、一言声かけるから」
今後こんなことが起こらないように改善案を桜木に提案する。
『え? そ、そんなことしなくていいってー。それにアキトくんのお部屋じゃん。わたしがこの家から出て行けば――』
「――それは駄目だ。桜木は見えないから何処にいるか分からない。会って話したくても探しようがない。だから、この家にいてもらうのがベストだ」
『そう、だけど……いいの?』
「いいに決まってる。それに昨日の夜、いいって言ったろ? その、出来たら僕の部屋にいてくれ。家の中でも出来るだけ何処にいるか分かっていた方が、連絡が取れやすい」
家の中でも、探すのが大変だからな。僕の部屋にいてくれたらありがたい。
『う、うん。わかった……』
「じゃあ、これからもよろしくな、桜木」
『こちらこそ、よろしくね! アキトくん』
そんな何だが前にもしたような会話を交わした。
「じゃあ、今日はもう寝ようか。情けないが……今日は色々あって疲れた……」
カチカチと秒針を鳴らす壁掛けのアナログ時計は、いつもより早い時間を指しているが、久々に身体をめい一杯使ったためクタクタになっている。明日は筋肉痛確定だなこりゃ。
『わ、分かった。わたしも寝るよ』
「え?」
幽霊も寝るの? しかも夜に? どちらかと言えば夜行性な気がするけど……。
でも、僕の知る幽霊の情報なんてほぼイメージの塊、空想だからな。
実際は違うっていうことなんだろう。そういうことにしておこう。
『一緒に寝ても、いい?』
「ああ、別にいい、けど……」
これはとんでもないお願いが来たな……何でかオッケーしちゃったが……まあ、大丈夫だろう。見えないし。
幽霊も睡眠をとるという戸惑いと若干後悔を感じながら、ベットの布団に身体を挟む。
それから目を閉じ、じっとまどろみに落ちるのを待つが……寝れない。
さっきまであんなに睡魔に襲われていたのに、それが嘘のように消え失せている。
むしろ、冴え始めている感が否めない。こ、これはまずい。このままでは明日起きるであろう筋肉痛がより酷くなってしまうぞ……。是が非でも睡眠をとらなければ!
『ねえ、アキトくん』
いきなり桜木の声が聞えて驚いてビクッとしてしまった。若干恥ずかしいぜ。
「な、何?」
桜木も寝れないのかな?
『カッコよかったよ。今日のアキトくん』
「え?」
か、カッコいい……? そんなこと、産まれて初めて言われた。
『強そうな男の人をやっつけるアキトくんを見てると、なにか思い出しそうになったよ』
「ほ、本当か!」
桜木の言葉を聞いて思わず飛び起きる。今桜木が何処で寝ているのか分からないけど、声の聞え方からたぶん凄く近いところにいるな。
『うん。でも、なんだかぼやけてて、もやもやして良く分からないの……ごめんね』
「謝ることないだろ。良かったじゃないか。そっか、僕のお願いだけじゃなくて、桜木のお願いも少しは叶えられたんだな、今日」
『う、うん! 良い一日だったね!』
「ああ、良い一日だった」
僕だけが目的を達成しただけじゃなく、桜木の目標にも一歩近づけた。
そういう意味では大きな前進で良い一日だったな。
これからどのくらいの時間がかかるのかは分からないけど、一歩ずつ進んでいけばきっと桜木は成仏できる。そのときまで、僕は桜木の力になろう。
でも、何で僕が戦っているところを見て、何かを思い出しかけたんだ?
『……おやすみなさい、アキトくん』
「ああ、おやすみ」
そんな些細な疑問が頭に浮かんだが、桜木の『おやすみ』という優しい声を聞くと先程まで覚醒し、冴えまくっていたのが嘘のように眠気が襲ってきた。
その睡魔に身を任せ、僕は眠りに落ちて行った。
今朝、起きると眠っている間に夢を見ていたことを自覚した。
伝統的な日本建築の大きな建物――その近くに咲き誇る大きな桜の花
それらの風景に人が何人も入り乱れて、混沌としている。
何だか昨日と似ている夢だ。目の前を遮っていた霧が少し晴れたような気分になる。
そんな、良く分からない夢を思い出しつつ、一階に下りリビングへと向かうと、すでに白地に青いラインが一本入ったセーラー服に青いリボンを着けた和美がキッチンで鼻歌を歌っていた。
「上機嫌だな、和美」
「べっつにー。はい、トースト」
などと終始笑顔で、こんがり焼けた食パンを乗せた白い皿を手渡してくる。
「おお、サンキュー」
それを受け取り、いつも食事をする席に着くと「お兄ちゃんも」とか言われて和美は、バターまで塗ってくれた。な、何事だ。
昨日とは全く違う柔和な雰囲気の中、朝食であるバタートーストを食べ終え妹とふたりで朝の時間を過ごしていると、いつも和美が中学校に行く時間になった。
僕は玄関に行った和美の後をついていくと昨日あげた星の飾りのついた髪ゴムで髪をくくっている。
「髪、くくって行くのか?」
「うん。せっかくもらったから着けていく」
「そっか」
何か、その……嬉しいな。プレゼントしたものを使ってくれてるっていうのはこっちもプレゼントした甲斐があるってもんだ。
「お兄ちゃんが着けない方がいいっていうなら、外すけど……」
身体はドアの方を向いたまま頭を少しだけ僕の方を向けた和美は、目じりの眉毛を下げて、不安げな顔だ。
それに加えてせっかく着けてくれた髪ゴムを外すようなことを言っている。
いつもは、髪を降ろしているけど髪を結んだ和美も可愛い。
「いや、くくった方も可愛いぞ」
見て思った正直な感想を伝えると、
「かわっ……もう! すぐそういうこと言う!」
などと顔を赤らめて怒ってる。駄目だったんだろうか?
「駄目か?」
「駄目じゃないけど、恥ずかしいから……控えて」
「止めろとは言わないんだな」
控えるっていうのも、どうすればいいのか具体性がないから分からないぞ。
「うるさいなー。じゃあ、行ってくるねー」
「ああ、行ってらっしゃい」
結局髪は下ろさず、結んだまま中学校に行く和美を手を振りながら見送る。
『ちゃんと、仲直りできたみたいだね』
「ああ。桜木のおかげだ」
桜木のおかげでしっかり仲直りできた。何か、むしろ前よりも仲良くなれた気もする。
昨日の仲直りデートとやらは大成功だったな。
『えへへー。まあ、そーゆーことにしといてあげる!』
「何だそりゃ」
桜木とそんなやりとりをしていると、ピンポーンというインターホンが鳴った。
「ん? 誰だろう?」
こんな朝に来客とは中々珍しいな。
玄関のドアを開けるとそこには――
「――おはよう、秋」
「あ、蒼? な、何でここに?」
ブレザー制服を着て通学鞄を提げている幼なじみの蒼がいた。
「そ、それは……まあ、いいから、とにかく学校行こう?」
何だそりゃ……でも時間はもうそろそろ行かないとまずい感じだ。
蒼が何で来たのかは分からないが、とにかく学校に行かねば。
「あ、ああ。分かった。少し待っててくれ」
そう蒼に言った後、いつも通学鞄を置いているソファへ向かう。
『アオイちゃん?』
という桜木の声が聞えた。
お、さすが桜木。察していたみたいだな。
「あ、ああ。桜木も今日学校に来るよな?」
『アキトくんがいいなら行くよ。じゃあ、また桜の下で待っててもいい?』
桜の下で、か。何だかロマンチックな待ち合わせ場所だな。
「うん。何かあったら桜の近くに行くから、待っててくれ」
『うん!』
そんな会話を桜木と交わした後、通学鞄片手に急いで玄関から飛び出す。
おっと、鍵はかけておかないと……よし、これで大丈夫だ。
「ごめん。遅くなった」
「ううん。突然来てごめんね」
「いや、別に構わないよ。じゃあ、行くか」
驚きはしたけど、蒼が来て困ることはないからな。幼なじみだし。
「う、うん」
少し浮かない顔をしている蒼を隣に、桜木は……どこにいるか分からないけど、絶対に近くにいる桜木と共に、我らが学校の桜美高等学校へ続く通学路を歩き進めるのだった。
蒼と田舎の住宅街を並んで進むが、何故か会話がない。
な、何だか気まずくなってきたな……。
続く無言の空間に耐えかねた僕が、今まさに話しかけようとしたそのとき――
「仲直り……できた?」
「え?」
僕より先にその沈黙を破ったのは蒼だった。
「和美ちゃんと仲直り、出来たの?」
僕の方を向いて和美とのことを訊いてくる。
心配してくれてたんだな。ありがとう、蒼。
「うん。何とか」
今何処を飛んでいるか分からないが、桜木が色々考えてくれたおかげだ。
「そっか。良かったね」
言葉とは裏腹に、冷たい感じがする蒼の声。
昨日の朝も何だか不機嫌そうだったが……どうかしたんだろうか?
