歴史になったアヒル

四葉くらめ

歴史になったアヒル

『あら、いい匂いね。今日はフレンチトーストかしら?』

 卵液をたっぷり染みこませたフランスパンを弱火でじっくりと焼いていると、音につられたか匂いに起こされたか、この家の主がペタペタとダイニングへと歩いてくる。

 間の抜けた音である。

 今ではもう慣れたものの、あの足音がそこら中で聞こえるのが最初は苦痛だった。なんなら悪夢的であったと言ってもいい。

『早く早く』

「へいへい。お待ちくださいませ」

 まあ、こんなもんだろ。多少生っぽいような気もするが、そんなことは彼女も大して気にしない質なので、いいだろう。手早く皿に移し替えてテーブルへと置いた。

 待ちきれなかったのか、彼女は既に両手――手と言っていいかは微妙なところだが――にナイフとフォークを器用に持っていた。

 そして小さなサイズにパンを切るとその黄色い口を大きく開けてパクリと一口。

『グワッ』

 そして――鳴いた。

『やっぱり美味しいわね! グワッ』

 そして、また鳴いた。

 彼女の前に座り、俺も自分の分を食べ始める。

 そして、フレンチトーストを鳴きながら(『泣きながら』ではない)食べるその黄色いくちばしを持った白い生物を見つつ、溜息とも呻き声ともつかない声を漏らした。

 はぁ、食べてんだよなぁ。フレンチトースト。



 〝アヒル〟がなぁ……。



 オメーそれ鶏の卵使ってんだけど抵抗ないのかよ……。

 そんなことが気になってしまうあたり、人間であるこの俺も大分この状況に毒されているのだと思った。



『いい? アヒルというのはとても気高く、好奇心が旺盛で、そして賢しい生き物なのよ。この地球上に生きる数多の生物の中でトップレベルで頭の良い生物だと言えるでしょう』

 彼女は『グワッ』と鳴きながらそうご高説を垂れる。

『であるからして、私たちはいつも他者を気にかけなければならないわ。優れた生物は他者が困っていたら助けなければならない。そして、他者を助けることでまた、私たちもより高みへと昇っていくのよ』

 『グワッ』と、部屋の誰かが賛同するように、あるいは返事をするように鳴いた。

 正直俺には彼ら彼女らの鳴き声の違いなんかは十年近く聞いてきてもまったく聞き分けられないので、よく分からなかった。

 ここはアヒルの学校のようなものである。俺の主人は王室の一員であることもあり、ときどきこうして教壇に立っているのである。

『グワッ』と元気のいい鳴き声とともに、一人(一匹?)のアヒルが手を挙げた。

『では、白磁宮はくじのみや様はそこの人間に施しを与えてらっしゃるのですね!』

 その意見に教室ではグワグワと小さく笑い声が漏れる。

 ……多分〝クスクス〟笑おうとしているのだと思う。クスクス感ないけど。

『それは……少し違うかしら』

 さっき手を挙げたアヒルに対して、そして教室全体の雰囲気に対して少し悲し気な顔をしながら白磁宮は答えた。

『確かに人間は哀しい生き物だと思うわ。あれだけの技術力や知恵を持っていたのに、それを争いや人を蹴落とすために使う人がいたり、最終的には核戦争を起こす始末だものね』

