第5話 帰り道

 減速し始めたゴンドラの後部に移動して、やって来た三頭山口駅のある方に目をやった。奥多摩の山々は、白く雪化粧していて神聖な感じさえする。九十九折に重なった遠くの山の稜線は、枯れた木々がまるで白いビロードに生えたうぶ毛のようで、優しささえ感じる。もっと周りの景色をよく見ようと思う間もなく、プラットホームに到着した。扉が開いてゴンドラから降りると、正面上に運転室が見えている。ゴンドラから降りても、身体の芯から湧き上がってくるような寒さは変わらない。ゴンドラの中が寒かったのは、単にゴンドラに暖房装置が付いていなかったのだろう。

 周りを見回していると、ゴンドラの扉を開けてくれた駅員さんが声をかけてきた。

 「よろしかったら運転室を見学していってもいいですよ。今日はお客さん少ないから。」

 「えっ、それはまたとない機会ですね。ぜひ見学させてください。」

 プラットホーム正面の階段を上ると、木製のドアがあった。なんとドアには、何十年も前に見たようなレトロな真鍮製の丸い握りのノブが付いていた。ドアの上には、木の札に「運転室」と書かれている。ドアをノックして開けると、運転員の男が操作パネルの前に座っていた。

 「失礼します、見学させてください。」

 「ああいいよ、どうぞ。」

 運転員の男は、僕を招き入れると、機器の説明をしてくれた。

 「この右手にあるハンドルが、万が一のときの手動ブレーキだ。そして、この正面にある機械がロープウェイの制御板だよ。」

 「上にある細長いメーターのようなものはなんですか?」

 「ああこれね、これはロープウェイが索道のどこにいるのかを表示するものだよ。

一番左がここ川野駅で、0mと表示されているね。右が対岸の三頭山口駅で、630mと表示されているだろう。」

 「ありがとうございました。機械室も拝見させていただけますか?」

 「ああ、一度運転室から出て、その脇の階段を降りてくれたまえ。」

 機械室に向かうと薄暗い中に、主電動機(モーター)が部屋の中心に置かれている。室内は機械油のにおいが心地よいくらい漂っていて、ケーブルは黒光りしていた。ロープウェイのゴンドラを動かす心臓部は、薄暗い中にも重厚な存在感を感じさせてくれる。

 「おや、右にもシャフトが出ているのは・・・ん、自動車のエンジンがある!」

 「ああ、これは補機だよ。万が一停電等でモーターが回らなくなったとき、このエンジンを動かして、安全にゴンドラを駅まで動かすものだ。」

いつの間に降りてきたのだろう、運転室にいた運転員の男が隣に立っていた。

 中型の自家用車に積んであるようなエンジンに近寄ると、「トヨタR型消防用エンジン」と銘板が付いていた。

 「ありがとうございました。それでは失礼します。」

 薄暗い機械室を出てプラットホームにもどって出口へと向かうと、正面にはトイレがある。そのわきの階段を登りつめたところが改札口だ。

 ここ川野駅も屋上が展望台になっていたので、一度建物の外に出て展望台へと向かった。川野駅の屋上は、三頭山口駅の屋上と瓜二つで、やはり双眼鏡が数台設置されていた。

 「さて、そろそろもどろうかな。」

 しばらく奥多摩の山々の美しさに見とれていたが、太陽が山の稜線の向こうに沈むと、寒さが増してきた。

 再び切符を買うと、改札を入りゴンドラへと向かった。

 「おっ、こんどは『くもとり号』だ。」

 早速乗り込むと、先頭のかぶりつきに陣取った。程なくして発車のベルが鳴ると、扉が閉められて湖の上へと滑り出した。後ろを振り返ると、青梅街道のオレンジ色の橋が見えている。

 湖の中央に近づくにしたがって、前方からもゴンドラがやって来た。

 「ん、誰か乗ってるね。カップルかな・・・えっ、あれは・・・えっ、そんなバカな。」

 なんと向こうからやってくるゴンドラに乗っていたのは、子どもの頃に別れてしまった父と母だった。しかも異様に若い。他人のそら似か・・・いや、違う。確かに父と母だ。僕にはわかる。

 何時しか窓にかぶりついて腕がちぎれるほど振ると、向こうのゴンドラに乗っている父と母は、こちらを向いて微笑みながら手を振っている。

 「お父さん、お母さん、飛行機にのっちゃだめだ!!」

 すれ違いざま泣き叫びながら向こうのゴンドラへと手を伸ばした瞬間、身体が窓から飛び出して、湖面へ向かって落下した。

 身体が軽くなって、エレベーターで降りるときのような浮遊感がなぜか心地よい。

永遠に続くと思われた落下が不意に止まった。


 「失礼します、如何されましたか?」

窓をコツコツとたたく音に気が付いて、無意識に車の窓を開けると、外には警察官が立っていた。

 「えっ・・・ あっ、失礼・・・ ・・・・僕は・・・いったい・・・」

 「何やらうなされたように叫んでらっしゃったので、声をかけさせていただきました。」

 「えっ、寝てた?・・・あ、失礼しました。ちょっと夢を見ていたようです。大丈夫です。」と答えると、警察官は敬礼をして帰っていった。

 いったい何だったんだろう。夢・・・いや違う、確かにロープウェイに乗ったし、機械室の機械油の匂いをかいだのは間違えない。

 車の時計を見ると、15時20分・・・車を止めてからわずか10分しか経っていなかった。ロープウェーに乗って対岸まで行き、山並みが幾重にも重なって素晴らしい景色を観たのは夢だったのか。

 僕は急いで車から降りると、駅のある山の方を見上げた。そこには、錆だらけでとても動くとは思えないようなゴンドラと裏寂れて蔦に覆われた廃屋の駅が見えていた。

 ふとポケットに手を入れると、黄色く変色したパンフレットと硬い小さな紙片が出てきた。パンフレットには、『奥多摩湖ロープウェイ』と書かれ、小さな紙片を見ると、110円の上に80円とスタンプが押されたロープウェイの切符だった。日付を見ると、昭和41年1月15日と捺されていた。さらにポケットの底から白いお守り袋が出てきた。そのお守り袋には、金糸で「東郷神社」と刺繍されていた。



 奥多摩ロープウェイ(正式名称『川野ロープウェイ』)は、1962年(昭和37年)1月に開業した。

 当初は東京方面からの観光客も多く賑わったようだが、両駅の標高差はわずか65cmしかなく変化に乏しいこと、さらには延長621mと短距離であったため、客足は次第に遠のいていった。

 1966年(昭和41年12月1日)に「冬季休業」したが、そのまま再開せずに1975年(昭和50年)に運行休止申請が提出された。その後運営主体の小河内観光開発株式会社は実態が無くなり、経営責任者の消息も不明となっている。



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