片隅の焔

彩崎わたる

片隅の焔

 咲き初めの桜に似合わない奴らだった。

 先日、江戸から上洛じょうらくしてきたという浪士たちが素振りの練習をしていた。どの顔も田舎っぽく、あかじみた着物からは汗臭さがにおってくるようだった。

 壬生浪士組みぶろうしぐみなどと自称する浪士たちが壬生村の郷士の家に分宿しているという噂は、あっという間に商家の娘であるカヤの耳にも届いた。市中を見回るとして昼間からうろついているものだから、嫌でも京の人間は彼らを見ることになる。


 カヤも一度だけ店先を見慣れない男数人が、ぞろぞろ歩いているのを目撃したことがある。

 そのときは気にも留めなかったが、市中でうっすらとした嫌悪感が広がっていくにつれ、一度間近で見てみたいと思うようになった。その衝動は珍種の虫を気持ち悪いと思いながら、つい覗き込んでしまう感覚に似ていた。


「ちょっと。カヤはん、こっち」


 蔑視べっしを込めた目で男たちを眺めていると、ふいに声を掛けられた。

 見れば顔見知りのおばさんが手招きをしている。眉をひそめた表情から声を掛けられた理由を悟る。カヤは小さくため息をついた。のろのろと近づくと、さっと腕を取られ、家の影へと引っ張り込まれる。


「なにしてはるんどすか」


「見ていただけどす」


 おばさんの目がとがめるように細められた。


「絡まれでもしたらどないするんどすか。江戸の男は気性が荒いんやさかい」


「わかってる。もう帰るとこやってん」


「そう? せやったらええけど」


 ようやくおばさんの勢いが衰え、掴まれていた腕が解放される。

 帰ると言った手前、それ以上長居することもできず、仕方なく家に戻る道をたどる。

 おばさんの言う〝絡まれる〟とは、悪い虫がつくという意味だ。


「もうそんな年じゃないのに……」


 すでに嫁として喜ばれる年齢は超えている。このままでは大年増おおどしまになってしまうと両親は躍起になって娘の貰い手に奔走ほんそうしているが、今のところかんばしい効果は上がっていないようだ。


 もっともその原因がもっぱらカヤにあることは自覚していた。

 カヤの家は京ではそこそこ名の知れた商家であり、カヤはそこの一人娘である。婿を取らねばならないことは幼い頃からずっと言い含められてはいたが、どうにも現実感を持てないまま年を重ねてしまった。商才だけを買われた男や、明らかに金に目が眩んだ男と添い遂げるなど、考えるだけで虫唾が走った。両親も断固として嫌がる娘を押し切れず、代わりに近所中の家々に変な虫がつかないよう見張ってほしいと頼み込んだのである。


 カヤにしてみれば窮屈極まりないが、自分がわがままを通していることはわかっている。

 この上、心の内に隠し持った願いなど到底口にできるわけもなかった。

 あの男と出会うまでは――。






 その男は田んぼの端に座り込んでいた。

 一目で新選組の者だとわかった。この辺りで他に浪人風の男を見かけることはない。腰に二本の刀を差してはいるが、その背中は油断を絵に描いた姿そのものだった。それどころか雨を待つ野花のようにしおれかけている。


 少し前まで壬生浪士組だった彼らは、京都守護職である会津藩主、松平容保まつだいらかたもりの後ろ盾を得て、京都の不逞浪士を取り締まる新選組と名を変えた。

 京の人間から見ればどっちもどっちだ。すぐに刀を抜くという点ではよっぽど新選組の方が不逞浪士に近かったが、京の人間がそれを表に出すことはない。嫌な相手であればあるほど慇懃無礼いんぎんぶれいに。それが上方流というものだ。


 なぜ声を掛けてみようと思ったのか、それはカヤにもよくわからなかった。

 カヤの声に男は弾かれたように顔を上げた。


「うわ、驚いた」


 純朴そうな丸い目がさらにまん丸く見開かれている。


「私が不逞浪士なら今ごろバッサリ斬られてますなぁ」


「面目ない……」


 男は恥ずかしそうに頭を掻いた。


「こないなんもあらへんとこ、不逞浪士なんて来いひんやろう。さぼりどすか」


「とんでもない。そんなことしたら隊規違反で罰せられてしまいます」


「へえ、そら恐ろしいどすなぁ」


 東の人間とまともに話したのは初めてだったが、思っていたのと少し違う。江戸の男はもっと荒っぽく短気なものだと思っていた。それともこの男がやたらとのんびりしているのだろうか。年はカヤとそう違わないだろう。

