現場到着


「……大倉、腹減ったな」


「減りましたね……」


 美しい朝焼けだった。冬の冷たく澄んだ空気が、そうさせるのだろうか。徐々に昇ってくる朝日。綺麗に見えるが、今の俺たちにとっては暴力的だ。

 午前6時。部長と俺は、某ホテルのロビーにいた。重厚なソファに身体を預けていると、そのまま埋もれてしまいそうになる。それ程までに疲れていた。

 俺は昨日、家に帰って少し休むことが出来たが、当直の名谷部長はこの件で不眠不休のはずだ。目の下のクマは数時間前よりもかなりヤバイことになっている。


「朝焼けの太陽が眩しいぜ。眩しすぎて、身体が砂になりそうだ」


「部長は吸血鬼なんすか、その発言」


「誰かの血を吸って回復出来るなら、そうなってもいいな。今なら本気でそう思える」


「なんか食べに行きます?」


「いや、やめとこう。いま腹になんか入れたら、確実に眠気が来るからな。こういう時はタバコとコーヒーだ。ちょっとそこのコンビニで買って来るわ」


 おぼつかない足取りで、ホテルと併設されているコンビニに向かう部長。本来なら俺が買って来ますと行くべきところなんだろうが、ふかふかのソファにそれを阻まれた。そういう事にしておこう。


 あれから車を飛ばし、USJ周辺に現着したのが午前4時過ぎ。それからすぐに、俺たちは捜査を開始した。各ホテルへの聞き込みと宿泊者名簿の確認。加えて防犯カメラ映像の精査などにあたったが、結論はすべて空振りだった。

 加えて言うと、他県から来た警察官はやはり信用されにくい。手帳を示しても同じだ。情報を引っ張るにあたって、捜査関係事項照会書を求めるホテルがほとんどだった。

 捜査関係事項照会書そうかんとは、文書によって情報の開示を求める、刑事訴訟法197条第2項を根拠とした照会文書だ。警察署長の印鑑を押印している歴とした公文書である。

 例えばこの場合、ホテルの宿泊者名簿を見せてくれとホテルに頼んでも、手帳を示しただけでは見せてくれない。ホテルには顧客の情報を他に漏らしてはいけないコンプライアンスがあるからだ。

 そこで文書による照会をすれば、ホテルにも「警察からの要請があったので顧客情報を教えた」という証拠が残る。一刻も早く情報が欲しいのに、まどろっこしいことこの上ないシステムである。

 当然、照会文書なんて普段所持してないので、本署から時代遅れ感が否めないFAXで送信することとなった。現地の俺たちの手帳と合わせて、ようやく信用してもらえたのである。そんなこんなで、わりと時間をかけて捜査したのに結果は空振り。これは身体に堪えることこの上ない。

 現在時刻は午前6時。位置探査で判明したエリア内にあるホテルは全て周ったのだが、未だに対象の痕跡ウロコすら見つけられないでいる。


 はぁ、とため息をひとつ。疲れが軽くなるどころか、余計疲れが溜まった気がする。なのにため息をやめられない。まったく、人体ってのは不思議である。

 

「大倉、グループトークに追加情報は?」


 部長が、両手にコーヒーを持って帰ってきた。最近のコンビニのドリップコーヒーは美味い。これが100円で飲めるのだから、俺たち貧乏公務員の強い味方だ。


「いつもすいません部長、お金出しますんで」


「それより熱いから早く持ってくれ。そんで喫煙所に行こう。作戦会議だ」



 ───────────────────



 ホテルの喫煙所には、スモーキングラウンジと書かれたプレートが掛かっていた。やっぱりいいとこのホテルは違う。ウチの署の、吹きっさらしの喫煙所とは雲泥の差。


「さっきの話ですけど、本署からの追加情報はありません。『みさき』ってヤツのアカウントを割ろうと緊急照会してるとこだと思うんですけど」


「あのSNSの母体は海外だろ? 海の向こうの照会は時間が掛かる。それにアレは確か、登録もメールアドレスで出来るだろ。電話番号で登録してりゃ人定事項じんていじこうが割れるかも知れねーが、捨てアドで登録されてたらお手上げだぜ」


