スクランブル交差点

沙倉由衣

スクランブル交差点


 さみしがりやの小さな犬は、どこへ行ってしまったのだろう。




 フアァ――ッ……と間延びしたクラクションの音が、ビルの谷間を抜けていった。


 ヘッドライトの光が白く浮かび、滑るように動いて消えていく。あとはただ冷たい街灯の明かりが、点々と歩道に残されていた。


「よーぉ。どしたよ、こんな時間に?」


 ザラッ、とごついスニーカーの底が、鈍く光を反射するアスファルトを踏んだ。

 雑にジャケットを引っかけた、刈り上げ頭のシルエットは、あの頃とまるで変わらないように見える。


「悪いなカズ。ていうか、よく起きてたな」

「そか? この時間ならフツーに起きてるぜ俺」

「マジかよ。ソンケーするわ」


 じゃらっ、と歩道脇のチェーンを飛び越えて、カズは僕の隣に着地する。固くシャッターの降りた、巨大な立体駐車場の入り口。


 僕らの生まれた街はいわゆる地方都市で、都市といえば聞こえは良いけれど、いってしまえば半端な田舎町だ。駅のまわりにだけ立ち並ぶ高層ビルと、どこにでもあるチェーン店の看板。これみよがしに鳴り響く大型ビジョンのCMは、この時間はさすがに沈黙していたけれど。


 こうして駅前の交差点から一歩脇道に入ってしまえば、車も少なく閑散として。塾通いの後にぶらついていたあの頃と、別段代わり映えもしない。


「つーか、おまえ就職したんだってな。おめでとさん」

「いや……はは。一浪してやっとこさ、だけどな」

「終わり良ければすべてよし、だろ。立派立派」


 がははと豪快に笑いながら、カズは僕の肩を叩いてくる。ちょっぴり上から目線の物言いは、昔からの単なる彼の癖だ。


『いいよなカズは気楽でっ!』

『うるせーな、俺だってテストの点下がったらオヤジにド叱られんだよッ!』


 ジジジ……と微かな音をさせて、向かいの歩道に自動販売機が立っていた。こんな時間に、誰が買いに来るというのだろう。むやみに明るい照明のなかに、丸い缶が律儀に並んでいる。

 どこにでもあるような中身の。代わり映えのしないラインナップ。


「仕事どうよ? やっぱキツいの、会社勤めって」

「鬼だな。毎日上司に怒鳴られて、先輩に企画書破られてるよ」

「げっ。ブラック企業ってやつ?」

「そうでもないと思うけど。いつも終電ってワケじゃないし、残業代出てるし」

「……そりゃよかった……のか?」


 冷たい風に首をすくめて、カズは微妙な顔。そんなもんだよ、と僕は笑って、歩道の端をカラカラと空き缶が転がっていく。


 視界の隅で、何か白いものが揺れているのが見えた。シャッターの表面に残された、はがれかけた古いビラ。

 きっとたぶん、どこでもそんなもので。

 派手に何かを主張しても、強い風が吹けばさらわれていくんだろう。


「どうしてるんだろうな……香坂の奴」


 ぽつ、とカズが呟いた。




『あいつらなんも分かってない。あいつらにわかってたまるか!!』


 あの頃。

 暗いコンビニの駐車場で、僕らはいつも喋っていた。大人達への不満。くだらないクラスの噂。大半は、もう忘れてしまったけれど。


 たまたま学校のクラスが同じで、塾のクラスも同じだった。理由はそれだけだったと思う。

 家業を継ぐカズと、大学受験を控えた僕。そして――夢を描いていた香坂。 


『えーそんなに欲しー? このからあげやっすいよー?』


 店の前にはなぜだかいつも、茶色の子犬がつながれていて。短い丸いしっぽを振って、出入りする客達にじゃれついていたっけ。


 キャンキャンとにぎやかな子犬の声と、笑いころげる香坂の声。


 アスファルトの暗がりに落ちていた、丸められたテストの白を、妙にくっきりと思い出す。




「さあ……。元気なんじゃないの」


 いい加減な僕の返答に、カズはつまらなさそうな顔。それでも何も言わなかったのは、否定も肯定もする根拠がなかったからだろう。

 僕は腕時計を見おろして、細い針の位置を確かめる。


「そろそろ行かないと」

「……そっか。元気でなユキ、過労死すんなよ」

「しねえよバカ。オヤジさんによろしく」

「げっ冗談じゃねぇ」


 軽口を叩いて、僕らは互いに背を向ける。またな、と僕は言いかけたけれど、なんとなくやめてしまった。


 結局。

 香坂は合格した地元の大学を蹴って、親に反抗して東京へ出て行ったらしい。その後どこでどうしているのか、僕もカズも知らない。

 マメに連絡を取る間柄ではなかった。きっともう、会うこともないのだろう。


 ブロロロ……と低いうなり声が、交差点の方から聞こえてきた。


 信号が変わったのだろう、動きはじめる車の音。心なしか交通量は増えてきたようで、連続的にアスファルトをかすめていく。


 見ればいくぶんか光の増した交差点に、流れていくヘッドライト。歩きはじめた僕の速度を、あざ笑うように過ぎていく。見おろす大型ビジョンが青く光って、そこに映像が浮かび上がる。

 代わり映えしないいつもの。やかましいCMが――。


「……あ」「……え?」


 そのとき僕とカズは思わず同時に声をあげ、唖然とその場に立ち尽くした。




 大音量の音楽が、動き出した交差点に降りそそぐ。

 いくつもの楽器のリズム。刺激的なギターの旋律。伸びやかなアルトの声が、すべてを覆って鳴り響く。


 大画面の中では交錯する赤い光と、ライトを浴びて踊る女性。しなやかなシルエットはもう、ずいぶんと大人びていたけれど。


「……あいつ、あんな高いトコまで行っちまったのかよ!?」


 あんぐりと口を開けたカズの声。落ち着いたナレーションの音声が、僕らの頭上に降りそそぐ。


 ――香坂咲 ファーストシングル 芽ばえ





 さみしがりやの小さな犬は、鎖を離れて行ったらしい。



「……んじゃ、またなカズ!」

「おー。次はもっとゆっくり帰って来いよ!」


 僕らは何か笑いながら、何だかもう子供のように笑いころげながら手を振って、そうして僕は勢いよく走りだす。夜明けの街。薄暗い交差点。いつしか車の動きは止まり、歩道の信号が青に変わる。


 高層ビルの隙間から、眩しい金色の朝日が目を刺した。無人の交差点の真ん中へ、僕は止まらずに駆け抜ける。




 始発列車で、僕はあの街に帰る。


 そこにあるのはいつもの日々で、僕は出社してまた鬼上司に怒鳴られるのだろう。破られた企画書も作り直さなければならない。チャンスだけは何度だって与えて貰えるのが、取り柄といえば取り柄だ。


 カズはこれから、頑固なオヤジさんと一緒に仕入れに行く。身内だけに厳しく叱られ、あらゆる知識を叩きこまれながら。

 遠い東京のどこかで、香坂もさらなる高みを目指してもがいているんだろう。


 目的も行き先も違う人々が、ばらばらに渡るスクランブル交差点のように、重ならない日々を僕らはそれぞれ、躓きながら歩いていく。


 それでもきっと、同じ空の下で。


「……よっしゃ。行くぜっ!」


 通りの先にそびえる駅舎めざして、僕は走る速度をあげる。ガラス張りの高架に陽が差して、いくつもの光がきらめいた。

 始発列車に飛び乗って。


 そして今日も一日が始まる。

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スクランブル交差点 沙倉由衣 @sky2017

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