「その……蒼」
「何?」
「何か僕、怒らせるようなこと……したかな?」
思い切って訊いてみる。何か気に障ることをしてしまったなら、謝りたい。
「ううん。どうしてそう思うの?」
「その……機嫌悪そうだから……」
正直に、言う。
蒼に対して何か取り繕ったり、隠したりすることは僕にはできない。
「……そう、見える?」
「うん」
「ごめん。自分でも良く分からないの」
分からない、か。
自分がどんな状態でどんな感情を抱いているか何て言うのは自分でも分からないからな。
「そっか。何かあったら遠慮せず言ってくれ」
それが今僕が蒼にできる唯一のことだ。
「……うん。そうする」
最初は不機嫌かと思っていたが、話しているうちにそれは違うと感じる。元気がない。
――よし。
「あ、そうだ。学校まで競争するか」
昔、蒼とふたりでよくした子供の遊び――かけっこを提案する。
少しでも、昔を思い出して蒼が元気を取り戻してくれるように。
「……え?」
「じゃあ、行くぞー!」
返答を待たず驚いた顔の蒼を出し抜いて、走り出す。
昔、小学生の蒼にされたことのお返しがやっとできたぜ。
「え、ちょっと。待ってよ!」
それは小学生のときの僕が言ったセリフ――懐かしいな。
でもまさか蒼の口からその言葉を聞けるとは思わなかった。感慨深いな。
そんなことを思いながら僕は蒼を背に問答無用で走り続ける。
桜木は……まあ、飛んでついて来てくれるだろう。……たぶん。
そんなこんなで朝から昔遊んだかけっこに興じた高校生の僕らは無事学校へ到着した。
結果は小学生のときと同じく蒼が一位で僕が二位。まさか、途中で抜かれるなんてな。
「はあ、はあ……着いたな」
校門前で息を切らす僕とは反対に、
「もう、急に走らないでよ……」
蒼はまだまだいけそうな表情……我ながら情けなくなってきたな。
でも、大事なのはかけっこの結果でも順位でもない。
「でも楽しかったろ?」
「まあ、ね」
少しだけ頬を染め目を逸らす蒼。なるほど、満更でもなさそうだ。
ならよかった。
これで元気が戻るとは思わないけど少しはマシになってくれたら嬉しいな。
さて、こんなところにいるのは他の生徒にも迷惑だしさっさと教室に行きますか。
「……? 何だ?」
校門から昇降口にかけて多くの生徒が集まって、何やら上を見ている。
何かあったんだろうか?
「――ッ! 秋! 屋上を見ろ!」
何かとんでもないようなものでも見えたのか、蒼が屋上を指差しながら僕に向かって叫ぶ。
「屋上……?」
口調が稽古のときのような男語りになった蒼の指差す屋上の先を線で辿っていく。
一体何が……。
「――なっ!」
そこには――柵のない屋上の淵に立つ女子生徒の姿があった。
誰かまでは視認できないが、それは後回しだ!
「ど、どうする!? 秋!?」
焦りが窺える蒼は僕にこれからの行動を訊ねてくる。
そんなの、決まってるだろ?
「どうするって……助けるしかないだろ!」
そう言って、僕はその女子生徒のいる校舎の壁へ走り出す。
「ま、待て! どうやって助けるの!?」
後ろから僕を呼び止める蒼の声が聞える。
だが今は一刻の猶予もない。手短に話そう。
走りながら振り返って――
「――何とかする。蒼はそこで待っててくれ」
「で、でも――」
「心配なら、あの女子生徒にしてやれ」
そう言ってまた女子生徒の方へ駆けだす。
でも僕だけじゃ、きっと助けるのは難しいだろう。
だから――
「桜木、いるか!?」
近くにいるはずの見えない幽霊――桜木に声をかける。
『う、うん!』
よし、ちゃんといてくれた。
「お前、僕が何か困ったら、絶対力になるって言ってくれてたよな!?」
『そ、そうだけど……』
「今、僕は困ってる。力を貸して欲しい!」
『うん、いいけど……わたしにできることってある?』
確かに桜木は幽霊で飛び回ったり、壁や物をすり抜けたりは出来ても、物理的な干渉はできない。――でも僕は見た。
「桜木は風を起こせたよな。アレでもしものときは助けてくれ」
光田先生の持っていた課題を吹き飛ばし、窓やカーテンを開けたあの風の力。
それが力になるかは不確かで確証はない。
でも、信じ難いことでもこの目で実際に見た。それだけで僕は信じるに足る力だ。
『――わかった。でも、あんな高いところまでどうやって行くの?』
桜木は至極当然な疑問を投げかける。
今から校舎内に入り階段を上るような時間的猶予はない。
かといって飛べる桜木ならともかく、人間がトカゲのように三階建校舎を壁から這っていくなんてことはできない。で、あれば――
「――こうする!」
【飛瑞蒼焔流体術、走法・岩飛び】
別名城登りとも言われ、本来は城の塀や城壁など岩の窪みを利用して登る技だが、今回は教室の窓や校舎の装飾などの少しの凹凸を利用して足をかけ飛翔、それを繰り返す。
三回窓の出っ張りを利用して三階建の校舎を登り、屋上まで行く。
よし! あともうちょっとで屋上へ到達するかというそのとき――
『――あ!』
女子生徒は今まさに何もない虚空へと足を出していた。
どう考えても、僕が屋上へ到達するまでの時間とタッチの差で女子生徒が飛び降りる方が早い。……これでは!
(――クソ、間に合わない!)
と、まさにそう思ったそのとき――
『はあああああああぁ! それえええええええぇ!』
桜木が、例の謎の風、前見たのよりも十倍は強い風を女子生徒に向けて放ち、
「――え、きゃ!」
女子生徒が驚いて後ろに倒れそうになっている。よし、これで!
「――ッ! ナイスだ、桜木ッ!」
何とか間に合って屋上の淵に足をかけ、女子生徒を抱きとめたそのとき――
「……ッ!」
救助成功の文字が浮かび気を抜いたのがいけなかったのか、僕は足を滑らせた。
このままだと、女子生徒ごと落ちてしまう!
――でも、もう出来ることがない。さすがに物理法則を捻じ曲げることはできない。
僕は、ここで死ぬのか……身の丈に合わないこと、女の子を助けようなんてしたから。
でも誰かのために死ねるなら本望だ。そうすれば、楽になれる。何もかも。
『――ダメッ!』
辛うじて桜木の声を聞き、背中に衝撃を感じたが最後、僕は意識を――失った。
「いてて……」
意識を失ってからどれくらい経ったのかは分からないが、生徒の喧騒とした声が聞こえる。騒ぎは収まってはいないようだ。何やら後ろから何かに吹き飛ばされたような衝撃があったが、何とか生きてる。一安心ってやつか? 一瞬三途の川が見えた気がするぜ。
「なあ、桜木、いるか……」
たぶんだが、桜木が何かして助けてくれたんだろう。お礼を言わないと。
『う、うん……その、言い難いんだけど……』
「何だ?」
何をそんな言い淀んでいるんだ?