 部長は乾いた笑いで両手を挙げた。咥えたタバコから立ち上る煙。それ、火の付くタバコじゃん。


「疲れてるとつい、火の付くタバコが恋しくなるな。煙が濃くてうめぇ」


 うまそうに煙を出す部長。警察官は短命だというが、なるほど。こうして俺たちは命を削って行くんだな、と納得する。いや納得してはいけないのだが。


「さてさて、大倉。これからどうする? ホテルの宿泊客名簿に対象の名前はやっぱりなかった。防犯カメラにも、黄色いコートの女は映らねぇ。だが、対象のスマホはこのホテル街に確実にあると探査結果が出ている。これを踏まえて、これからの捜査方針は?」


「……2回目の位置探査、なんとか出来ないですかね」


「行政警察活動での位置探査照会は、原則1回だけだ。お前もよく知ってんだろ」


 原則1回だけの位置探査照会。これに何度泣かされて来たことか。犯罪捜査をする司法警察──つまり刑事の位置探査は、何度でも出来るのに。まぁ、向こうは令状があるからなのだけど。


「一度、情報を整理しましょう」


「なるほど、もう一度アタマからってことだな。いいぜ、乗った」


 なぜか親指を立てながら部長は言った。なんか元気になって来てる気がしないでもない。タバコとコーヒーでのエネルギーチャージ。これも警察官に必要な資質なのだろうか。


「昨日、金曜日の午前11時。対象は学校へは行かず、最寄駅に徒歩で向かいました。人着にんちゃくは黄色いハーフコートに濃紺のデニムパンツ。黒髪、割と長めの髪。その者が大阪行きの新幹線のチケットを買った。そして、大阪に来たと聞いてます」


「切符は指定席だったらしいな。大阪に着いた時刻は13時過ぎってわかったらしいぞ」


「スマホの位置探査は、23時にここUSJのホテル街で反応が出ている。状況から言って、対象がこのエリアにいる可能性は極めて高いです。でも、ホテルの宿泊客名簿には当該対象の氏名では該当なし、周辺の防犯カメラにも、あの目立つ黄色いコートの女は映っていないと来ている」


「つまり?」


 ニヤリと笑い、煙を吹かす部長。俺もそれに倣い、加熱式タバコの煙を吐き出した。疲れてる身体に染み入るほど美味い。いや、美味いと錯覚しているだけなのだが。生安せいあんに来て、確実に本数が増えている。何とかしなければと思いながら、俺はセリフを続けた。


「名前は偽名を使っているんでしょうね。あるいは、が取った部屋に2人で泊まっている可能性もある。もちろん、1人部屋に2人で潜んでることだって、あるかも知れない」


「黄色いコートはどう説明する?」


「捨てたんでしょう。大阪に着いたのは13時だから、余裕で買い物くらい出来ますし。まぁ、俺たちが防犯カメラを見落としてる可能性も大いにあるとは思いますが」


「いいね、大倉。さすが谷上班長が見込んだ男だな」


「いやそこは、貧乏くじを引いた男って言って下さい。別に班長に選ばれた訳じゃないですから。俺が生安せいあんに入れたのは、たまたま資格持ってたのが俺だけだっただけですよ」


 謙遜するなよ。そう部長は言うのだが、こんなの謙遜でも何でもない。ただ本当に、貧乏くじを引いただけだ。刑事課や生活安全課などの内勤に欠員が出た時、地域課──つまり交番勤務のお巡りさんから人員が補充される。たまたま、俺が生安の資格を持っていただけなのだ。資格を取っていた自分を恨んでも、もう遅い。俺はすでにここにいるのだから。


「まぁ、謙遜云々は置いといて、だ。大倉、お前マジでいいセンスしてるよ。おれも同じ意見だし、渡りに船ってヤツだ。申請しといたリクエストが通ったぜ」


「……なんの話ですか?」


みさきの鍵付きのアカウントだよ、おれのアカウントでフォロー申請しといたんだ。見ろ、承認されたぜ。これでヤツの過去のタイムラインを漁れるぞ」


 部長がスマホを掲げて言った。画面には、件の『岬』のタイムラインが表示されている。


「いつ承認されたんすか? て言うか勝手にフォロー申請なんかしていいんですか?」


「何言ってんだ、ダメに決まってんだろ?」


「いや、自信持って言うとこじゃないと思いますけど」


「まぁ聞けよ大倉。これはおれの捜査用アカウントだ。プライベートのアカウントは持ってねぇ。SNSなんて面倒くさそうだしガラじゃねーからな。だが、捜査用のアカウントつっても、フォロワー数はかなりの物だぜ」


