4

 鈴木一は何も言わなかった。


 息を呑むような気配があった。


 だと、煙草を吸う姿を見て思ったことを思い出す。

 そしてなぜ違和感を覚えなかったのか、自分でさえ不思議になった。


「あなたが道中、朝野保彦やその他の人間を前にして好きで好きで堪らないと話していた神崎奈美から貰った指輪。あなたのプロポーズに、約束のお返しと言って差し出してくれた指輪。そんな大切なものを、あなたは普段していないの?」


「もう彼女とは」鈴木一は巴里子から視線を外す。そして観念したように薄い笑みを浮かべ、深々と息を吐いた。「いや、こればかりは嘘でも言いたくないな」


「今日たまたましてこなかったとかではなくて?」そんなことはないんだろうと思いながらも僕は確認する。「なくしてしまったとかでもなくて?」


「大切な人から貰ったものをなくしたり、意味もなく外したりするほど俺は薄情じゃないよ」にこりと笑みを向けられる。気味が悪かった。「巴さんはすごいな。全部わかったの?」


「別に。気になったから聞いただけよ。あなたが納得しているのなら稔の仮説でもいいと思うけど」


「なんだよその言い方。僕は良くないぞ。ぜひとも巴里子先生の御高説を承りたいね」

 皮肉は無視される。


「私も別に稔の仮説を悪いとは思わなかったわ。言い草を真似すれば、と素直に感心もした。でもそれに対する鈴木くんの言い草には納得できないわね。鈴木くん、こう言ったでしょ?


 


 この部分だけはおかしいのよ。だって、鷲見桃子が妊娠していることが周知のこととなったのはのはずですもの。あなたもそれまで知らなかったはず。鈴木くんが鷲見桃子の妊娠を上田亜里沙から聞くより早く知るためには、先んじて何か必要があって彼女の腹部を開かないといけない。そうでしょ?」


 それは、確かにその通りである。

 鈴木一の弁を全て信用すると言った手前、彼は鷲見桃子が殺され、上田亜里沙から話を聞くまで妊娠していることは知らなかったはずでなければいけない。


「そうしたら巴さんはどうして、俺が桃子の腹部を開いたんだと思う?」鈴木一はもはや、楽しんでいるように質問を繰り出した。「それもわかってるんでしょ?」


「ええ。それが指輪よね」巴里子は逆に、ひどくつまらなそうな顔を続けている。「指輪を取り出したかった。、銀の指輪」


 危うく聞き逃しそうになったが、

「どうして神崎奈美の指輪が出て来るんだよ。今話してたのは鈴木くんのものだろ?」


「今鈴木くん本人が言った通りよ。彼は大切な人、つまり神崎奈美から貰った指輪はなくしてもいないし、意味もなく外しているわけではない。ということは、確かに持ってはいるんだけど何かしらの意味があって外しているのよね、そのままだけど。その意味について考えうる理由のひとつとして、鈴木くんはなくしていないんだけど、神崎奈美が自分の渡した指輪をなくしてしまったから、ならば自分もつけない、というものが思い浮かんだだけ。二人はそれくらい仲良しのようですから。そしてその指輪は今どこにあるのか。自分の部屋かどこかでなくしたのならひっくり返してでも探せばいいわ。でも、そういうことが出来ないところなんだと、二人とも知っている。ならばそうね。指輪はきっと今も、もう出入りの不可能となったあの別荘にあるんじゃないかなって、そう思った」


「首藤くん、彼女は正しいよ。すごい友達だね」


 なんだか全然嬉しくない。

 結局、一人だけ置いてけぼりを食った気分だ。


「実際に鷲見桃子を殺したのが神崎奈美なのか鈴木くんなのかまでは私にはわからないけど、多分神崎奈美じゃないのかな。話を聞いている限り、数ヶ月の付き合いしかない鈴木くんより幼馴染の神崎奈美のほうが鷲見桃子との因縁は深そうだし。私も、稔と同じで動機には余り興味が湧かない人間なんだけどね」


「全てお見通しなんだな。本当にすごいよ。

 後は俺が引き継ごう。


 巴さんの言ったとおり、桃子を殺したのは奈美だった。興奮していてはっきりしたことは良くわからなかったけど、プロポーズしたあと俺が寝ている間に、朝野の手によって部屋へ連れ帰された桃子に、そのことを自慢しに行ったらしいんだな。自慢というといやらしい感じがするけど、多分すっかり金におぼれて変わってしまった親友へ、世の中はお金じゃないんだって言いたかったんじゃないかな。恥ずかしい話、高い指輪でもなかったから。指輪そのもののではなくて、それに付随する想いにこそ価値があるんだって、教えてあげたかったんだろう。戻ってほしかったんだな。変わってしまった桃子に、昔の桃子へ戻ってもらいたかった。きっとそんな理由だったんだと思う。


 でも状況が良くなかった。そもそもそれ以前に殺すだのなんだのと騒いでいた連中なんだから、ぴりぴりしてるのも当然だろう。ましてや桃子はドラッグをやっていたし、正樹との間の子どもに関して産むだの産まないだのと揉めていた。自分はうまくいかないのに、こんなちんちくりんがどうして幸せそうにしているのと思っても、不思議はないと思う。


