猫とともに生きる

 寝苦しさで目が覚めたら、タロウが腹の上に乗っていた。

 ジロウは、隣で寝ているリヤンを起こさないように、そっとタロウを退かす。


『あーん、ひどいやジロウ』


 ひょいと寝台から飛び降りたタロウが文句を言う。


[寝とるときに乗っかんな、言うてるやん]

『愛だよ、愛』

[そんなん誰に教わったんや。あっち行け]


 タロウは『べーっだ』と言いながら、扉に空けた穴を潜って出て行った。


「旦那さま」

「あっ、起こしてしまったか」


 こちらを向いたリヤンは、ふっくらと目立ち始めた腹を撫でて「良いのですよ」と微笑んだ。


 あの日。

 二匹の猫と共に突然、屋敷の玄関に立っていたジロウに、人びとは大騒ぎになった。

 ジロウとタロウ、そして手のひらに乗るくらい小さな三毛猫。

 リヤンは泣き笑いして喜んだ。そして誰一人、メドウのことを口にしなかった。

 つまり。

 メドウは、〈この世界に存在したことのない者〉となったのだ。


 そしてジロウたちが帰ってきた翌日。

 結果的に置き去りにしてしまった盾と棍棒に連絡を取ってもらうよう、マイナムのところへ行ったとき、ジロウはみいちゃんに会えるものと決めつけていた。


「師匠はおられぬ」


 マイナムは、どことなく悔しげにそう言った。


「いや、確かに会いには来てくだされた。そのときに、目の前で消えてしまわれたのだ」

「そうですか。それはやはり、天鬼だから…」

「うん? テンキがどうした?」

「いや、何でもないです。それと、メドウのことですが」

「今、メドウと聞こえたぞ。この世に無い何の話をしようとした?」


 マイナムにとってもメドウは存在しない者になったと知って、ジロウの胸はちくりと痛んだ。




[この際、俺の記憶からも消えたら良かったのに、何でや? 何で消えへんねん?]


 屋敷で一人になったとき、ジロウは三毛猫を膝に乗せ、撫でながら愚痴った。


『一度、御大切に入れたからだろう』


 三毛猫は、敢えて声を出さずに伝えてよこした。


『かえって寂しいだろうが、そなたくらいは覚えておいて良いだろう。猫だけが覚えているのも、な』

[せやな]


 ジロウは、ほろりと苦笑いをした。


[なあ。いくさは終わるやろか]

『人間の考えることだ、どうだか。まあ、あの柳の病が癒えたからには、タイライを覆っていた悪気も消えただろうが』


 ジロウは目を見張ったが、言葉は返さなかった。


『それよりジロウよ。なぜ、われの名を呼ばぬ?』


 そちらの問いには、思わず笑った。


[いや、何ちゃらオオミカミさまやろ? 恐れ多いわ]

『そう言う割に、敬っておらんだろうが』

[そうかて、見た目が可愛らしすぎるがな]

『それは仕方がない』


 三毛猫は、小さな体で四肢を踏ん張った。


『タロウも、そなたの態度に影響されてか、今ひとつ敬っておらん気がするぞ』


 憤懣やる方ないといった子猫だったが、後日、見事に〈猫を被って〉サーラム家から旅立って行った。猫がいると聞いて見学にやって来た王のメーナンが、すっかり魅了されてしまったせいだ。




『雄の三毛猫がどれほど貴重か、言ってくれたそなたに礼を言おう』


 旅立つ朝、子猫はジロウにそう言った。


[まあな。ちょっとは惜しい気がしたんや。それより、聞いといてええか?]

『何だ?』

[結局、みいちゃんの真名まなは、みいで合うとったんかい?]

『何だ、そのことか』


 子猫はくすっと笑ったようだった。


『猫に九生あり。繰り返し呼ばれた名が真名になることが多いのだ。そなたの婆さまは、全ての猫をみいと呼んだらしいな』

[あん? その話、したか?]

『われは何でも知っておるわ』


 子猫は、どうだとばかりに頭をそらした。


『われは天鬼の頭領だ。姿を消すことも造作ない。また、遊びに来る』


 子猫は、そう言い残して連れられて行った。



 月が満ちて、ジロウとリヤンの間には、男の子が生まれた。幸いリヤンに似ているようだが、先のことはわからない。

 タロウは、新しい下僕ができたと喜んで、せっせと尻尾であやしてくれる。

 あとは、リヤンの両親と兄が帰ってくれば、完璧な家庭になるというものだろう。だが、それはまた別の話である。


           完


 

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エア猫タロウ 杜村 @koe-da

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