 今、生物が住める場所は限られていた。地球上の多くは放射能によって死の大地となり、ところどころに不発弾が眠っている……。人間は地球をそんな世界にしてしまった。


 第三次世界大戦の開幕。


 人間はもっとも愚かな選択をしたのだと思う。


『でもね。別に皆が皆じゃないの。寧ろほとんどの人間はとってもいい子だったのだと思うわ』

 それを確かめる術はもうない。

 ほとんどの人間は死滅したからだ。

 俺は運よく彼女――白磁宮に拾われたからなんとか生き延びることができたが、多くはミサイルの雨と死の灰によって死に絶えてしまったことだろう。

『どうしてそんなことが言えるのですか?』

 別のアヒルが手を挙げて問う。

『だって、この子はこんなにいい子だもの』

 そう言って、羽根を勢いよく羽ばたかせたかと思うと、俺に向かって突進してきた。

「ちょ、やめっ。重いっつの!」

 そして俺は白磁宮の首根っこ辺りを片手で摘まみ上げる。

 その雑な扱いに教室中のアヒルが抗議の鳴き声(とてもうるさい)を挙げるが、ただ一人、白磁宮だけは、

『恥ずかしがりやねぇ』

 と笑っていた。

 いや、アヒルが笑っているかどうかとかよく分からないんだけどさ。



『はぁ……』

 講義から帰ってくると、白磁宮はくじのみやは一つ溜息を吐いた。

「どうしたんだよ。珍しいな」

 元来子供好きの白磁宮はこういう講義も好きなはずだが。

『最近、あなたを蔑むような目で見る人たちが多い気がするの』

「そりゃ俺が人間だから仕方ないんじゃねえの?」

 教科書では人間が犯してきた罪が多く語られているし、子供に読み聞かせる絵本にしても人間が悪者として描かれているものが多い。

『仕方ないなんて言わないで欲しいわ』

 『グワッ』と抗議の念が飛んでくる。

「にしても、なんであんたは俺なんかを拾って育てたんだよ。王室的にはかなりリスキーだったんじゃねえの?」

 実際聞いた話では、周りからはめちゃくちゃ反対されたらしい。そしてそれに反発して、彼女は普段住んでいる王城から出てこんな一般のアヒルでも住んでいるような家にいるのだとか。

『んー……グワ?』

 いや、んな返しされても……。

『正直、大層な理由なんてないのよ。別にあなたが貴重な人間だからってわけでも多分ないし。ああ、でも夫が亡くなってすぐだったから何か寄る辺を探していたのかも』

 そういえば彼女の夫はもう十数年前に病気で亡くなっているらしい。

『まあどんな理由でもいいのよ。今、私とあなたが楽しく暮らせているなら。

 そういえば、新元号はどうなるのかしらねぇ』

 突然話が変わる。まあそもそも特に考えもせずにだらだらと喋っているだけだから、こんなもんである。

 このアヒルの国では現王から王子に位を譲るときに同時に元号と言うものが新たに振られるのである。これは昔の人間の国の文化に習っているらしい。

「さぁなぁ。今までのはどんな感じで決められてたんだよ?」

『やっぱり縁起のいい文字とかがよく使われているみたいよ? あとはその前の時代の偉人に敬意を表して、その偉人の名前を使ったこともあるみたいね』



 ここアヒルの国にとって、いや生物が統べるすべての国にとって外の世界というのはとても危険なものであり、絶対に出てはいけない場所であった。

 しかし、禁じられているからこそ、出たくなるのがアヒルというものであり、子供アヒルは特にその傾向が強かった。

 何せアヒルは賢くて、好奇心が旺盛なのである。

 『グワッグワッ』という慌てた声は俺には何を言っているのかまったく分からなかったが、どうやら数人の子供がいなくなったとかそういう話のようだった。

 しかも、聞き込みをしていくと、どうやら子供たちは外の世界へと向かっていったらしい。

「ちっ。俺は子供たちを追う。あんたはここにいてくれ!」

『私も行くわよ! あんた一人に任せておけますか!』

「王室が何言ってんの⁉ 危ないだろ!」

 そんなことを言いながら走っていると、次第に外に出る。

 久しぶりの外だが、感慨なんてものはこれっぽっちもなかった。寧ろ、焦燥感に襲われて、鼓動は自然と早くなる。

『……あっち! 鳴き声が聞こえるわ!』

 白磁宮はくじのみやが駆けだしたので追いかけると確かに僅かだが鳴き声が聞こえてくる。

「いた! おい、お前ら大丈夫か⁉」

『グワッ、グワッ』

 怪我はなさそうである。でもその慌てぶりは異常なほどで、何か問題が起きていることを察した。

「なんだ……? このでかい塊は」

 それは鉄の塊だった。胸に抱えあげられるぐらいの大きさで、冷たい質感は表面の冷たさ以上にどこかひやりとしたものを感じさせる。

 しかし、子供たちが騒いているのはどうやらこれ自体というわけではないようだった。

 よく見てみると文字盤のようなものがあり、そこでは『ピッ、ピッ』と一定の間隔で数字がカウントダウンをしていた。

 ――っ、まさかこれっ。

『ミサイル……』

「嘘だろ……っ」

 もし、これが第三次大戦のときに使われていたミサイルだとしたら、このカウントダウンが0になったらこいつが爆発するってのか?

