『使徒』と名前と再会
トア・ヴォルドゥーアがDeicide本部の地下訓練場での戦闘訓練に明け暮れて暫くたった
いつもの様に黒いコートを羽織り部屋を出ると、扉の前に黒髪赤目の整った顔立ちの青年……トアの義父であるシキが立っていた
「どうしたの、シキ」
「正式に上層部からトアの外出許可がおりたよ。だから今日は俺と外へお散歩」
黒い紙を手渡され白い字で書かれた内容を読むと、確かに本部長の名前や外出についてなどが書かれている
「…組織に入ってまだ比較的日が浅い俺達に本部は首輪をつけたいみたいだけどね。そこはウィリアムが上手いことやってくれてるから、トアは気にしなくていいよ」
黒フレームの眼鏡を指先で押し上げ眉間に皺を寄せるシキに苦笑いを零す
シキのいう首輪というのは、正真正銘本部の上層部が強力な力を持つ者を抑制し、監視下に置くための首輪型装置である
10桁にも及ぶ複雑なコードがロックとなり、無理に外そうとすれば微電流が流れ一時的に行動不能となってしまう
「そんなもの付けられないように、僕は優等生を演じてたつもりなんだけど」
「トアの能力は強力だから……『使徒』に寝返られたらって危険視する奴も少なからずいるんだよ」
「何か、複雑だよね」
……自分は『使徒』から寝返った側だというのに
※※※
陽が沈み、夜がやってくる頃
巨大な犬の姿になったシキの背の上で、トアは数年ぶりの景色を見渡していた
シキと本部に訪れてから、外には1度も出ていない。そのせいか、久しぶりに見た外はまるで別世界のようだった
しかし、その景色は決して美しいものとはいえない
ニュクスの厄災が起きてから、地上の生命は異様な進化を遂げ荒廃しきっている
人類が『使徒』と『神殺し』に二分された今、社会というものは殆ど存在しなし状態だ
『使徒』は主なるニュクスの為に、『神殺し』は厄災の女神を滅する為に
人と人とが手を取り合い協力し、築き上げていく世界はここには無い
「静かだね、シキ」
『此処は使徒とDeicide、それぞれの管轄領域の境界だからね。ここら辺にいればどちら側にも疑われる。だから殆ど人は来ないよ』
シキから飛び降りて崖の上に腰をかける
散歩とは言ったものの、何も居らず何も無い此処ではただボーッとするだけだ
ぼんやりと暗くなっていく景色を眺めていると、シキがピクリと耳を動かし顔を上げた
「どうしたの?」
『匂うね……恐らく使徒の人間だ。トア、ここから離れ……』
シキがそこまで言った時、彼の頭上から小さな影が飛んでくるのが見えた
「シキ!」
岩をも砕くような凄まじい音と土煙が上がる
口元を手で隠し、シキの姿を探すトアの目には違う人物の姿が映った
両耳の上で縛られた長い金髪に青い目。白装束に身を纏い、右手はギチギチと音を立て大きな口を持つ気味の悪い異形になっている少女
トアを見て嬉しそうに笑う少女の顔には、黒くなった血痕がこびりついている
「……久しぶりだね、エリス」
「私の事、覚えててくれたんだ!嬉しい!」
エリスと呼ばれた少女は満面の笑みを浮かべ右手を異形から元の形に戻すと抱き着いてくる
抱き着かれながらもシキの姿を探すと、無事だったのか少し離れた場所から駆けてくるのが見えて安堵の息を吐いた
「ねぇ、ケール様もモイライ様も貴方のこと探してる。私と一緒に帰ろう?ネメシス」
『ネメシス』
そう呼ばれたことで、忘れていたかつての記憶がじわりじわりと染み込む水のように思い出される
そうだ、自分はトア・ヴォルドゥーアになる前はネメシスと呼ばれていた
そしてエリスが口にしたケールは母、モイライは父の名のはず
「トアを返してもらうよ!」
耳元で聞こえたシキの声に、トアは自分がぼんやりしていたことと人型の彼に抱き抱えられていることが分かった
地面に降ろされ距離のできたエリスを見ると、彼女は理解できないと顔を顰めていた
「トア……?誰それ。ネメシスはネメシスよ?それにアンタ誰よ。ネメシスを返して」
「エリスと言ったね。この子はネメシスなんて名前じゃない。トア・ヴォルドゥーア……彼は俺の息子だよ」
シキの言葉に更に理解できないとエリスは首を傾げる
冷静さを取り戻すように深呼吸をしたトアはエリスの青い目を真っ直ぐ見据えると、口を開いた
「エリス、僕はもう使徒には帰らない。僕はシキと契約を交わしてDeicideになった」
「……何を言ってるの?ネメシス。……そう、貴方その男に騙されてるのね」
訝しげに歪んでいたエリスの顔は勝手な解釈によって納得の色を見せる
彼女は何を勘違いしているのだろう
「私、ずっと貴方を探していたの。幼馴染みが突然姿を消したって知って驚いたのよ?その男に騙されて攫われたのね…でも大丈夫よネメシス。私が貴方を助けてあげる!」
酷い勘違いだ
『使徒のネメシス』である自分はシキと出会ったあの日、死んだ
今ここにいるのは本来の肉体を捨て、器の肉体に入っているトア・ヴォルドゥーアなのだ