『そ、その……取り憑いちゃった……みたい』
「……え?」
取り……憑く?
「だ、誰に取り憑いたんだ?」
『キミに……アキトくんに……』
僕に? でもそんな感じは一切しないんだが……。
「どうして、分かる?」
『えっと……手とか、足とか、動かせるの……ほら』
そう言った後、僕の意思とは関係なく右手が握ったり開いたり、何かを確かめるような手つきで動いている。何だかラジコンになった気分で不思議な感じがするな。
「おお……確かに動いてる。何もしてないのに……」
不思議と怖さは感じない。取り憑いてるのが桜木だからかな?
『……あはは……ちょっと出れるか試してみるね』
苦笑いしつつ、桜木は僕の身体からの脱出を試みるようだ。確かにずっとこのままっていう訳にはいかないだろうからな。
「あ、ああ。分かった」
『うん。うんっしょ……う、はあ……』
桜木はうめき声を上げ僕の身体から出ようともがいている……ような気がする。
「どうだ? 出れそうか?」
『う、うん。なんとか……』
そうは言っているが何だか大変そうだ。あの元気ハツラツの桜木の声に疲労が窺える。
もしかしたら取り憑くというのは中々体力を使う行為なのかもしれないな。
『うううううう、は! はあ……はあ……』
力を溜めるような声の後、それを一気に解放した声が続く。
何か……頑張ってる桜木には悪いんだが……ちょっとだけ、扇情的な気分になるな……いけないことだけど……。
『で、出れたよ!』
と、何かに勝ち誇ったような声で報告してくる。
「おお、そうか! でも、大丈夫か? 大変そうだったけど」
『ちょっとだけ、疲れちゃったかな……』
やっぱりか。まあ、今までふわふわ浮いてたんだから無理もないよな。
「そっか。桜木はここで少しゆっくりしていてくれ」
『うん……そうする……ごめんね?』
「謝まらないでくれ……桜木のおかげで助かったんだから……ありがとな」
やっとお礼を伝えられた。
にしても、妹との仲直りといい今の助けられたことといい本当に桜木さまさまだな。
『えへへ……どういたしまして……』
力なく少しはにかむ女の子が久しぶりに脳内で想像された。
まあ、それはともかくとして、
「で、あの女子生徒は……」
肝心の彼女は何処へ?
『あ、そのコならアキトくんの下にいるよ?』
「え? ……うわっ!」
桜木が教えてくれた下を見ると、いた。
何と僕は女子生徒に覆いかぶさるように倒れ、今は起き上がると馬乗りになっていた。
と、とりあえず立ち上がって、離れる。
『気を失ってるみたい。保健室に運んだ方がいいかも……』
桜木の提案は最もだ。そうしよう。だが……。
「ああ、そうだな……でもまさか、こんな形で対面するとはな……」
『え? どーゆーこと?』
桜木は疑問符のついた声で事情を訊いてくる。
「昨日先生に頼まれごとをされたって言っただろ?」
『うん』
「その頼まれごとが、この子――立花先輩と話すっていうものなんだ」
腰まではあろうかという綺麗なストレートの黒髪に、端正な顔立ち。
失礼だが胸は比較的大きく身長はたぶん160センチ前後で僕より高い。
間違いない。立花家の御息女、立花先輩その人だ。
『そうだったんだ』
「うん。まあ、とにかく立花先輩を保健室に運んでくるよ」
倒れている立花先輩を背負いながら、桜木にそう言う。
『わかった。わたしも行った方がいいかな?』
「――いや、頼まれたのは僕だから桜木はまた例の桜の下にいてくれ」
桜木には悪いが、立花先輩とはふたりきりで話さないといけないからな。
『そっか。でも、なにかあったら呼んでよ? ゼッタイだよ?』
桜木め、そこまでお節介を焼かなくてもいいのにな。でも、好意は純粋に嬉しい。
「ああ。約束する。昼休みには行くよ」
『うん! 待ってるからね!』
「ああ!」
桜木と再会の約束をして、屋上から下階にある保健室に向かうため階段を下りる。
「さーて、保健室まで行くとしますか……」
立花先輩はその身体の大きさに似合わず軽いので運ぶのは楽だが……実際に今保健室が開いているのか分からない。開いてなかったらどうしよう……。
なんて思いながら保健室のある一階まで階段を下りていると、
「――村雨くん!」
いつもの美人顔が台無しな酷い顔をした久保田先生が目の前にいた。
たぶん、騒ぎを聞きつけて急いで屋上へ向かう途中だったのだろう。
ということは、僕が意識を失っていた時間はほんの一瞬だったってことか。
「ああ、久保田先生! ちょうど良かった。今保健室開いてますか?」
「も、もちろん開いてますよ」
おお、それは良かった。これで立花先輩を寝かせられる。
「そうですか。助かります。とりあえずそこまで運びますね」
「は、はい! わ、私もて、手伝います!」
胸に手を当て自分も力になりたいと言う意思が垣間見える久保田先生。
よし、ならば手伝っていただこう。
「では周りの生徒への対処をお願いします。それが終わったら、保健室へ来てください」
さっきから校舎中外を問わず、生徒の声で騒がしいからな。これをどうにかしないと、立花先輩が休めない。
「分かりました! それまで、立花さんをお願いします」
「はい」
任されちゃった。まあ、最初からそのつもりだったから問題はないけどね。
そんなやり取りをした僕と久保田先生はそれぞれ自分のやるべきことに向けて、別々の動きをすることとなった。
保健室に着くと直ちに立花先輩をベットで寝かせ、その近くにあったイスに腰掛ける。
よし、これでしばらくは安心だろう。
それから十分程経った。
「……ん。うう……」
お、お目覚めかな?
「――気がつきましたか?」
「……へ? え、ここは?」
立花先輩は身体を起こし、周りをキョロキョロ。いまいち状況が分からない様子だ。
「保健室です」
質問に答え立花先輩が少しでも混乱しないように努める。
「……あなたは?」
僕を認識した立花先輩は僕を見て名前を訊いてくる。僕は立花先輩をその知名度から知っているが、立花先輩から見ればそうではないだろうしな。当然の反応だ。
「二年の村雨秋人です」
手短に、名前を教える。
「村雨……そう、ですか。あなたがこの代の村雨なのですね」
俯いて呟くように、独り言のようにそんなことを言う。
この代の村雨? どういう意味だろう?