「白磁宮! あんたは国の人間を避難させろ! できるだけ南側に逃げるんだ。俺はこいつをできる限り反対方向に運ぶ!」

 アヒルの国はこの地下に広がっているのである。もしここでミサイルが爆発しようものなら、甚大な被害は免れない。ならば、爆発まであと数分しかないが、少しでも遠くに運ばなければならない。

 それでも被害を0にすることはできないだろう。あとは時間との勝負だ。

『グワッ』

 その鳴き声は否定の声だった。あるいは決意の声だったのかもしれない。

 僕にはアヒルの鳴き声なんて聞き分けられないから、彼女がその鳴き声に何を込めたのか、正確に図ることはできなかった。

『皆を避難させるのはあなたよ。このミサイルは私が運ぶわ』

 そう言って、白磁宮はミサイルを器用に背に乗せると、バタバタと羽根を動かした。

 羽根を動かし、そして――。

「飛ん……だ?」

 アヒルが、背にミサイルを乗せて、空を飛んでいた。

『ふふっ、知らなかったでしょう。王室のアヒルはね……』

 そうして、次第に彼女の姿遠ざかっていく。



『空を飛べるのよ』



 それから数分後。大きな爆音とともに地響きがアヒルの国全体を襲った。

 いくつかの家は倒壊してしまったものの、事前の避難が間に合い、怪我人は奇跡的に0だった。

 しかし、犠牲は0とはいかなかった。

 王室であり、多くの人に慕われていた白磁宮の死である。

 白磁宮はこの国を救った偉人となった。

 そして、国王と王子は白磁宮を称え、新元号を『白磁』としたのだった。

 もちろん、国民の中には反対をするものなどいるわけもなく、皆が今日この日を自分の子や孫に伝えていくことを心に誓った。



 ……とまあ、ここで終わっていれば割と綺麗にまとまっていたのだが。



 ジューっとフライパンが音を立てている。

 卵液をたっぷり染みこませたフランスパンを弱火でじっくりと焼いていると、音につられたか匂いに起こされたか、この家の主がペタペタとダイニングへと歩いてくる。

 間の抜けた音である。

『今日も美味しそうね!』

「いや、なんで生きてんの?」

『その言い方はひどくないかしら⁉』

「だって、ねぇ?」

 こんだけ国民を泣かせ(「鳴かせ」ではない)元号まで変えちゃったっていうのにこのアヒル、数日後にこっそりと帰ってきたのである。

 ……あの日の夜に流した涙を返して欲しい。

『い、いやぁ、私だって大変だったのよ? これだけ高くまで上がれば大丈夫かな~ってところまで飛んでからミサイルを離したんだけど、離すのがギリギリ過ぎて私も結構爆発を受けちゃって』

「いや、普通にそこでくたばっ――死んじゃったかと」

『今、「くたばった」って言おうとしたわよね⁉ ふふん、知らないのね。王室には加護があるからある程度の爆発は防げるのよ♪』

 すげぇな王室。

 ん? ってことは……。

「まさか……、国王も王子もあんたが生きてること知ってるんじゃないのか?」

『そりゃ知ってるんじゃない? あの子たちも王室なんだし』

 この白磁宮はくじのみやは国王――元国王の姉であり、少し前まで王子だった現国王の叔母なのだ。

『まああの子たちも新元号どうしよー。どう決めたって誰かしら反対するんだよなーってぼやいてたし、私を偉人に仕立て上げて新元号にしちゃった方が反対意見も少ないと見込んだんでしょ』

 確かに……。

 実際、僕の知る範囲では新元号に賛成をしている人こそ多いが、反対意見は見たことがない。

『私もいい加減王室なんて面倒な物辞めたかったし、WinWinってやつよねぇ』

 そう言いながら、彼女は一口サイズに切ったフレンチトーストを黄色い口へと運び、


『グワッ』


 と嬉しそうに鳴いた。

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歴史になったアヒル 四葉くらめ @kurame_yotsuba

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