図書の国(カクヨムWeb小説短編賞、投稿用)
碧音あおい
紙売りなずなと魔女のオゼット
──図書の国。
この国ではあらゆる書籍の種類ごとにその土地が区分されている。例えば物語。例えば地図。例えば古文書──他の国々に挟まれつつも広大であるこの大地は、国会によって多種多様に本の分類が決められ、それぞれに応じた広さの地区が当てがわれている。
そしてなずなは、その中の『書簡地区』で『紙売り』をしていた。
「いらっしゃいませ! いつもありがとうございます! 今日は想いを伝える薄紅紙や、お気軽に使える
朝と昼との間ごろ、道行く人に声をかけるなずなのその肩には、小さい少女が座っていた。つばの広い三角帽子に長袖ロングスカートのワンピース、顔には丸い眼鏡。少女は大きな声を出しているふうでもないのに、凛とした声はよく通っていた。
「本日おすすめの書簡は、『薬学者デルタから医学者ベータへと送られた暗号文書』。さあ、謎に包まれたこの暗号を解いてみせる勇気のある人間はいないかしら?」
この『書簡地区』はあらゆる国のあらゆる生物による書簡を管理しており、そしてそれを不特定多数が一定条件のもとに閲覧できる、またはその複製品が購入できる地区だった。
道を歩く人々の一部が、声に誘われて店の前で歩みを止める。その一部が様々に取り揃えている書簡用の紙を求め、珍しい書簡の複製品を求め、代価を支払っていく。
「ありがとうございます!」
「どうも」
なずなと魔女は、盛況な時間を過ごしてお昼までの仕事を終えた。
──商業地区にある小さな喫茶店。
人間用のテーブルの上にあつらえられた小さなテーブルセットで、
「疲れた」
と、魔女が椅子に背をあずけて独りごちた。両サイドに分けている桃色の三つ編みがへたって揺れている。なずなは配膳されたサラダやパスタを魔女のお皿へと取り分けてから、小さく頭を下げた。
「はい、今日もお疲れさまでした」
「というかね。なんで私まで売り子なんてしなきゃいけないわけ? 私の担当は『再製紙および書簡複製』でしょう? 配置換えの通知でも上から来たの?」
「いいえ? だってお仕事の分担は、オゼットさんとわたしの2人で決めたことじゃないですか」
小さな魔女──オゼットの皮肉に対して、なずなはにこにこ顔で小さなグラスにジュースを注ぐ。それから自分のグラスにも。オゼットは半眼になって、なずなのあざやかな
「……貴女も随分とたくましくなったこと」
はあ、と息をついてオゼットは小さなグラスに指先で触れた。すると中身のジュースは一気に凝縮され、ぷるんと弾力のあるグミのようになった。オゼットは出来上がったそれを口に放り込む。疲労のせいか、ぐにぐにとした食感はイマイチだ。それを見ていたなずなが思い出したように声をかける。
「あのぅ、オゼットさん」
「なに?」
「オゼットさんは『魔女』ですよね?」
「そうね」
「オゼットさんには使えない魔法ってあるんでしょうか?」
それはぼんやりと抱いていた素朴な疑問だった。再び空になったグラスにジュースを注いでいると、
「あるわよ」
と、淡々とした声が返ってきた。あるんですね……となずなが自分のぶんのサラダに手をつけつつ意外に思っていると、オゼットはパスタを食べながら言葉を続けた。
「『私が使えない魔法全て』が私の使えない魔法になるわ」
「……?」
まるで本に出てくる
「じゃあ、オゼットさんの使える魔法は……?」
「決まっているでしょう。『私が使える魔法全て』よ」
「すごく範囲が広いんですね……」
あまりにも漠然としていて、そうとしか答えられなかった。『全て』の懐が深すぎます、と思った。
「それよりも」
「はい?」
「貴女、午後はどうするの? 今日はもう販売をしないみたいだけれど」
「ああ、はい。午後はいろいろと買いつけに行こうかと。せっかくオゼットさんに紙や手紙を創ってもらうんですから、良い素材がないといけませんし」
