さよならネバーランド(3)
とはいえ転入生。最初はみんなの注目の的、話題の的だった。それは私と文子も例外ではなく、放課後の図書室で彼は実は魔法使いだとか、実は人間とまた別の生き物とのハーフなんだとか、本人のいないところで遊んだのである。けれどもすぐに、いつもの世界の話になった。文子が飽きたのだ。
「世界の話をしましょ。今日は何をしようかしら」
文子は転入生のことが気にならないのだろうか。今日あの世界の中で何をするか考える方がいいらしい。私としては転入生という非日常を楽しみたいのだけれども、文子との世界も楽しいので、その日も世界想像に熱を入れた。
辻が転入してしばらくして「転入フィーバー」は治まってきた。その頃になると、辻は勉強に追いつこうと、少し苦労をしていた。どうやら前の学校に比べて、この学校での勉強は大分進んでいたらしい。勉強に追いつくため、周りの友達に教えてもらうも、理解できないらしい。もちろんこれは辻だけに問題がある訳じゃない。周りの教え方にも問題があると私は思う。
そして、辻はついに私のところにきたのだ。
「あのー、篠原、さん?」
三時間目が終わった後、私が本を読み終えてぽんと閉じると、タイミングを見計らったように彼がおずおずと声をかけてきた。ノートと教科書と筆記用具を持って。
「勉強……教えてほしいんだけど……理科……篠原さん、勉強も教えるのも上手だって」
「いま本読み終わったから、いいよ」
それから辻は、頻繁に私に勉強を教えてくれと、やってくるようになった。あまりにもできなくて、私もあきれてしまう時があった。いまいいところを読んでいるのに、助けてくれー、と来たときは、いま忙しい自分で考えてと苛立つ時もあった。
やがて彼は勉強に追いついた。そればかりだけではなく、テストで高得点を叩き出すようになった。私に並ぶ高得点。これにはびっくりした。一番の私、続いて二番に辻。そして三番に文子。この前までは、私と文子でワンツーフィニッシュだったのに。それでもなお、勉強を教えてとくる辻に、
「辻君、もう頭いいんだから自分で勉強できるでしょ?」
と首を傾げると、
「お前に教えてもらってるから、なんとかなってるんだって。頼むよー、成績落ちるとゲーム没収されちゃうんだって。それに成績いいとお小遣いもらえて新しいスパイク買えるんだ」
ゲームのことはさておき、成績の善し悪しでお小遣いがもらえて自分の好きなものが買える、という気持ちは分かるので、渋々教えることにした。私だって成績がいいからお小遣いがもらえて本を買える。それに、彼に勉強を教えるのは嫌じゃない。彼が悩み間違った答えを出して威張っているのは面白いし、正しいやり方がわかってちゃんと答えを出したときの「あ、そーか!」と嬉しがり私に教えてもらったくせにどうだできたぞ、とまた威張るのもお調子者で面白いし、その直後にまた間違えるものだからなんだかギャグみたいである。彼から教えてもらうこともある。サッカーのことや、ゲームのこと、最近の流行のことなど教えてもらった。私は小説ばかりを読んでいて、他から情報を入れるということは少なかったから、彼から教えてもらうことは新鮮だった。
特にサッカーについて。小説の中では、男の子の主人公がサッカーで熱い戦いを繰り広げるのを散々見てきたが、目の前で見るのは初めてだった。辻に昼休みにサッカーやるから見に来いよ、と度々誘われるものだから、試しに一回見に行ったことがある。小説で読む試合よりも、ずっと興奮した。小説よりも先がわからないし、辻のいるチームがゴールを決めたときは同じく観戦している女の子とはしゃぎ、辻が相手チームとボールの取り合いになって派手にこけたときはちょっと悲鳴を上げてしまった。もっとも、辻は元気だったけれども。
また辻と仲良くするものだから、辻の友達も勉強以外のことで私に話しかけてくるようになった。ひっそりクラスに馴染んでいた私だったが、隠れずクラスに馴染むようになってきた。
その様子を、文子が離れた席からつまらなそうに見ているのを、私は少しも気付いていなかった。そして辻が何の用事もなくてもちらちらこちらを見ていることにも気付かなかった。
それでも私は、放課後になると図書室に引きこもりに行った。相変わらず放課後の図書室では文子と世界を考えていた。
しかし最近はどうも面白いことが考えられない。反対に、文子は調子がいいらしくて、どんどん世界を広げていった。流れ星が湖に落ちることがあって、それが魚になるのだとか。湖の底には街が沈んでいるのだとか。けれども、私にはうまく想像できない。すごいね、とか綺麗だね、とか、適当に相づちを打つしかできなかった。どうもうまくいかないのだ。頭がそれどころじゃない気がして。
「――生成? 聞いてる?」
もちろん聞いている。だから頷くも、文子はなんだか苛立ったような顔をしていた。
「そういえば生成、ノートは?」
そういえば、ノートを出していなかった。いまの文子の話を記録しなくちゃ。しかし慌ててバッグの中を開くも、ノートは見あたらない。ああそうだ、昨日書こうにも思いつかなくて――机の上に起きっぱなしだ。
「……ごめん、置いてきちゃった」
苦笑いをし謝ると、文子はさらに不機嫌そうな顔をした。
「生成、最近おかしいよ。世界のことも全然考えてないみたいだし……あの世界は、私たちが考えなきゃいけないのよ?」
――何で「考えなきゃいけない」なの?