 新選組の屯所から少し離れたあぜ道は、彼らが来る前からカヤの散歩道だった。そこなら新選組も通らないだろうからと散歩を許した両親の予想に反して、この道を気に入っている隊士もいたらしい。


「ええ、本当に恐ろしいところです」


 やけにしみじみとした言葉に、カヤは先ほどの後ろ姿を思い出した。


「あんさんは新選組の人らしゅうないどすなぁ」


 思ったまま口に出せば、男はかれたようにカヤを見上げ、次いで苦笑を浮かべた。


「あなたも京の人らしくない。京の人は決して本音を見せない。笑っているから歓迎されているのかと思えば、陰でひどい噂が立てられている。まあ、もっともその噂の大半が事実なんですけどね」


「そんなん言うて切腹させられても知りまへんよ」


「はは。切腹か。俺たちは魚じゃないってのにな」


 冗談のつもりだったのか、男は同意を求めるように笑いかけてきたが、カヤは笑えなかった。

 新選組の血生臭い話は、昨今の京では天気の話題のようにいたるところで繰り広げられている。カヤとてこの男が、明日切腹したと聞いても驚きもしないだろう。


「わけの分からない局中法度で切腹させられるぐらいなら、脱走したいな」


 ぽつりと呟かれた言葉は、今度こそカヤをぎょっとさせた。

 確か脱走は御法度だ。ついこの間も脱走した隊士が連れ戻され、斬首されたと聞く。


「なに言うてますのん」


 カヤが引きつったように笑うと、男もあっけらかんと笑った。


「冗談ですよ。ところであなたはどうしてこんなところに? 百姓ではないでしょう?」


 散歩だと答えると、男は意外そうな顔をした。


「屯所も近いというのに、ご亭主がお許しに?」


「私は結婚してまへん」


「こ、これはとんだ無礼を」


 男は慌てて立ち上がり、何度も詫びてくる。つくづく武士らしくない。

 そもそも新選組というのは武士の集まりではないらしい。江戸でかき集められた浪人、つまり百姓から博徒ばくとまで素性は様々な者の寄せ集めなのだ。おそらくこの男も生まれは武士ではないのだろう。そうでなければこれほど軽々しく謝ったりしない。


「気にしてまへん。……私は結婚に向いてへん女なんどす」


「……というと?」


 立ち上がった男の目線はカヤより高い。相手を見上げたことで不思議と肝が据わった。

 縁もゆかりもない相手だからだろうか、これまで決して口には出すまいとしていた言葉が、胸の奥底からあふれ出ようとしていた。

 口を開きかけたところで、理性に邪魔され、迷いが生じた。


 女のくせにまつりごとに首を突っ込むな。国事を論じるなんてとんでもない。


 それはカヤがかつて無邪気に大人たちの会話に加わったときに言われた言葉だ。商家の娘である手前、幼い頃から小難しい話は常に身近にあった。自然と自分でも考えるようになり、考えれば主張が出てくる。だがカヤに発言の場はなかった。そろばんを弾くのは褒められても、政を口にすることは禁じられた。

 国事に関わりたい。夷敵いてきに乗っ取られんとしている国のために何かしたい。

 もし男に生まれていれば認めてもらえたかもしれない言動全ては、初めから舞台にすら立てないものだったのだ。

 男の目が、どうしたと問うていた。その目の奥の光にするりと言葉が引き出された。


「男に生まれたかったんどす」


 生まれながらにして男である目の前の人間は、言葉の意味が理解できないというように、目をしばたたかせた。何度か瞬きを繰り返し、ようやくに落ちたのか、喉の奥で唸るように息を発した。


