発見確保



「いいか大倉、視線を切るなよ。ここが勝負所だ」


 部長は目を擦りながら言った。その目は充血していて、見ていてかなり痛々しい。それを見てる俺の目も、きっと同じだとは思うのだが。

 時刻は午前7時。USJはまだ開園前。しかしゲート前には既に、開園を今か今かと待ちわびる人の列で溢れかえっていた。

 その列に並ぶことなく、俺たちはその人集りに視線を走らせる。もちろん目標は今回の行方不明者だ。名前は御崎涼音みさきすずね。17歳の女子高生。


「しかし、まさか『釣り』が失敗するとは。おれもまだまだだぜ」


「いや、あれじゃどう考えても失敗しかしないですよ」


 釣り。ウチの組織でその言葉が意味することは、もちろん「おとり捜査」のことだ。おとり捜査は適法か違法か、なんてことはよく議論されていることだが、上からの指示はかなりシンプルだ。

 釣りは出来るだけ使うな。以上。

 おとり捜査とは、その名のとおり『捜査』なので、本来なら捜査員ではない俺たち生安せいあんがあれこれ考えることではない。

 被疑者を確保する際、その手続きに違法性があれば最悪、公判でその罪が無罪になる可能性もある。しかし被疑者を追っている訳ではない生安には関係ない話だ。それでも俺たちがなぜ釣りを使わないのかというのは、刑事が積極的に釣りをしない以上、生安も同じように対応することを暗に求められているからなのだ。

 まぁ、それを名谷部長は平然と無視したのだけど。

 そしてその禁断の釣りを実行して、結果普通に失敗してるのだけど。


「部長、あれじゃ釣れませんよ。ていうか、みさきってヤツをフォローしてすぐに絡むなんて、いくらなんでも怪しすぎますって」


 部長は重要参考人と目される「岬」のアカウントにフォローリクエストを飛ばした。それも独断で。そしてそれは案外すんなりと承認されたのだが、続くアクションが決定的にマズかった。


『あなたの今までのタイムライン、拝読しました。私も同じ気持ちを持つ同志。「生まれ変わりたい」と日々強く思っています。出来るなら、あなたのその「生まれ変わり」に参加させて貰えませんか?』


 と、いきなりダイレクトメッセージを送ったのだ。もう一度言うけど独断で。全くやり取りのない相手に。ていうか被疑者かも知れない相手に。思い立ったら即行動、という部長らしいアクションだとは思う。行動の良し悪しは別にして。

 結果、相手からのリプライはなかった。当たり前の話である。


「なんでリプライくれねーんだよ、この岬ってヤツはよ。おれのアカウントは、大して発言をしてないにも関わらず大量のフォロワーがいる謎の美少女って設定だぞ。普通、興味出るだろ」


「なんすかその美少女って。そのアカウントがまず怪しいと思いますけど。それにその『岬』が女を求めてたとして、現に女である御崎涼音と一緒なら、もう女は必要ないでしょ」


「まぁ、お前の言うことも一理あるかもな」


 視線を人の山に向けたまま、部長は言った。しかしこれ、後で問題にならないのだろうか。

 よしんば対象の涼音を確保したとして、そして件の『岬』という存在も確保できたとして。岬が甘言等を用いて未成年の涼音を自己の支配下に置いた場合、未成年者誘拐罪が成立する。暴行や脅迫を用いて自己の支配下に置いた場合は未成年者略取罪だ。方法は違えど、涼音を自己の支配下に置こうとした時点で罪となる。客体が未成年である以上、たとえ涼音の同意があったとしてもだ。

 両者とも確保できた場合、刑事は必ず岬をどちらかの罪で逮捕するだろう。言い分はその後で聞く。それが刑事のやり方だから。


「部長、これがもし逮捕事案になったら、どうすんです? 完全に部長が介入してることになりますけど」


「そんなの、シラを切りとおすに決まってんだろ? それに今回の釣りに関しては、谷上班長も同意してくれるハズだ」


「はずって、班長に報告してないんですか?」


「報告しても同意してくれるのがわかってんなら、省略した方が効率的だろ。それにな、例のアカウントをたぐってもおれにはたどり着けない。そういう風に作ったからな。これでも元サイバー犯罪対策課なんだぜ。ま、クビになって所轄に出されたけどな」