「そう」
ちぎった紙ナプキンで口元を拭って、オゼットが言う。
「じゃあ私は付き合わないから」
「ええっ!?」
「そこでどうして驚くのよ。言ったでしょう、私は疲れているの」
「だって、いつも一緒に買いに行ってるじゃないですか……わたし一人で行くなんて……」
ストローをくわえて小さくうつむく。オゼットは魔法でなずなの白い髪をぴんと引っ張った。ひゃっ! と甲高い声が上がる。
「どうせ問屋はいつもの所でしょう。貴女の顔と名前と名刺があれば、向こうはそれを照会していつも卸してる素材の情報くらい分かるわよ。こっちの帳簿を使えば仕入れ数と実売数だって分かるのだし」
「でも、書簡の品質や需要はわたしだけじゃ見定められませんよ……」
「単純に貴女が良いと感じたものと、直近の二週間で入荷されたものを、ひと通り記録しておきなさい。あとで私が確認してあげるから。そうね、題名や記述者や宛先は当然だけれど、それがいつどこで書かれたものなのか。使われた紙やインクなどの材質はなんなのか。封蝋がされていたのならその種類も。手紙以外に併せて送られたものはあるのかどうか。ああもちろん、肝心の内容がどんなものなのかという概略もね」
「……多いです……」
「いつものことでしょう?」
そう言って、オゼットはしれっと微笑んだ。なずなは肩を落としてうなだれた。
──商業地区にある、とある卸問屋。
「……あのぅ、ごめんください。いつもお世話になってます、『書簡地区Ⅱの紙売り・なずな』ですが、素材を見せてもらいに伺いました……!」
一軒目に引き続き顔馴染みである──少なくともなずなはそう思おうとしている──二軒目の製紙問屋の扉を開けて来訪を告げた。けれど、店内にはなずなの声が響くだけで店主の返事はなかった。たったそれだけで、なずなは不安になる。
なぜなら、一軒目に向かった書簡問屋では数多くある書簡のひとつひとつにある情報量に溺れそうになりながらも、百通ほどの書簡情報を言われたとおり手持ちのノートに手作業で記録しきって、どうにか無事に作業を終わらせたからだ。そう、どうにか。つまりなずなは一軒目にして疲れ切っていた。
そんな中で、
「ねえ」
と、爽やかな声が耳に届いた。どこか幼さを含んだ知らない女性の声。不思議に思いそちらへ足を進めると、均等に配置されている背の高い棚の向こう側から声の主が現れた。なずなと同じ色をした──不純物のない紙のような、真っ白い髪をした少女だった。偶然というそのめずらしさに、なずなは思わずまじまじと少女を見つめてしまう。少女の
「……あー、えっと。初めまして?」
「あ、はい! 初めまして! わたし、『書簡地区Ⅱの紙売り・なずな』と申します! よろしくお願いします!」
反射的に名刺を差し出してお辞儀していた。……相手が戸惑っているような沈黙をしばらく感じてから、なずなは顔から火が出ていると思えるくらい恥ずかしくなった。
「……なずな、さん、ね。あたしはいすず。『絵本地区Ⅴ』で『司書』をやってるよ。ごめん、今日非番だから名刺とか忘れちゃったんだけど」
これはもらっとくね、ありがと。と、いすずは名刺を受け取った。なずなはそこでやっと顔を上げる事ができた。知らず詰めていた息を吐くと、目の前の少女は財布に名刺をしまいながら、くすっと小さな声を立てていた。
「で、ここの店主さんなんだけど」
「あっ、はい!」
親指で店の奥を指すいすずを見て、なずなはなんとなく背を伸ばした。なぜだろう、彼女の方が自分よりも結構背が高いからだろうか。耳にかかる程度に短く切られた白い髪が、爽やかな声とよく似合っているからだろうか。
「急用でちょっと店空けるってさ。だからその間だけあたしが代わりに店番……というか伝言役? をしてるんだけど」
「そう、なんですか……」
「どうする? 戻ってくるまで待つ?」