ふと、引っかかった。いまはうまくいかないけれども、想像は確かに楽しいことだ。でも、どうして強制されなきゃいけないんだろう。
私は自由に考えたい。無理矢理考えるのは、違うと思う。
「……ノートを忘れちゃったのは仕方がないわ。今日はルーズリーフにメモしましょ。生成がそれを持ち帰って、家でノートに写しておいてね」
文子は楽しそうにそう言うと、ルーズリーフを取り出して自分の想像をメモし始める。このとき私は、初めてめんどくさいなと思ったのだった。
* * *
文子との関係がうまくいかなくなってきた。
私の想像がうまくいかないことに、文子は腹を立てるようになってきた。真剣に世界を考えてるの? 私たちの楽しい生活、考えてる? と言われた。しかしそう言われる度に、なんだか嫌な気分になってきた。
ある日、文子はこんなことを言った。
「生成、あなた、現実に毒されちゃってるのよ」
「毒されてる?」
「魔法も妖精もない現実に、屈して受け入れ始めてるのよ。だから想像がうまくできなくなってるの。クラスの人と話すのやめた方がいい。特に辻。あいつがあなたをつまらない現実に引き入れてるの」
その言い分は訳がわからなかった。ただ辻を悪く言っているのだけはわかって、無性に腹が立った。
さらに腹が立ったのは、私と辻との会話を邪魔したこと。
放課後、その日、私はすぐに図書室に向かおうとはしなかった。最近文子に会うと疲れてしまって。それでクラスメイトが次々に教室から去っていく中、どうしようかなと座り込んでいると、辻が話しかけてきたのだ。
「どうしたの? 図書室行かないの? なんか、元気ない?」
私が放課後図書室に引きこもっているのは、周知のことだ。文子とのことまで広まっているのかは、知らないが。
「ちょっと……めんどうでね……」
私はそれだけ言うと、黙ってしまった。文子との関係について、相談したいとは思ったけれども、そのことを話してしまえば私が変な子であるとばれてしまうのが怖かった。もうずいぶん前から変な子と思われているだろうし、以前なら想像を話したいと思っていたのに、今では隠したいなんて、変な話だ。
私は自分の席についてみんなが教室を出ていくのを横目に本を読んでいたが、辻も何故か教室から出て行かず、自分の席で携帯ゲーム機をいじりはじめた。時々、授業中に机の陰でやっているのを見ている。そんなのだから勉強ができないのだと思うけれど、その点は不思議と怒る気になれなかった。
やがて、教室には私と辻だけになった。
変な気分だった。いつもの図書館と同じ、オレンジ色に染まったいつもの教室。でもいつもと明らかに違う気がする。
「……サッカー部、行かないの?」
校庭の方からかけ声が聞こえる。サッカー部が練習している。でも、サッカー部に入部しているはずの辻はそこにいて、ぴこぴこゲームをしている。何か、嫌なことでもあったのだろうか。
うーん、と彼は首を傾げると、ゲームをやめてこちらを見た。少し困った様子で、どこか怯えてるようだった。彼らしくない顔だ。夕日に照らされてやたらとオレンジになっているのが、また変に思える。
「篠原、あのさぁ……」
彼は考えながら話しているのか、たどたどしい話し方だった。
「俺さ……うーん、なんていうんだ……うーん……」
「何?」
せかすと彼は視線を下に落として、
「いやその……えーっと……髪、短い方がお前似合うんじゃないかなって……その」
何それ。あまりにも唐突なことだったから、私は目を丸くした。どうして突然髪の話をするの?
「あっ、いや、いまのが気に入ってるならそれでいいんだけど、さ……いや俺が言いたいのはそういうことじゃなくて……その」
ばん、とドアが開いたのはそのとき。私も辻もびくりと体を震わせた。文子だ。ドアのところで、無言でこちらを睨んでいる。その時私は冷たいものを背筋に感じた。
「あ……ごめん、いま図書室に行こうと思ってたの、待ってた?」
慌ててそう取り繕うも、文子は何も言わずに、辻を一瞥するとすたすたと図書室の方へ向かっていった。すごく怒っている。
「ごめん、辻君、私行かなくちゃ、また明日ね」
私は辻に手を振る。辻はと一瞬私を止めようとするも、手を振り返してくれた。そうして教室を飛び出し、誰もいない廊下を、図書室目指して早足で進む。
腹が立つ。何あの態度。最近の文子はおかしい。
図書室に入ると、その場に似合わない罵声を浴びせられた。
「あいつと話すなって言ったじゃん! それにどうしてすぐここに来ないの? 私ずっと待ってたのに!」
掴みかかってきそうな勢いに、また私はびくりと震えてしまった。すると、文子もはっとしたようで、荒らげていた息を無理矢理落ち着かせる。
「ごめんなさい……怒鳴るつもりはなかったの。ただ……一緒に世界を作りたくて……」
文子は長い髪を扇のように広げながらくるりと背を向けると、つかつかと図書室の奥へ向かい、そこにおいてあったバッグとあのノートを手に取ると踵を返してくる。そして私にノートを押しつけると、
「ごめんなさい……今日は、帰りましょう、お互い」
そう言って図書室を出て行ってしまった。
押しつけられたノートが、どこか忌々しく感じた。そしてバカみたいにも思えてしまい、つい床に投げ捨てそうになった。けれどもこのノートは、ノートであるけれども、私と文子が楽しく世界を作り上げた物語でもある。それは美しい物語だと思うけれども……想像は想像でしかない。
ページを開くと、昨日文子が綴ってきたであろうページが、五ページもあった。それも小さくて細い字で、びっしりと。最近の私は三行書けるか書けないかであるのに対して比べものにならないし、ノート最初の文子の記録と比べてもかなりの量だ。そして内容も違ってきている。最初の方は、設定的な記述が多いが、最近のものはその世界で私と何をした、という内容が多い。読書をした、魔法の練習をした、花畑で誰にも邪魔されずおしゃべりした――今更ながら、このノートは、この世界は、文子の想像日記と化していることに、私は気付いたのだった。
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