さよならネバーランド(4)

 辻から告白されたのは次の日のことだった。

 四時間目、理科の授業の前。理科室での授業になるために、教室を移動しなくてはいけない。そこで一人理科室に向かおうとしている時に、辻が私のところへやってきて「ちょっと、いいか」と校舎裏につれて来られたのだ。

 その際、文子の視線を感じていたけれども、あえて無視をした。

 辻を追い校舎裏にくる。校舎の裏にある大きな木々が、黄緑色の葉をそよ風に揺らしていた。夏だけれども、そこだけ涼しく心地よかった。

 到着して、すぐさま辻はこちらへと振り返る。顔を真っ赤にして。何事かと思ったけれども、そこまで鈍い私ではない。校舎裏。男女二人。ぴんとくるものがあって、しかしそんなはずは、と思った矢先に、辻が白い洋封筒一つを差し出してきた。

 音が出そうな勢いで顔が真っ赤になった。そんなバカな。しかも私が? 辻に? ハートマークのシールなんて貼ってはいないが、辻の様子で内容が丸わかりだ。手紙を差し出すその手も真っ赤で震えていた。

 反射的に、というよりも、まるでそうするのが当然のように、私は両手でその手紙を受け取ろうとしていた。辻と同じく真っ赤になって震える手で。端から見れば、とんでもなく不器用な賞状授与式に見えたかもしれない。頭の中はぐるぐる。なんで? 私が? 辻に? ていうか小説だと女の子の方から勇気を出して震えながら手紙を出すものなのに。男の子の方から? おかしな話だなぁ。

 そうか、これが現実か。

「お、おへっ、お返事っ、待って、ます」

 彼は必死に声を振り絞る。そしてその場から逃げ出した。

 残された私は、まだ震える手で手紙を開けて読む。辻にしては綺麗な字で、愛の告白が綴られていた。それはもう「初めて勉強を教えてもらったときから、素敵だなと思っていました」から「もしよければ僕とつきあってください」で終わる、割とありふれているだろう文面で。

 小説や物語に登場するラブレターなら、チープ。

 しかし今の私には、とんでもない破壊力を備えたものだった。

 家に帰ったら返事を書かないと。もちろんオーケーの。断る理由なんてどこにもない。告白されてようやく自覚したけれども、私も辻のことが好きだったんだ。しつこくても勉強を教えたのも、わざわざ読書する時間を惜しんでサッカーを見にいったのも、そのためだったんだ。

 四時間目の理科の実験は、不注意気味だった。おかげでビーカーを落として割ってしまった。それは辻も同じだったらしく、彼は試験管を二本割っていた。

 給食もろくに食べられない。生成ちゃん、病気? と隣の女の子に言われたけれども、全然違うよと首を振ってかき込んだ。

 もう授業も頭に入らず、あっという間に放課後になった。辻が部活をさぼって帰って行くのが見えた。私も早く帰って、お返事を書かなきゃ。どうまとめよう。さっきからずっと考えているのに、上手にまとまらない。

 とにかく早く帰りたい、と思ってバッグを担ぐ。嫌に重いバッグ――そこで思い出した。

 バッグが重い理由。それはあのノートが入っているから。

 このノートを、文子に渡さなくてはいけない。でもいま文子に会いたくなかった。昨日あんなことがあったし、いますごく幸せな気持ちなのに、文子に会うことで嫌な思いをするかもしれない。

 けれども図書室に行くことを決意した。これはもう、私と文子の世界ではないと感じたから。もう文子の妄想日記と化している。だから返すべきだと思ったし、そのことをちゃんと伝えて私はもうやらないと伝えようと考えた。文子と想像を共有するのは、楽しいことではあった。でもこんな忌々しいもの、もう持っていたくない。

 決心して放課後の図書室に入った。人の気配がなくて、もしかして文子もいないかなと思った瞬間、背の低い本棚の影から文子が飛び出してきて、私のバッグをひったくった。

 一瞬何が起きたかわからなかった。気付くと私のバッグは文子が持っていて、彼女は何も言わずに中を漁ると、辻からもらった手紙を引っ張り出した。そしてスカートのポケットから裁ち鋏を取り出すと、さくさくと手紙を切り刻み始めた。

 驚愕のあまり悲鳴を上げやめてやめてと叫ぶ私をよそに、文子はあっという間に手紙を細切れにしてしまった。床に落ちた白い断片。あの震える手で渡され、震える手で受け取った大事な手紙。それを、ばらばらにされてしまった。