「あの、男の子……ですよね?」
「……? そうですけど……」
意味が分からない言葉の次は性別を疑われた。
ちゃんと男子のブレザー制服を着ているというのに……。
「……女の子のような綺麗なお顔をしていらっしゃいましたのでお訊ねしました。ご不快に思われましたら申し訳ありません」
「い、いえ」
さ、さすがはお嬢様。言葉遣いも丁寧でいらっしゃいます。
可愛いとか言われて男としてちょっと悲しいところはあるが……まあ、いいや。
「もしかして、あなたがここまで運んでくださったのですか?」
「は、はい。気を失われていたので、失礼ながらお身体に触れさせていただきました」
先輩なのもあるんだろうけど立花先輩は言葉遣いが綺麗だから自然と僕も丁寧になってしまう。
「それは! ご迷惑をおかけして申し訳ありません!」
僕が運んだことを認めると立花先輩は慌てて頭を下げてくる。
「いえ、それについては僕は気にしていません。しかし――」
「どうして屋上から飛び降りようとなさったのですか?」
今、立花先輩に一番訊きたいこと。
「飛び降りようと……? いえ、私はただ空を眺めていただけです」
疑問の表情で僕の言葉を否定する。
それに、空を眺めていただけって……。
「とても、そうは見えませんでしたが……」
足を踏み出してたしな。明らかに自殺でもしようかという感じだった、
「……最近、私が私でなくなるときがあるんです」
俯いて自らの秘密を明かすように、静かな告白をしてくる。
「それは……どういうことでしょうか?」
「その……放心状態、と言いますか、自分の心がここにないときがありまして……今朝も気分転換にと屋上へ行き空を見ていたのですが……急に力が抜けて……それから……」
一生懸命に頭を押さえ、何か思い出そうとしているが、
「……すいません。思い出せません」
思い出せなかったみたいだな。
でも、無理に思い出すようなことでもないし、ここは安静にしてもらうのが一番だ。
「無理なさらないでください。今は休むのが先決です」
「で、ですが……」
「焦っても事態は良くなりません。それに、今朝先輩は頭を強く打っています。早く病院に行ったほうがいいです」
頭を打つというのは想像以上に危険なことだ。どんな些細なことでも病院で診てもらわないといけない。
「でも授業が――」
「授業より、先輩のお身体の方が大事です」
御家柄もあるのだろうが、立花先輩は真面目な人だな。だからこそ精神的に疲れやすいのかもしれない。真面目もいいのか悪いのか分からないな。
「そう、かもしれませんが……」
「少し待っていてください。先生に頼んで病院まで送ってもらえるよう――」
「い、いけません! それでは先生方のご迷惑になります!」
僕が立ち上がって、保健室から教務室へ行くため廊下に出るドアの方へ向くと立花先輩は大きな声で迷惑になると言ってくる。
うーん、立花先輩の意思を汲んで先生に頼むのが無理となると……。
「では、僕が病院まで送ります」
僕が送るしかないよな。立花先輩ひとりで行かせるのは駄目だし。
「そ、それは……あなたのご迷惑になります!」
「そんなことありませんよ。先輩は迷惑なんて考えず安静にしていてください」
話をしていて分かってきたが、立花先輩は謙虚なんだな。僕にまでそんなことを言ってくるのだから育ちの良さが滲み出ている。
「私は何ともありません! 大丈夫です!」
何処か頑固なところもあるのか、僕の言葉に耳を貸さず明後日の方を向いてしまった。
「先輩はそう思っているのでしょうが、僕が心配です」
僕はそれを気にせず、正直に語りかける。
しかし、立花先輩は明後日の方を向いたまま沈黙を保っている。
「…………」
「なので、病院まで行ってはいただけませんか?」
だが僕もしつこくお願いする。ちょっとでも立花先輩が僕の方へ向いてくれるように。
「……どうして、そこまで心配してくださるのですか?」
ついにまた僕の方を向いてくれた立花先輩は、細く白い首を傾げて何故そこまで自分の身を案じるのか、その理由を訊いてきた。
どうして、と訊かれると答えるのが難しいが……たぶん――
「……怖いからです」
――何かを失うことの怖さ。それが僕の中で大きな理由になっているのだと思う。
「怖い……?」
「はい。僕も何故か分かりませんが、怖いんです。もし、このまま病院に行かず放置して先輩が亡くなってしまったらと思うと……とてもじゃありませんが正気でいられません」
それに、図らずも僕が押し倒してしまったようなものだからな。責任は僕にもある。
「…………」
あれ? 前の桜木みたいに何も言わなくなってしまったぞ。
あ、自分が死ぬみたいなこと言われて怒ったかな? でも、表情の変化はないし……。
ええい、とにかく謝ろう! 話はそれからだ!
「あ、その、すいません! 亡くなるなんて失礼ですよね……ははは……」
「ふ、ふふふ」
どうしてか、立花先輩は突然口に手を当てて上品に笑い始めた。な、何で?
「た、立花先輩?」
「おかしな人ですね……あなたは……。――分かりました。あなたの言う通りにします」
「ほ、本当ですか?」
どうしてこうなったのか理解しきれていないところがあるが、とにかく病院に行くことに関して立花先輩の承諾を得ることができたな。よかった。
だが、話はそこで終わっていないようで。
「ええ。ですが――」
そう言った後、意味ありげに言葉を区切り、
「一緒に、来てくださいね?」
美しい大和撫子然とした笑顔でそんな約束をさせられてしまうのだった。
あの後、保健室にきた久保田先生に事情を説明し、立花先輩を病院に行かせることには簡単に同意してくれた。しかし僕が連れて行くという案に教務室にいた先生方は教師として反対意見が多数あったものの立花先輩の「わたしからお願いした」の一言で通った。
立花家、恐るべし。
そんなやり取りの後、僕らは少し離れた病院、立花家に縁のありそうな立花記念病院を徒歩で訪れていた。まさか医療業界にまで手を延ばしているのか……立花家、恐るべし。
「立花さーん、立花はるかさーん」
「あ、呼ばれましたね」
女性の看護師が診療室から顔を覗かせて立花先輩を呼んでいる。
「……え? あ……は、はい。い、行ってきます」
隣に座っていた診療待ち用のソファから立ち上がり、僕にペコリとお辞儀をして診療室へ向かう立花先輩だが……その足取りは重く、震えている。
だ、大丈夫かな? 不安だな……。と思った瞬間にゆっくりと戻ってきた。
「あ、あの……やっぱり怖いです……一緒に来てくださいませんか?」
やっぱりか……、もしかして病院に行くのを渋ったのって病院が怖いからなのかな?
何か、その……失礼かもしれないが可愛い人だな。
「はい。分かりました」
そう笑顔で答えて、僕は立花先輩と一緒に診療室に入った。
「ああ……怖かったです……」
全ての検査を終え病院を出た立花先輩が開口一番に出た言葉はそれだった。
「何も異常がなくて良かったですね」
医師によると、脳にも骨にも異常はないそうで、学業やスポーツにも支障はないという診断結果だった。
本当に良かったぜ。これで一安心だ。
「ええ、村雨くんが一緒にいてくれたおかげで、途中で逃げずに最後まで検査を受けられました。ありがとうございます」
そう言うと僕の方に向き直って深く礼をしてくる。
「い、いえ。僕は何も……」
恥ずかしくて赤くなりながら手を振ってそんなことはないという意思表示をする。
「では、学校に戻りましょう。授業を受けないと」
そう言って立花先輩は先に学校へ戻る道を進んでしまう。
……授業、か。
「……先輩」
「……? どうかしましたか?」
突然呼んだ僕の声に反応して、振り返った立花先輩は至って普通に見える。
でも――
「行きたいところがあるんですが……いいですか?」
「え? で、でも学校の授業が――」
「大丈夫です。すぐ終わりますから!」
僕はそう言った後、立花先輩の手を取ってさっきとは逆の方向へ走り出す。
「あ、ちょ、ちょっと待ってください!」
突然走り出した僕に困惑する立花先輩を後ろに、僕はあの場所へ向かうため最寄りの駅を目指すのだった。
