さよならネバーランド(2)

 その日以来、私は放課後の図書室で文子に会うようになった。

 それまで文子は不登校だったけれども、毎日学校に来るようになっていた。当時まだ文子の不登校の理由を知らなかった私は、それまで病気か何かで来ることができなかったのかな、なんて考えていた。またほかのクラスメイトから文子の話を聞くこともなかった。そもそも私から必要以上に話しかけることはないし、みんなも基本的に話かけてこない。

 文子とは、放課後の図書室以外で話すことはなかった。クラスで文子から話しかけてくることはなく、ただ放課後の図書室で二人きりの時は話しかけてくるから、もしかすると人が多いところでのおしゃべりは苦手なんじゃないかと考えて、私も話しかけることはなかった。加えて文子が他のクラスメイトと話しているところを見たことがなく、またクラスメイトに声をかけられた際、無視して教室から逃げていく姿を見たことがあるので、ものすごく人見知りの激しい子なんじゃないかと考えていた。

 図書室では、最初はおすすめの本やその感想を話す程度の仲だった。しかしお互いファンタジー小説が何よりも好きだとわかると、幻想的な話をするようになった。

「どうして魔法や妖精は小説の中に存在するのに、現実には存在しないのかしら」

 カーテン越しに夕日が差し込む図書館はオレンジ色。その光の中、私と並んで座る文子は本のページをめくった。私がこの前薦めた、海外児童文学だ。もちろんファンタジー小説。文子はすごく気に入ってくれたようだったが、そう言って少し寂しそうな顔をした。

「変な話だと思わない? 小説の中には、たくさん存在するのに、現実には一つもないだなんて」

「それが現実なのよ。素敵なものは、本の中にしかない」

 だから私は小説を読む。私と文子の考え方は似ているのだと感じた。

 すごく寂しい考えで、子供っぽい考え方。

 けれども、だからこそ素敵な考え方。

「きっと、なくなっちゃったのよ。でも、いまでもどこかにあっていい」

 と、文子は本から顔をあげた。その目はどこか遠くを見ていて、夕日のせいかきらきら輝いていた。

「現実にないのは、どこかに避難したのよ。魔法も妖精も。この世界から、別の世界にね」

 現実とは違った世界――一体そこは、どんな世界なのだろう。きっと想像を越えた世界なのだろうけれども、想像が止まらない。

 見てみたい、行ってみたい。

「小説の中より、ずっと小説らしい世界よ……一体どんな世界だと思う?」

「森があったらいいな」

 すぐさま私は想像を口にした。森があったらいい。森は好きだ。いまはもう、現実世界、特に都会には少なくなってしまった森。そこには失われたものが沢山あるに違いない。

「ガラスみたいに透けている葉でね、赤い宝石みたいな実をつけるの。それで綺麗な鳥が住んでいて……そうね、とさかは控えめだけれども、尻尾はリボンみたいに長くて少し巻いてあるの。青い鳥で、昼間はそうは見えないけど、実はぼんやり光ってて、だから夜になると蛍みたいに輝いて――」

 そこまで話して、ふっと我に返って黙ってしまった。思わず熱を持って普段考えている幻想を話してしまったが、さすがに引かれてしまったのではないだろうか。文子も不思議な子だけれども、いまの私も、十分に頭のおかしな子と思われてしまったのではないだろうか。

 ……はっきり言って、私は嫌われた経験がなかった。なんとなく馴染むようにしてきたから。けれどもいまは熱が上がって思わず口走ってしまった。

 せっかく本の話ができるクラスメイトが現れたのに、嫌われるのは嫌だった。

「――それじゃあ夜でも飛べるのはどう? 夜に森に来た人を案内するっていうのはどうかしら?」

 しかし文子は引くどころか、更に目を輝かせた。

「森の奥に、小さなお城があるのよ。そこに行こうとする人を、鳥は案内するの。それから、鳥は歌うのが上手で、森ではいつでも、どこからか綺麗でかわいいさえずりが聞こえるの」

 ――薄暗い夜の森。けれども頭上では幾千もの星が輝き、満月は柔らかな金の光を発している。その光は木々のガラスのような葉に吸い込まれ、葉はほのかに輝いているも、やはり森は薄暗くて先が見えない。恐る恐る一歩足を踏み入れると、どこからか鳥の歌声が聞こえてきた。まるで子守唄みたい。と、奥から青い光の玉が飛んできて近くの枝に止まる。鳥だ、まるで妖精のような鳥。こちらを見ると鈴のような鳴き声を上げて、森の奥へとゆっくり飛んでいく。長い尾は羽衣みたい。鳥に導かれて進んでいくと、やがて小さな城が見えてくる。美しい白壁にラピスラズリのような青い屋根の、おとぎ話に出てくるようなお城――。