 でた、部長の悪い顔。俺は呆れ顔で返すしかない。


「たぐり捜査でたどり着けなかったとしても、もし俺が刑事に詰められて白状したらどうすんです」


「お前は簡単にはウタわねーよ。もうお前は、谷上班の一員なんだからな」


 信頼してくれているのか、部長の元々の気質なのか。それはわからない。でもその答えは不思議と、俺の気持ちを昂ぶらせてくれた。めちゃくちゃだが、この人たちについていこうと思う。叶うのならこの先も、ずっと。


「……さて大倉。さっきも言ったが、ここが勝負所だぜ。この人の山から対象を見つけろ。開園するまでにな」


「マジで現実的じゃないですね」


「仕方ねーだろ、情報はこれだけしかねーんだから。班長もクルマでこっちに向かうって言ってたからな、それまでに確保してねーとマズイ。だから気合い入れろ」


 気合いで見つかれば警察はいらないと思うのだが。

 そんな考えとは裏腹に、俺は「了解」と簡潔明瞭に返事をしていた。

 必ず探し出してやる。そう決意をして。



 ─────────────────



 開園まであと30分。名谷部長と二手に別れ、文字通り血眼になって対象を探す。

 クリスマス前ということもあってか、並んでいる人たちはみんな楽しそうだった。純粋に羨ましい。それに比べて、俺たちは何やってんだと思ってしまう。

 ここに来るまで今がクリスマス前ってことを普通に忘れていた。俺たちには関係のないイベントだし、警察官には盆も正月もクリスマスもないのだ。

 何でこんな仕事を選んだのだろうと、自己嫌悪に陥る寸前のこと。ポケットに差しているスマホが鳴った。ディスプレイを見ずともわかる。これはきっと谷上班長からだ。


「おう、ワシや」


 アタリ。いつもの、パンチの効いた関西弁。


「班長。お疲れ様です」


「早速追加情報や。午前7時、対象から父親のスマホにメッセージが届いた」


「……涼音から?」


「おう、内容読み上げるぞ。『今日も帰りません。でも心配しないでね』まずこれが1通目」


「何通かあるんですか?」


「そうや。何通かやり取りしとる。まぁ、そんな事はええんや。あとで内容送るから確認せぇ。とにかく対象からメッセージが来た、これが重要や。おそらく本人からのメッセージに間違いないやろうが、携帯会社にはハナシ盛って、第三者が対象の端末を使用し父親にメッセージを送信した可能性がある言うて、緊急性を出しまくって2回目の位置探査照会かけたったわ」


 ガハハ。いつもの調子で笑う班長。少しスマホを耳から遠ざけた。寝てない身体に、班長の声はデカすぎる。

 行政警察活動では、携帯電話の位置探査は原則1回しか認められていない。だが、1回目の探査後に、事態が悪い方向に動いたのなら。キャリアの判断で、2回目の位置探査を実施してくれることもある。要請するのは俺たちだが、最終的に探査をするのはキャリアの判断だ。今回の担当者は良い人のようだ。


「ウソは言うてない、ハナシ盛っただけや。これが重要やからな! ほんで、探査結果。午後7時20分現在、1回目の探査地点から南へ少しだけズレとる。USJに近付いとるぞ。開園前の列の中におるかも知れん。ええか、死ぬ気で探せ」


「了解、名谷部長にも伝えます」


「あとな、名谷には言うたけどワシ、クルマでそっちに向かっとるから。あと1時間くらい。ワシが着くまえに、対象確保しとけよ」


「了解です、なんとか探します」


「……刑事が今回の件聞きつけて出張って来とる。ご丁寧に新幹線の始発で一個班、動いとるみたいや。多分、岬いう奴を略取か誘拐でパクるつもりなんやろ。まだ岬がマル被やって客観的証拠がないから、本腰は入れられんようやけどな」


「刑事が……?」


「いつもの手ぇや。自分らでは何もせんのに、おこぼれ貰うのだけは一流やからな、ウチの刑事は。とにかく、刑事の好きなようにさせんな。以上」


 言いたいことだけ言って、またしても電話を切る班長。続けて、防犯係のグループトークに対象と父親のやり取りをカメラで接写した画像が流れて来た。以下、対象である涼音と、その父親のやり取り。



『今日も帰りません。でも心配しないでね』


『どこにいるんだ? 心配だから電話しなさい』


『ふと思い立って、自分探しの旅に出ることにしたの。見つかるまでは帰らない』


『今どこにいるんだ』


『秘密。欲しいものが手に入ったら帰るよ』


『せめて電話で訳を話しなさい。怒らないから』


『お母さんと同じだって心配してる? 大丈夫だよ、私はお母さんとは違う。きっとお父さんのところへ帰るから。また連絡するね』



 やり取りは以上。母親と同じってどう言うことだ?