「……笑わへんどすか」


 恐る恐る尋ねてみれば、男は即座に首を横に振った。


「笑いませんよ。だってあなたは本気だ」


 ぎゅっと心臓を鷲掴みにされた気がした。痛いような、くすぐったいような感覚に思い切り体をよじりたい衝動に駆られた。そんなことは初めてだった。


「あんさんは、ほんまに変わった人どすなぁ」


「それはお互いさまでしょう。さて、そろそろ戻らないと」


 男が一礼をして歩きかけ、ふと思い直したように足を止めた。


「名前、訊いてなかったな」


 陰ではいまだ壬生狼と蔑称で呼ばれている者たちの一人に名前を教えるか、迷ったのは一瞬だった。


「カヤ。……あんさんは?」


「早川勘次郎」


 そう言うと、やはりのんびりした様子で勘次郎は屯所の方へと歩いて行った。






 勘次郎と出会ってからしばらく経ったある日、友人の家を訪ねたカヤは突然の訃報を告げられた。


「ほんま一瞬のことやったらしくて……」


 友人の奉公先の主人が長州藩と繋がっていたらしい。尊王攘夷を唱える長州藩がその過激さを天皇にいとわれ、京都から追放されるという事件が起きたのはつい先日のことだ。攘夷論の衰退に焦った長州が動きを活発化させる中、幕府側である新選組の動きもまた活発になった。


 友人の奉公先である商家にも新選組の御用検めが入ったのだ。長州藩士たちは捕まれば拷問が待っている。友人は長州藩士たちを逃がそうとしたとして血の気の多い一人に斬りつけられ、その日の夜に息を引き取ったという。


「そんな……」


 膝から力が抜け、カヤはその場に座り込んだ。友人の母親がすすり泣く声が遠い。

 悪い夢だとしか思えなかった。だが現に長州藩士たちは斬られ、彼らを庇えばもろとも殺される。これまでどこか対岸の火事だと思っていた火の手が、ふいに現実のものとして迫ってきた。

 漠然と感じつつも、一線を引いていた新選組への嫌悪感がはっきりと形になっていく。


 カヤはもともと長州藩贔屓ひいきだ。過激ではあるが、国を憂う想いには共感するところも多く、彼らのように立ち回れたら、少しでも彼らの力になれたらと思ってきた。

 新選組の勢いは凄まじい。このままでは長州藩は命を散らしていくばかりだ。自分も何かしたい。これまでになく焦げ付きそうな思いに駆られ、友人の死を悼むより長州藩士たちを庇って死ねたことを羨ましいと思ってしまう気持ちが抑えられなかった。

 




 元治元年六月五日、新選組は御所に火を放ち、孝明天皇を長州に連れ去ろうと計画する尊攘派の情報を掴み、捜索した池田屋で酒宴を開いていた長州一派と激しい斬り合いになった。

 多くの長州藩士たちの血が流された激闘の翌朝、屯所に引き上げる新選組隊士を見ようと京の沿道は多くの見物客で埋め尽くされた。


 池田屋事件――。


 後にそう呼ばれる新選組の大捕り物は、彼らの名声を一気に押し上げるとともに、貴重な人材を多数失うことになった長州藩の過激派たちを激怒させた。長州藩士たちが続々京に集まってきているという噂が流れたかと思えば、新選組が斬り殺した死体がどこそこに転がっているという報せが市中を駆け巡る。


 日ごとに緊迫していく京の町の雰囲気は、カヤの焦燥を一層煽った。何もできない自分に苛立ち、意味もなく町をうろついては日暮れに虚しさを抱えて帰路につくか、途中で知り合いに見つかって連れ戻されるか、という日々を送っていた。

 娘の奇行を案じたのが両親である。いよいよ婿を取って、なんとしても地に足をつけさせなければと、片っ端から声を掛け始めた。


 両親の願いは天に聞き入れられたらしく、カヤの元に一つの縁談が舞い込んだ。

 相手は小さな商家の三男で、穏やかな性格ながらなかなか抜け目のないところがあるらしく、京の商人として生きていく上での資質を十分に兼ね備えた人物だという。

 またとない縁談に目の色を変えた両親の強引さは、さしものカヤも閉口するものだった。仕方なく会うだけと場を設けてもらえば、彦三郎という縁談相手はカヤを一目見るなり顔をしかめた。


「年増やとは聞いとったけど、こらまたなんちゅうか……」


 さすがに言葉にするのははばかられるというふうに、彦三郎は口を噤んだ。

 言わずともわかる。カヤの器量は並だが、放つ雰囲気は世間一般の男が期待するものとはかけ離れている。おかみさんというには愛想がないし、体の奥底で沸々とたぎっている血気はたとえ慎ましやかな着物を着ていたとしてもカヤの全身から滲みだしている。