どうしましょうか……と考えを口にする前に、なずなは棚の間でしゃがみ込んでいた。緊張と疲労──主に脳みその──が限界に達したからだ。瞼すら開けないほどに。
「ちょっ、君、大丈夫!? うわっ、顔色悪い!」
いすずが駆け寄ってきて背中を撫でてくる。その動きは力強くも優しい手つきで、なずなは少し癒されてどうにか立ち上がろうと膝に力を込めた。……その場から動けないまま。
「肩貸してあげるから、先に力抜いて。右手はこっちだよ」
耳元で声がする。すっとした爽やかな声に誘われて頷く。腕を引かれて肩に回され、それから自分の身体にも腕を回される感覚がして重心が移る。
「いくよ。……せーのっ」
かけ声と共に、彼女に寄りかかるように立ち上がった。
「すみません……ありがとう、ございます」
「気にしないで、慣れてるからさ。それより君、貧血とかじゃない?」
「いえ、その、ちょっと疲労が溜まっていたみたいです」
たぶん、知恵熱とかそういう類いです。とは、恥ずかしくて言えなかった。
──居住地区にある個人書店。
オゼットは三冊の本をカウンターに持っていくと代価を支払った。ふよふよと浮かぶように飛びながら、購入した自主制作本を魔法で住処に転送する。
「……あの子を甘やかしすぎかしらね」
独りごちながら店の入り口まで辿り着いたとき、
「……あらら?」
という柔らかな疑問形の声と同時に、その声の主のものであろう黒い髪の毛に、オゼットは絡め取られた。
「な……っ!」
一瞬思考が混乱する。オゼットに絡んできた髪の毛がぐらぐらと揺れている──この髪の人物が周囲をきょろきょろと見回しているせいだと、オゼットはそう認識した。目を閉じて自身を中心とした短距離の転移魔法を即座に使用する。
次に目を開けたときは、黒いポニーテールをした誰かの、白い杖をついている手の甲の上にいた。移動軸を間違えたか……オゼットは宙に飛ぶと、ポニーテールの持ち主の顔の前まで浮かび上がる。
「手を踏んでしまって悪いわね、怪我はない?」
顔の前で手をひらひらと動かす。女性は一旦動きを止めると、焦点の合わない黒い瞳と右手をしばし
「ああ、よかった。こんな所にいたのね、小さな妖精さん?」
「魔女よ。パートナーのね」
「まあ、魔女なのね! パートナーなら私と同じだわ、私は魔法は使えないけど」
くすくすくすと彼女が嬉しそうに笑う。初めましてよろしくね。と、彼女は指先を握手代わりに軽く揺らした。彼女に合わせて握手を返したオゼットが尋ねる。
「なぜ、私が妖精だと? 普通、妖精の類いは人間には視えないのだけれど」
「あら。見えなくてもほんの少しくらいなら聴こえるし、
……そうね、とオゼットは曖昧に頷いた。どこか距離感が掴みづらい女性だと思いながら、話を切り上げようと口を開きかけたところで、
「ねえ、魔女の貴女なら知ってるかしら? 私、特別な本を作りたくて、本を探していたの」
彼女はオゼットに焦点を合わせないままゆるく首を傾げた。
「本?」
その唐突さに、オゼットは訝しんで言葉を繰り返す。彼女は今度はしっかりと頷いた。
「ええ、そうなの。
──数日後。
──書簡地区にある、紙売りなずなの小さな店。
なずなは借りている店舗の前に、簡単な
製紙問屋で仕入れた材料でオゼットが
「やあ、お邪魔するね」
と、覚えのある爽やかな声が聞こえた。なずなが振り向くと、立っていたのはいすずだった。その隣には、杖をついた黒いポニーテールの女性。
女性が黙礼するのと同時に、オゼットがなずなの肩に静かに降りた。なずなはおずおずと女性に黙礼を返してから、いすずに向かって頭を下げる。
「この前はお恥ずかしいところをお見せしまして失礼しました……!」
出会い頭に謝罪するなんて、貴女一体なにしたのよ。という耳元の小さな声は聞かなかったことにする。思い出すだけでも恥ずかしいやら情けないやらで、オゼットには言っていなかったのだ。いすずは困ったように苦笑いを浮かべた。
「全然気にしてないから、君も気にしないでよ。それより、あれから体調は大丈夫?」
