二人の選択肢

「ジロウよ。いい加減、口を閉じたらどうだ」


 みいちゃんが呆れたように声をかけたとき、ジロウは青ざめて微かに震えていた。


「おい、どうした?」


 みいちゃんはもう一度声をかけたが、ジロウは黙って首を横に振るばかりだ。

 そんな彼のところへ、長い縄のように連なった猫たちの中から、一匹のサバトラが近づいていった。


『ジロウ、ねえ、ジロウ』


 ジロウは震えながらもそちらを見た。


「おう、タロウか。あー、久しぶりに顔見たな」


 ぎこちなかったが、笑顔には違いなかった。


「みいちゃんの声は耳に届いとんのに、タロウのは違うな」

『仕方ないよ。タロウはまだ、テンじゃない』

「ん、テンになったら喋れるんか」


 ジロウはもう一段階笑顔を深めることができた。


「さてと。ここは誰に話を聞いたらええんや? みいちゃんか、大師匠か?」

『それより、タロウを撫でなさい』


 タロウが、尻尾を立てて体を擦り付けながら、ジロウの周りを歩く。

 ジロウは、いたずらが見つかった子どもが母親に向けるような顔をして、しゃがんだ。そうして初めは遠慮がちに、次第に思いに突き動かされるように、タロウを撫でた。

 しばらくして視線を上げると、猫たちはそれぞれ好き勝手な方を向いて、黙りこくっていた。


「みんな静かやな。敵の本丸に乗り込んでんのに、派手にぱあーっとやることとか無いんかい」

「敵の本丸とは何だ?」


 みいちゃんは心底不思議そうに問うてきて、大師匠はそっぽを向いた。周囲の猫たちは動かず、タロウは更に撫でることを要求する。


「この柳の木が親玉やってんやろ? 猫を魔物化して、気ままな暮らしから締め出させた」

「それはそうだが、今いる層では柳は眠ったままだぞ? みいが帰還し、魔石が生まれなくなった。すでに猫の体内に仕込まれた魔石も、全て消滅したはずだ。この上何をするというのだ?」


 視線を逸らしたままの大師匠が言うのを聞いているのかいないのか、ほかの猫たちも誰もジロウを見てはいない。


「え、ほんならこれで全部終わったんかい?」

「そうだ。それぞれが今、この場で、真の己に融合できた。あとは今生で暮らしていた場所に戻るのみ。ジロウはどうする?」

『タロウと帰るよね? ここからなら真っ直ぐ帰れるよ?』

「はっ、えっ、そうなん?!」


 ジロウは驚きのあまり、大きな声を出した。近くにいた猫たちが一斉にびくっとするのは、それはそれで申し訳ない眺めだった。


「いや、タロウ、それに老師。ジロウは融合どころか、己の子を宿しているのです。二つ身にならねば、帰ることはできぬはず」

「うわ、みいちゃん! 俺が出産するみたいなこと言いなや」


 赤い顔であたふたするジロウをすっと見上げて、大師匠は鼻を動かした。


「そうか。世の理りを越えて、魂を分けた子がいるのだったな。ちょうど良い。どちらの生を選ぶか決めれば良いのだ」


 大師匠はぺたんと座り込んだジロウの前に歩いてきたかと思うと、膝の上に乗った。そうして、彼の左胸に鼻先を突っ込んだ。


「あー。おい、小童こわっぱ

『オオミカミさま、ケイチャタットです』


 いつの間にか前に出ていた白い老猫が、恥ずかしそうに言った。鍵尻尾にだけ、茶色い縞模様が入っている。


「おもちか?! おい、名前を呼んだらあかんのんやろ!」


 血の気の引いたジロウが叫んだが、みいちゃんが否定するために首を横に振った。


「ここははざまに近い層であるから、大事ない」


 ジロウやおもち、みいちゃんには構わず、大師匠は鼻先を離さない。


「えー、ケイチャタット。聞いておったな? そこにおる間に、全てを聞き、思い出したはずだ。御大切において、隠せることは何もないのだから。そして、一つきりの魂を二つに分け続けることもできん。今この場において、選べ。そして、全き魂を持って一方に帰れ」

『ケイ、おもちと帰ろう! 母ちゃんが心配してる。心配したままで時が止まってる』

「ずるいで、おもち…」


 ジロウは微かに唇を動かして、声にならない程の呟きを漏らした。それから、意を決して声を改めた。


「どっちを選んでも、後悔は残ると思う。けど、同じ後悔をすんのやったら、今、最初に気になる方を選べ!」

「いや、ジロウよ」


 気合の入ったジロウに対し、みいちゃんは気の毒そうに言った。


「どちらを選んでも、選ばなかった方の記憶は消える。一つに戻るとは、そういうものだ」

「は、ははっ、そうなんかい」


 ジロウは気恥ずかしげに頭を掻いた。そのために持ち上げた右手が、妙に重い。


『ジロウも、選んで…』


 タロウの声が、どこか切羽詰まっていた。

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