静かな恋の終わり
白藤結
静かな恋の終わり
灰色の空からこぼれ落ちる、純白の結晶。ハラハラと舞い降りたそれは、溶けることなく降り積もっていき、アスファルトの黒を覆い隠す。
そんな純白の世界で。理央は楽しそうに、空色の傘をくるくると回しながら帰路に就いていた。柔らかな絨毯に刻まれる足跡。そのサク、とした感覚が楽しくて、つい小幅になってしまう。
ふふ、と、思わず笑みがこぼれた。雪は、好き。とても綺麗で、美しくて、冷たくて、……そして何より、無音の世界を形成するから。雪は音を吸収すると言われている。それによって作り出される静かな世界が、理央はとても好きだった。
「理央!」
突然、闇を切り裂く光のように、耳に馴染んだ声が聞こえてきた。ゆっくりと振り返る。
そこには、保育園の頃からずっと一緒に育ってきた、幼馴染みの彼がいた。頭や肩に雪を積もらせ、荒い息を吐いている。防寒具を何もつけていないその姿は、見ているこちらが寒い。思わず顔をしかめた。
だけど、逆に言えば、それほど急いでいたということだった。鞄を持っていないから、たぶん帰り道ではない。ならきっと、何か理由があって、理央を学校から追いかけて来たのだろう。
一歩、足を踏み出す。
「……どうしたの?」
彼を空色の下に入れながら、問いかけた。この傘は一人用だから、多分背負っているリュックがはみ出て、雪が積もり始めているだろう。けどそんなことは気にならなかった。それよりも、彼の方が大事。幼馴染みだから。……たぶん。
彼はふー、と息を大きく吐くと、理央を見た。とても真摯な瞳だった。静かで、冷たくて、美しくて、……まるで雪のような。そんな瞳。
彼の唇が動いた。ゆっくりと、白い息とともに言葉が口から吐き出される。
「俺、櫻井さんと付き合うことになった」
そっと目を伏せた。
「……そう」
ぽたり、と、寂しげな声が地面に落ちた。それは雪のように溶けることなく、ずっとそこにある。胸が切なくなった。
櫻井さんは、クラスの人気者だ。とても可愛くて、明るくて、まるで花のような少女。そんな彼女が幼馴染みに想いを寄せていることは、何となく知っていた。彼が同じように想っていることも。
だから、こうなることはなんとなく分かっていた。だけど――。
「良かったね」
何だか、胸が痛くて。痛くて苦しくて。もっと大きな声で、嬉しそうに言うつもりだったのに、出たのはとても小さくて、寂しげな声だった。
彼は小さく「ありがとな」と言った。だけど、どこか辛そうな表情。嬉しいはずなのに。
「……それだけ。じゃあ、また学校で」
そう言って、彼はくるりと踵を返した。そして、意外にもさっさと歩んで行く。
「う、うん。またね」
遠ざかる背中に、理央は慌てて別れを告げた。彼はこちらを振り返ることなく、軽く手を振る。
その背中を見ながら、静かに考えをめぐらせた。きっと彼は、これから学校へ戻って、櫻井さんと帰るのだろう。彼女の家がどこかは知らないけど、たぶん行けるところまで、一緒に。
二人が並んで手を繋ぐ光景を思い浮かべる。ズキ、と胸が痛んだ。痛くて、悲しくて、辛くて、……私が彼の隣に立ちたい、と願ってしまう。
つ、と、涙が頬をつたった。拭っても、拭っても、涙が溢れ続け、止まらない。そこでやっと、理央は理解した。
(私、あいつのこと、……好き、だったんだ)
今まで自覚していなかった想い。それが、彼に彼女ができることによって
(きっと、あいつは知ってたんだろうな)
理央が、彼に恋していることを。
幼馴染みだから。幼馴染みだから、相手のことを相手以上に分かってしまう。だから彼も理央の想いに気づいていて、わざわざ伝えに来てくれたのだろう。理央を必要以上に傷つけないために。せめて、自分で伝えるために。
(ますます、好きになっちゃうじゃん。……ばか)
彼への想いが溢れてきて、胸が温かくなる。それと同時に、胸が痛くなって……。
その場で、理央は声を殺して泣いた。幸いにも、今日は雪が降っている。全て、雪が吸ってくれる。
はらはらと舞い降りる雪の中。しばらくの間、理央は初恋の甘さと失恋の痛みを噛み締めていた。空色の傘は手から離れ、彼女を雪から守ってくれることはなかった。
静かな恋の終わり 白藤結 @Shirahuji_Yui
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