「はい、おかげさまで健康そのものです」
なずなが顔を上げて返事をするといすずは笑顔になった。
「それなら良かった。なら、むしろあたしの方が得したくらいかな」
ね? と、いすずが隣の女性を見て肩をぽんと叩く。女性も同意するように首肯した。
「ええ。本当、素敵な巡り合わせだわ。しかもいすずが貰ったあの名刺、お店近辺の詳細な立体地図が見られる魔法がかかってるんでしょ? 話を聞いてびっくりしちゃった。
女性の黒い瞳がちらりとオゼットを見ると、オゼットが女性へと、それは一考に値するわね、と返答する。自分と同じで初対面のはずの、けれどどこか気安い雰囲気な女性とのやり取りに、なずなは不思議に思う。それに気づいたのか、いすずが女性の手を取って声を発した。
「あ、ごめん。ちゃんとした挨拶がまだだったね。あたしはいすず、こっちはヨーコ。あたしのパートナーだよ」
──パートナーとは、この図書の国の生まれでない外の人間が図書の国への永住を希望した際に、一時的に適応される制度のひとつである。
外の人間が最初の書類審査を通過し、前段階である仮入国期間を経験した後に国への永住を申請すると、申請が認可されてから一年前後の間、国内から任意に選出された人間と生活を共にする事になる。それがパートナーと呼ばれる存在だ。
四六時中常に一緒に居なければいけないほどではないが、ほとんどの場合は同じ時間を共有する。それがパートナーの役目だからだ。外から来た人間が、本当にこの国に相応しいかどうかを見定めるための存在──この国の外にいた頃にそう聞いたことがあるが、実際のところも詳しいことも、なずなは知らない。そもそもなずなのパートナーは人間ではなく、魔女だ。
「──なずなさんの魔女さんは、ヨーコのこと知ってるよね?」
続けられたいすずの言葉に、なずなの心当たりはない。けれどオゼットにはあるのだろう。そうね。どこかあっさりと返答していた。なずながいすずとの出会いを話していなかったように、オゼットもまた、ヨーコとの出会いを話していなかっただけなのだろう。……でもそれが、寂しい、と、なずなは心細くなる。
「……どうかした?」
オゼットの怪訝そうな顔に気づいてはっとなった。慌てて取り繕うようにいすずに向き直った。
「えと、ご来店ありがとうございます! ……本日は、オゼットさんにご用事ですか?」
なずなの白い髪をオゼットが半眼で引っ張っていて痛い。けれど我慢した。いすずはそれには特に触れずに首を横に振った。
「まさか。『紙売り』なずなさんと『魔女』のオゼットさんの二人にだよ」
「創って売ってもらいたい紙があるの。それが可能かどうかとか……なずなさん、色々とお話させてもらえないかしら?」
微笑んだまま首を傾げるヨーコの隣で、よろしくお願いします、と、いすずが名刺を差し出してきた。
──紙売りなずなの店内。
店外には一時休業中の看板を出して、店内へといすずとヨーコを招く。商談用のスペースに着くと、いすずが椅子を引いてヨーコがそこに座る。白い杖は手にしたままで。
なずなは来客用のアイスティーと茶菓子を手早く用意して二人に提供する。オゼットはなずな用にペンやインクやノート、計算機や資料などを用意してくれていた。なずなが二人の向かいに座った。
「……それで、創ってほしい紙とは、どのようなものでしょう?」
「あのね、私、目が見えないの」
「……はい」
なずなはヨーコへと控えめに頷いた。見ているようでいてどこか焦点の合っていない眼差し。いすずが時折しているヨーコの動作を補うような行動。一番はやはり白い杖だろうか。それらを鑑みて、なずなはヨーコの目が不自由なのを察してはいた。おそらくはオゼットも。さすがに、こんなに単刀直入に切り出されるとは思ってはいなかったが。