 それだけではない。文子は切り刻んだそれを思い切り踏みつけた。

「こんなもの、あなたに必要ないわ」

 まるで私を叱咤するかのようだった。

「いい? 恋愛っていうのは、かなわないものなの。幸せなのは一瞬だけよ……現実なんて、全部そんなものなのよ。だからね、生成、想像の世界の方がずっといいの――」

 次の瞬間、私は文子の頬を叩いていた。

 もう何もせずにはいられなかった。文子が倒れる。手に持っていた裁ち鋏が床に転がる。尻餅をついた彼女は驚いた顔で私を見上げていた。

「き、生成……?」

 さっきとは変わって、ひどくショックを受け怯えた様子で。

 あんたのそんな妄言で、私を操れるとでも思ったか。

 私は怒りながら泣いていた。もううんざりだ。

「――嫌い。もうやだ。もうあんたの想像ごっこにつきあわない、一人でやって」

 私はバッグの中からあのノートを取り出すと、乱暴にテーブルの上においた。そしてその場を後にしようとするも、地面に座り込んだままの文子が片足にまとわりつき、前のめりに転んでしまった。

「触らないでよ!」

 振り返って大声を上げ、もう片足でまとわりつく文子を蹴ってしまった。文子は真っ青な顔をしていた。

「ごめんなさいごめんなさいお願い一人にしないで」

 そんなお願いを、はいと聞くお人好しではない。

 無視して立ち上がろうとすると、今度は片方のおさげを掴まれた。長いおさげは、掴むのにちょうどよかったらしい、かなりの力で引っ張られ、思わず悲鳴を上げた。再び振り返ると、文子は泣いていた。

「お願い生成、どこにもいかないで。一緒に世界を考えてよ。私一人じゃ寂しいの。お願い」

 私以外の人に、自分から声をかけない臆病者のくせに。

「放してよ!」

 おさげを掴む文子の手を叩く。しかし文子は手を放さなかった。お願い戻ってきてと言うばかりで、泣きながらほほえんでいた。それがまた気持ち悪く感じて。

 視界の端に、裁ち鋏が目に入った。文子が落としたものだ。

 とっさにそれを手に取ると、私は何の迷いもなく、文子に引っ張られるおさげを切り落とした。

 お気に入りのおさげ。「文学少女」としてのシンボル。あんたと別れられるのなら、片方くらいくれてやる。

 ぽとりと落ちた私のおさげ。文子は目を丸くしていた。その隙に私は立ち上がり、図書室を後にする。背後から「違う、こんなの生成じゃない」と聞こえた。

 そうよ、私はあんたの思い通り想像通りに動く私じゃない。

「大っ嫌い! もう二度と話しかけないで!」

 最後にそう怒鳴って、私はもう文子に会わないことを決めた。


 * * *


 雑な髪型のまま、人の目を気にせず家に帰る。夕飯の支度をしていたお母さんが「生成! その髪どうしたの!」と聞いてくるも無視して部屋に引きこもった。もう散々な一日だった。すっかり疲れていた私は、泣くことも怒り狂うこともなく、無気力になってベッドに横たわっていた。

 けれどもふと起きあがり鏡を見ると、ボサボサの髪型が映った。うん。さすがにこれは変だ。単純にそう考えて、もう片方のおさげも自分でばっさり切る。

 頭が非常に軽くなった。物理的に軽くなっただけじゃない。中もすっきりした気がした。それから、辻に返事を書かねばと、手紙を黙々と考えた。その最中、お母さんに美容院に行くよう言われたため、行って髪型を整えてきた。全体的に切った。前髪も切って、そのため視界が開けたような気がした。

 翌日、辻にオーケーの手紙を渡した。ほかのクラスメイトよりも辻は私の髪型に驚いていたが、短い方がやっぱり似合ってるよと言われた。私もそう思っていたから、嬉しかった。

 こうして私は辻とつきあうことになった。そのこともあって、よりクラスに明るくなじむようになった。

 文子はあの日以来、また不登校になった。言い過ぎたとは思っていない。むしろここで心配すると、彼女を喜ばせつけあがらせてしまうだろうから、関わらない方がいいと考えている。

 彼女はまだ、あの想像の世界で遊んでいるのだろうか。現実ではなく、想像の世界を必死に生きているのだろうか。けれども想像は想像で、現実はやはり現実だ。予想外のこと、つらいこと、つまらないことがあっても、現実で生きて行かなくてはいけない。

 いまは辻と楽しくつきあっているが、時々文子の「恋愛は永遠じゃない」という言葉を思い出す。けれども、現実ではそれが仕方のないことだと割り切らなくてはいけないと思う。

 だからこそ、この一瞬を大切にしながら生きていかなくてはいけないのだ。

 ここは現実。小説や物語の中じゃない。

 私は確かに生きていかなければいけない。


【さよならネバーランド 終】

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さよならネバーランド ひゐ(宵々屋) @yoiyoiya

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