 その疑問を聞いたかのように、班長から追加のメッセージが入る。


『ちなみに、対象の母親は行方不明になっとる。3年前の話や。母親に関しては他署で行方不明届も出とったからホンマの話やぞ。男手ひとつで育てて来た娘が同じことになったら、父親はやりきれんな』


 班長から、母親の行方不明者届出受理票が送られてきた。手配日は確かに3年前。日付は昨日の日付と同じ。つまり、3年前の12月22日に、対象の母親はいなくなったらしい。画像をピンチアウトして詳細を読んだが、いなくなった原因は不明のようだ。

 しかしクリスマス前に母親が行方不明になるとは、かわいそうとしか言いようがない。

 母親の顔貌の写真は、対象の涼音によく似ていた。当たり前だろう、母子なのだから。しかし、大きく異なる点がひとつ。涼音とは違い、母親は鮮やかな金髪のショートカットであるということだ。

 純日本人の顔立ちだから、きっと染めているのだろう。なかなかファンキーな母親である。しかも若い。母親の年齢から考えると、娘を17歳で産んだことになる。

 グループトークでの受信だから、この情報は名谷部長にも届いているはず。しかし合流する必要を感じ、部長のスマホを鳴らした、その瞬間だった。


 電話を耳に当てた俺の、すぐ横。

 その距離、わずか1メートル足らず。

 先程の画像によく似た、金髪の女とすれ違った。


 瓜二つ、とまではいかない。しかしその纏う雰囲気は、送られてきた母親の画像と非常に似ていた。


「……御崎涼音みさきすずね!」


 すれ違ったその女に、俺は咄嗟に声を掛けていた。ハズレていても問題ない。謝れば済む話だ。それよりもここで声をかけずに、のちに後悔するほうがよっぽどマズイ。

 その金髪ショートカットの女は、俺の声にびくりとわずかに反応した。ここからだ、本当の勝負所は。

 空白の15秒。職質にはそんな格言がある。

 人間は突然誰かに声を掛けられたら、「え?」と頭が真っ白になるらしい。ただしそれは一瞬のことで、長続きはしない。その間に質問をすると、高い確率で本当の答えが返ってくる。その時間が、せいぜい15秒間なのだ。それは咄嗟に嘘もつけない無防備な状態。職質はそこを突く。


「御崎涼音で間違いないな」


「え、あなたは……?」


「まず質問に答えてくれ。御崎涼音で間違いないかどうか」


「は、はい。そうですけど」


「俺は大倉。皆戸南署の警察官だ」


 尻ポケットに入れていた警察手帳を涼音に示す。できるだけ周りに見えないように。手帳は亡失防止のため、ベルトに紐で結束している。滑らかに出すにはちょっとしたコツが必要だ。


「警察……?」


「キミに行方不明届が出ている。だから探していた」


 涼音はそこで初めて、少しだけ、ほんのわずかにバツの悪そうな顔をした。でももう遅い。自分が御崎涼音だと認めてしまっているのだ。今更弁明しても無駄であるし、受理票に添付されていた人物と顔貌が完全に一致している。

 ……もちろん金髪ショートカット以外の部分だが。いつ髪を切って染めたんだ、こいつ。


「連れの男はどうした?」


「……? もしかして、みさきくんのことですか?」


「本当に岬って言うんだな。その岬だ。昨日、どこかのホテルに一緒に泊まったんじゃないのか」


「……警察の人って、すごいですね。そこまで調べてるんだ」


「仕事だからな。で、その岬はどうした」


「今はトイレに行ってます。もうすぐ戻ってくると思いますけど」


 不貞腐れる訳でもなく、涼音は淡々と語る。警察に見つかったら自分探しの旅は終わりになるはずだが、涼音は焦りや怒りなどを全く見せていない。高校生とは思えないほどの落ち着きだ。