 指輪を取られたから、と言っていた。


 自慢した指輪を、桃子に取り上げられたんだ。そして、俺はこういうところが心底嫌いだったんだが、桃子は本当に子ども染みたことをしたんだよ。


 指輪を手に、それを飲み込もうと口に入れた。

 そんなことで殺されるんだから世の中はわからないよね。


 奈美はカッとなって、首を絞めて殺したらしい。

 だから実際、扼殺の痕は残っていたよ。首藤くんも全くのはずれではない。よかったね。


 俺は興奮した奈美から、桃子を殺してしまったことと、その経緯をざっと今のように聞いた。どうしたものかと頭を抱えてしまったよ。おかしな話だけど、どう処理するかということをすぐに考えた。指輪なんて見つかったら真っ先にばれてしまうからね。なぜと言って、俺は朝野にそれを見せ付けて、プロポーズするんだって宣言してしまったから。桃子の部屋で指輪が見つかれば、俺か、もしくは奈美が疑われることは一目瞭然だ。とにかくどうにかして指輪だけは見つけなくてはとは思った。


 飲み込んだ、と言われたから、俺はまず口をこじ開けた。まだ硬直もしていないからね。簡単に開いたよ。だらしなく舌が出たりしたけど、吐いてる暇もない。死んだ人間というのは途端に臭くなる。死というもの忌避するよう、生きた人間の鼻はそう感じる風に出来ているのかもしれない。まあともかく口の中にはなさそうだ、となった。じゃあどこだろうか。そう思って、俺は短絡的ながら上から順に見ていこうと思った。考えている間さえもったいないと思ったんだ。理解してくれるかどうかは知らないけど。


 つまり次に、喉を見ようと。この辺の経緯は前に話したとおりだから割愛する。手斧を取りに物置に行ったときはひやひやしたよ。朝野が残っていなくて本当に良かったと後になってすごく思った。もし出くわしていたら彼のことを殺していたかもしれない。しかしそうやってびくびくしながらせっかく取りに行ったにも関わらず、切り離した首を上から下から、喉をいくらいじっても出てこない。というより、そもそも喉に引っかかるなんて滅多なことだろう。指輪と言ったら、人間が普段食べているものに比べてそんなに馬鹿でかいものじゃないからね。飲み下しているほうが自然だろう。


 だから次に考えられるのは胃だ。そのために腹を開けた。人体模型なんかが良く学校に置いてあったと思うけど、ああいうの、もっとちゃんと見ておけばよかったよ。何がどれなんだか全然わかりやしない。血でべちゃべちゃなのもあるけど、そもそもなんとなくの形しか知らないんだ。自分も同じ臓器によって生きているはずなのに。そうしてあくせくしながら腹部をめっちゃくちゃに掻き回しているときに、彼女が妊娠してることがわかったんだ。つまり、胎児を見つけた。本当にたまたまだったんだと思う。


 と同時に、妊娠している人間が銀を飲むことなんてありえないと思ったんだ。酒やドラッグは少なからず精神衛生上必要となることもあるものだから、意識の低い人なら続けてしまうかもしれない。でも少なからずそれらを控えてみようとしていた桃子が、銀なんていかにも有害で、嗜好品でもないものをわざわざ摂取するはずがない。いくら自分に産む意思がなくても、これから正樹と話し合いを続けていれば産むかも知れない命なんだ。積極性はなかったから酒やドラッグを完全に断絶するまでには至らなかったが、大好きなわけでもないし習慣性もない銀はどんな馬鹿だって摂取しない。散々引っ掻き回した後で、それがわかった。


 実際、指輪は手に握りこまれてたよ。飲み込んだはずだという思い込みで、全然確認なんかしていなかった。奈美が見たのは、ただの振りだったんだ。本当はすぐに返すつもりだったのかもしれない。


 馬鹿な話だと笑ってくれていいよ。俺が桃子の身体を分解する必要なんて本当は全然なかった。


 指輪は無事見つかったけど、じゃあこの状況をどうするか。奈美が殺して、俺がぐちゃぐちゃにしたなんてばれたら堪らない。


 それで、正樹に罪をなすりつけようと考えた。


 後は大体、もう話したことの通りだよ」


 自分の仕事は終わりだとでも言わんばかりに仰々しく煙草を吸うので、

「待て待て、指輪はなくなったんじゃなかったのか? 神崎奈美がなくして、そのまま見つかっていない。だから鈴木くんもしていないと、そういうことじゃなかったのか?」


「いや。奈美に返していないだけだよ。首藤くんは、そんな指輪、渡せるのか? 結局は手に持っていただけなわけだけど、奈美の中では飲み込まれたと思い込んでいるんだ。実際、腹も首も切ったし、ここから取り出しましたと言わんばかりに内臓もめちゃくちゃに飛び出してる。それを、平気な顔をして渡せるの? さっきも言ったけど、思い込みというのは真実がどうとか、関係ないものなんだから」


 巴里子は全く興味がなさそうな顔をして、

「神崎奈美はその後どうしてるの?」


「今は引きこもってる。両親も、幼馴染を亡くしたんだから仕方ないと思っているみたいだが、実際は俺と同じで罪の意識に囚われているんだろうと思うよ。本当は俺たち二人で、罪を抱えている。


 どうする? 警察に連れて行くかい?」


「いや」巴里子は脇に移動させていた灰皿を自分の手前に持ってくると、当たり前に僕の煙草を一本抜いて吹かし始めた。「私は、犯罪者には優しいから」


 そして僕のほうへ視線を寄越す。

 僕は何も言わない。


「それに行く意思があったなら最初から行ってるはずでしょ。こんな汚い部屋にわざわざ来ないでさ。そんな、自主的に行く意思のない人間を連行したって無駄だと思うわ。向こうで意見をひっくり返されたら私の信用が下がるだけだし」どうにも訳知り顔で肩をすくめて見せた。「それより、私の出した結論に、ひとまず鈴木くんは満足できたかしら?」


 鈴木一はにこりと微笑むと、


「ああ、とても満足いったよ。


 ありがとう、パリ子さん」

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