立花先輩の手を引いて向かったのは勝田駅という駅だ。この地域に住む人たちは電車ではなく汽車と呼ぶキハ120形気動車が走る路線でその駅で汽車に乗り、そこから美作町より比較的都会な津川市にある津川駅で降りた。
そこからしばらく歩き、総合スーパーに入ると、その中に目的のあの場所が現れる。
「……ここは?」
どうも立花先輩はこの場所の名前を知らないらしい。
まあ、そうだろうなとは薄々思っていた。なら、教えてあげなきゃな。
「ゲームセンターです」
庶民の娯楽施設。皆大好きゲームセンターだ。
「げーむせんたー? ……それは、何ですか?」
慣れない英単語を聞いて口ずさむように言う立花先輩は、ゲームセンターとは何ぞやとその言葉の意味するものを訊いてくる。
うーん。ゲームセンターとは何かか。深いが、
「ぬいぐるみを取ったり、メダルゲームをしたり、とにかく遊ぶところですよ」
皆が疲れを忘れて、楽しく遊ぶところ。人によりけりだろうが間違いではないだろう。
「そうなんですか? でも、皆さん学校で授業を受けているのに、遊ぶのは……」
立花先輩は他の生徒が勉強しているのに自分がこんな場所に来ていることに後ろめたい気持ちがあるみたいだ。やっぱり、真面目な人だな。でも今日ばかりはソレは駄目だ。
「大丈夫です。僕が立花先輩を唆したとすれば、怒られるのは僕だけで済みます」
検査の結果、医者が言うには立花先輩の身体に何の異常もないらしい。
確かにそうだろう。
「いえ、そういうことでは……」
でも、先輩の精神は、その心は……疲れている。
無意識に屋上から落ちるくらいには異常をきたしていて、断じて正常ではない。
僕はそういう専門知識はないから原因は分からない。人の心なんて分からないからな。
だから、もしかしたら僕は彼女にとって何の力にもなれないのかもしれない。でも――
「あ、あのぬいぐるみ、可愛いですよ。取ってきますね」
「ま、待ってください! わ、私を置いていかないでください!」
何かしてあげたくなる。何か困っている人がいたら、手を差し伸べたくなる。
何故か、そう思うんだ。
立花先輩を若干置いてけぼりにしながら、クレーンゲーム機に駆け寄る。
中に入っている景品は青いイルカのぬいぐるみだ。よし。これにしよう。
百円を投入後、ボタンを押してクレーンを操作していく。そして……ポト。
何と一発で取れてしまった。何たる幸運。いつもなら五百円はかかるのに……。
「はい、取れました」
いつの間にか隣に来ていた立花先輩に、取れたイルカのぬいぐるみを見せる。
「わぁー! 凄いです! 村雨くんはこういうのお得意なんですか?」
両手を合わせて感激している。初めて見るものだからか、興奮気味だな。
「得意ってわけでは……たまたまです。はい、どうぞ」
「え?」
僕がイルカのぬいぐるみを差し出すと、ぬいぐるみと僕を交互に見て戸惑っている。
あげようと思っていたんだけど……あ、もしかして――
「……もしかしてイルカ、お嫌いでした?」
だったとしたら、悪いことしたな……。
「いえ、そんなことは! その……いただいても、いいのですか?」
「もちろん。そのために取ったんですから」
そう言って取った青いイルカのぬいぐるみを立花先輩に手渡し、プレゼントする。
「ありがとうございます! 大事にしますね!」
受け取ってくれた立花先輩は、ギュッとそのイルカのぬいぐるみを抱きしめ、あらゆる人が思わず見とれてしまうような、そんな笑顔を見せてくれた。
この様子だとイルカ、嫌いじゃないみたいだ。気に入ってくれたら嬉しいな。
「じゃあ、次は……あ、アレなんていいんじゃないですか?」
それからはゲームセンターにあるほぼ全部の筐体を回った。音ゲーやダンスゲーム、バスケにボウリング、ホッケー、それにモグラたたきもやった。一度遊ぶと立花先輩も後ろめたさは幾分かマシになったようで、僕が最初リードしていたのに次第に立花先輩から「あれは何ですか?」と自分から進んで遊ぶようになった。実は好奇心旺盛なのかも?
そんなことを思っていると僕も楽しくて時間はあっという間に過ぎて行った。
「たくさん遊びましたね!」
ゲームセンターの中にある休憩スペースのような場所で、ふたりで感想を語り合う。
「そうですね。先輩、初めてなのに音ゲー上手くてびっくりしましたよ」
リズム感と言うかコツを掴むのが上手いというか、もはや天賦の才と言わざるを得ない腕前で、立花先輩が筐体の前に立つとその周りにギャラリーを作っていた。
「い、いえ……音楽が好きなもので……」
なるほど。何だかイメージ通りだ。
「ダンスゲームではノリノリでしたもんね」
最近の流行りのモノではなかったが、クラシックやワルツ調のものは圧巻の足捌きで、まさしくお姫様のようだった。いやーぜひともまた見たいね。
「恥ずかしいです……」
と赤くなって目を逸らし、胸に手を置く仕草をした。恥ずかしいときはそういう仕草をする癖があるのかな? まあ、それはともかくとして――
「じゃあ、もうそろそろ帰りますか。昼休みまでには帰らないとさすがに不味いでしょうからね」
腕時計を見ると、もうそろそろ午前中の授業が終わる時間を示している。
桜木と昼休みに会う約束をしていることだし、この辺でお忍びのお遊びはお開きとしよう。
「あ、あの……」
細い声と恐る恐るといった感じで小さく手を挙げている。
何か言いたいことがあるのかな?
「何ですか? 先輩」
「あれって……何ですか?」
と先程挙げた手でゲームセンターの入り口辺りを指差した先には――
可愛らしい女性が印刷されている大きな白い箱があった。
あれは――プリクラ?
「ああ。あれはプリクラと言って中で撮影してシールの写真を作れるものですよ」
確かそんなものだったはず。
「そうなんですね……でも何故、写真を撮るんでしょうか?」
う。難しい質問が来た。
「え? そ、それは……遊んだ記念に、とかじゃないですかね」
……たぶん。自信ないけど……。
「遊んだ記念、ですか」
僕の推測的な回答に眉間に微かにしわを寄せ、考える顔をした立花先輩は「よし!」と何故か気合いを入れるような声を出した。
「私、撮ってみたいです」
僕の目を見て、真剣な表情を向ける。その目からは意思の強さが窺える。
早く帰らないといけないが、これが立花先輩の想い出になるんなら、いいよな。
「分かりました。では待ってます」
了承して、僕が待ちの構えを見せると立花先輩は目をパチクリさせた後、焦ったような顔になった。
「え、そ、それは困ります!」
「え?」
どうして困るんだ?
「私、プリクラの撮り方が分からないです……なので教えてくれる人が欲しいです」
ああ、そういうことか。そこまで考えてなかった。立花先輩ごめんなさい。
「なるほど。では店員さんを――」
「村雨くんがいいです」
僕が店員さんを呼びに行こうとすると、立花先輩は何故か説明役に僕を指名してきた。
「え? 僕……ですか?」
僕より、店員さんの方が教えるの上手いと思うんだけど……。
「はい……ダメ、ですか?」
目を潤ませ、頬を桃色に染めながら小さい子供のように首を傾げる立花先輩。その姿は普段の大和撫子然としたお姉さん的雰囲気とは違い、女の子といった感じがする……。
年上の女性には失礼かもしれないが僕の語彙力では可愛いとしか表現のしようがない。
(そんな……そんな顔をされたら、断れないじゃないですか)
「駄目じゃ、ないですけど」
たぶん、今僕の顔は真っ赤になっているだろう……恥ずかしい。
「では、お願いします」
またお姉さんの顔に戻った笑顔の立花先輩。もしかして……結構な策士だったり?
まあ、いっか……もう。
半分立花先輩に乗せられた感が否めないものの、プリクラの撮り方を説明した。
前に和美と撮ったことがあるから、説明自体は問題なかった――のだが。
立花先輩が「一緒に撮りましょう!」と僕の手を掴み、撮影するところまで引っ張ってきて料金三百円を投入。そして、何故か立花先輩は少しだけ屈み、僕と肩と肩を寄せて……パシャ!
何と、僕まで一緒に撮影されてしまった。いいのかなこれ?
