物書きもどきが物書きに戻るお話

だでい

物書きもどきが物書きに戻るお話

(全っ然捗らねぇ)


 随分とぬるくなってしまった紅茶を一口啜ってから、深いため息を吐く。開かれたテキストソフトの画面は、目が痛くなるぐらい真っ白なままだった。

 喫茶店に着いてすぐに注文を済ませ、案内された席についてノートパソコンを起動。テキストソフトを開いた頃に丁度店員がやってきたので、受け取った紅茶の香りを存分に楽しみながら一口いただく。そこまでは、まぁよかった。

 そしていざキーボードへと手を伸ばし――そこからまるっと二時間がすでに経過していた。

 最近はずっとこうだ。先の展開はぼんやりと頭にはあるものの、それを書き出そうと向き合っても上手くいかない。短い文章を打ち込んでは、こうではないとバックスペース。そんなことを繰り返すうちに気晴らしにとスマホに手が伸び、そうなるともう駄目だ。

 目の前の作品から逸れた視線はSNSの濁流に呑まれ、ソシャゲの荒波に沈む。そしてやっと顔を出した時には時間に比例も反比例もせずにただただ変わらない白紙の原稿に出迎えられる。慌てて少しぐらいは進めようと唸ったところで、それまで何もしてなかったのに急にひねり出すなんてこともできるわけがなく。やがてカップが空になっても新しく注文する気も起きず、げんなりしながら席を立つ。気づいたときにはこんな良くないルーティンが出来上がっていた。


「……帰るか」


 そして今日もその例に漏れず、一文も書きあげることなく閉じられたノートパソコンを片付けて席を立った。虚無の時間に払うお金に空しさを覚えたが、すぐに紅茶一杯分だと思い直す。実際そうなのだが、執筆作業をしようとわざわざ来ていたことを思うとどうしてもそんな考えが付きまとった。

 喫茶店を出てふと顔を上げると、道路を挟んだ対面にある書店から学生服の少年が紙袋を小脇に抱えて出てくるのが目に入った。


(……そういや、最近本読んでないな)


 ぼんやりと、そんなことを思った。



 φ……



 自分は作家ではない。社会人が気ままにweb小説をアップするだけの趣味の創作。中学生の頃にネット小説に触れて、自分にもできるかもしれないと投稿を始めたのがきっかけだ。今思えば結構な思い上がりだったと思うが、これが意外と書けてしまったので始末に負えない。

 今公開しているので何作目だったか。ぱっと浮かばないぐらいにはいくつもの作品を公開してきた。

 未来の世界で未知の技術に触れながら旅する冒険物。異能を理由に迫害された青年が異世界で平穏を望むバトルファンタジー。探偵が相棒とともに不可思議な事件に巻き込まれながらも力を合わせて見事解決せしめるSFミステリー。etc……振り返ればすぐに思い出せる愛すべき物語たち。

 その全てが例外なく未完結だった。

 宙ぶらりんのまま取り残された作品たちは、今もはるか昔の更新履歴を掲げてネットの海を漂っている。

 次こそはと始めた今作も、見事どん詰まりに陥ってしまっている。我がことながらもううんざりだった。

 そんなだから、丁度新しい刺激が欲しかったのかもしれない。


「なんだこれ」


 web小説を書いていると、やはり同じようなネット物書きの作品が気になることもある。同じ物書き同士ということでSNSでフォローしたりすると結構な確率でフォローを返してもらえるのだ。

 そして往々にしてそういうタイプの人間は本を読んでいる。多分。きっと。メイビー。歯切れが悪いのはかく言う自分が最近めっきり読んでいないから。

 そんな(推定)本好きなフォロワーの一人がタイムラインに流した一本の動画が目に留まった。再生を示す横向きの三角マークがついたサムネイルには、なにやら本の表紙と一人の少女の立ち絵が映っている。

 どうやらこの少女は本山らのというバーチャルユーチューバーらしい。VTuberの活動というと、精々ゲーム実況ぐらいしか出てこないぐらいにはその界隈には疎いのだが、どうやらこの本山らのという人物はライトノベルを中心に紹介・販促動画を作っているらしい。それがどこまで特殊な活動なのかはいまいちピンと来ないのだが。


「ライトノベルかぁ」


 ちらりと見た自室の本棚にもその表紙がちらほらと見受けられる。といっても、もう何年も読んでいない。

 学生時代に熱中して当時は何冊も読んでは買ってを繰り返していたが、歳を重ねるたびにじんわりと熱は霧散し、いつの間にか全く読まなくなってしまった。

 正直なところ、今更ライトノベルもなぁ、とは思わなくもなかった。それでも彼女の動画を見てみようと思ったのは、かつてライトノベルに夢中になっていたあの頃の自分がまだどこかにいたからかもしれない。