「どうしてこんなことをした?」


「なぜ家出したかという意味ですか? 別に、深い理由はありません。ふと、遠くに行ってみたくなった。それだけです」


「キミのタイムラインを見た。この世から消えたいと度々発言してるだろ。死にたいってことなのか」


「別に死のうなんて思ってません。ただ、息苦しいこの生活から少し逃げてみたかった。実際にそうした人を知っているから、私も真似してみただけです」


 母親の件を言っているのはすぐにわかった。でも、俺は敢えてそれを無視して続ける。


「死ぬ気はないんだな?」


「はい。ありません」


 静かだが強い意志を感じる言葉だった。いろんな人間を見てきたから、涼音が死のうとしている訳ではないことはわかる。だからと言って、警戒を緩める訳には行かない。ここで逃げら飛ばれたら最悪だ。

 耳に当てていた電話が、部長に繋がった。すぐさま応援を呼ぶ。


「部長、大倉です。対象を確保。現在地は正面ゲート左側、2番チケットブース付近」


 了解でかした、すぐ向かう。

 そんな返答だったと思う。電話を切って、涼音に向き直った。逃げられないように警戒しなければ。


「あの、質問してもいいですか、刑事さん」


「……俺は刑事じゃない。私服の警察官がみんな刑事だと思うなよ」


「それじゃあええと、大倉さんでしたっけ」


 そうだと告げる。こういう状況なら自分を邪魔した俺に敵意を向けるものだが、涼音にそんな感情は見られない。まるで、この事態を予想していたかのようだ。


「私、これから警察署に連れて行かれるんですか?」


「あぁ。家出した不良少女を、保護して家に連れ返す。それも俺たちの仕事だからな」


「岬くんに謝る時間はありますか?」


「謝る?」


「私から岬くんにお願いしたんです。家出をしようと思っているから、手伝って欲しいって。SNSでしか知らない間柄だったのに、岬くんは私を受け入れてくれて、ホテルの手配までやってくれたんです。私のわがままに付き合わせてしまったので、きちんと謝りたいんです」


「別に謝る必要なんてないだろ」


「いいえ。ありますよ。だって、一緒にUSJをめぐる約束だって、果たせない訳ですし」


 今時の高校生にしては珍しいのかも知れない、と思った。自分の非礼を詫び、相手にきちんと謝罪しようとしている。最初に聞いていた委員長タイプっていうのは、あながち間違いではないのかも知れない。この派手な金髪は、委員長らしくはないけれど。


「岬ってヤツからも詳しく話を聞かないといけないからな。その機会は後で設定しよう。昨日一緒だったって話だけど、乱暴とかされてないか?」


「乱暴? そんなの、される訳ないじゃないですか」


「お前は自分の立場を自覚してないみたいだから教えてやるけどな。高校生の女の子ってのは、法を犯してまで手に入れたいと思う価値があるんだよ。その手の人間にとってはな」


「なるほど。そしたら私も逮捕されるってことですか」


「なんでそうなる。お前は被害者だろ」


「だってそうじゃないですか。私が一緒に泊まって欲しいって頼み込んだんですから」


「いや、話が見えてこないぞ。さっきからなに言ってんだよ」


「法を犯してまで手に入れたい。そんな気持ちになる人もいると思いますね。岬くんを見ていたら」


 そう言って、涼音は自身の前方を指差した。俺から見れば、斜め後ろになるその位置。振り返ると涼音の同世代に見える人物がひとり、すごい形相でこっちに走って来る。こいつが岬か、と思った瞬間だ。


「あんた誰だよ? 僕の連れになんか用なのか? ナンパか? しつこいと警察呼ぶぞ、おっさん」


「は? お前こそ誰だ、俺は──」


「ミサキさん大丈夫? この男に何もされなかった? 男はみんな野獣だから、気をつけないと」


 言いながら、岬は俺と涼音の間に割って入る。睨んでいるつもりなのか、そのつり目がちな目を細める。

 お前が岬か、と言ってやろうとしたが。でもそれが出来ない。こいつの姿形。それはまるで……。


「なんだよ、ジロジロ見るな、おっさん」


「お前、もしかして……」


「その通りです。岬くんは、高校生の女の子ですから。だから乱暴なんてされていませんよ、私は」



 ──────────────────



「まさか、こんな結末になるとは思わんかったな。とりあえず名谷、大倉、ようやった。あとはワシらに任せとけ」


 涼音を確保したあと。すぐに名谷部長と合流し、『岬』と名乗る女性の重要参考人も確保した。2人とも無事。とくに乱暴などはされてない、というか同性だったのでその心配もない。