「わああ……綺麗です!」
立花先輩は出てきた十六枚のシール――プリクラをマジマジと見つめ、感激している。
「そこまで喜んでくれたなら、僕も嬉しいです」
こんな姿を見せられたら、後で立花家のお偉いさん方に何か咎められてもいいかなって気になる。そもそもゲームセンターに連れ出してる時点でかなりヤバいだろうしな……。
そんな今更な現状に今頃気づいた僕が悲観する中、立花先輩は何やら背筋を正して、
「ふふ、村雨くんのおかげで良いプリクラが撮れました。ありがとうございます」
と僕に向かって深々と礼をしてきた。その所作からは如何にも名家といった堂に入った印象も受けるが……それ以上に、何故か懐かしい気持ちになる。何で、なんだろう。
「い、いえ。僕は何もしてませんよ」
その疑問について考えていたので若干反応が遅れたが、何とか返答できた。
あ、そうだ。訊いておかないといけないことがあったんだった。
「先輩、今日どうでした?」
「え?」
キョトンとした立花先輩。うん。やっぱり可愛い。
「楽しかった――ですか?」
ここ、ゲームセンターに立花先輩を連れて来た目的。それを果たせたかどうか。
「はい。とても楽しかったです。こんなに遊んだのは生まれて初めてかもしれません」
……そっか。なら、目的は果たせたかな。
「そうですか。なら、連れて来た甲斐がありました」
立花先輩が精神的に疲れている原因は……やっぱり分からない。
でも、対処法はある。全ての人が大方これで元気になれる……と思う。
心が病んで、疲れているときは――逃げることが第一だ。逃げないと心が壊れてしまう。
だから逃げ場のない人間は、壊れやすく脆い。
そうならないように僕は立花先輩に逃げる手段のひとつとして、【遊ぶ】というのを提示したかった。遊びは楽しく心が軽やかになる。全てを楽にしてくれる。
これは僕の勝手な妄想だが立花先輩は名家のお嬢様だから、勉強に作法、学力や気品さを求められてきたのだと思う。保健室でも大丈夫だと連呼していたし、ひとりで問題事を抱え込む性格でもあるのかもしれない。だからこそ、今日一日くらい自由に遊んで、少しは気が晴れてくれれば、それでいいかなと勝手に思った。僕のしたことが良いか悪いかは分からないけど、立花先輩が楽しんでくれたのなら、今日はそれでいい。
「では、帰りましょうか」
「はい!」
僕の提案に、立花先輩はさっき見せてくれた大人のお姉さん的な笑みとは一線を画す、子供のような、何処かで見たことのあるような笑顔でそう答えるのだった。
ゲームセンターに行く道 を引き返す形で、ご近所さんの目を欺きつつどうにかこうにか学校の近くまで帰って来た。セーフ……だと思いたいものだな。
と、思っていると隣を歩いていた立花先輩が突然小走りで僕の正面に来た。
何だろう?
「村雨くん。今日はありがとうございます。おかげで元気が出た気がします」
「それは良かったです」
そのつもりで連れ出したんだ。つまりしっかり目的は果たせたということになる。
その言葉だけで何にでも立ち向かえるような、気分になるな。
「あ、そうだ。村雨くん。携帯電話はお持ちですか?」
何か思いついたのか、胸の前で小さく拍手するような仕草をした立花先輩はそんなことを訊いてくる。
「……? はい。持ってますけど……」
一体どういう意味だろう?
「はあ……良かった。では電話番号の交換をしましょう?」
「え?」
電話番号の交換……? 僕と?
「また村雨くんとお話したいので……その、ダメでしょうか?」
またプリクラの説明役を強請られたときと同じ目を向けて来た。
うう……その目は止めてください……。
「いえ、そんなことは……でも、いいんですか?」
もちろん、嫌ではない。こんな美少女に連絡先を交換しようと言われて嫌だという男はほとんどいないだろう。いや? 僕の好きなラノベ主人公なら或いは……いやいやアレは特殊なヤツだ。例外中の例外と言っていいだろう。一般論で言えば嬉しいのだ。そうしよう。
しかし、相手が立花先輩となれば話は全然違ってくる。
これは僕の凝り固まった固定観念かもしれないが……立花先輩は、世間一般的に言えばお嬢様。名家の御息女だ。そんな高貴な存在に僕のような一般人、しかも同性ならばまだしも異性の男子高校生と……いけないことだろう。
「……? 何か不味いのでしょうか?」
立花先輩はそんなこと微塵も思っていないのか、疑問の眼差しだ。
なら……僕から話そう。
「僕は普通の高校生で男です。でも、立花先輩は――」
「私が、お嬢様だから、ダメだと?」
僕の言葉を遮って、まるで僕の思っていたことを今読み取ったように訊いてきた。
その声は、今日聞いた限りでは一番冷たいものだ。
「ええ、まあ……」
「そんなこと関係ないです。私はあなたと、村雨くんとまたお話したいんです」
そう、思ってくれていたのか。そんなことを女の子に言われたのは初めてだ。
でも何で……こんなにも、既視感を覚えるんだろう。初めてのはずなのに。
――……くん! またお話しようね!――
(……え? こ、声? でも、どうして――)
「……村雨くん?」
「い、いえ! 何でもありません」
立花先輩の声で現実に戻ってきた僕は慌てて答える。
今のは一体……いやそれは後回しだ。とにかく立花先輩に訊かれたことに答えないと。
「……分かりました。では、これが僕の番号です」
僕は制服の胸ポケットからスマホを取り出し、自分の電話番号を画面に映して立花先輩に見せる。
「……! ありがとうございます!」
そんなに嬉しそうに喜ばなくても……でも、嬉しいのは僕も同じだ。
「あと、リネの連絡先も交換しましょう」
この際、全部交換してしまおう。電話が難しいときでもこのアプリならテキストでやり取りするから簡単に連絡が取れる。
「リネ? それは何ですか?」
相当な箱入り娘なのか、立花先輩はリネすら知らないっぽい。まあ、ゲームセンターも知らなかったくらいだからな。さもありなん。
なら、これから色んなことを教えてあげなくちゃな。ひとまずは、リネから始めよう。
「メッセージアプリです。メールみたいなものです」
微妙にアプリの実態とは異なるが大体これで合ってるはずだ。
メールが通じるかどうかすら怪しいが、電話が分かるならたぶん大丈夫……だと思う!
「そうなのですか。では、ぜひ!」
そう言って、立花先輩は僕に自分の携帯電話、珍しく僕と同じOSを搭載したスマホを両手で差し出してきた。わざわざスマホを僕の方に向けてから渡してきたということは、僕にリネを入れて欲しいという意味だろう。
「僕が操作してもいいのですか?」
一応確認する。
「はい。私は機械音痴ですし、見たところ村雨くんはお得意そうです。なので、おまかせします」
得意そうって……もしかしてゲームセンターで音ゲーをやってたからか?