再び右手を異形へと変えたエリスに襲いかかられたシキの前に影で盾を作り攻撃を防ぐ
同時に影の剣を作り出し、彼女に斬り掛かった
まさか自分を攻撃してくると思わなかったのか、エリスは驚愕の表情をトアへ向ける
「何でっ……ネメシス、目を覚まして!」
「僕は正気だ!幼馴染みでも関係ない……Deicideである以上、『使徒』である君を倒す!」
何で、どうしてとエリスは動揺しているが関係ない
今の彼女は敵であり、そしてトアにとって何よりも大事な存在であるシキを襲ったのだ
「トア、彼女は殺してはいけないよ」
「…わかった」
背後からのシキの言葉を真意をとらえ、エリスと斬りむすぶ
今夜は雲がないので月明かりが明るく周りを照らしている。その為、夜でも影を操るのには苦労しない
飛び下がったトアは地面に左手をつき力を発動し影の異形、マッドハンター(狂った帽子屋)を作り出す
漆黒のハット帽と燕尾服を纏い、顔は包帯で巻かれ大きく裂けた口元がニヤリと不気味な笑みを浮かべトアの傍らに立つ
体中に巻きついている荊の蔓が、ギチギチと音を立てている
「『使徒』の一員、エリス・エヴァルディオ。君を捕縛する」
トアが言い放った瞬間、目にも止まらぬ速さで狂った笑い声をあげるマッドハンターはエリスの懐へと飛び込み、呆気にとられてる彼女の両手足を影の茨で串刺しにする
鋭い悲鳴が響き、赤い飛沫が舞ったがトアは顔色を変えず痛みに藻掻くエリスへ近づくと、念の為に持ち歩いていた捕縛用にとDeicide本部の技術局が開発した首輪と手枷を嵌める
マッドハンターを消すとトアは小さな黒い蝶を作り出した
「何でっ、何でよネメシス!貴方だって知ってるでしょう!?ニュクス様がどんなに崇高で素晴らしいか!なのにどうして愚かな背信者たちの味方なんてするの!?」
白装束は血で赤黒く染まり、髪はグシャグシャになっている
青い目からボロボロ涙を流しながら訴えてくるエリスの頬を指先で優しく撫でると、トアは小さく「ごめん」とだけ呟いた
昔から知る幼馴染みを傷付けるのはやはり胸が痛む
しかし、彼女の発言から察するにエリスはニュクスを心から信仰し崇拝している
Deicideであり、災厄の再来を防ぐ為にニュクスを滅するのが役目であるトアとは決して相容れないのだ
黒蝶が羽ばたき散った鱗粉がある種の薬となってエリスの意識を奪い、彼女はゆっくりと目を閉じた
意識がないことを確認すると、抱き抱えいつの間にか犬の姿に戻っていたシキの元へと向かう
『 ……俺はいらなかったかもね』
「そんなことない。実際最初にシキに助けられたし、エリスがシキに敵意を向けなかったら僕は彼女に剣を向ける勇気が出なかったと思う」
シキはジッとトアを見つめる
昔からのトアの癖である唇を噛む姿を見て、彼の頬に濡れた鼻先を押し付けた
『トア、君はDeicideの一員として正しいことをしたんだよ。君の実力を確かめる為と俺は手を出さずに見ていたけど……本当に強くなったね』
「それでも、エリスの殺意をシキに向けることになった。僕はそんなこと…」
『トア』
不安そうに見上げてくるトアの赤い目は静かに揺らいでる
育ての親であり師である自分と、かつての仲間であり幼馴染みである少女エリス
どちら側もよく知っているトアには、どちらかを選ぶということは苦しかっただろう
其れでも彼は自分といる『今』を選んだ。シキにとってはそれで十分だ
『これからもきっとこのようなことは沢山ある。それこそ、トアの本当の両親と相見える日だって……それでも、何があっても君は俺の息子だよ』
まだ覚悟はできていないのかもしれない
それでもいい
彼が攻撃された自分を大切に思ってくれたように、自分にとってもトアは大切な存在だ
実の両親やかつての仲間達と戦う覚悟がトアにあってもなくても、彼の傍を離れるつもりはシキには毛頭無い
魂を繋ぎ合った仲なのだ。そう容易なことでは自分たちを引き裂くことなど誰にも出来ないだろう
『彼女は本部に着いたら尋問が待ってる。それこそ今日のトアとの戦い以上に傷つくかもしれない』
「……構わないよ。エリスは僕の幼馴染みである以前に女神を信仰する『使徒』だ」
意識のないエリスをシキの背に乗せて、トアも飛び乗る
毎日入念に行っているブラッシングのおかげか、シキの艶のある黒い毛は柔らかくトアの体を包んだ
しっかりとエリスの体を抱え、走り出したシキの温もりに頬を寄せる
『……帰ろうか』
「うん…帰ろう」
自分は『使徒』のネメシスではない
ブラックドッグ、シキ・ヴォルドゥーアの息子であり弟子であり弟。Deicideの一員であるトア・ヴォルドゥーアだ
自分の帰る場所は、何時も傍にある
本部へと向かうシキを見つめ、頬を緩ませるとトアはエリスを抱え直しゆっくり目を閉じた
Deicide カイ @kamiguicat
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