粉吹きの街

きし あきら

粉吹きの街

 とある国を旅行中、夕暮れの提灯街を歩いていると曲芸師に呼びとめられた。背が高く、腹回りも相当なその男は、伝統的な文様の入った赤い外套がいとうを着込み、頭に辮髪帽べんぱつぼうを乗せている。

 不釣り合いにせこけた顔には自動人形めいた化粧をほどこし「アナタ、ニホジン、ニホジン」「ヨク見テ、スゴイヨ」などと発音の怪しい言葉をかけてくる。どうやら、これから行う曲芸の見物人になってほしいらしい。

 これはあとから料金をせびられるやつだなと思い、早足に通りすぎようとすると、意外な俊敏はやさで行く手を塞がれた。

 「近クデ見テ、スゴイヨ、本物ダヨ」

 提灯の薄赤さを落とす大男に気圧され、私はついに一の立ち見客となることを決めたのだった。

 「モット近ク、モット近ク、モット前、前」

 男は改めてみちの端に私を呼び、外套の前に顔を近づけるようにと、しきりに繰り返した。

 「コレカラ、スゴイヨ、ヨク見テ」

 もう観念するから早く終わらせてもらいたい。ぐっと顔を突き出した私の鼻先で、男はいきなり外套の前を開け放った。

 これでお粗末なものでも見せられた日には憤激ものだが、そこにあったのは金属の枠にはめられたアクリルケエスだった……、そう、アクリルケエスだけだったのである。本来あるべき人間の皮膚ひふや骨や臓器やは一切見当たらない。かろうじて背骨と思われる部分に繋ぎ合わされた穴開きパイプが通り、アクリルの胴を貫いていた。

 遅れて理解して、はっと声が裏返った。異様に膨れていた腹はケエスのためで、挙動にだまされていたが、これは正真正銘の自動人形なのだ。

 「イマカラ、スゴク、ツクルヨ、見テ、見テ」

 かすかな息の音をさせながら人形は芸を続ける。外套のポケットから取りだしたのは、白い粉末が透ける小袋だ。それを破りもせず大口に放りこむと、歯で擦るように咀嚼そしゃくしはじめた。

 やがて、カシュッ、スースッ、カシュッ、スースッ、……と空気式なのだろうか、外套の内側のいたるところから通気の音が聞こえ、ケエスを貫く配管から、もやもやと白い粉が流れ出てくる。

 ほのかに提灯の色を吸ったそれは、はじめ、なんの気もなく漂っていた。が、対流する空気に押されるにつれ、ケエスのなかに様々な生物の形を浮かびあがらせてきた。

 ただ知っているような、まともな姿のものはない。魚ならば尾まで水圧で潰されたような、鳥ならば羽にも爪を伸ばしたような、草と獣のひっついたようなデタラメばかりだ。

 それらが自在にうごめく間に、ケエスに薄ら色が射す。発光装置が仕込んであるのか、人形が自分の辮髪を下に引くたびに、透明から青、青から黄、黄から紫、また透明、赤、緑と目まぐるしく……。

 「マダスゴイ、マダスゴイ」

 口から粉を吹きふき、さらにひとつの袋を噛みつぶすと、ケエスはいよいよ煙に満ちる。さてなにが起こるのか、私は息を止めて見入った。

 空気ごとかき回される粉は不思議に分かれ、特徴的な直線と曲線とを描いていく。いつしか色は提灯が落とす赤色のまま。浮かびあがる、理解される、この提灯街のかたちである。

 路の角には細かく曲芸師がたたずみ、なにか芸をやっている。その前でのめっている客、たったひとりの客は私と同じ背格好だ。

 思わず、素晴らしいと手を叩こうとして、しかし体は動かなかった。腰や腕を伸ばすことも、それどころか自分の輪郭りんかくを意識することさえ叶わない。

 「スゴイヨ」シュッ、「スゴヨ、」カッ、「スヨイゴ、」シュスー、……

 人形の声と通気の音が絡んでいく。どこからか漂ってきた煙が、渦を巻いて視界をうめていく。私の、私達の境は崩れ出し、皮膚も骨も臓器もなくなっていく。どこまでも飲みこまれていく。……

 「見テヨク」シュッ、「前ット」シュスー、「本物」、……


(了)

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