汚れきった魂たちよ
米澤サラダ
第1話空から落ちてきた男
「魂ってのはね、エコなんだよ。リサイクルできるんだよ」
綺麗な赤髪に、大きくて髪と同じ色の赤の相貌、背は低めでセーラー服を着こなした、およそ人間とは思えない、女々しくて不気味な男はニタっと笑う。
「汚れきった魂はあの世、まあここで言うならこの世だけれど。でもまあ、あの世で洗ってさ、また生き物へ戻すんだ」
ここで言う汚れとは、記憶とか経験とかその辺だろうか。わからないでいるまま、男は続ける。
「それでね、困ったことに落とせない汚れがあるのよたまに、いやしょっちゅう。その魂たちが行く場所が、世に言う地獄」
男は俺の方へと指を指す。汚れの落ちない魂である俺に。
「でね、その魂を置いておく地獄が今パンク寸前なのよ。最近の子らはみんながみんな汚れてるからさ。それでね、開発したわけよ、強力な洗剤。でもね、それでも地獄の囚人がちょっとしか減らないの。来る人のが多くてさ」
何か癪に触る喋り方をする男は頭を抱えて悩んでみせる。
「でね! 思いついたの。強力な洗剤で落ちる汚れの時にこっちに連れて来ちゃえって」
男は頭良いでしょうと鼻を鳴らす。
「でもね、こっちの死神担当さんも数が足りなくてね、追いつかないの。困ったよね〜」
次はしょんぼりとする。喜怒哀楽がはっきりとしたやつだ。
「だからまた思いついたのよ! 有り余ってる囚人たちに死神担当を手伝わせようって。それが送り人計画」
ドヤ顔でそう続ける。
「君たち囚人の魂を人形に入れてこの世へ飛ばす。そこで君たちは汚れた魂をこちらへ送る。単純でしょう? 嗚呼因みに送るって殺すってことね。
その代わりに成績優秀者にはどす黒い魂のままの転生を許可しちゃったりしちゃわなかったり」
男は足を組んで頬を杖をつく。
ここは、俺から見たら真っ暗闇のような、真逆の明るいような理解不能な場所で、おそらく男からは綺麗な座敷のような場所に見えるのだろう。地獄でもなく天国でもない狭間の場所。看守室。
そして俺の姿は男からは見えても、俺からは実感さえ感じられない。だから勿論男との対話はできず、会話はすべて一方通行。
「そんな計画の一端に、君も送り人として選ばれました! 拍手!」
パチパチ。一つだけの拍手が空しく響く。
「これから君にはこの世へ飛んでもらうよ。嗚呼それと一つ、あっちで死ぬと魂が消滅しちゃうから。僕らはルールだから消滅とかさせられないけど、君ら囚人同士の場合は別だからね。そこんとこよろしく〜」
それからすぐに、俺の視界は暗転した。
◆◆◆
商店街の丼屋。
落ち着いた雰囲気なお店で店内は細長く伸びている。店は結構繁盛していた。カウンター席と三組のテーブル席があったので、私達はテーブル席を選んだ。
テーブルを挟んで私の真向かいに座る男はこれまでの経緯をつらつらと話してくれた。
長い髪を後ろで束ね、腰には漆の塗られた小太刀。女性物の派手ではない着物を着こなした妖艶な雰囲気の男。そんな男に私はなぜだか親子丼を奢っている。因みに私はお冷だけ。
「それにしてもこの時代の飯は美味いのう。俺がいた頃とは大違いじゃ」
嬉しそうに男は運ばれてきた親子丼をかっ食らう。見る見るうちに男がかき込む丼ぶりばちは空になり、私の了解も得ずに替りを頼んでしまう。
「……あの、それであなたは一体誰なんですか? いきりなり空から現れて……それにその格好に言動……」
いつもの場所へ足を運んでいた私は突然空から現れた男に腰を抜かしてしまい、そのままあれよあれよとここまで連れて来られていた。
「いやの、先に説明した計画とやらでこちらへ来たは良いものの、一応頭には今の時代の知識は入ってはいるがわからんことが多くてな、手頃なところにおったアンタに指南を頼みたくてな」
すぐに来た替わりの親子丼を口に入れながら男は言った。
「それって私になんの得があるんですか? それに、それって人殺しの手伝いをしろってことですよね。絶対に嫌ですよ。やりません。