『おはらの! 本山らのです!』


 まず思ったのは「可愛い声だな」だった。開幕浴びせられた個性的な挨拶はこういうものなんだろうと理解する。挨拶一つとっても個性の出しどころなのはアイドルみたいだなと思った。

 挨拶の後は軽めのトークが披露され、そこから流れるように作品の話題へとシフトしていく。物語のあらすじを語りながら作中の台詞や文章を引用し、視聴者の興味を煽り、綺麗に物語の核心は避ける。丁寧に作られている動画だな、と思った。

 そして、それを進行するこの本山らのと言う少女が曲者だ。黒髪眼鏡の文学系美少女をベースに狐耳、巨乳、脇巫女服、両の瞳には星印となかなかの属性盛り。そんな子が動いて喋ってライトノベルについて可愛らしくも熱く語る。声にこもった熱量からも、彼女のラノベへの情熱が伝わってくる。そうして動画が終わった時には、こちらもすっかり購買意欲をかき立てられていた。

 喫茶店を出た時のことを思い出す。書店から出てきた見知らぬ少年。あの少年も、今の自分のように物語に思いを馳せて本を手に取ったのだろうか。


 ここまでは偶然の積み重ねだった。

 たまたま繋いでいた縁が、たまたま目の前に本山らのを連れ出し、たまたま自分が動画を見た。

 必然は──動画を見終えた自分が、その本を買ってきたことぐらいだろう。

 書店で手にとった時にも感じたが、このサイズの本の重みが懐かしい。本を開けてすぐにカラーページという構成も変わってない。

 読み始めると、すぐに物語の中に引き込まれた。開いた本の左寄りの重みが、少しずつ均等になっていく。

 そうしてお話を読み終えた時、右手はその物語の全てを受け止めていた。

 面白かった。あの動画で紹介されていた通り──いや、それ以上の物語が詰まっていた。

 読後の余韻に浸り、それだけじゃ収まらずにSNSに感想を垂れ流したりして、興奮冷めやらない頭のままで、次に手につけたのは本山らのの動画漁りだった。

 彼女の動画を一覧で見れば、ずらりと彼女とともに並ぶ表紙が一望できる。全て、とはいかないだろうが、きっとまだまだこの中に自分を楽しませてくれる物語が眠っている。

 でも、まずは──


『初めまして! 本山らのと申します!!』


 自分に素晴らしい物語を繋いでくれた、彼女のことを知りたい。

 きっとこれからも、彼女にはお世話になることだろう。

 なにより、一つ売られた恩に報いるぐらいはしておきたくて──チャンネル登録の文字を迷わずクリックした。



 φ……



「書けちゃった……」


 目の前の文章を、書き上げた本人があり得ないものを見たとでも言いたげな表情で見ているのはなかなか滑稽なものだろう。

 あれからしばらく読書三昧だった自分はすっかり"書く"ことを忘れていた。

 書店通いで軽くなったと思っていた腰は思い出したように重みを取り戻したが、なんとか踏み出してやってきた喫茶店。二時間かけても一行たりとも埋まらなかった文章が嘘のようにすらすらと埋まり、気づけば投稿できるほどの文章量が出来上がっていた。ふと窓を見ればとっぷり日は暮れて、時計の針は三週目に突入している。随分と集中していたらしい。


(なんだよそれ……)


 ずるっと背もたれからずり落ちながら、呆れたため息を吐く。今まで悩んでいたのは一体なんだったと言うのか。


「……って、答えは明白か」


 正解は──インプット不足。

 書くことに囚われ、知識を集めることを怠っていたのだから、当然の帰結だろう。

 書けないと悩んでいた頃と比べれば、最近の読書量の違いは一目瞭然だ。積み本なんていつぶりに作っただろうか。


「全部、らのちゃんのおかげだなぁ」


 独りごちながら、紅茶を一口啜る。あの日あの時、彼女の動画を見つけなければ──彼女に出会わなければ、きっと自分は今でもこの喫茶店で頭を抱えていたのだろう。

 書き終わった文章は帰ってから見直すとして、スマホでSNSを眺める。昔は後ろめたい思いで見ていたが、やることやってから眺めるSNSは格別だ。


「お、動画上がってる」


 目ざとく見つけた新着動画をイヤホンを繋いでその場で開く。

 面白そうなら、買って帰ろう。また積み本が増えてしまうが、そんなことに気を使っていられない。

 素晴らしい物語が読者自分を待っているのだから。


『おはらの! 今日紹介するのは──』

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