 なんて幻想的! 気付けば私も目を輝かせていた。

 ――それからは時間になって学校を追い出されるまで、二人で幻想的な世界の話をしていた。そのお城は大きな図書館だとか。普通の本はもちろん、例えば開くとページから草木が溢れ出る本があったり、実際に物語の中へ吸い込まれてしまう本があったりするだとか。そしてお城には妖精がいて、いい妖精は高いところにある本をとってくれたり、お茶を淹れてくれたりするけれど、いたずらが好きな妖精もいて、小さくても広いお城の中で迷子にさせたり、明かりを消してしまったりするだとか。

 職員室から戻ってきた司書の先生に帰るよう言われて、図書室を出る。もう校内に他の生徒はいないようだった。日もすっかり沈んで、あたりは暗い。けれどもその暗闇が、また想像を掻き立てる。私と文子は別れるまで世界の話をしていた。

「ねえ! これからノートにまとめていかない?」

 文子と別れる際、彼女はそう言った。そのノートを交換日記のように回して、二人で世界を考えようという。

 これまたなんて素敵なアイデア。すぐに賛成した。

 ノートは文子が用意し、明日持ってくると約束をして別れた。私は今までにないほど、ドキドキしていた。世界を考える。私は文子と世界を作っていくのだ。それもこんなつまらない現実世界じゃない。あらゆるものが可能な、幻想世界を。


 * * *


 翌日。相変わらず文子はクラスでは話しかけてはこないものの、放課後になると図書室に現れ、約束のノートを持ってきた。

「すごい! これ……魔法の本みたい!」

 私が思わず声をあげたノートは、まるで古い洋書のようだった。ワイン色の上製本で、蔦のような金色の装飾が表、裏、背にもある。また表には筆記体で何か書いてある。筆記体に慣れていないから読めないけど、それがまた魔導書のように思える。金色の装飾は、決して煌びやかではなく、ところどころ擦れている。そんな古びた様子も、神秘的で綺麗だ。

 と、文子が適当にその本を開いて見せる。クリーム色のページが現れる、茶色の罫線が確かにあった。角には同じ色で額縁のような装飾。確かにこの本はノートだった。

 すでに最初のページには、昨日話し合ったことが記録されていた。加えて、そのあと文子が家で考えたのだろう想像が、細くて小さな字で綴られていた。

 その日も昨日に続いて、世界を二人で考えた。文子が家で考えてきた「森は島にあって、その島は湖の中央にある」ということを掘り下げていき、湖には透けた魚が群れを成して泳いでいることや、浅瀬には蓮のような花が咲いていることを話し、ノートに記していった。

 時間になると、一緒に学校を出た。別れる際、あのノートを渡された。

「さっきあんなに話したのに、まだいろいろ思いつくの。家に帰ったら早速書くね」

 私が嬉々としてノートを受け取ると、文子がいままで見たことのない不思議な顔をしていたから、思わず首を傾げた。

 もう日が沈んでいため、暗くてよく分からないが、文子はまるで泣きそうな、けれども嬉しそうな顔をしていた。

「私、いつもこういうの、一人で考えてたから……」

 文子は視線を下に向ける。

「二年生になって、初日だけは学校に来てたの。そこであなたを初めて見て、噂を聞いて、友達になってこんな話が出来たらなぁって、思ってたの……私、あなたと友達になれてよかった」

 この時、まだ文子の過去を知らなかった私は、彼女が何を言っているのかよくわからなかった。しかし問おうとする前に文子は恥ずかしがって逃げるかのように「それじゃあ、明日ね」と去ってしまったものだから、聞くことはできなかった。

 けれども「友達」と言われたことが嬉しくて、疑問はすぐに忘れてしまった。それに、ノートに書くべき幻想で頭がいっぱいになっていたのだ。

 その日から、交換日記のようにノートを回しながら世界を考えていった。二人で考えた二人だけの世界だ、せっかくだから名前を付けようと提案したが、文子は嫌がった。名前を付けるとなんだか現実っぽくなる。だからあんまりよくないと言った。

 でも私は名前を付けるべきだと思った。そんなにふわふわしているのは、曖昧すぎてよくないと思ったからだ。それに私たちの考えた世界は実在しないのだから、名前を付けて小説のように本の中に固定する方がいい……それでも、そのことを文子に言わなかったのは、気分を悪くしてほしくなかったからだ。

 文子と私の世界想像は、夏まで続いた。はっきり言って、まだ初めてしばらくも経っていない。それでももうノートの半分を埋める勢いで世界は作られていった。最初は、美しい世界を考えて綴ってきたが、気付けば私達がその世界に住むことを綴っていた。あのお城に住み、読書をしたり森を散策したり、湖にボートを出したりして過ごす。私たちはお姫様みたいに綺麗な服を着て、おいしいものを食べて、一緒に過ごすのだ。周りにほかの人間はいないけれども、妖精をはじめとした不思議な生き物がいるから寂しくはない――そんなもう一つの生活を描き始めていた。

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