 言葉遣いやアイコンの画像から、てっきり岬は男だと思っていたのだが。まさか、女の子だったとは。

 2人を分離させて話を聞く。口裏を合わされないようにとの基本的な措置であるが、犯罪構成要件を満たさない本事案では必要のない措置かも知れなかった。


 そうこうしていると、確保の一報を受けた谷上班長が高速を緊急走行きんそうでぶっ飛ばしてきた。横乗りは女性の伊川部長。ていうか、他府県で高速を緊走しても良いのだろうか。さすが谷上班長、怖いもの知らずである。


「班長、例の岬はどうなるんですか? ウチの刑事もそろそろ着くんでしょう」


「まぁ、すぐにパクられることはなさそうやな。岬は女やし、それに今回は対象──御崎涼音から一緒に行動して欲しい言うてるみたいやしな。現にSNSのメッセージにも残っとるやろ。だから岬が刑法上の略取・誘拐罪に当たるか言うたら、現実的に厳しいやろな」


 ニヤリと笑いながら班長は続ける。名谷部長よりも数倍、悪そうな顔で。


「この話聞いた時、刑事は息巻いとったらしいぞ。被疑者はなんとしてもウチがパクる言うてな。頼んでもないのに応援寄越す言うて。それがフタ開けて見たらどや、こんなオモロイことはないわ。ウチの刑事は根性ないからな、きっと無理してパクるようなことはできんやろ。結論は、事案なしで落ち着くはずや。ふん、ザマないな」


 班長はゲラゲラ笑いながら言った。その言葉を受けた名谷部長も、なぜか嬉しそうに笑っている。

 まぁ何にせよ。涼音も岬も、悲しい思いをせずに済みそうだ。こいつらに振り回されたが、まだまだ子供である。大人の俺たちは、それを守ってやらないといけないのだから。


 涼音は言った。お母さんの気持ちを感じてみたかった、と。3年前、なにも告げず消えてしまった母親。その思いを少しでも体験したかったのだろう。

 結果、俺たちを初めとする多大な人間に迷惑をかけた訳だが、まぁ事情が事情だ。許してやらんこともない。

 それにもう、限界だ。名谷部長はもうダメだ。さっきからずっと笑っている。怖い。


「事後処理はワシらに任せとけ。で、お前らは帰れ。帰りは新幹線つこてええぞ。運転、キツイやろ。クルマはワシと伊川で乗って帰るから」


 班長は俺と部長に、新幹線のチケットをくれた。車両に乗って帰らず済むと言うのは、本当にありがたい。さすが班長。この人に一生ついていこう。

 受け取ったチケットを見てみる。そこにはこう記されてあった。


『乗車券・新幹線特急券 新大阪→東京』


 ……東京?

 いやいや、おかしい。

 今から東へ帰るが、このチケットでは明らかに行き過ぎだ。


「班長、これ行き先間違ってますよ」


「いや、間違ってない。とりあえずこのチケットで行け。実はな、ついさっき別件の行方不明事案が入ったんや。届出人は管内に住む、行方不明者の母親。東京の大学に通う娘と連絡が取れないってハナシ」


「……まじすか?」


「まじや。ほんで、位置探査結果がすでにでとる」


 班長は俺に、一枚の紙を見せてくれた。そこに書いてある位置探査場所。目が滑るとはこう言うことを言うのだろうか。二度見しても、当然書かれている文字は変わらない。


「いや、嘘でしょ……」


「嘘とちゃうんや、残念ながらな。とりあえず行ってくれ、位置探査場所に」


 班長はニヤリと笑うと、その場所の名を改めて告げた。


「よかったな、大倉。今度は東京ディスティニーリゾートやぞ」


 あぁ、最悪だ。

 だから言ったんだよ。

 生安せいあんに来たこと自体が、一番の貧乏くじであると。


 それでも俺たちは行かねばならない。

 誇りと使命感を持って、国家と国民に奉仕すること。

 それが、俺たち警察官の使命なのだから。



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貧乏くじ男、東奔西走 薮坂 @yabusaka

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