外伝 昆布坂少年奮闘記1 「僕の師匠は元マフィア」


このエピソードは、ザラゾフ家に引き取られた昆布坂こぶさか京司郎きょうしろうが主人公です



"転機という名の嵐は突如訪れる、人生とは地図のない航海なのだから"


昔読んだ誰かの伝記にそんな事が書いてあったけど、僕はなんの感銘も受けず、当然ながら気にもしていなかった。当時の記憶は定かじゃないけど、そんな当たり前の事を、わざわざ言及しなくていいとでも思ったに違いない。どんな格言も、我が身に降り掛かるまでは他人事なのだ。


格言通り、戦乱の嵐は僕と母さんに突然襲い掛かってきた。あの日の事を思い出す度に怒りで身が震える。


少し痛むあばらを宥めながら、僕はベッドの上で半身を起こした。サイドテーブルに置いてあるハンディコムを手に取って、故郷の記事に目を通してみる。


「京司郎、具合はどうですか?」


足音がしたと思ったけど、ドアの向こうにいらっしゃるのは奥様なのか!アレクシス・ザラゾフ侯爵夫人は僕にとてもよくしてくださる優しい方だ。もし仇持ちの身でなければ、喜んで養子縁組を受けていたに違いない。


「大丈夫です!もう立てますから!」


立ち上がってお出迎えしようと思ったけど、奥様がドアを開けるのが先だった。


「まだ休んでいなさい。お医者様の言う事は聞くものです。」


「これしきの傷、なんの問題もありません!」


奥様はハンディコムの画面に目を落とし、僕を諭された。


「半人前が一人前の強がりを言うのはみっともないですわよ。そしてアラ探しはさらに恥ずべき行為です。貴方がいくら目を皿のようにして不平不満を探しても、評価は覆りません。朧京の人々は、帝国の支配から解放された事を喜んでいます。不平を鳴らすのは既得権益を失った者だけ、わかるわね?」


「……はい。」


それだけは認めざるを得ない。僕や母さんは圧政に与した側で、剣狼は解放した側なのだと。他人の視線に鈍感だった僕達は、市民に疎まれている事に気付かなかっただけなのだ。昆布坂家にかしずいていた私兵達が、市街戦が始まったと同時に逃げ散ったのがその証左だ。僕が恨むべきなのは、禄を食みながら敵前逃亡した彼らなのかもしれない……


「京司郎、明後日には久しぶりに家族が揃います。夕食には貴方も同席なさいな。」


「閣下とアレックス様がお帰りになられるのですか!」


昆布坂家は代々に渡って城代家老を務めてきた家だ。その末裔である僕には、王佐の才があるはず。本来ならば戦犯として裁かれるはずの昆布坂家を救ってくださったのはザラゾフ家だ。報恩の為にも立派な執事にならないと!


─────────────────────


今日の夕刻には閣下とアレックス様がお帰りになられる。類い稀なる武勇を誇るお二人に、少しでも成長した姿を見せないと。その為には鍛錬あるのみ!


護衛隊長のクトヴァシム・ゾフスキー大尉、通称"グラサン"が僕の稽古相手だ。閣下が鍛えた精鋭を率いる猛者だけに、今の僕では歯が立たない。だけど、に比べれば、随分マシだ。


「俺にあしらわれているようでは、仇打ちなど夢のまた夢だな。」


両手持ちの刀で目一杯撃ち込んでも、片手持ちのサーベルでいとも容易くいなされる。いくら筋骨隆々の重量級が相手とはいっても、僕の剣は軽すぎるんだ。傷は完治しているのだから、言い訳も出来ない。


「まだ発展途上なんですよ。せいっ!うりゃあっ!」


「剣狼との手合わせで何も学ばなかったのか? 思い出せ、あの踏み込みの鋭さと、全身を連動させる技巧を!狭い円の中でも、完璧に己が力を体現出来るのが真の強者なんだ!」


70センチの円内から一歩も出ずに、素手の仇は僕を易々と完封してのけた。グラサンさんが言うには、"あれほどの達人が半歩動けば、常人の10mもの助走に匹敵する"のだそうだ。


あの男に勝つ為には生半なまなかな修練では足りない。死ぬ気で自分を追い込まないと到底及ばないだろう。


「今日はここまで。京司郎、肉を食ってパワーを付けろよ? 技は力の裏付けがなくてはならないからな。」


「はいっ!グラサンさん、ありがとうございましたっ!早速、竜田揚げでも作って食べる事にします!」


目一杯動いたからお腹が減った。食べるのも修行、この体を大きくするぞ!