「だから、私みたいな人でも楽しく読めるような絵本を作りたくって。絵本なのは私たちが絵本地区で働いてるからなのもあるんだけど、やっぱり子供ってすごく可愛いじゃない? だからそんな子たちにも読んでほしくて」
「それは素敵ですね。……だとしますと、点字用の紙を色々とご用意するだけでは……えと、ヨーコさん、のご期待には添えませんよね」
「そうね。それだけじゃぜんぜん足りないの。例えば絵の実線部分が膨らんでいて物の形が解る紙だったり、色によって質感の変わるインクだったり。例えば花がテーマの絵本なら、本物の花の香りがしたり葉っぱの手触りのする紙で創ったり。例えば音楽がテーマの絵本なら、ワンシーンごとにストーリーに合ったメロディが流れ出したり。これはできるか解らないけど、食べ物がテーマの絵本なら、一ページだけ食べられる材質で創って、そこでは絵本に出てくる食べ物を味わえるようになってたり、とかね」
一息に言ったヨーコはふーっと息を吐いて、アイスティーをこくこくと飲んだ。そのあとを次ぐようにいすずが話し始める。
「だからオゼットの魔法が、一体なにからどこまで創れるのかを知りたくってね。仮に複数創るとなると、予算の都合もあるしさ」
「量産まで検討されてらっしゃるんですね」
なずながヨーコの案をノートに記録しながら相槌をうつ。
「量産なんて、そんなに大げさなものじゃないよ。あたしが『司書』を務めてる児童館で借りられるようにできたらな、って程度。一種類を五冊くらいか、数種類を一冊だけにするかはまだ考え中なんだけど」
「さすがに児童館の
「自費出版ですか……! 居住地区に自費出版専門の書店がたくさんありますよね! それは素敵です!」
「今すぐ椅子に座り直して落ち着きなさい。仕事中よ」
ヨーコの言葉に立ち上がり、緑の目を輝かせて胸の前で手を組むなずなの髪を、オゼットは強めに引っ張った。なずなは全く頓着せずにオゼットに尋ねる。
「ねぇねぇオゼットさん、できますか!?」
もちろんできますよね! という言外の言葉が聞こえた気がして、オゼットは帽子のつばに触れながら顔をしかめた。二人の様子を見ていた、あるいは聞いていた、いすずとヨーコが少し不安げにお互いの手に触れ合う。
「……可能か不可能か、だけを言うならば、可能よ。書籍としての規格とページ数と
腕を組むオゼットの言葉を聞いた二人が安心したように息をつき、顔を見合わせて微笑み合う。なずなは小さく声を上げてますます目を輝かせた。
「ありがとうございますオゼットさん!」
「だから座って落ち着きなさいと言っているでしょう。まだ話はまとまっていないのだから」
「大丈夫です、すぐにまとめますから! ──ということで、ヨーコさん、まずは概算でいいのでご予算をお願いできますか? 次にオゼットさんが創る紙の方向性を決めたいので絵本の
なずなが椅子に座り直して資料集を手にし、ヨーコにぐっと身を乗り出した。
──十日後。
──絵本地区にある、とある児童館の前。
名刺を片手に歩いてきたなずなの肩に、オゼットは座っていた。今日は日差しが強いので帽子を目深に被っている。
なずなは手荷物を持って、大きく扉が開かれた児童館の前に立っていた。そこから見えるのは子供たちが元気に走り回る姿。聞こえるのは子供たちの明るい笑い声。
なずなは扉の陰から館内を覗き込む。
「では、いきましょう……!」
「ねえ、子供相手にまで妙な人見知り発揮しないでくれる?」
「今日はオゼットさんが一緒だから大丈夫なんです!」
「「「わーーーーっ!!!」」」
「ひゃあああっ!?」
背中を押されながらの大きな声に、なずながひっくり返った声を出す。がばっと振り向けばそこには三人の少女たち。楽しそうだったり、不思議そうだったり、こちらを伺っていたりと、様々な反応をしている。
「あっははは! なに今のめちゃくちゃ声高い!」
「でもこのひと、いすずねーちゃんじゃないよ? 髪白いけど。それにこんなに髪長くないし」