 自他ともに認める女房に不向きな質なのだ。


 慌てて仲人のおばさんが、濁った空気を取り繕う。


「あらいやだ。人を見かけで判断しちゃあかんえ。カヤはんは、そらそらそろばんが得意で」


 上滑りしていく援護を聞き流しながら、カヤの頭は別のことでいっぱいだった。

 女である自分が国事に関わるにはどうすればいいのか。一番現実的なのは長州藩御用達の宿に奉公し、簡単な使いや身の回りの雑用をこなすことだが、商家同士の伝手はあっても、有意義な手土産か、身の証がなければ門前払いされるだけだろう。


「カヤはんは、子が何人欲しいどすか」


 己の中に埋没していたカヤは、ふいの問いで現実に引き戻された。


「子?」


「商人は嫡男にはこだわらへん者が多いが、うちは子どもがえらい好きで」


 そう言って彦三郎は破顔した。ここにきて初めて見た笑顔だった。仲人の紹介通り、確かに人間性は悪くないのだろう。むしろ自分にはもったいないほどの人物なのかもしれない。

 それゆえ、カヤには重い。合わないのだ、何からなにまで。


「うちは子が欲しい思たことはのうて」


 仲人がぎょっとするのが気配でわかった。彦三郎は得体の知れない生き物と出会ったかのような顔をしている。


「……なんで、て聞いてもええどすか」


「子やら邪魔なだけどす」


「はあ……まあ、そないな人もおるんどすなぁ」


 これでこの縁談も破断だろう。だが事実なのだから仕方ない。

 その場は仲人のとりなしでなんとか丸く収まったものの、カヤの両親の怒り様は凄まじかった。うちの店を潰すつもりか、これでは先祖に顔向けができん云々。

 できることならカヤも親孝行をしたいとは思っている。思っているからこそ縁談だって形ばかりは出るのだ。

 己の願いは胸の内に押し殺して――。






 その日、いつもように市中をぶらついたカヤは久しぶりにあぜ道の方に出た。

 カナカナカナというヒグラシの鳴き声に、コオロギの音色が混じる。季節はもう秋になろうとしていた。どこまでも続く青々とした稲が風に揺れ、物哀しい音を立てる。


 この刻限になれば百姓も仕事を終えている。あぜ道には人気はない。と思った矢先、ほとんど足を田んぼの中に突っ込んだ状態であぜ道に座っている者がいた。

 遠目でもわかる浅葱色の羽織。瞬時に警戒心が沸いた。引き返そうと踵を返しかけ、思い直す。改めて見れば、それはやはり勘次郎だった。

 彼と会うのはあのとき以来だ。覚えているだろうか。

 新選組に対する嫌悪はあったが、勘次郎は不思議と新選組の持つ血生臭さを感じさせない。


「勘次郎はん」


 声を掛けて振り向いた顔を見て驚いた。頬がこけ、落ち窪んだ目は病人のようなのに、放つ気配は今しがた人を斬ってきたというほどに鋭い。

 殺気走った視線をギロリと向けられ、カヤは思わず後退った。

 勘次郎は目の焦点を合わせるように目を眇め、ああ、という顔をした。


「カヤさんかぁ」


 声だけは変わらない。やけにのんびりした口調がひどくちぐはぐだった。やや警戒しつつも勘次郎の元に歩み寄ると、ぷんと濃い匂いが鼻をついた。


「お酒臭いわあ……」


「ああ。さっきまで飲んでた」


「飲んどったって……まだ夕暮れなのに」


 あまりの匂いに距離を取ったところで立ち止る。


「はは、そんなに臭いんだ。ずいぶんと久しぶりだけど、変わりない?」


 今の京で変わらないことなどない。あなたのように。つい思ったままの言葉が口をついて出そうになるのを慌てて堪えた。代わりに身に降りかかった災難話を話す。


「あかんくなる思た縁談がまとまりそうで……」


 あの後、彦三郎は仲人を通して、縁談を進めてほしいと言ってきたのだ。カヤは天地がひっくり返るほどの衝撃を受けた。あれ以来、悩みが増えた。

 勘次郎が口端を歪めて笑った。以前の朗らかな勘次郎からは想像もつかない、どこか皮肉っぽい笑い方だった。


「縁談がまとまりそうで嘆く女子はあなたぐらいだ」


「他人事や思て」


「いや、実にあなたらしいと思って。そうか縁談か……」


 勘次郎の声が尻すぼみに小さくなっていき、生気が抜けたようにすとんと押し黙った。思い詰めた目がまるで仇でも見るかのように虚空を睨みつけている。その様子は酒で目が据わっているのとは明らかに違った。そのままぴくりとも動かなくなってしまった勘次郎に、そろそろ去るべきかとカヤが思い始めた頃、勘次郎がぼそりと呟いた。


