星降る聖夜にひとつの奇跡

夕闇蒼馬

星降る聖夜にひとつの奇跡

 世間が聖夜だなんだと大騒ぎしている中、私――星野 希美ほしの のぞみは家から少し離れた小高い丘にひとりたたずんでいた。ここから見下ろす街は煌びやかで、この街自体がイルミネーションのようだ。とはいえ、私はこのイルミネーションよりも、草の上に寝転んで見上げた夜空のイルミネーションの方が好きなのだけれど。

 今日は星が綺麗だ。昨日雨が上がったばかりなので、殊更ことさら輝きが増しているように感じる。それはシリウスのように己を強く主張する星から、名前も知らない小さな星まで例外はない。全てが美しく、普段より明るく見える。

 ふと、目の端に流星の尾が見えた。それは肉眼でもあとを追いかけることができるくらいゆっくりで、音がしそうなくらい大きい星だった。私はその星に、願いを込めた。


 ――あの人ともう一度会えますように。


◆◆◆◆◆


 そもそも『あの人』というのは、私の初恋の相手であり、そして高校1年生である今までずっと恋し続けている彼――加納 優也かのう ゆうやのことだ。

 彼とは幼稚園の頃からの付き合いで、親同士も仲が良かった。いわゆる幼なじみというやつだ。幼稚園ではそれなりに友達のいた私であったが、小学校に上がった途端人が増え、まともに人と話せなくなってしまった。1対1なら大丈夫なのだが、グループになるとどうしても聞き専に回るしかなくなってしまう。そんな私の傍にいて、支えてくれたのが彼なのだ。

 そんな彼は、小学4年生の春休み――5年生に上がる直前に学校をやめることになった。ずっと一緒にいるものだと信じていたのでその悲しみは大きく、その事実を本人から告げられた時に大泣きした。彼は「もう2度と会えないわけじゃないんだし」と笑っていたが、私は分かっていた。もう2度と彼に会えないのだと。

 彼は幼稚園の時からバイオリンを弾いている。両親が世界的に有名なバイオリニストであるから、その子供もバイオリニストを志すというのは自然な流れだ。そして彼は、ウィーンに行くことになった。海外だと気軽に電話することはおろか、会うことなんて不可能だ。幼いながらに私はそれを承知していた。彼は別れの日、私にただ一言、「待ってて」と告げた。それに対し、私は「もちろん」と答えた。今思えば、当時の私は本気で言ったわけではなく、かすかでも可能性にかけたいと思っていたのだろう。


 それからの学校生活は実につまらないものだった。道を照らす光がなくなった今、私は真っ暗闇を闇雲に歩いているようなものだった。話したいことも、話したい相手もなければ自然とクラスでは浮いた存在になる。数人の友達はできたが、それはあくまで表面上のものに過ぎず、本心を全てさらけ出せるような人はできなかった。優也のように、胸の内まで打ち明けれるような人はいなかったのだ。

 私は孤独だった。中学も、高校も、そして今この瞬間も。


◆◆◆◆◆


 私は再び星空を見上げた。どれだけ待っても彼は来ない。知っているけれど、分かっているけれど――――

 と。


 涼やかな音色が、星の瞬く寒空に響いた。寒々しい空気を切り裂くが如く、しかしどこか優しさも感じる不思議な音で――これはきっと、バイオリンの音色だ。


 私は勢いよく起き上がり、音のする方を向いた。するとそこには人がいた。その人は私の予想通りバイオリンを弾いている。

 その人は私の知るあの人に似ている。もしかして……でも、そんなはず……彼は今ウィーンにいるのだから、ありえるはずがない。けれど……


「……優也?」


 その声は小さかった。だがその人はその小さな声を拾って、こちらに気づいた。――否、彼は私の存在に既に気づいていたのかもしれない。


「うん、そうだよ」


 すぐに返ってきた皇帝の言葉。そして、暗闇でも分かる、彼の笑顔。


「ゆ、優也だぁ……!」


 そう言って彼に駆け寄ると、彼は手を広げた。そして「おいで」と。

 私は迷わず彼の胸に飛び込んだ。

「……ごめんね、待たせちゃって」

「本当、ずっと待ってたんだよ」

「ごめんって。……俺実はさ、ウィーンに行く時から決めてたことがあってさ」

「なに?」

 問うと、彼は言った。

「ウィーンで1番になったら日本に帰ってくる、そんでもって希美に言いたいこと言うんだ……ってね」

「言いたい、こと?」

「うん。……希美ってば、可愛い。昔から全然変わってない」

 可愛い、という言葉に喜びを感じたが、そのあとの「全然変わってない」発言に少しだけムッとした。確かに彼は昔とは違う。最後に会った時は彼を見下ろしていたのに、今では彼にすっかり見下ろされている。声も低くなって……なんというか、私の知っている彼は少年だった彼で、今の彼は男らしい彼……私の知る彼ではない。ましてや私を胸に抱きとめ抱きしめている間、髪をひと房すくい上げて口付けを落とすような男、私は知らない。

「……ふふっ、これだけで赤くなっちゃって。ほんと、可愛い」

 自分で分かるくらいに顔が赤く熱くなっている。それに対して彼は涼やかな顔をしている。これはきっと向こうの国とのカルチャーショックのせい――いや、向こうの国の文化に染まったからこうなったのか。

 なんてくだらないことを考えていると、彼は私を引き離した。

「……それで俺、ウィーンのU18のバイオリンコンクールで優勝したから帰ってきた。それで、俺が言いたいのは、つまり……」

 彼は深呼吸をひとつして「よしっ」と小さくつぶやくと、私を見た。そして左手を差し出した。なんで左手……?と思っていると、彼は口を開いた。


「俺、ずっと前から希美のことが好きだったんだ。だから、俺の手を取って」


 ……なんてイケメンな告白の仕方なんだ。どれもこれも、文化の違いのせいだ。見目麗しい男がこんなふうに言ってきて断れる人間がいるだろうか。


「もちろん……っ!」


 彼の左手に自らの右手を乗せ――その手がグッと引かれ、私は強く抱きしめられた。

 そして、私たちを祝福するかのように、一筋の星が流れた。

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