第2話思い出

 カモメ団地を後にして、商店街へと戻って来た私達は、一息をつこうと喫茶店に入った。これには助六の強い要望によってだ。


「茶が飲みたい」


 そう言った彼はというと、横文字ばかりのメニュー表を見て、先程までとは少し違った険しい顔で首を傾げている。


「何、頼むか決めました?」


 私が催促すると、


「な、ならこの珈琲というやつを頼む」


 と、口を曲げながらにそう言った。思わず笑ってしまいそうになる。


 店員を呼び、助六の珈琲と私のアイスミルクティーを頼む。店に入った時もだが、案の定好奇な目で見られた。


 店内は木を基調にしたコテージ風で、私も暇な時はここに訪れることが結構ある。店のオススメはパンケーキだったが、さっきの丼屋で財布の中身を持っていかれたので、次回ここへ来るときまでのお預けにする。

 飲み物だけだったからか、すぐに両方の注文した物が届いた。


「ごゆっくりどうぞ」


 そうお辞儀するウエイトレスの女性は頻りに助六を見ていた。

 振り返るとレジの方で「あの人イケメンだったぁ」と仲間内で助六の容姿についてで盛り上がっていた。


「これが珈琲なるものか……」


 小さなカップに注がれた黒いとまではいかない深い茶色の液体。鼻に抜ける香ばしい匂い。どれも初めて体験するものなのだろうと思うと、なんだか面白く見えた。

 甘党かは知らないけれど、少しいじめてやろうと砂糖は進めないでおく。


「いただきます」


 丁寧にも手を合わせて挨拶をした助六は緊張からか震える手でカップを持ち、カタカタと揺らしながら一口呷った。


「苦」


 うめき声なのか、苦いと言おうとしたのかはわからないけれど、とりあえずその歪んだ顔を見て私は満足した。


「砂糖、入れますか?」


「嗚呼、頼む」


 シュガーポットから角砂糖をとって一つ二つカップの中へ放り込む。砂糖は一瞬で溶けて広がり、ティースプーンで回すと全体に馴染んだ。

 今度はそれを一口呷った。 


「美味い」


 助六は目を光らしてそう漏らした。

 普通は落ち着いて、ゆっくり飲むであろう珈琲をグビグビと喉に通し、小さなカップはあっという間に空になった。

 流石に私の財布も苦しくなってきたので、お替りはさせない。


 私は冷たくて美味しいミルクティーをストローで吸いながら、


「さっきの、殺しをやる人って言うのは確実なんですか?」


 ずっと気になっていた事を聞いた。勿論他のお客さんもいるのでヒソヒソと。


「ああ、間違いないだろうな」


「その根拠は」


「他に足跡がなかったからじゃ。手当たり次第にあの団地とやらを歩いて見たが人の歩いた跡なんてのはなかった。じゃがあそこにはあった。本当に薄っすらとしたものだがの」


「他の誰か、ていう可能性は」


「ありえん。恐らくはあの足跡、わざとじゃな。縄張りのつもりかなにかじゃろうが、あれが解るものはそういまい」


 助六は見えはしないが席から団地の方を見る。

 

「あれは相当な手練じゃ」


 思わず息を飲む。口はすでにストローから離れていて、助六の話に聞き入っていた。


「もしかして、助六さんと同じ送り人って可能性は」


「ないとは言えんじゃろな。だがまあ」


 ーーあそこで何故襲ってこなかったのかがわからない。そう言いかけて助六はやめた。

 私のミルクティーが空になるまで居座って、その店を後にした。


 店を出て、助六の格好を見て改めて思った。


「その服、変えません?」


 いい加減目立つのが鬱陶しくなってきたのでそう提案してみる。


「何故じゃ」


「今の時代にあっていません」


「人に、時代に合わせる気はない」


 そうあっさり却下された。


「そういえば助六さん。これからどうするんですか? 私の昔話を聞かせるにしても遅いし」


 気づけば時計の針は六を指している。


「それがどうした?」


「いえだから、寝床とかそういうの」


「そんなもの茶々の家に決まっとろうが」


「なんで決まってるんですか……」


 この調子だと本当に家に転がり込んできそうだ。それだけは絶対に死守せねば。


 …………。


「いやぁアンタ、いい飲みっぷりじゃのう」


「助六君こそ若いのにお酒強いねぇ」


 案の定こうなった。

 どうにか言いくるめて別れたはずなのに、家についたときには後ろにいたのだ。ストーカーだ。

 強引に家に入られると、まあ普通に義理の親から誰だと問いだされたが、お義母さんは助六の容姿と取り繕った中身にメロメロ、お義父さんは飲んで帰ってきたのもあって、あっさりと泊まりが許可されてしまった。


「助六さん、助六さん。この塩辛いかが? 美味しいのよぉ」


「ちそうになる」


 甲高くしたお義母さんの声とゲラゲラとしたお義父さんの笑い声を聞いていると頭が痛くなってきたので、私は一階のリビングから二階突き当りの自室へ避難した。


 義理の親である二人には感謝していた。身寄りもなく、当時呪いの子呪いの子と揶揄されていた私を引き取ってくれて二人には。


 下の賑わいを耳の隅に置きながら、私はあの団地のことを、あの日のことを思い出していた。


◆◆◆


 八年前のこと。

 私はまだ九歳だった。

 背も小さくて内気だった私は、いつも友達とは遊ばずに母と遊んでいた。

 

「お母さん!」


 ギュ。母の胸の中で抱かれているのが私は好きだった。温かくて、落ち着くから。


 父は会社から帰ってくるのが遅かった。でも、いつも寝る前に帰ってきてくれて、本を読んでくれた。毎回最後まで読むことなく私は寝てしまうのだけど、それがとても幸せだった。

 