「……のためだ」


 低い唸り声のようだった。


「え?」


「俺はなんのために京に来た。隊規に怯えて日々を過ごすためか。人を斬るためか。……違う。俺はそんなことがしたかったんじゃない。俺は……」


 勘次郎の拳は固く握りしめられていた。音もなく降り積もっていた鬱積が、勘次郎という器からあふれ出すかのようだった。


「あいつらは現実が見えてない。内輪で揉めてる場合じゃないんだ。こんなことをしてたら日本はお終いだ」


 ああ、この人は壬生狼に食われる。ふとそんな考えが頭をよぎった。勘次郎に新選組は合わない。もしかしたらよっぽど長州人たちとの方が意気投合するのではないだろうか。

 そんなことを思ったせいだろうか。気づけば言葉が口から滑り出ていた。


「新選組のみなはんが守ってるんは、京の治安ちゃうて江戸の殿はんどす」


 カヤが言うと、勘次郎は驚いたように目を瞠った。


「あなたにはそう見えるのか?」


 やはり言うべきではなかったか。いくら勘次郎が新選組らしくなかろうと、一隊士であることにかわりはない。面と向かっての暴言を見逃すかはわからない。どちらにせよもう遅い。こうなっては開き直るしかなかった。


「見えますなあ」


「そうか……」


 勘次郎は一瞬何かを考え込むように黙ると、懐から徳利を取り出した。栓を抜き、そのまま呷る。止める間もなかった。唖然とするカヤに、勘次郎が酒で充血した目を向けた。


「あなたは新選組を恐れない」


 まるで断言するかのようだった。


 そこからの勘次郎は酒の勢いもあってか、新選組の所業を片っ端から批判し始めた。日々の隊務に相当思うところがあったのだろう。勘次郎が垂れ流す言葉は、内部情報の暴露と言ってもいいほどのものだった。隊の構成から巡回経路、どこまで倒幕派の情報を掴んでいるか云々。


 聞けば聞くほどカヤの中でくすぶり続けていた小さな焔が音を立てて爆ぜていく。

 これ以上聞いてはいけない。後に退けなくなる。頭のどこかで警鐘が鳴り続けているにも関わらず、耳は一言も聞き漏らすまいとし、口は勘次郎から次の言葉を引き出すべく相槌を打っていく。

 パチ、パチ、パチ。焔の音はもはや無視できないほどに大きくなっている。

 町民が聞けば口封じを恐れて遮りそうな話を熱心に聞くカヤに、勘次郎は何を思っていたのか、途中からは酒の酔いなど抜けているようなしっかりとした口調だった。





 京の山々が紅葉で染まる頃、勘次郎の批判的な言葉とは裏腹に、新選組の勇名はいよいよ栄華を極めていた。窮乏する各藩から溢れた浪人らは俸禄ほうろくを求め、武士に憧れる百姓や商人は名誉を求めて、新選組に集ってくる。


 だが同時に光が強まれば影も濃くなる。新選組という威を借りた無法者が京の町で乱暴を働くこともあり、商人たちの間では相変わらず評判が悪い。新選組の華やかさの裏で池田屋以来、憎悪を燃やし続けている長州藩が暗躍しているという話も聞く。

 カヤがその日訪ねたのも長州藩の者が常宿にしているという店だった。かつてカヤの友人が御用改めで殺された伝手をたどって、ようやくたどり着いたのだ。

 勘次郎がもたらした情報は胸の内に留めようと思った。あれはただの愚痴だ。忘れろ、と。


 だが一度ついてしまった焔はそう簡単には消えてくれなかった。国事のために何かしたい。たとえそれがどんな雑用だとしても、女であるというだけの人生で幕を閉じるのは嫌だ。