まあ、いっか。気分が悪くなるどころかむしろ良いし。
「分かりました」
立花先輩に乞われた通りに、先輩のスマホを操作して電話番号とリネそれぞれの連絡先を交換する。自分のスマホと同じOSなので思っていたより早く交換できた。
「出来ました。これでお互い、声と文章で連絡できます」
交換完了報告と共に立花先輩のスマホを返す。立花先輩がしてくれたときと同じように立花先輩の方へ向けて。
「ありがとうございます! 必ず連絡します!」
そのスマホを受け取った立花先輩は大事そうにそれを抱きしめた。
その姿は何処か幼さを感じる。失礼かもだけど……。
「では、学校に戻りますか」
もう学校は見えてるからほぼ戻ってはいるんだけどね。
「はい!」
立花先輩は軽く頷くと、何故か僕の隣まで来て、お嬢様の微笑みを見せた。
そうして、僕と立花先輩は残り僅かとなった学校までの道を再び歩き出すのだった。
立花先輩と連絡先を交換してから五分も経たず、僕らは校門に着いた。
腕時計を見ると時刻はちょうど昼休みの中頃だ。桜木と話す約束をした時間だな。
桜木と話す時間を稼ぐため、教務室に急いで行くと運よく久保田先生がいた。
久保田先生にゲームセンター以外の事情、検査の結果を説明すると大いに喜んで、涙目になってしまった。もしかしたら、屋上の件をカウンセラーの自分の責任と考えているのかもしれないな。そんなことはないと思うんだけど……責任感の強い先生だな。
そんな久保田先生から保健室の鍵を借り、立花先輩の再び「大丈夫です」の応酬を「僕が心配なので今日一日はここで休んでください」と押し切り無事に保健室に送り届けた。
そして今朝桜木と約束した場所、待ち合わせの桜の下まで来た。中々なハードスケジュールだったぜ……全部僕自身が播いた種で自業自得ではあるんだけどね。
「桜木、いるか?」
少し大き目な声で桜木を呼ぶ。
『いるよー』
お、居てくれたみたいだな。
「ちょっと遅くなった。ごめんな」
両手を合わせ拝むようにして謝る。
『ううん。気にしないで。それより今朝の女の子は大丈夫そう?』
桜木もずっと立花先輩のこと心配してたのか。
相変わらず優しい温かみのある女の子だな。怖いはずの幽霊なのに。
「たぶん。大丈夫だと思うけど……しばらくは様子をみるよ」
また今朝みたいなことが起こるかもしれない。そうなったら僕がまた助けてあげられるか分からないしな。しばらく見守る必要がある。
『そっか。じゃあ、わたしも協力してもいい?』
「え? どうして?」
僕は今の気持ちはどうであれ、先生に頼まれたからという理由があるが、桜木には何もないはずだ。なのにどうして……?
『なんか、あの女の子、ちょっと気になるんだー』
気になる……僕と似ているようで少し違う理由だ。だけど――
「……分かった。立花先輩は女の子だし、桜木のアドバイスが必要になるときがあるかもだしな。よろしく頼む」
そもそも断る理由はない。それに相談相手がいた方が和美のときと同じく安心できる。
『うん! よーし! ナゴミちゃんのときのオメイヘンジョウ目指して頑張るよ!』
と気合いを入れまくる桜木はその意気込みを表明。
なるほど、桜木にとっては名誉挽回という側面もあるのか。
「汚名なんて最初からないぞ……でも、ありがとうな」
そう桜木にお礼を言って、ふたりきりの楽しい密談を桜の下で過ごすのだった。
昼休みも残り僅かとなり予鈴が鳴ったので桜木と別れた。
そして、午後の授業を受けるため教室へ行く途中――
「――秋!」
目の前から蒼がすごい形相で走って来た。
「おお、蒼。どうした?」
目の前まで来た蒼に何かあったのか訊ねる。
「どうした? じゃないでしょ! なんであんたは、いっつも突っ走るの!」
「いや、それはその……」
な、何でそんなに怒ってるんだよ。
「大体! 秋は自分のことを考えてない! 私がどれだけ心配したと思ってるの!?」
心配、してくれてたんだな。
囲む男たちを追い払ったとき和美は「大丈夫?」の一言もなかったが……。
「それに関しては謝るけど……だってしょうがないだろ? 人が落ちかけてたんだから」
「それは……そう、だけど……」
さっきまでの勢いは何処へやら、一気に蒼の語気が弱くなった。
一応は、僕の言ったことについて認めてはくれているみたいだ。
「――でも! もうあんなことしちゃ駄目だよ! 稽古も最近してないのに、体術なんて使ったら秋の身が持たない!」
それは……蒼の言う通りで、実際僕の身体が持たず最後の最後で足を滑らし危うく転落しかけた。桜木がいなかったらふたりとも死んでいたのは間違いない。
「……ああ、分かったよ。もうしない」
剣の稽古を続けているだろう蒼なら何てことはないだろうが僕がまた体術、飛瑞蒼焔流を使えば間違いなく身体は持たない。
「約束よ? 破ったらぶつからね?」
「うん、それでいい。約束だ」
「じゃあ、指きりげんまん、するよ?」
そうして蒼は握った右手の小指だけを上げた。
「あ、ああ」
僕も同じようにして蒼の小指と自分の小指を絡め、固く握る。
そういえば昔も、小学生のときもこうやって色々約束したっけな。
「指きりげんまん、嘘ついたら秋の顔をぶーつ。はい指切った」
と蒼はお決まりのやつをリズムに乗せて言うのだが……何か……違くない?
「何か変わってないか?」
「気のせいよ。それより、教室行こ? 午後の授業くらいは受けないと卒業に響くよ?」
こいつ、スルーしやがった……。でも、後半のセリフで悲しいことが分かったぞ。
「やっぱり遊んでたのバレてたか……」
全部お見通しの蒼さんには敵いませんな。ほんと。
「当たり前でしょ? あ、それと――」
「――秋の肩に付いてるながぁい髪の毛のことでちょっと訊きたいことがあるから夜電話する。詳しく聞かせてもらうから、ちゃんと出てよね?」
……? 何だそれは?
「肩に付いてるながぁい髪の毛? ……あ」
自分の肩を見ると、黒く長い髪の毛が付いていた。この長さは……立花先輩のものだ。
あ、もしかしてこれプリクラ撮ったときについたやつじゃ……?
てそれどころじゃない! 蒼はこれを見て多大な誤解をしてる! 早く弁明しないと!
「ち、違うんだ! こ、これはたまたま――」
「言い訳は夜聞きます。今は授業優先。分かったら行くよ」
「そんな……」
僕の弁明に聞く耳を持たず蒼は僕の手を取り引きずるようにして教室まで連行していく。
家に帰ってから警察のような取り調べの電話が蒼からかかって来たのは言うまでもない。
夜からではなく夜までだったその電話が終わったその後、桜木が愚痴を聞いてくれたのが今日の一番の救いだったかもしれない。本当に桜木さまさまだ。
立花先輩と出会ったその翌日。和美を見送った後、今日はさすがに来ないだろうと思われた蒼が何故か来たので不思議に思いつつも、桜木を連れてまた学校に向かう。
昨日の立花先輩の髪の毛の件で怒っているのか、蒼との会話も特になく学校に着いてたのだが……校門前に人だかりが出来ている。そしてその近くには白い長い車……リムジンが停車しているのが見えた。こんな田舎でリムジンなんて高級車を持っているのはひとつの名家しか思い当たらない。……立花家だ。
ということは、あの人だかりの輪の中心にいるのは――
「もう、お兄様。私は大丈夫ですから」
この声は……やはり立花先輩だ。生徒と生徒の隙間から見ると何やら正装に身を包んだ白髭が印象的なお爺さんの傍に立って、背の高い男性と話している。お兄様……と呼んでいるから立花先輩のお兄さんかな。
それにしてもいつも僕が学校に行く時間帯でこんな光景は見たことがない。
こんな時間に登校するのは珍しいのかもな。
「だ、だが、もしまた何かあったら……」
真っ青とまではいかないが顔色が悪い立花先輩のお兄さんは立花先輩に心配の言葉をかけている。その声からは危機迫るような不安が窺える。
状況から察するに昨日の『立花先輩屋上転落事件』絡みらしいな。
その事件で何かしらいじめや病気を疑って家に帰らそうとしているみたいだ。
お兄さんの気持ちは良く分かる。僕も和美に何かあったら……考えることすら怖い。
「大丈夫です。最近は気が抜けることもなく、健康そのものです。それに昨日、お医者様にも診ていただいて異常はないと言われました。だから兄様は心配せず、安心してお帰りください」
立花先輩は心底不安そうに心配しているお兄さんを説得するべく笑顔でそう返している。
この人、意外にも頑固だからな……。
「しかしだな……ええい、黒田! お前からも何か言って――」
ついに自分だけでは立花先輩を連れ戻すことが不可能と判断したのか、お兄さんは先程から立花先輩の隣にいる執事みたいな恰好をした……いや本物の執事かもしれないがその白髭がトレードマークのお爺さんに向かってそう言うが――
「宜しいではありませんか、樹様。お嬢様もお元気になられて……この黒田、久方ぶりに感激致しました」
と嬉しそうにぽろぽろと喜びの涙を流すばかりでとても助っ人にはなりそうにない。
「もう、黒田さん。人前で泣くのは止めてください……恥ずかしいです」
そんな執事らしきお爺さん、黒田さんに言いながら立花先輩は頬を染めている。
「これは失礼致しました……しかし、わたくしも年でありますからして……涙を流すことをお許しくださいませ……うう……」
などと黒田さんはハンカチを出して、溢れ出る涙の雫を上品に拭っている。
立花先輩の注意空しく、感受性が高く感傷的なお爺さんには無力だったようだ。
「何故だ……兄がここまで言っているというのに……」
いや、お爺さんだけじゃなくてお兄さんもか。
顔を押さえて何やら苦しげな声を出してる。
「もう兄様、いい加減にして……あ! 村雨くん!」
な、何で気づいた? もしかして生徒の間から見えてたのかな?
