十六、龍染司、いよいよ清龍殿に赴きけるに、耳おどろく御のぞみをうけたまはれば

十六の一

 天覧蹴鞠に現れた八つ目犬に関わる件で彩辻宮からの返信が届いたのは、彗舜帝の御物忌おんものいみのため花祝が清龍殿に参る半刻ほど前のことであった。


 すでに守護のための龍袿を選び終え、淡朽葉うすくちば五衣いつつぎぬの上にして、淡黄たんこう、白、青、淡青うすあおを重ねた花橘のかさねを纏う花祝。

 艶やかな黒髪を小雪に梳いてもらいつつ、彩辻宮からの文を広げて目を通していたが、やがて小さなため息をついて文を膝の上に置いた。


「花祝さま、宮様からは何と?」


「それが……彩辻宮様は、八つ目犬出現の件は一の姫から聞いているけれど、自分は関わっていない、と。それに、“ためし着” の夜に使われた呪符が盗まれて以降、呪符が持ち出されたという心当たりもないそうよ」


「それは真にございますか?」


 くしけずる手を止め、小雪が困惑の声を出す。


「彩辻宮様にはてっきり何かしらの心当たりがあるとばかり思っておりましたのに……このままですと、結局犯人の目星がつきませんわね」


「いや、むしろそれによって犯人が絞られたと言えるかもしれねえぜ」


 南廂みなみびさしから御簾越しに聞こえてきた声に、花祝と小雪はぎょっとした。

 小雪が御簾を上げるよりも早く、「よっ!」と凪人が顔を出す。


「んもう、ナギ兄っ! 心臓に悪い登場の仕方はやめてってば!」


「んなこと言ったって、木隠こがくれのオレにとっちゃあ真正面から正々堂々と入る方が気後れするってもんよ。っつっても今日は特別用事もねえから、花祝の見守りストーキングも兼ねて、正々堂々と菓子を食いに来たんだけどなっ」


「そう言えば、こないだナギ兄に彩辻宮様への文を届けてもったじゃない? ナギ兄のことだから、文を渡した後お邸に潜入して宮様のご様子を偵察したんでしょう? 犯人が絞られたって言うからには、文を受け取った宮様に、何かしらの反応があったとか?」


 花祝が問うと、凪人は首をふるりと横に振った。


「文はすぐに彩辻宮の手元に届けられ、あの文学ふみのはかせの高階も一緒だった。だが、二人とも文に目を通しても、首を傾げていくつか言葉を交わしただけで、それほど大きな反応は示さなかった」


「つまり、宮様側としては、呪符を盗まれたりした心当たりが本当にまったくないということね?」


「何者かが外部から彩辻宮邸に侵入して呪符を盗んだって線は薄い。前回呪符を盗まれて以降は、呪符の類は誰かに持ち出されることのないよう厳重に管理している様子だしな」


「それじゃあ、八つ目犬を召喚したのは──」


「オレ的には、やっぱ彩辻宮か高階のどちらかだと思ってる」


 凪人の推測を聞き、花祝と小雪は信じられないという表情で顔を見合わせた。


「ちょっと待って、ナギ兄。宮様を疑うなんて、あまりにも畏れ多いわ!」


「左様でございますわ。それに、高階様だとしても、何の理由があって天覧蹴鞠で八つ目を召喚したのか、動機が見えてきませんもの」


 花祝と小雪が揃って反論するが、凪人は自信たっぷりといった様子で胡座をかき直す。


「宮っちだとしたら、動機はちゃんとあるだろ? 天覧蹴鞠に左大臣が一の姫を同行させ、強引に帝っちと引き合わせようとしたのを知り、妨害しようとしたとか」


「彩辻宮様がそんな大胆なことなさるかしら……?」


「気弱な宮っちに、本気で姫が好きなら奪えってけしかけたのは花祝だろ?」


「確かに、宮様の思いの強さを姫君を守るお力に変えるべきだとは言ったけど……」


「それと、犯人が高階だった場合の動機だが……直接的な動機はまだ探れてないが、ちょっと気になることがあってさ」


 凪人の言葉に花祝と小雪は身を乗り出して彼の顔を見つめ、先を促した。


「高階は、今回八つ目犬の標的になっていた三条良隆と親交があるんだ。ヤツの身辺を探っていたら、天覧蹴鞠の前後二回、高階が三条の邸宅を訪問してる。調べたところによると、二人は大学寮の同期だってことらしい」


「歳の頃は同じように見えるから、二人が友人同士だとしても不思議ではないわね。でも、頻繁に訪問するほど親交が深いのに、その友人を公衆の面前で物の怪を使って襲うようなことをするかしら?」


「ダチってのは建前で、実は高階が三条に密かに怨恨を抱えてるかもしれないだろ? まあ、こちらに関してはもうちっと深く調べてみようと思ってる。宮っちの方も、引き続きマークしていくつもりだ」


「私といたしましては、やはり動機の面でしっくりくるのは左大臣殿なのですけれど……。今上帝の外戚であり、覚えめでたき若手の三条殿がまつりごとで台頭してくるのを牽制したのではございません?」


 櫛を蒔絵の施された櫛筥くしげにしまいながら、小雪がそう意見した。

 すると、凪人は不味い菓子でも口に入れたかのごときしかめっ面をしてのけぞった。


「なんだよ、オレに左大臣の方も探れってか? そんだけ動き回ってたら、近衛舎人このえとねりの仕事をサボりまくることになるじゃねえか。クビになって坂東に強制送還されたらどうすんだよ!?」


「仕事をサボってストーキングしまくってるくせに、今さら何言ってるの。それに、陛下から直々に隠密調査を命じられてるんだから、左大臣側の動向を探るのも仕事のうちでしょ?」


 花祝に正論を言われ、凪人はぐっと喉を鳴らして黙り込む。


「さ、花祝さま。そろそろ清龍殿の方へ参りませぬと……」


「そうね。それじゃナギ兄、引き続き調査の方よろしくお願いね!」


「あ、ちょ……っ!」


 凪人が何かを言いかけるが、花祝と小雪はさっさと立ち上がると、衣擦れの音をさせて母屋を出て行った。


「ちぇっ、せっかく菓子を食いに来たのに、放置プレイかよ……」


 二人の背を見送った凪人は、ふてくされつつ御簾をたくし上げ、すごすごと仕事に戻るのであった。


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花のかさねは君がため ~淡き想ひを秘めたる乙女は、今日も龍の衣をまとふ~ 侘助ヒマリ @ohisamatohimawari

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