 これまでずっと願いながら、糸の端っこすら掴めなかったもの。それが手の中に転がり込んできてしまったのだ。何もできないと焦がれていた現実はいまや過去になった。カヤには新選組の情報がある。これを長州藩に告げるだけ。それだけ――。


 同時に危険な橋を渡っているという恐怖もあった。もしどこかでカヤの動きを密告されれば、カヤだけでなく家族にも害が及ぶ可能性があるのだ。決して表立ってはいけない。あくまで情報を提供するだけだ。

 にこやかに出てきた宿の番頭に、紹介してくれた者の名前を告げる。


「しっ。こちらに」


 声をひそめた番頭に案内されて通された部屋には、一人の浪人らしい男が座っていた。

 どっかりと胡坐をかいた様子からカヤが来ることはあらかじめ知らされていたらしい。刀も無造作に畳の上に放り出され、とても人を迎える様子ではない。小娘一人、客のうちには入らないということか。


「ほお、面白い娘じゃのぉ」


 長州訛りの強いその男は、不躾にカヤをじろじろと見ると、愉快そうに笑い声を上げた。

 カヤは勘次郎から聞いた話をそのまま伝えた。男は時折頷くだけで、表情一つ変えない。

 つまらない情報だったのだろうか。不安なまま話し終えると、男がにやりと笑った。


「おまえ、商人の娘か? こねーなんが新選組にばれたらどうなるか、わかっちょるのか」


 ぎくりと肩が跳ねた。男の口調は柔らかく、脅しているふうではないが、どこか試すような気配があった。

 カヤが言葉に詰まっていると、男は笑みを崩さないまま言った。


「わしのところまでたどり着くぐらいだ。おまえの気持ちは買うちゃる。情報も有難う使わせてもらう。だが悪いこたぁ言わんけぇ、もうわしらと関わるさあよせ」


「でも」


「わしらも新選組もおまえが考えちょるほど甘うない」


 有無を言わせぬ口調だった。安全なところからの援護はいらない。己の身や家族を思いながらの者は足手まといだ。言外にそう言っていた。

 カヤは顔に朱が上るのを感じた。中途半端な思いを見抜かれた。羞恥のあまり顔が上げられなかった。一礼をして立ち去ろうとすると、背中に男の声が掛けられた。


「おまえが本気でこちら側に来る気があるなら、そのときはまたわしを訪ねるとええ」

 





 カヤが自分の結納の日を知ることになったのは、雪の降る寒い日だった。

 真っ白に染まった京の町というものはそれだけで雅なものだったが、そこで生活をする者にとっては、なかなかに厄介なものだった。


 カヤが店先の雪かきの手伝いを申し出ると、なぜか番頭は苦い顔をした。不思議に思いながら、しもやけで真っ赤になった手に息を吹きかけていると、知り合いのおばさんが驚いたように声を掛けてきた。


「あらあ、カヤはん。手が真っ赤やない。だめどすえ、もうすぐ結納やん」


 底冷えする京の冬はあらゆるものを凍り付かせる。それはカヤの心も例外ではなかった。


「結納て、誰の……」


「照れへんでもええんやで。あんたのに決まってるやないか」


 おばさんがからからと笑う声が、カヤの耳を素通りしていく。頭の中が文字通り真っ白になった。


 カヤの記憶にある限り、彦三郎と会ったのは初会だけだ。縁談を進めてほしいと言ってきたということは知っているが、その後はぱたりと音沙汰がなかったから、てっきり気が変わったのだろうと思っていた。


 両親だ。カヤは確信した。カヤを彦三郎と会せれば何を言い出すかわからないと、秘密裡に縁談を進めていたのだ。まるでカヤの意思など存在しないかのように。

 カヤは雪かきの道具をそのままに、店の中に駆け込んだ。置き去りにされたおばさんと、状況を察して青くなった番頭の声が追ってくるが、全て無視した。

 足音荒く廊下を突き進み、父親の部屋の障子を乱暴に引き開けた。

 帳簿とにらめっこしていた父親は、娘の顔を見るなり事態を悟ったらしく、このときが来たかとばかりに居住まいを正した。


 カヤとて自分の言い分が世間一般とずれていることはわかっているから、父親の顔を立てるために縁談を受けたのだ。それを勝手に結納まで進められては、黙っていられるはずがない。


