3. 愛したきみのトラウマになる

 待ち合わせまで、まだ二十分ほどあった。本屋に入ってもよかったのだろうが、外で風にあたっていたかった。透き通った、翡翠色の空気が私の濁った脳内をリセットする。ガウンがひらひらと舞って、プリントされた花柄が足元のパンジーと同化した。

 誰も私のことを知らない場所では、いつか見た女優のまねをする。親指に力を入れて立ち、背筋は自然に伸びている。目線は少し遠くに。寄りかかる場所などいらない。私はもう自分で立てるし、誰の前に出されても恥ずかしくない人間だ。そう自分で思えるほどに、私は回復したのだ。何が変わったのか、尋ねられたとしてもうまく答えることができない。しいて言うなら、時間が解決したとでも言うべきだろうか。心の調子は毎日変動するし、明日にはもしかしたらまた死にたくなっているかもしれない。けれど、明日のことなんて今考えることじゃない。


 好きな服を着て、メイクをして、ピアスを着けて、大好きな友達に会うということが素直に楽しめるのが、本当に幸せなことなのだと気づくことができた。ひとたびどん底まで落ちたから、幸せがより身近に感じられるようになったのだと思う。どん底を知らないで生きてゆけるに越したことはないけれど、大人になりきってからそれを知る人よりも、私はきっとずいぶん楽に生きることができる。

 誰かに必要とされなくても、明日発売の新刊は買いたいし、来週に控えた友達の誕生日プレゼントはもう買ってあるから、渡さないといけない。

 死にたくても、予定が詰まっていて無理なのだ。生きる意味なんておおよそそんなものだと思う。


 恋人と通っていた公園は別れた頃に改修工事が入り、今では見違えるくらい綺麗になっていた。なんとなく吹っ切れなくて悩んでいた冬の夜に、そこの東屋の椅子に座ってみたことがある。

 冷たくしみる頬をマフラーで覆い隠し、冷たい空気を吸い込む。無意識に閉じていた目を開けると、中心を四角く切り取られた東屋の屋根から、ちょうど月がのぞいていた。張りつめていた気持ちがほぐれて、肩の力が抜けた。

 無理にすべて忘れようとしなくていいのかもしれない、と思った。思い出はきっと勝手に美しく脳内補完されていくものだし、今苦しいのは事実として受け入れるしかない。だから、そっとしておいて、大事に奥の奥へしまい込んでしまえばいいのだ。海岸で見つけた、削れて丸くなったうつくしいガラスの破片を、秘密基地に隠したまま忘れてしまう子供のように。


 私はずっとこれからも、死にたい気持ちをどこかで持ち続けながら生きていくのだと思う。大好きで尊敬してやまない人たちも、私を置いてきぼりにした人たちもみな必ず死んでいく。

 私の代わりなんていくらでもいるけれど、それでも私がいいのだという人にだけ、ついていこうと決めた。

 すべてを肯定してくれる人なんてどこにもいない。私はいままで、他人への期待値が大きすぎたのだ。勝手に好きになって、勝手に信じて、自分の時間も心も犠牲にして彼らに費やして、気づいたときにはすべて失っていた。そうして彼らが離れて行ったが最後、私には何も残らない。

 死にたくなるほど嫌なことから逃げたって、いい意味で何も変わらなかった。「好きなことして生きていく」とか、「人生楽しんだもの勝ち」だとかを言っている人たちは(人生に勝ち負けはない、とは思うけれど)、案外うまく生きている人たちなのかもしれない。


 このどうしようもない性格も、容姿も、学歴も、性別も、経済力も、人間関係も、何もかもすべて懸案事項から取っ払った時、私は何がしたいのだろうか。

 好きなだけ音楽を聴いたり、本を読んだりしたい。時間を見つけて映画を見たり、美術館に行ったりするのもいいかもしれない。運動は得意じゃないけど、ダンスは習ってみたい。小学校から憧れていた演劇もやってみたい。誰も私のことを知らないところ、私という存在をきちんと人間として認めてくれるそんな場所で、自分を表現しに行きたい。

 私を自分の快楽のための踏み台にしていった人たちは、好きなことを目いっぱい楽しんできらきらした私を見ればいい。そして、なんとなく毎日を過ごしてきた自分と比べて、後悔の念に襲われればいい。私ごときに簡単に超えられてしまうほどの自分を恥じて絶望すればいい。性格の悪い奴、そう思われてもかまわない。ひどいことをされてもするっと忘れてあげられるほど、私は聖人ではない。

 同窓会に参加するときには、素敵な服とメイクを纏い、背筋を伸ばしてとびきりの笑顔でふるまうことに決めている。彼らにとって、私の笑顔がトラウマになるようにと願って。

 深い、深い、日光さえ届かない沼の底にいた。そのときには欲などなく、食べることさえも苦痛だった。今だって完全に傷が癒えたわけじゃない。

 沼を完全に抜け切れていなくて、また何かあったら引きずり戻されてしまうかもしれない。血がにじむくらいに努力して外に出たって、私は結局いらない存在なのかもしれない。でもまあ、それでもいいと思うのだ。いやになったらまた逃げればいいし、生きるのに疲れたらいつでも死ねる。一人いなくなったところで残念ながら世界は回るし、代わりはどこにでもいる。

 そんな考えはよくないと、誰かに怒られてしまうかもしれない。でも、私はこの考え方をしているときのほうが何万倍も生きやすいのだ。

 人の人生に口出しなどいらない。むろん、私にも同様に他人の人生観に介入する権利はない。


 

 ふいに風がやんで、私は元の世界に引き戻された。太陽は昼の定位置に身を置こうとしている。それに伴って日差しはどんどん強くなってきて、生い茂った緑の匂いが鮮明になった。噴水の近くで、子どもたちが水をすくって遊んでいる。滴っているのは水なのか、汗なのかはわからない。母親たちがたしなめる声も、彼らには届いていないように見える。

 とろりと首筋を伝う汗が、心地よかった。もう肌寒くはない。天気予報は少し外れたようだ。黒いガウンを脱いでしまうと、真っ白なワンピースだけ。思っていたよりも、夏はすぐそこにいた。美容院の予約はもう済ませた。全部全部、髪と一緒にバッサリと振り落としてやるのだ。

 今日のお出かけの目的は、好きなだけ服やアクセサリーやらを買うこと。欲望のままに、何にもとらわれない買い物ができるように、今日のためにバイトも頑張った。大金持ちのお嬢様みたいに、ゆっくりと楽しむ。そうして最後には、個室のあるちょっといい料理店でご飯を食べ、ブラッドオレンジジュースで乾杯する。飲み切った後には、きれいさっぱり嫌なことを忘れる、という小さな儀式を執り行う。完璧な計画だ。


 子供だましのおまじないを信じた私から進歩していない? あるいはそうかもしれない。でも今度のそれは、私のために使う魔法。長い冬はもう終わった。もうすぐ夏が始まる。


 ぱたぱたと走ってくる人影に手を振って、真っ赤な唇に笑みを乗せた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

愛したきみのトラウマになる 甘柚 @HinaArare

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