「竜田揚げか。レクチャー代として俺にも振る舞え。おまえは喧嘩以外なら、実に如才ないからな。」


嬉しいんだけど、嬉しくない。僕が一番欲しているのは、"闘争の才能"なんだから……


────────────────


毎日忙しくしていた母さんを喜ばせたくて、料理はかなり研究した。"美味しいわ。これならシェフになっても大丈夫ね"と褒めてくれた母さんの顔を思い出しながら、得意料理の"軍鶏の竜田揚げ"を作る。


キッチンの片隅にテーブルを置いて、山盛りの竜田揚げをグラサンさんに提供した。


「おう、旨そうだな。さあ一緒に食おう。作った奴が食えないのは、ザラゾフ家のしきたりに反する。」


「はい。軍鶏肉を食べて、闘争心を養うぞ!」


竜田揚げを食べながら、グラサンさんにザラゾフ家に来るまでの話を聞いてみた。護衛隊のみんなが言うには、"首都でアレックス様にフルボッコにされたらしい"って事だったけど……本当なのだろうか?


ビールで喉を潤せば、話してくれるかも。僕は冷えたビールを潤滑油に使って経緯を聞いてみる事にした。グラサンさんは拍子抜けするほどあっさり、質問に答えてくれる。


「ああ、本当だとも。腕自慢のチンピラ、サンクトヴァシム・グラゾフスキーは、この図体と一緒に自負と自信を宇宙空間まですっ飛ばされたのさ。こないだの京司郎より無様な有様だったな。」


「……よく生きてましたね……」


「いや、死んだよ。強いと思っていた自分は、本物から比べりゃ取るに足らないのみみたいなもんだとわかっちまって、生まれて初めて泣きに泣いたさ。悔し涙と鼻水と鼻血に塗れて、そりゃ情けないツラだったはずだ。だから生まれ変わる事にした。本物になる為に、な。……まだ道の途中ではあるが、死ななきゃそのうち辿り着くだろう。」


「グラサンさんは本物の兵士です!閣下もアレックス様もお認めなんですから!」


じゃなきゃ奥様の護衛隊長を任せられるはずがない。


「少年、俺がなんでアレックス様にボコボコにされたか知りたいか?」


「是非知りたいです。グラサンさんは、僕の師匠ですから。」


「早く俺如きからは卒業しろよ?……俺の叔父貴はマフィアボスでな。腕っ節を見込まれた甥っ子は、下部組織の用心棒みたいな事をやっていた。いつものようにみかじめ料の取り立てに同行した俺は、出すものを出さないバーのマスターを締め上げた訳だ。そこにだな…」


「…アレックス様がいた。」


絶対、血を見る展開だ。アレックス様は弱い者イジメを蛇蝎よりも嫌っている。


「そうさ。ビジネスの邪魔をする鬱陶しい士官候補生に"税金泥棒はすっこんでな!"って啖呵を切ってやったんだが、"おまえが納税しているようには思えん"と実に的確な答えが返ってきた。口喧嘩で勝てないとなりゃあ、腕っ節の喧嘩以外あるめえ。そっからは酷かった。パワーボールに例えれば、弱小シニアのガキンチョチームが、ワールドシリーズを制覇したプロに挑んだみたいなもんだ。」


「……ご愁傷様です。」


「何も出来ずにコテンパンにされた俺は、自分の弱さと勘違いが心底情けなくなった。それで未来の大物様に頼み込んだのさ。"俺を子分にしてくれ!アンタみてえになりてえんだ!"ってな。アレックス様は"ほう、3割ほどの力で殴ったのに、死なずに御託が言えるのか。少しは見所があるようだな"と仰って、俺の願いを聞き入れてくださった。目出度く用心棒稼業から足を洗った俺は、閣下の下で雑巾がけから再スタートして、今に至るって訳さ。」


マフィアボスの甥っ子が、今ではザラゾフ親衛隊の隊長かぁ。グラサンさんも波瀾万丈な人生を送ってるんだなあ。


「マフィアボスの叔父さんはどうされているんです?」


「もう死んだよ。ちょいと前の話だが、ルシア系のグラゾフスキーファミリーは長年敵対していたマリノマリア系のアンチェロッティファミリーと抗争をおっ始めた。クズが共食いの挙げ句に仲良く共倒れ、なんて世間にゃよくある話だな。そして俺にとっては、どうでもいい話だ。」


「でも、叔父さんなんでしょう?」


「お先棒を担いでいた俺が言うのも何だが、クズを身内とは認めん。どこで調べたのかは知らんが、進退窮まった叔父貴が"おまえの力で助けてくれ!頼む!"なんて泣きの電話なんぞ寄越しやがったから、"ダニはダニらしく死ね。お似合いの末路だ!"って怒鳴ってから叩き切ってやったよ。なんでもダニの親玉は、餞別代わりの鉛玉をしこたま貰って、用水路にプカプカ浮いていたらしい。因果応報とはいえ、哀れな最後だな。」


サングラス越しにでも、グラサンさんの目が冷笑しているのがわかった。



永久凍土のような冷酷な心と、火砕流の如く流れ続ける熱き血潮。それが僕のお仕えするザラゾフ家のポリシーだ。今は非力な僕だけど、強くなって胸を張り、有翼獅子を旗印に仰ぐ日を迎えたい。


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クローン兵士の日常 外伝&設定資料 仮名絵 螢蝶 @kanaekeicyo

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