呼ばれて行かないのは良くないので人の輪の中をぬってその中心に出る。
「おお、この方が昨晩お嬢様が仰せになられていた当代の村雨殿でありますか」
黒田、と呼ばれていたお爺さん執事が出て来た僕を見て驚いたように呟く。
て立花先輩、僕のこと話してたんだな……ということは僕の首に鎌がかかっているぞ。
「……村雨?」
対してお兄さんの方は怪訝そうに目を細めている。不機嫌そうだ。
「どうも、お初にお目にかかります。村雨秋人です」
と、とりあえず自己紹介と一緒に礼をする。
「そうか、お前が……」
「……?」
お兄さんは僕の名前を聞いて悲しげな顔を僕へ向ける。な、何か失礼でもしたかな?
「無理に連れて帰ろうとして悪かった。今日はもう帰るよ。でも何かあったら電話しろ」
僕から妹の立花先輩へと視線を移し、お兄さんはそんなことを言う。
僕を見た途端に言ってることが急に変わったな。これが良いのか悪いのか……。
「わ、分かりました。では、黒田さん」
立花先輩も先程までとは一転して諦めたお兄さんに驚きつつ、執事の黒田さんを呼んだ。
「はい、心得ております。帰りのお迎えは如何致しましょう?」
「よろしくお願いします。場所は校門前で」
「承知致しました。では、失礼致します」
実にお嬢様と執事らしい会話をして、黒田さんはお兄さん……樹さんを乗せるためかリムジンの後部ドアを開けた。樹さんは何故か一瞬流し眼で僕を見た後、リムジンに乗り込んだ。黒田さんは樹さんが乗り込んで足を挟まないか安全を確認するとドアを閉める。
そして黒田さんも運転席に乗り凄い高級感と気品溢れる駆動音がするエンジンをかけ、立花家の御息女を残して発車した。
そんな現実味のない光景を前に、唖然としていた僕の隣にはいつの間にか蒼がいて、
「あ、蒼じゃん」
「やっほー」
「ちょっち宿題教えてくれない?」
などと友達らしき女子生徒たちに話しかけられていた。
「……ごめん、秋。先に教室に行ってるね?」
「あ、ああ」
と蒼は僕を残して先に教室に行ってしまった。
蒼は友達の宿題まで見てるのか……良い人には人望があるな。
「……何なんだ一体」
「村雨くん、先ほどは兄が失礼な態度をとってしまい、申し訳ありません」
蒼が僕から離れ人だかりがまばらになってくると、立花先輩は胸の前で両手を軽く握るお嬢様っぽい仕草をしながら近づいてきた。
「い、いえ」
立花先輩もそこまで気にすることないのにな。
「……兄は少しばかり家族への想いが強い人で、私が男の子、村雨くんと知り合っていたのが気に入らなかったんだと思います」
「そう……なんですか……?」
確かに僕も和美が男を作ってたら複雑な心境になるからな……あの悲しげな顔はそういう意味だったのか? そう、なのか?
「はい。きっとそうです。なので、どうか先程の兄の非礼な態度を許してください」
と申し訳なさそうな声と共に深々と頭を下げてきた! いやいや!?
「あ、頭を上げてください! 僕はそんなこと全く思っていませんから!」
慌てて頭を上げるよう促す僕に立花先輩は、
「……あ、ありがと、う……ございます……」
と頭を上げてくれたのは良かったのだが……泣いちゃっている。な、何で?
「だ、大丈夫ですか?」
「は、はい……大丈夫です」
立花先輩はそう言うと、上品な手つきで涙を拭っている。
なら、いいんだけど……もしかしたら立花先輩はお兄さんのこと、僕に嫌いにならないで欲しいのかな? それで感情が昂って泣いてしまったのか。何だかそんな感じがする。
「先程のお詫びになるか分かりませんが、これをどうぞ」
そう言って立花先輩が涙を拭った手で肩にかけている僕と同じ学生鞄から長方形の紙を取り出すと、両手で渡してきた。それを受け取ると、
「これは……」
渡されたピンクの紙には【天瑞祭 夏の花火大会 桜美商工会発行チケット】の文字が印刷されている。その紙、チケットはかき氷、金魚すくい、福引きなどの種類に分かれていて、それらはホッチキスで留められている。これで一セットなんだが、それが三つだ。
「八月一日、桜美中学校で開催される花火大会、夏祭りのチケットです」
立花先輩は丁寧に僕に説明してくれた。優しい。でも……。
「八月ってまだあと四カ月ありますよね?」
僕もこの夏祭り自体は知っているし、行ったこともあるんだが……このチケットの販売が開始されるのは七月くらいからで、早くても六月の中旬だ。それが何故? という疑問がどうしても出る。まだ四月の初めだしな。
「はい。ですが、私の家もこの花火大会に出資しているので早めに入手出来たんです」
な、なるほど。地元協賛企業に立花ホールディングスがあるのか。
立花家、恐るべし。
「いただいても、いいんですか?」
立花先輩はお詫びなんてする必要もないのに何か自分がズルをしているみたいで、本当にもらってもいいのか不安になる……。
「もちろんです! どうぞお友達も誘ってください」
ああ、それでチケットが三セットもあるのか。立花先輩、そんなことまで考えてくれたのか。本当に良い人だな。これは、せっかくの厚意を無下にすることはできないな……。
「分かりました。あ、この夏祭り、立花先輩も行かれるんですか?」
「はい。恥ずかしながら、巫女をやることになりました」
と少し頬を紅く染めながら、そう教えてくれる。
巫女……ああ、天瑞祭の巫女神楽か。これはまた凄いな。
「そうなんですか。それは見にいかなければ、ですね!」
立花先輩の巫女姿、この目に焼き付けねば。
「もう、からかわないでください……」
さっきより真っ赤になった顔を両手で隠す立花先輩。うん……これで巫女服姿になってちゃんと神楽舞を踊れるんだろうか……。可愛いけど。
「まあ、それはともかくとして……チケット、ありがとうございます」
お礼を言い忘れたらいけないから今言っておこう。友達の分までくれたしならなおさら。
「いえ、お礼には及びません。ぜひいらしてください」
何とか赤面を解いた立花先輩が笑顔でそう返してくれた。
「はい! ……では授業に行きますか?」
もう少し立花先輩と話していたいが、いつまでも校門前に居る訳にはいかないからな。
「はい。ふふ、夏が楽しみになりました」
胸の前で拍手するみたいに手を合わせて、嬉しそうに微笑む立花先輩。上品というより女の子っぽい笑みだ。こんな顔もするんだな……実際に会って二日目だから新鮮だ。
「僕もです」
立花先輩の笑みを見ていると自然と僕も笑ってしまう。不思議な気分だ。
あ、そういえば桜木のこと放置だったけど……まあ、大丈夫だろう。
そうして僕らは来る八月一日に向けて、今日を頑張るのだった。
ユーレイ少女は生きている たかしゃん @takasyan_629ef
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