後日談
1
鈴木一が僕の部屋に訪れたその日、彼は神崎奈美とともに失踪した。
四日後には足取りを辿って僕の元へやってきた警官に対し、巴里子を呼び出し、ともに当日の経緯を語って聞かせた。彼が軽井沢の事件について再考察してほしいと頼んできたこと。それに対して僕たち、というより巴里子が、彼と神崎奈美が犯人なのではないかと指摘したこと。彼はそれを認め、帰っていったこと。
当然警察に報告しなかったことに関してひどく叱られもしたが、そもそも軽井沢の一件に関しては後ろめたさでもあるのか、大した時間は拘束されなかった。
ふた月ほど後、九十九里浜に顔を損傷した男女の腐乱死体が打ちあがった。
鈴木一、神崎奈美の失踪当時の服装と酷似していること。また、所持品からそれぞれを示す保険証が出てきたため、警察は両名の家へ連絡。保険証とともに財布の中からビニール袋に包んだ直筆の遺書が見つかったため、どちらもそれを自分の子と認め、司法解剖を望まなかったので、火葬後、納骨された。
玄関を開けると、薄手のカーディガンにジーンズ姿の巴里子が立っていた。十月の半ば、未だに若干の暑さはあるものの、このところは幾分か過ごしやすくなってきたほうだ。
招き入れると、彼女はいつもどおり、当たり前のように冷蔵庫から缶コーラを取り出し、一本を僕に寄越した。もともと僕のものなので当然礼は言わないが、彼女のほうでそれを気にするようなそぶりはない。そうしてそのままベッドにどっかと腰を下ろすと、コーラのプルタブを上げる。ぷしゅっと小気味いい音が鳴った。僕はまだ突っ立ったまま、彼女のほうを見ていた。
よくも悪くも、鈴木一に引き合わされて以降、僕と巴里子の関係は多少なりとも元に戻りつつあった。連絡もなしに僕の家を訪ねてくる巴里子を、こうして何も言わずに上げてやるくらいには、彼女のことを気にしなくなった。
巴里子は部屋の隅のデスク、ノートパソコンのほうに視線を投げる。
「書いてるの?」
テキストファイルを開いたままだった。
「ちょっと、見るなよ」保存してからファイルを閉じ、そのままパソコンもシャットダウンさせる。「ただの真似事だよ」
「ふうん。翼の?」
鈴木一が八人のグループを持っていたように、僕もグループを持っていた。そのうちの一人がこの巴里子であり、今話題に上った
そしてそのグループで、こけし村の事件を共有した。
「あいつはあれでも一応、プロの作家だったからな。作文さえまともに書いてこなかった僕なんかが真似して届く距離にはいないけど」コーラを一口飲んでから、煙草に火を点ける。「それで? 今日は何?」
意味もなく訪れた場合は早々に漫画を読み始めるかベッドで寝息を立て始めるのが巴里子の
それが今日は全く寛ぐようなそぶりを見せないのだから、何かちゃんとした用件があると思っても、不思議はないだろう。
「死体が打ちあがったそうね」
当然僕とてそこまで阿呆ではないので、その話だろうとは思っていた。
「予見はあった」
「そうね」
「自分の罪を告白して、すっきりした顔で帰るんだから。それにその後、神崎奈美を連れて失踪するなんて、どう考えても自殺するだろうとは思っていた」
大抵の人間は、罪を犯せばその重圧に耐えられなくなる。
結果として死を選んだとしても、僕はその人物を責めたりはしない。
「嫌な気分になったよ。どうして彼は僕たちを巻き込んだんだろう。もともと大した関わりなんてなかったのに。そう、考えたりもした。でもやっぱり、最後の最後に、誰かに話を聞いてほしかったという、それだけなんだろうな。それはその相手が自分にとって遠い人間のほうがいいに決まってる。僕たちなら似たような経験もしていることだしね。遠い中でも理解力のあるほうだった。しかしまあ、向こうにしたらすっきりする話なのかもしれないけど、こちらとしては堪ったものじゃない。やっぱりあの時すぐに警察に
巴里子は何も言わず、コーラをちびちびと飲んでいた。
僕はその様を見て、いくつか思い出したことを問い
「あの日、里子は最初から全部わかっていたのか?」
「全部って?」
「僕が二人で勝手にやってくれと言ったとき、稔は居ないといけないと言ったろ。あれ、証人が二人のほうがいいと思ったっていう、そういうことじゃないのか? 彼らが失踪したとき、証人が一人だと信憑性が薄れると、そう思ったのか? あのときすでに?」
「ああ」もうすっかり興味がないのか、至極面倒くさそうな表情に変わる。「彼が私たちに対して真犯人が誰であったのか知りたいと言った段階で、彼は犯人を知る立場にあるか、彼本人こそが犯人なのだろうと思った」
「どうして? 何でそんなことがわかる」
「普通に考えて、よ。だって世間的に軽井沢の事件は解決しているし、彼は鷲見連太郎が働きかけてくれたおかげで警察がこの事件をもう捜査しないことも知っていた。そしてどう転んだとしても二度と報道がされないことも。実際、打ちあがった二体の腐乱死体のことも、ちらっとニュースになったくらいだったでしょ。鈴木一と神崎奈美が軽井沢の事件における関係者だったことにいたっては一言もなかった。警察が隠蔽したのね。
瞬間的なものではあっただろうけど一度は容疑者にされた人間が、少なからず世間的にはもう被害者の一人となって知れ渡っているのに、わざわざ私たちのような人間を呼び集めて事件を改めて考察してほしいなんて、普通は言わないわ。言い草からして、犯人にされている藤本正樹の無念を晴らしてほしいっていう若々しい友情も、鷲見桃子を殺した犯人を恨んでいるんだというたぎるような情熱も、まるでなかったしね」
「なるほど」確かに彼の説明は淡々としていたように思われる。「それであんなに訳知り顔だったわけ?」
「うん。そもそも彼が普通の人間であれば、私たちを訪れる必要がないのよ」
「人の身体を解体してるんだから普通ではないだろうな。結局はその普通じゃない精神と同居しきれなくて、自分の罪を告白したくて僕たちのところへやってきた、と」
「いや」
巴里子はこちらに視線を寄越した。
僕も自然、そちらに向く。
ばっちりと、目と目が合う。
――いや?
「彼の本当の目的はわからないけど、少なからず今回の罪の告白ごっこは通過点でしかないと、私は思ってる」
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