 住んでいた一軒家から団地に引っ越すことになった。理由は知らない。

 引っ越し、というものが初めてだった私にはそれはとても素敵な出来事に思えて、ワクワクしていたのを覚えてる。


 内気な性格は治らないままだけれど、団地へ引っ越してから友達と遊ぶことが増えていった。それは母も嬉しいことだったようで、私と仲の良い友達も一緒に可愛がってくれていた。


 そんな時、父が倒れた。

 過労? だったと思う。思えば働いていた会社がブラック企業というやつだったかもしれない。前々から大変そうだった。それからしばらく父は入院することになった。

 そういうのもあって母が働き始めた。

 職場に選んだのは近くの、よく家族で買いに行くパン屋さん。朝は早く夜は疲れて帰ってくるので母との時間が減ってしまった。

 だけど毎日朝昼晩と美味しいご飯を作ってくれたのが、とても嬉しかった。

 

 私は家族を心配させないようにと友達を沢山作った。ほぼ毎日遊んでいたと思う。結構楽しかった。

 友達と遊んでは、夕食の時に母に何があったのかを聞かせるのが日課になった。母もそれを聞いて喜んでいたと思う。

 

 父が退院できた。

 やっと家族全員揃ったのだ、私も父も母も一緒になって喜んだ。

 父の再就職先が決まり、母にも余裕が出来始め、幸せが戻ってくる。

 そう、思った頃。


「サユちゃん! サユちゃん!」


 私はその日、団地の外に住む友達の家に遊びに来ていた。いつも通りの何ら変わらぬ休日の午後。

 友達のお母さんが血相を変えて私の名前を呼んだ。そのままの勢いでリモコンを手に取り、電源を入れる。映ったのはニュースをしていたチャンネルだった。

 友達のお母さんはチャンネルを変えることなく、そのニュースをじっと見ている。


 なんだろうと思い、私も見た。子供ながらにニュースキャスターが何を言っているのかは、わかった。


「先程、✕✕市〇〇町の住宅街に位置するカモメ団地で、近隣の住人から人が死んでいるとの通報がありました。   

 警察がすぐに確認に行くと当番組が把握している限り、三十人以上の死者が確認され、現在も増え続けているとのことです。

 現場の△△さん」


 現場のLIVEリポートに切り替わる。

 そこにはいつもの団地と見たこともないような数のパトカーと救急車。その他の放送局の記者やカメラが写っている。


「ほとぼりが冷めるまで、ここにいましょうね」


 友達のお母さんは私の肩に手を置いてくれたけれど、私はそれを無視して玄関から飛び出した。

  

「ハァハァハァ」


 これまでにない、というほど必死に走った。必死に必死に走った。

 自分の両親は死んでいないと信じて。


 カモメ団地につくと、門に繋がる道は警察車両やテレビ局の車、それと野次馬に溢れかえっており、通れない。

 私は裏の子供しか通れないヒミツの通路を使った。

 警察や救急隊員に見つからないように隠れながら自分の居室へと向かう。

 生きてる。生きてる。自分にそう言い聞かせて。


 四棟、二〇五号室。そこが私の家。

 幸い、四棟には警察の手は回っておらず、簡単に入れた。

 ガインガインと響くコンクリートの階段を夢中で駆け上がる。

 私は玄関の前に立った。

 意を決してドアノブに手をかける。ゆっくりと引くと、鍵がかかっておらず、そのまま開いた。

 ギィィ。

 私にはその音が酷く嫌な音に聞こえて、耳を塞いだ。

 玄関には両親どちらともの靴があった。

 

「お母さん」


 消え入りそうな、今にも泣き出してしまいそうな声で、母の返事を待つ。


「お父さん」


 すがりつくような声で父を呼ぶ。

 応答は、ない。

 

 まだ、死んでいると決まったわけではない。外へ出ていたり、寝ているのかもしれない。私はそう考えないと一歩も進むことができなかった。


 リビング。


「誰かぁ」


 いない。

 呼びかけが【誰か】になっていることに自分では気づいていない。


 洗面所。


「誰かぁ」


 ここも、いない。

 誰でもいい、誰でもいいから。


 自室。


「誰かぁ」


 ここにもいなかった。

 

 この時、私は両親がどこにいるのかはわかっていた。自室の横は両親の部屋だから、両親がどこに“ある”のかは扉の下、紅い水溜りを見れば明らかだった。


 ……両親の、寝室。


「……」


 声は出ない。出せなかった。

 部屋に入る時に踏んだ紅い水溜りの感触がねっとりとして気持ちが悪い。  

 電気がつけられておらず、部屋の様子がわからなかった。

 私は少し背伸びして寝室の電気をつけた。


「あ」


 漏れた声。

 私はその場にへ垂れ込む。

 そこにあったのは、家族の再スタートをきり、新たな命を望んだ二人の、重なりあって、混じりあって、溶け合って、境目のなくなった、


 グチャグチャの“なにか”だけだった。  



 その後、部屋で気絶した私は四棟に駆けつけた警察官よって保護された。

 なにか体に異常はないかと検査入院をしたけど、私に異常は確認できなかった。

 私が病院から出るとき、無数のカメラに囲まれて、大人たちの質問に囲まれて、無数のマイクを突きつけられた。


 それからは両親の葬式や、警察の事情聴取があって私はようやく落ち着いた。と、思った。


 学校に復帰した私を待っていたのは、温かい言葉ではなく罵声と嫌悪だった。

 

「呪いの子」

「なんでお前だけ生きてるんだ!」

「人殺し」


 団地に友達がいた子たちや、団地に恋人が住んでいた教師からくる日もくる日も言われ続けた。


 それが、私の思い出。

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汚れきった魂たちよ 米澤サラダ @yonezawa626

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