成り行きだから今回の丼ぶりは仕方なしに奢りますけど、それから先は一人でどうにでもしてください」
私は突然のわけのわからない出費に苛立っていたのか、走り口になった。
「損得勘定で動いていたら人生はつまらんぞ
ニ杯目も軽くたいらげた男は、爪楊枝でチッチと歯の掃除を始めた。この男、少し偉そうではないか。
「……でも、それならどうやって成績上げるんですか?」
しかし私は、どうでもいいことなのについつい好奇心なのか、話に乗ってしまった。
「善人を助ける。汚れた魂を綺麗にする。それでも微々たるものだが成績は上げれるようじゃ、やから俺はそっちにする」
魂を綺麗に保つというのも成績の内に入るらしかった。
「へえ」
そんな回りくどい真似をしてまで、人を殺したくない人が地獄の囚人。なんだかイメージが合わない人だなと思った。
「どれ、見たとこアンタは善人じゃ。なんか望みは、頼みはないか? 俺で良ければ一つ手つどうてやる」
勘定の代わりだと言って、男は微笑み訪ねてくる。なんともまあ綺麗な顔だ。私は少し、見惚れてしまった。
「……なら、一つだけ。手伝ってほしいことがあります」
何故、自分がこんなことを言ったのかわからなかった。ただ、この男は信用できる。この男ならと、そう直感で思ったのかもしれない。
「決まりじゃの」
男は指を軽快に弾いた。
男の名前は助六と言うらしい。ただの助六。なんでも江戸時代の人だそうで、見れば足に履いているのは下駄だった。
会計を済ませて店から出ると、爪楊枝を咥えたままの助六が両手を裾に入れて待っていた。時代劇から出てきたのかという感じだ。
私は歩いた。
「私は
とりあえず、自分だけしないのもあれだったので、開口一番は自己紹介になった。
「なら茶々と呼ぶ。よろしくな茶々」
自己紹介してすぐにあだ名を決められてしまったが、たった三十分と少しの付き合いでもこの人が自分の意見を曲げそうにないことは察しがついていたので何も言わないでおく。
「よろしくお願いします」
歩いていたので一応視線だけで会釈した。
「して、どこに向かっておるのじゃ」
小さな歩幅で先導する私に助六はカランカランと小気味の良い下駄の音を鳴らしながら着いてくる。歩調は私に合わせてくれていた。
「最初に助六さんが落ちてきた団地の廃墟です」
いつもの場所。母さん、父さん、弟、その他三十の家族と個人が変死した場所。
「私の頼みを話すには、あの場所じゃないと駄目なんです」
あの、場所でなければ駄目だった。
「そうか、ならば黙ってついていこう」
助六は初めて見る景色であろう商店街へと視線を移した。
床屋、蕎麦屋、ファストフード店に電気屋。どれもこれもを見るたびに、助六は「おお」と声を漏らし、私に何かを訪ねてくる。特に電気屋で見たテレビに心奪われたようで、あれを買う(こう)、あれを買うとブツブツ言っていた。
少し歩いてから段々と居心地が悪くなっていくのがわかった。助六がいい意味でも悪い意味でも目立つのだ。江戸の、それも女の格好をした美男は嫌でも目立つ。自分に向けられたものでないことはわかっていても、視線が痛い。
この時私はわかってはいなかったが、近くの名門女子高の制服を着た女子がそんな男と歩いている、ということも目立つ一つの要因になっていた。
私は自然と体を縮こまらせた。
「しゃきっとしろ。茶々」
すると、私の丸まった背を痛くない程度に助六が叩いてきた。
「なよなよするのは小心者とうつけな男だけでよい。女というのは堂々と悠然に構えておればええ」
また、助六は優しく微笑みかける。本当に彼は地獄へ落ちたのだろうか、落ちたのであればそれは何故なのか。聞こうとしたけれど、それは少し躊躇われた。
「……はい」
私は視線の雨に「商店街を出るまでの辛抱だ」と言って耐えることにした。