「うちは了承してへん!」


「おまえの了承を待っとったら、わしが死んでまう。うちにはどないしても婿が必要なんや!」


 父親に噛みつけば、唾を飛ばさんばかりの勢いで何倍もの言葉が返ってきた。これが最後の頼みの綱と、父親も必死らしい。

 父親の気持ちはわかるが、父親の願いを聞けばカヤの願いは必然的に断たれることになる。

 どちらかが犠牲になるのだ。こればかりは自分が男に生まれても逃れられない運命だろう。

 だが国事に関わりたいと願う娘よりは、息子の方がよっぽどわかりやすい、どこにでもある話だったはずだ。

 女に生まれたというだけで、カヤには越えなければいけない壁が多すぎる。


 その後、父親との話は平行線をたどり、かつてないほど真正面から衝突した父娘喧嘩になった。ここまで父親が強硬手段に出たのが初めてなら、カヤがここまで拒絶の意思を示したのも初めてだった。

 母親と番頭がおろおろと仲裁してその日はいったん収束したが、事は解決しないまま、結納の日は迫っていた。

 彦三郎と会う機会もあったが、どうやら結婚をすればカヤも自然と女としての自覚が出てくるだろうと思っている節があった。

 カヤとしても尻に火が付いた形だ。

 己の願いを手放し、世間並みの女として生きるか、商人の娘としてのこれまでをすべて投げ捨て、道なき道に足を踏み入れるか――。

 もうどちらつかずにはしていられないのだ。


 結納の日を目前に控えた日、カヤは町外れで偶然、勘次郎と行き会った。

 カヤが勘次郎を見つけるより先に向こうは気づいていたらしく、目が合うと足早に近づいてきた。くらさを秘めたその目を見た瞬間、心臓が冷えるようなひやりとした感覚がした。


「ここじゃ人目につきすぎる」


 そう言って勘次郎に連れて行かれたのは、昼間でも人通りの少ない路地だった。

 歩いている最中一言も話さない勘次郎にどことなく不安を感じていたが、唐突に立ち止った勘次郎の告げた言葉はさらにカヤを仰天させた。


「新選組を脱走する」


「脱走……」


「しっ」


 勘次郎が人差し指を口の前で立てる。周囲を警戒するように見る目つきは険しく、皮肉なことにその姿は以前よりずっと新選組らしかった。


「なんでそないな大事なことをうちに」


「……わからない。だが、あなたにだけは言っておきたかった」


 引き止めるべきか迷った。新選組で脱走は御法度だ。追っ手に掴まれば斬首されるという。新選組の一員だが勘次郎のことは嫌いではない。むざむざ死なせたくはなかった。

 カヤが言葉を迷っていることを察したのか、勘次郎はふっと笑った。


「馬鹿な真似をと、笑いますか?」


 どこか試すような言い方だった。止めてほしいのか、背を押してほしいのか、カヤにはわからなかった。戸惑って勘次郎を見れば、ひたとこちらを見つめる目があった。

 その瞬間、己の答えを悟った。迷う必要などなかった。


「笑いまへん」


 誰が相手の決意を笑うか――。


 たとえどれほど馬鹿げていようと焔が燃え始めてしまったら、もう止められないのだ。

 かつて勘次郎がカヤのことを笑わなかった理由が今やっとわかった。勘次郎にはカヤ自身も気づいていなかった焔が見えていたのだろう。

 勘次郎が笑う。いつか見たのんびりとした笑顔だった。


 カヤが笑い返そうとしたとき、周囲に複数の足音が響いた。浅葱色の羽織をはためかせた数人の男たちがあっという間にカヤたちを取り囲む。

 新選組! そう認識した途端、体が凍り付いた。殺気だった彼らの威圧感は話に聞く比ではなかった。反射的に逃げたいと思ったが、立ち竦んでぴくりとも動けない。


「早川勘次郎、おまえを間者の疑いで捕縛する!」


 男の一人が言うが早いか、勘次郎が乱暴に拘束された。後ろ手に縛られていく勘次郎の顔は血の気が引き、真っ青だった。


「ち、違う。何かの間違いだ! 俺は間者なんかじゃない!」


 勘次郎が叫ぶ。


「うるさい。監察方の情報だ。話なら屯所で聞く」


「嘘だ! あの副長が話なんか聞くもんか。嫌だ、やめろ。離せ!」


 悲痛な声を上げながら勘次郎が引きずられていく。新選組の男たちにとってカヤはいないも同然らしい。勘次郎が斬首される光景が目に浮かび、カヤは弾かれたように声を掛けた。

