みいちゃん
みいちゃんは、ジロウの姿を認識していない。
その事実はジロウを打ちのめした。
しかし。
※※※※※
(ばあちゃん、知らんネコがみいちゃんのエサ食べよったでー!)
(べっちょない、べっちょない。みいちゃんも
何年も前に死んだ祖母の小さかった背中が、大人の大きさとして目の前に見える。その横で唇を尖らせているのは兄だ。小学校に上がるかどうかという年頃か。
(こんどのみいちゃん、あんま、家におらんなあ)
(オスやし、こんなもんやろ)
(遊べへんやん! ネコジャラシ、ようけ採ってきたのに!)
焦れる兄の後ろから、ジロウは思わず問いかけていた。
(ばあちゃん、なんでネコの名前、いっつもみいちゃんなん? 【こんどのみいちゃん】って、変やし)
ジロウは、自分の声が幼いことに驚きながら胸を押さえた。
(そらあんた、うちの猫は預かりもんやからなあ)
(え、預かってんの? だれから?)
(そら神サンに決まっとぉがな。
(ジンツーリキってなに?)
(神サンみたいな力っちゅうこっちゃ)
(すごいな! ばあちゃん、こんどのみいちゃんの名前、知っとお?)
(知っとぉで)
(どうやって知ったん?)
(そらあんた、みいちゃんのここんとこ、じーっと見といたらええねん。ほいたら、ちゃあんと聞こえてくんで)
祖母は額の真ん中、髪の生え際の少し上を指で押さえて見せた。
※※※※※
戻ってきたジロウは、幻の祖母に教えられた通りに、目を閉じて座り込んだみいちゃんの額を見つめた。
みいちゃんの体を見るのは久しぶりだった。
その地域では野良とは言えど、痩せ細った猫は珍しい。世話をするボランティアが熱心で、餌を配るだけではなく避妊させたり子猫の里親を探したりしているからだ。
その中でもみいちゃんは堂々たる体格だ。毛並みも良い。じっと見ていると、手を伸ばして撫で回したくなる。実際、みいちゃんは撫でられることを拒まない猫だった。
ジロウはぐっと我慢して手を握りしめ、みいちゃんの額を見つめ続けた。しかし。
[ばあちゃん、俺をかついだんか?
ジロウは拳を開いて、眉間を揉んだ。
[みいちゃんの模様て、思てたよりややこしいなあ。じいっと見てたら頭
軽く頭を振って、再び見直す。
すると。
何故だか、直そう戻そうとしても、体が前のめりになる。ジロウはどんと膝をついた。
目の前一杯に、みいちゃんの毛色、模様が広がってゆく。
飲み込まれる!
そう思って固く目を閉じたジロウは、軽い衝撃を受けたと感じると同時に転げた。膝をついていたので、危機感はなかった。
勢いで目を開くと、例の柳の真ん前だった。
思わず「えっ」と声が漏れる。
慌てて起き上がって体の土を払っていたジロウは、柳のたたずまいに違和感を覚えた。
[俺自身が幻になっとったせいか? ちゅうか、ここに戻って
柳をつぶさに観察して、ジロウは違和感の正体を理解した。幹の糞塊が綺麗さっぱり無くなっているのだ。
[カンユウさんやった蛾も消えたまんまか。雨…。なんかできたとしたら、雨やな。あの雨、カンユウさんをきちんと旅立たせて、ぼろっぼろの木ぃも癒したんかも。カンリョウさんの涙雨、かもな]
幹をさすっていたジロウは、そのとき頭の中に何かが引っかかっている気がして首を傾げた。
[カンユウさん、真名を呼んでくれた言うとったな? この場で。それ、目の前に蛾でも何でも体があったからか?]
〈みゃあおう〉
ジロウはすぐ近くに猫の鳴き声を聞いて「ひゃあっ!」と飛び上がった。
すぐ後ろに、生身のみいちゃんが立っていた。
しかも。
けぽっ、けぽっと見慣れた口の動きで。
「うわ、みいちゃん! 何もこんなときに、こんなとこで吐かんでも!」
慌てるジロウの目の前で、みいちゃんはおろろろろと吐き始めた。
吐き始めたのだが。
久しぶりに生身同士で向き合ったみいちゃんが吐いているのは、金色の光の粒子に見えた。つい先ごろまでのみいちゃんの見た目のような。
金色のそれは、するすると柳の方に流れてゆく。そして、根元に到達すると、そのまま幹を上へと登り始めた。
かっぱりと口を開いたジロウは、こぼれ落ちそうなほど見開いた目で、金色のそれの動きを追う。
それはある一点に到達すると、幹の中に染み込むように消えていった。
しかし、一瞬の後に勢いよく噴出した。
空中に広がった粒子はきらきらと輝き、みいちゃんの体に降り注いだ。
「ジロウよ。よくやった」
みいちゃんが口を開くと、その後ろに猫たちの姿がずらずらと連なって現れた。
柳の周囲は、猫による螺旋模様で埋め尽くされた。
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