 部長のアカウントを見てみると、そのフォロワー数は5桁になっていた。俺もSNSをやらない人間だが、その数は結構なものなのでは、と容易に推察できる。


「これ、どうやってフォロワー数を稼いだんですか?」


「ふはは、金で買ったのさ!」


 あっけらかんと部長は言った。いや、なんでそんな笑顔なのか。部長は新しいタバコに火を付けながら続ける。


「昔、同じような行方不明捜査でどうしてもこのSNSのアカウントが必要になってな。その時の対象にフォロー申請したら蹴られた苦い思い出があんだよ」


「その時の対象の、タイムラインを見るためですか」


「そのとおり。でも蹴られた。それは何故か? 答えは簡単だ、おれのアカウントにフォロワーは1人もいなかったからさ。だから相手に不審がられて蹴られたんだよ」


「フォロワー数なんか、関係あるんですか?」


 大いにある! 部長はコーヒーに口をつけ、タバコを吸って続ける。その仕草は不健康な人間そのものだった。


「いいか、中高生ってのは、自己顕示欲の塊だ。つまりだ、フォロワー数が多くて、かつフォロー数が少ないアカウントに、フォローされるのが嬉しいのさ」


「いや、言ってる意味わかりません」


「おれのアカウントは一見、フォロワー数が多い有名アカウントだ。しかもおれがフォローしている数は物凄く少ない。そんなヤツにフォローされたら、一目置かれてるみたいで鼻が高いだろ」


「まぁ、言おうとしてることは何となくわかりました」


「とにかく、これで岬ってヤツの過去のタイムラインが見れるぞ。大倉は対象の友人から借り受けてるアカウント、立ち上げて見てくれ。タイムライン上でのこいつらの会話を擦り合わせるぞ」


 今回の行方不明者、その唯一の友達に頼み込んで、アカウントIDを貸してもらっている。これで立ち上げれば、承認されている対象の鍵付きのタイムラインが見れるという寸法だ。と言っても、これはグレーゾーン。めくれるとマズイ手法だが、背に腹はかえられない。

 部長がやってることもグレーゾーンだろう。これが事件になると、何らかの処分が来てもおかしくない。事件になればの話だが。

 しばらく、部長とSNS捜査に勤しむ。そして重要参考人として名前が挙がった『岬』なる人物のタイムラインに、決定的な文言を見つけた。


『ミサキさんと人生をやり直そうと思う』

『僕らでしかできないやり方で』

『僕たちはあの場所で生まれ変わろうと思う』

『僕の一番好きな場所──USJで』


「……なるほど。マジでこいつかも知れませんね」


 岬の直近のタイムラインに、そう書かれてあったのを見つけた。2人のタイムライン上での会話は途切れ途切れで、おそらくダイレクトメッセージを使っていることも読み取れた。

 さすがにダイレクトメッセージまでは引っ張れない。メッセージのやり取りを押さえるには、照会文書では事足りない。差押え令状が必要だ。


「分かりにくいが、『ミサキ』ってのは今回の対象のユーザネームだな。岬とミサキ。非常に分かりにくいが、名前にもシンパシーを感じたのかもな」


「そういや今回の対象って、名前なんでしたっけ?」


御崎涼音みさきすずね。苗字を名乗ってんだな」


 ずずず、とコーヒーを啜る部長。その口周りには無精ヒゲが目立つようになっている。自分のアゴを触ってみたら、案の定だった。あぁ、風呂に入りたい。これが終わったらすぐに。


「とりあえず大倉、これでハッキリしたことがいくつかある。まず、対象──御崎涼音みさきすずねは、やはりここにいる可能性が高い。そして、この『岬』ってヤツと一緒にいる蓋然性が極めて高い。だが、この岬の人着にんちゃく人定じんていもさっぱりわからねーと来ている。緊急照会も海の向こうのサーバだ、アテにならねぇ。さて、どうする?」


「はっきり言って、手詰まりですね。何故この2人がこう言う行動をとったのか、情報がなさすぎる。正直、打つ手がありません」


 しかし部長は、不敵な笑みを崩さなかった。なにか名案でもあるのだろうか、あるのだろうな。部長がこんな顔で笑う時は、決まって悪いことを考えている時だから。


「なぁ大倉。お前、釣りは好きか?」


 ほら、始まった。不良警察官として名高い、名谷部長の意味不明な発言が。

 実績も出しているし頭も良いのに、一生警部補になれないと上からお墨付きをもらっている名谷部長。それは何故か。こんな風に規律無視のやり方を、平然とやってのけるからだ。




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