長めの商店街を抜けると、左手の方に少し狭い道がある。それを真っ直ぐと行くと、二三件の家を通り過ぎ、すぐにボロボロになった団地が見えてくる。蔦は絡みつき、草は生い茂り、コンクリートは至るところにひびが入っている。とても近寄り難い雰囲気でつくづく、どうして建て壊されないのかと思う。お金の問題なのかな。
近づくにつれて門に掲げられた【ツバメ団地】という文字が見えてきた。
門の前で足を止める。
「ここです」
私は団地全体を指さした。
「随分と荒れておるな」
「八年前から誰も住んでいませんから」
「八年前まで茶々はここで住んでおったのか?」
「はい」
八年前は真っ白なペンキで塗られた新築同然の建物だった。中心にある団地公園も、とても綺麗で子供たちで賑わっていた。その中にはもいた。
「どうして廃墟になった」
「ここで大勢の人が死んだんです。住んでた人が、私を除いて全員」
「ほう、それはまたなんと」
助六は視線を私から団地へと戻し、顎に手をやり辺りを見回す。
「それから曰く付きになって、程なくして誰も住まなくなりました」
あの頃はテレビや新聞で殺人団地とか呪われた団地などと言われたり、不謹慎な映画が撮られたりなんかと、結構有名になった。唯一の生き残りである私を含めて。
「私の望みはここで何があったのか、どうしてあんなあり得ない事件が起こったのか。それが知りたいんです」
一息吐き、
「お角違いなのは重々承知です。でも、警察も、探偵も、誰彼もがわからないんです。だから、あなたのような人ならもしかしたらと思って」
最後は消えてしまいそうな声になってしまった。
すると、半ばすがりつくような私の頭を助六は撫でた。少しゴツゴツとした大きな手の平はとても頼り甲斐があって、安心できる。
「承った」
真剣な表情。
そして三度目の微笑み。そんな助六の顔が私には恥ずかしくて直視できなかった。赤らんでしまっているであろう顔を下に向けて誤魔化した。
「じゃが、何から始めればよいかわからんな。こういうことは勝手がわからん。とりあえず少し歩くか」
今度は助六が前に歩き始めた。
「案内しましょうか?」
と訪ねたけれど、
「いや、感で歩く」
と助六は言った。
誰もおらず、音一つ起こらない団地の廃墟の中で私のコツコツとしたローファーの足音と、さっきよりも響く助六の下駄の音が鳴る。
廃れたコンクリートに反響してなんだか不思議な雰囲気を醸す。
「ここ、人っ子一人と寄らんのか?」
カランカラン。助六は辺りを見回しながら訪ねた。
「多分……あ、でも時々肝試しとかで来る人もいるかもしれないです」
ここは日本でも随一の心霊スポットだから。
「そうか……」
助六は「なら」と呟いてからまた物思いにふけて、黙った。
私はその後ろを躓かないようにと、足元の悪い団地の敷地を歩く。
助六は団地全体をぐるりと一周して、門へと戻ると中心の公園に足を向けた。
「血のりか」
公園へ行くと遊具のほとんどに血の跡がべったりついていた。その全てが子供の血。ここで子供たちは“内側から爆発した”ように死んでいたらしい。
助六は砂場のあった場所でしゃがみ、地に手をついた。
「茶々。ここまで来たことはあるか?」
「いえ、ないです」
だから血のりを見た時かなりショックだった。
私はいつも門の前で足がすくんでいた。だからこうして団地の中に入れているのが不思議なのだ。助六がいるからだろうか。
「……なら早くここからずらかるとしよう」
助六は立ち上がると、そのまま踵を返した。
そのあとを追う。
「どうしてですか? まだ団地の中を……」
「公園の、さっきしゃがんだ場所。薄っすらじゃが足跡があった。最近のものじゃ。あの足跡、殺しをやる者のものじゃ」
助六は今までにないような険しい顔をする。殺しが許せないのか、この場の危険を警戒しているのか。
「ここ、かなりきな臭いのう」
助六は不快感を顕にする。
私達はそのまま、小走りで団地を出た。
その後を見ていた者がいたことを知らずに。
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