 最後尾についていた男が振り返る。


「なんだ?」


 咄嗟に話しかけたものの、何を言おうと思ったのかわからない。勘次郎を擁護するほど、カヤは勘次郎のことを知らない。勘次郎が間者とは思えないが、そんなものは証拠にもならない。

 何か言うべきだ。せめて釈明のないまま無実で斬首などされないように。何か、一言を。


 だが結局、カヤは言葉を持たなかった。


 男はふんっと鼻を鳴らすと、見下すような一瞥をくれた。言葉はなかったが、その視線は実に雄弁に語っていた。女であることを、何もできずにいることを、小馬鹿にするような見下した目をしていた。


 連れ去られていく勘次郎と一瞬だけ目が合った。

 恐怖と屈辱がない交ぜになった瞳を見た瞬間、カヤの中で焔が弾けた。体の奥底で響いた小さな音が静かな熱を持って、体中に広がっていく。つま先からじわじわと熱が広がり、体が火の玉のように熱く燃え上がった頃には、路地はすっかり元の静けさを取り戻していた。






 ――彦三郎さんとの縁談、なかったことにさせて下さい。


 カヤがその一言を切り出したとき、彦三郎は心底がっかりした様子だった。

 意外な思いで彦三郎を見やる。自分の都合を押し付けようとしていたところはあるが、どうやら本当にカヤのことを気に入っていたらしい。


 彦三郎よりも大変だったのはカヤの両親である。特に父親は烈火の如く怒り狂った。可愛さ余って憎さ百倍とはよく言ったもので、これまで目の中に入れても痛くないとばかりに甘やかしてきたことも忘れ、自分の甘さで身を滅ぼすがいいとその場で勘当された。

 カヤは無言で頭を下げた。こればかりは弁明も釈明もない。あるのはカヤが選んだ事実だけだ。

 父親は真っ赤な顔をぶるぶる震わせ、足音も荒く部屋を出て行った。慌てて番頭が後を追ういつもの光景を見ながら、カヤもまた立ち上がった。

 悄然としている彦三郎に深々と頭を下げ、部屋を出ようとしたとき母親が寂しそうにぽつりと呟くのが聞こえた。


「あんたを男に生んだればよかったなぁ」


 カヤはそのまま家を出た。もう戻ることはない。

 己が選んだ道が茨だらけであることはわかっている。だがこれ以上、身を焦がさんばかりに燃え上がる焔を封じ込めておくことはできなかった。

 たとえどんな結末を迎えたとしても、己を殺して生き続けていくより、己を貫いて死ぬ方がいい。今もあのときの勘次郎の瞳を思い出すと、不思議とそんな言葉が頭に浮かぶ。

 勘次郎が本当に間者だったのかはわからないが、あのとき捕縛されなかったら勘次郎は間違いなく脱走を実行に移していただろう。勘次郎は己の道を決め、一歩を踏み出したのだ。


 カヤは小さく息を吸った。ぴんっと張りつめた冬の空気が胸の中を満たし、焔で熱せられた体を心地よく冷ましていく。

 女に生まれた時点で、女の一生という道が決まっていたわけではない。ただカヤが気づいていなかった。否、己の内側で芽生えた焔に気づかないふりをしていただけなのかもしれなかった。安寧の道を外れることに心のどこかで怖気づき、性別のせいにしていた。

 男にならずとも、国事に奔走したいのならその道を選べばよかっただけなのだから。

 カヤには足がある。覚悟さえあればどこにでも歩いていける。

 勘当されたことはカヤにとっても好都合だった。勘当となれば、実家に迷惑が掛かることもないだろう。

 なにしろこれから向かう先は、新選組にも勝るとも劣らない場所だ。迎えてもらえるかはわからないが、諦めるつもりはなかった。

 これまでずっと逃げ、諦めてきたのだ。もう何も諦めない。カヤは真っ直ぐ歩き続けた。



 男の部屋は今日も刀が無造作に畳の上に転がされていた。

 カヤの姿を認めるなり、部屋の主である男はにやりと笑った。

 まるでカヤがここに来ることを予測していたような、確信に満ちた笑みだった。

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片隅の焔 彩崎わたる @ayasaki

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