「あーわかった! そのちっちゃい人、ヨーコちゃんの言ってたすごい魔女さんだ! 赤い服着てるもん!」
「あ、あのっ、わたしは、」
「──いすずとヨーコの友人よ。ねえ貴女たち、二人がどこにいるか知っているのなら、案内してもらえないかしら」
十二分に人見知りを発揮しているなずなを遮って、オゼットが簡潔に要件を述べた。三人の少女たちは声を揃えて頷き合う。
「「「いいよー!」」」
三人は走る勢いで館内へと向かっていく。なずながそれを追いかける。三人はオゼットを見ながらきゃっきゃと楽しそうに話しながら、また、なずなたちにも話かけてくる。彼女たちのそんな好奇心をオゼットは微笑みひとつでさらりとあしらい、なずなは何も言わないようにしているのか口を押さえていた。
やがて案内されたのは、二階の図書室だった。一人の少女が扉を開ける。別の少女が声をあげる。また別の少女がなずなの手を引いて入っていく。
「こんにちはー!」
「いすずちゃーん、お客さんだよー!」
「こーら! 図書室では静かにしなさい!」
「「はーい」」
「いすずねーちゃんも声おっきいよ?」
「あたしも静かにするから、あんたたちもするの。わかった?」
「「「はーい」」」
「よし。よくできました」
いすずは笑って三人の頭を撫でていった。それから少女たちは、なずなたちに手を振ったりしながら、ばいばーいと図書室を後にしていく。なずなはそれを見送ってから、『司書』のだろう制服姿のいすずへと頭を下げた。
「お疲れさまです、いすずさん。お仕事中に失礼します」
「お疲れさま、なずなさん。オゼットさんも。わざわざこっちまで足を運んでもらっちゃって、ごめんね」
「平気よ、この
仕事中だからだろう、綺麗なお辞儀を返すいすずに、オゼットは片手を上げて応じた。なずなは手に持っていた包みを掲げて微笑する。
「音楽用の再製紙が出来ましたので、見本をいくつかお持ちしました。ご予算のご都合上、フルコーラスではなくワンコーラスになっていますが、ちゃんと歌声が流れる
「ありがと。視聴するのが楽しみだな。あ、もちろんヨーコも楽しみにしてたよ」
図書室という場所のため、いすずは声量を抑えて話しているが、その顔はとても嬉しそうだ。
「そういえば、今日はヨーコさんは?」
「あっちでみんなに読み聞かせしてる。最初に出来た、食べられる方のね」
いすずは指差しながら奥に進む。なずなはその後に続きながら話も続ける。
「『絵本』のご評判はいかがでしょうか? 一応、
「すごい人気。お菓子の家ってさ、やっぱり食べてみたくなるよね」
「はい。わたしも、小さな頃は憧れました。ガラスの靴とか」
「わかる」
くすくすと小さな声でなずなといすずが笑い合う。
「あとさ、うちの児童館に来た子限定なんだけど、最近は魔女に憧れる子も増えてるんだ」
「本当ですか? わあ、すごいですねオゼットさん!」
「……わかったから、静かになさい」
いたずらっぽく片目を閉じて笑むいすずに、声を弾ませるなずな。まったく誰のせいなのかしらね、と、オゼットは眼鏡を直した。まあ、別段悪い気はしないが。
三人が『朗読室』と書かれた部屋の前に着いた瞬間、うっすら
聞こえていた扉の向こうの声が、しんと静かになった。それから、わあっという子供の歓声と大きな拍手。
「……丁度読み終わったところみたいだけど、良かったら聞いていってよ。また読んでもらうから」
「はい、ありがとうございます」
なずなが満面の笑顔になる。
「そうね、せっかく来たのだから」
オゼットも満更でもない気分で微笑する。
いすずは二人を見てから朗読室の扉を開けた。室内には、十人ほどの子供たちとヨーコがいた。微笑むヨーコの腕の中には、大切そうに、特別な絵本が抱えられている。
図書の国(カクヨムWeb小説短編賞、投稿用) 碧音あおい @blueovers
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます