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「告白ごっこ? いや、通過点って?」
何を言っているんだ?
「大体、都合が良すぎるとは思わない? 鈴木一と神崎奈美が失踪して二ヶ月。二人と同じような体型、服装な上、顔は損傷しているのに律儀に保険証と遺書を持ち合わせたままの二体の腐乱死体が見つかる。どうして二人一緒に見つかったの? 海に飛び込んだとして、ずーっと手でも握っていたと言うわけ? それで腐乱するまで、ふよふよ浮いていたって言うの? 肌身離さず財布も持って?」
彼女は怒っているような、楽しんでいるような、複雑な表情をしている。僕にはそれがどんな感情によるものか推察することも出来ない。
そして、ようやく自分で買う習慣が出来たのか、ポケットから煙草を取り出して断りもなく吹かし始める。
「私は正直、彼の話のほとんどは嘘だったろうなと思ってるわ」
これはまた衝撃的な一言である。
思わず煙草を落としそうになった。実際、灰は少し落ちた。
しかしそんなことを気にする余裕もない。
「何をもってそんなこと言ってるんだ」
「彼自身が言っていたことよ。
大抵の場合、情報というものは発信する側の都合によって内容を操作されるものだ。医者でもなんでもないただの一般人にしてみれば真偽は与り知らないことである。
この場合医者というのを当事者という言葉に置き換えたほうがわかりやすいかしら。つまり私たちは彼にとって都合のいい情報だけを受け取ったに過ぎない。そして実際、私たちは当事者ではないからそれが真実かどうかなんてわからない。それは、稔も言っていたことよね。私たちは鈴木一の語ったことを百パーセント真実だと信じて、推理しただけに過ぎないのよ」
「確かにそうは言ったけど、それだけで彼の話が嘘だったと言えるのか」
「多分平気で嘘をつける人間なのだと思うわ。それこそ軽井沢で藤本正樹が犯人であると語って聞かせたり、鈴木一が犯人であるという稔の仮説に対し、さもその通りであるというような顔をして見せたように」長く細い煙を吐き出す。「彼が話そうとして中断させられた怪談話も、やっぱり嘘だったんだろうしね」
「何人かの幽霊を匿っていたというやつ?」
「それ。だって彼自身が、幽霊は生命体ではなく自身の精神に影響される幻影のようなものだと言っていたでしょ? つまり否定派なわけよ。そういう自論を持つ人間が、幽霊に身体を貸していました、なんて過去を持っていたり幽霊は居ると思うなんて発言をするわけがないと思うけど。基本的に、彼の話にはずれが多いのよ」
「ずれ?」
「矛盾と言ってもいいけど、そうしっかりしたものでもないから、ずれ。最たるを挙げるなら、あの日私たちに話したことの、根底」
「どこかあったか?」
「鷲見連太郎は何かを隠匿したいがために別荘へ警察を近寄らせたくなかった、そう言っていたでしょ?」
「うん。実際、ドラッグの件がそれになるんだろ?」
「そう思わせるように話していたようだけど、違うのよ」
「どうして? ドラッグ使用の痕跡がそこら中に残っていたわけだろ、それが自分のものだと知られたくなかった。そうじゃないのか?」
「違うの。だって、朝野保彦が鈴木一に言ったことを思い出して。上田亜里沙の言ったことを。そして鈴木一本人が最初に言ったこと。
彼は、
俺が当事者だからはっきり言えることだけど、鷲見別邸には、捜索して万が一見つけられでもしたら困るような代物があったって話だね。
と言ったけど、鷲見桃子は、鷲見連太郎の寝室からLSDを見つけたんでしょ? でも別荘にそれに該当する部屋はない。書庫とか物置とかキッチンとか、あとは客室しかないんだもの。何より別荘に来る以前から使用していたというのだから、それは渋谷の本宅のほうの寝室のことを言っていることになるわけよね。そして、彼女はそれを持ってやってきたに過ぎない。別荘のどこかから調達したんじゃなくてね。何より藤本正樹の体内から検出されたドラッグに関しては、事実ではないにせよ彼らの証言によって実朝組から掠めたものだという結論に至っている。つまり、別荘の中に痕跡が残っていたり、泊まった人間から同じように検出されても、それは実朝組のものであって別荘内部に隠されていたものではない、という結論に至る程度の説得力と初動捜査ではあったんだと思うわけ。鷲見桃子も藤本正樹も死んでるんだし、本当の出所を隠すのは易かった。ともあれそうなれば当然鷲見連太郎にも被疑者死亡の旨が伝えられる際、この詳細も述べられるはず。LSDを所持していたことは事実だけどそれは本宅での話。仮に別荘から何かが出ても藤本正樹が持ち込んだものとなりそうだと鷲見連太郎が考えても不自然じゃないわね。まあ私自身が別荘を隅から隅まで調べたわけじゃないからなんとも言えないけど。
大体、普段近寄らない場所に自分の秘密を置いておいて、安心なんてできるものかしら。大事なものは、そうね、それこそ寝室に隠すものなのよ。男の子なら中学生だって知ってる。なにより仮に本当に別荘に重大な秘密が隠してあったのだとしたら、娘にそう易々と合鍵を作らせてしまうなんてへまはしない。鷲見連太郎は弁護士なのよ。前例をたくさん見てきただろうし、ましてや愛情のない娘相手に油断なんてするはずもない。
さて、じゃあ彼の話に、ほかに隠匿すべきような後ろ暗いものが何か出てきた? 鈴木一の話を全て信じたとき、そういった何かを彼が見ているという描写がひとつでもあった? と考えると、本当に鷲見連太郎は何かを隠匿したいがために捜査を早々に打ち切らせたのか? という次の疑問が湧き出てくるわけ。まあ実際早期打ち切りになったわけだから何かしらはあったのだろうけど、それは今言ったように鈴木一の知らないことって理屈になる。
それが、ずれ。彼の話にはこういったちょっとしたずれが多いの。それこそ、かみ合わない歯車みたいにね。付け入る隙が多くて、ぼろぼろなの」
「言いたいことはわからなくないが……。実際にドラッグではない何かが隠されていたかどうかというのは、もはや僕たちにはわからないことだからなあ」
「ともかく、そうやって簡単に、あたかも本当であるかのように嘘を言ってのける人間ってわけよ、鈴木一は。もはや私はこの平凡な名前自体、本物かどうか疑っていると言ってもいいわ」そしてくすくすと笑う。「というのはさすがに冗談だけど」
「全然面白くない」
「ともかく彼は、私たちに嘘を言った可能性がある。どうしてか? それは、自分たちが本当の犯人であると誰かに思い込んでほしかったから。思い込みこそが全てだという鈴木一の論は、稔も納得したことよね」
「まあ、納得したと言えば、そうだね」
「じゃあ、どうして誰かに自分たちが真犯人であると思い込んでほしかったのか? という話に戻るわね。
それは、後に打ちあがる二つの腐乱死体を、自分たちであると思い込んでほしかったから。保険証やら何やらを仕込んでおいても、自殺する動機がない人間であればその死体には疑いが持たれることでしょう。警察がちゃんと仕事をしていればね。軽井沢の事件のショックで、と言ってもいいけどもう時間も経ってしまっているし、本当は自分たちが犯人だったんです、その重圧に耐えられなくなったんですと言ったほうが案外納得できてしまうのよ。それで遺書も用意したけど、どうせなら思い込みを補強してくれる証人もいたほうがいい。そういう手順で抜擢されたのが、以前こけし村の件で世間的にも話題に上り、警察関係でもリストに載っているだろう私たちってわけ。変な言い方だけど、一般人よりは言葉の信憑性があると、彼に見込まれたわけね」
「なんだそれ」
「彼らの最初の邂逅、もはやこれも真実かはわからないけど、飲み会のときの二人の会話から推察するに、脚本と演出は鈴木一が担ったんでしょう。私たちが導き出した、というより結局は鈴木一が勝手に語った神崎奈美による犯行の理由も、彼の求めるストーリーの完成度には重要なわけでしょ。私は別に、指輪を奪われて殺したんですと言われても共感できるとは思えなかったけど。それは彼が他人を理解できない人間みたいだから仕方のないことかもね。
そして私たちがこうして再び鈴木一および一連の事件について考えていること自体、彼の好きな余地という隙間なんでしょう。つまり今回のどこかからどこかまでは、彼の作り話だったんじゃないかなって」
平然とした顔で煙草を吹かしている。
「そんな突飛な……。大体、鈴木一には僕と共通の知り合いがいるし、何度かだけど学内で会えば話だってした。鈴木一という人間が存在しないとか、彼自身が鈴木一でないってことはまさかまさか、ないだろう」
「それはさすがに冗談だからね。鈴木一自体はどんなに疑ってみても実在するでしょうね。実際、彼の名前こそ出てはいないけど鷲見別邸での事件は数度限りでも報道されたりしていたわけで、鷲見桃子および藤本正樹とよく行動をともにしていた鈴木一が事件を経験したことも事実なんでしょう。そして少なからず彼と神崎奈美が事件の鍵を握る人物であることも、いやはっきり言って首切りが事実なのだとしたら彼らが犯人であるということも、本当なのだと思う。稔は電話線にこだわったけど、そもそも彼の話を信じるならば、手斧があることを知っていたのは彼らだけなんだから」
ああ、これが、あの時覚えた違和感だったか。
巴里子は珍しくにこにことしている。
「まあ、そのお友達も本物だといいけどね」
さらりと言うものだから、思わず顔を見たが、巴里子のほうはチラリともこちらを見なかった。
ともかく、と話を続ける。
「私が言いたいのはつまり、私たちは、私たちが思っているより鈴木一という人間を知らないという事実。まあ当たり前よね、私にいたっては言葉を交わしたのはあの日だけなんだから。
彼は私たちに事件のことを改めて考えてもらいたかった。もちろん、私たちに対し、少なからず鈴木一は犯人ですよ、という情報を散りばめながらね。神崎奈美に関しては彼女が真犯人であることが指摘されようがされなかろうが、彼らは恋人同士なんだから真犯人であった鈴木一が神崎奈美を引き連れ心中したのね、とか何とかと死体が打ちあがったときに私たちは勝手に納得するだろうし、本来的には多分どちらでも良かった。理由は後からどうとでもなる。実際は指輪のことに気付いたからかどうか、彼がぺらぺらと共犯関係を教えてくれたわけだけど。
そして姿をくらませ、警察が稔のところに向かうような痕跡を何か残しておいた。日記でも何でもいいわね、失踪前に何かしらに、首藤くんに話を聞いてもらえて楽になった、とでも残しておいたんでしょう。結果論だけど実際に来たんだから、思惑通りね。そして失踪する理由は何かあったかいと聞かれたら、当然私たちは彼のことをよく知らないのだから、心当たりらしいものはひとつしかない。これこれこういう相談があったんです、私たちはこういう結論を導いたんですと、すんなり答えてしまう。
そして、そんな話からそう遠くない時期に彼らに酷似した腐乱死体が見つかれば、ああ、罪の意識から自殺したんだなと、きっと誰もが思い込む。
それが彼の考えたストーリーなのよ。
私たちは彼が主役の物語の、単なる端役でしかなかった」
一瞬の沈黙が降りる。
気付くと、煙草は全て灰に変わっていた。
「でも、どうしてそんな面倒なことを?」
「彼に、こんな面倒なことをする必要があったのかどうか、その必要があったのならば一体どんな背景を持っているのか。それを探ることは、彼にしてみれば余計なことなのよ。私たちに、そこまでを知るための材料は与えられていない。
ただ、彼の言っていたように、こうではないかなと推測すること自体は出来るわ。
これは本当に単純な考えで、私自身辟易してしまうようなことだけど、少なからず彼らがこうした面倒な手順を経て失踪し、自分たちに見立てた死体を用意したのは、完全なる駆け落ちをするため、なんて牧歌的なものではないでしょう。この手順を踏む必要があるほどの背景としては、薄い。納得なんて出来ないわ。
私ならばこうだろうという推測でしかないことは、重ね重ねで悪いけど言っておく。彼らがこういう思考を持つ人間かどうか私は知らないから。
多分、このあとどれくらいの期間が空くかは正確には言えないけど、殺人が起きるでしょうね。
鈴木一はものすごく他人の目が気になるようだから、当然彼らは名前を変え、顔も変えることでしょう。でも、ターゲットは決まっているわ。
鈴木一、神崎奈美は、これから鷲見連太郎を殺しに行く。
どうしてか。
彼らの人生が狂ったのは、鷲見連太郎が鷲見桃子に愛情を持たなかったせいだから。彼がちゃんと鷲見桃子を育てなかったから。金だけ与えれば人生は円滑に回るんだと鷲見桃子に教えたから。無垢だった鷲見桃子を変えたから。
そのせいで神崎奈美が鷲見桃子を殺害し、鈴木一がそれを解体する羽目になった。
だから彼らは鷲見連太郎を殺すと、私は思うわ。
皮肉な話よね。彼が居たから、本来的な意味で自分たちの犯行が世間に露見しなかったというのに。愛を過信した彼らのラブストーリーは、愛を知らない鷲見連太郎を殺害することで完結するのよ。
それが、鈴木一が私たちの元を訪ねる必要を持った背景だと、私は思う。
私たちが、彼らこそが犯人であったと指摘し、それを警察に報告してくれて、警察が見つかった腐乱死体を自分たちだと思ってくれるように。
こうした状況が整ったあとに殺人が起きたとしても、誰かが言っていたように死人は容疑者リストから外されるからね。現行犯でない限り、全てを変えてしまった彼らの名前は絶対に挙がらない」
巴里子の予言どおり、年を越したばかりの雪の日に、都内で鷲見連太郎の遺体が発見された。
犯人どころか、大した手がかりさえ未だ見つからない。
僕は何も考えまいとして、煙草を吹かす日々を続けている。
もう二度と、彼に会う必要が生まれなければいいと願いながら。
——の必要 枕木きのこ @orange344
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