外伝 プロレスこそ最強の格闘技、その二
店の駐車場でキーナムは大女と対峙した。大女は首をコキコキと鳴らし、手招きしてくる。この女、喧嘩慣れしているな、とキーナムは薄笑いした。
「キーナムさん、軍人だろうが素人です。俺が相手しますって。」
「おまえには荷が重い。俺がやる。」
「新人レスラーの坊や、先輩の言う通りにしときなよ。喧嘩にゃ
「俺がプロレスラーだと知ってて喧嘩を売ってきやがったのかよ!上等だ、コラ!」
キレたウーゴはダッシュしながら右ストレートを放ち、拳は女軍人アビゲイルの左頬にヒットした。……だが、アビゲイルは小揺るぎもしない。
「坊や、パンチってのはね……こう打つんだよ!」
拳がウーゴの土手っ腹にめり込み、大きな体がくの字に曲がる。胃液を吐きながら吹っ飛ばされてきた後輩の体をキーナムは受け止め、座らせた。
「だからおまえには荷が重いと言ったんだ。座って見物してろ。」
ジャケットを脱ぎ捨て、シャツを引き破ったキーナムは、
ニヤニヤと笑いながら、アビゲイルは両手と指を広げて構えた。
「軍隊格闘術はよく知らないが、そんな構えがあるのか?」
「これはプロレスの構えだよ。手四つって言うんだっけね?」
「プロレスラーの俺と力比べしようってのか!」
男として、闘技者として、いくら巨体とはいえ、女に力比べを挑まれて受けない訳にはいかない。手四つに応じたキーナムは、アビゲイルと腕っぷしを比べ合う。
「坊やもアンタもプロだプロだって言ってるけど、アタシに言わせりゃアマチュアなんだよ。アタシらの世界はねえ、背中をマットにつけて3カウント、なんて甘いもんじゃないのさ。」
「……こ、この俺が……力で押されるだと!」
キーナムの武器は怪力だけではない。その肉体はしなやかで、柔軟性にも富んでいる。その柔軟性が身を救った。力負けしながらも弓なりに体を反らせ、倒される事を阻止している。
プロレスとは総合格闘技、キーナムは東洋の武術家から柔術を学んでいた。押されながらも巴投げでアビゲイルを投げ飛ばす。
投げ飛ばされたアビゲイルは駐車してあった車のボンネットに叩き付けられ、車体を大きくへこませた。しかし、何事もなかったかのように立ち上がってくる。
「ふうん。柔術の心得もあったんだねえ。見た目はアタイとおんなじ脳筋っぽいのに、なかなかやるじゃないか。」
今の手四つといい、ウーゴの全力パンチを歯牙にもかけなかった事といい、パワーとタフさは俺より上か。キーナムはパワーとタフさならプロレス界ナンバー1だという自信があったが、事実は事実として認めなければならない。
「見た目で相手を判断するな。軍隊じゃ教わらなかったか?」
俺がプロレス界ナンバー1なのはパワーとタフさだけじゃない。15の時から修練を積んできたテクニックもだ。ここは駐車場、床は柔らかいマットではなくアスファルト。並の奴ならボディスラムでも致命傷だが、この女を仕留めるとなると、大技が必要だな。キーナムはいくつものフィニッシュホールドの中から、もっとも得意とする技を選択した。
「
ノシノシと歩き、無造作に距離を詰めてくるアビゲイル。見物しているウーゴは戦慄しているようだったが、キーナムは楽しくなってきていた。実際のところ、ニアム・キーナムは本当の意味で真剣勝負をした事がなかったのである。プロレス界では敵のいなかった彼は、初めて全力で戦える相手と巡り会ったのだ。
「見せてやるぜ!俺の"プロレス"をな!」
高速タックルでアビゲイルの腰を掴み、肘を落とされる前に背後に回る。そこから彼が最初に覚えた技であり、もっとも得意な技でもあるバックドロップをお見舞いした。アビゲイルの後頭部がアスファルトに叩き付けられ、物凄い音を立てる。
決まった、キーナムは確信した。今まで何度も決めてきた技だが、これが最高の出来だった。決まらないはずはない。
「……ウ、ウソだろ!」
ウーゴの呻きは、キーナムを勘違いさせた。アビゲイルを殺してしまったのかと。だが事実は違っていた。ウーゴは悶絶必死、いや、即死級のバックドロップを喰らった後に、両手をクロスに構えたアビゲイルに驚愕していたのだ。
「……いいバックドロップだったねえ。教科書に載せたいぐらいだ。」
クロスさせて力を溜めた腕で地面を叩き、その反動を利用してアビゲイルは立ち上がった。もちろん、腰をホールドしていたキーナムと一緒に。そして腰に回ったキーナムの腕を掴んで力尽くで引き剥がし、
大股で歩み寄ってきたアビゲイルは、キーナムの太い首をグローブのような手で掴んで立たせ、頭突きを入れる。万力のような握力で首を掴まれ、鉄塊のような頭突きを二度、三度と喰らったキーナムの意識は朦朧としていた。
「もう止めてくれ!キーナムさんが死んじまう!」
駆け寄ろうとするウーゴを、割れた額から血を流すキーナムは手で制した。
「……これは……シングルマッチだ。手を出すな……」
「それでこそ男だ。」
雪崩式ブレーンバスター。自分をノックアウトした技をキーナムが知ったのは、病院のベッドの上で、であった。
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「爺さん、俺は軍に入ろうと思うんだ。」
退院したキーナムは、柔術を指南してくれた老人の元を訪ねていた。この老人は物知りで、天涯孤独のキーナムにとって、唯一の相談相手といってよかった。煤ぼけた民家の縁側に座った二人を、夕陽が赤く照らし上げる。
「央夏に面白い逸話があるんじゃが、聞きたいかね?」
「聞かせてくれ。」
この老人は、相談事に対して直裁的に答えた事はない。必ず逸話だの昔話だのを持ち出し、キーナム自身に考えさせるのだ。
「……ある竹林に偏屈者の仙人が住んでおった。人嫌いの仙人は、仲間の仙人とは付き合わず、もっぱら動物を友にしておったのじゃ。中でも虎とは特に仲が良かった。ある日、虎は仙人に聞いてみた。"俺も仙人になりたい。どうしたら仙人になれるのか?"とな。」
「仙人はなんと答えた?」
「……"やめておけ。おまえにとっていい事はない。せっかく虎に生まれたのだから、虎として生きてゆくがよい"、それが仙人の答えじゃった。」
「虎は獣の世界では王、だが仙界に踏み込めば、ただの駆け出し仙人になる。そう言いたかったんだな?」
「かものう。」
「答えを聞いた虎はどうしたんだ?」
「さあの。虎として生きたのか、それとも仙人を目指したのか……」
老人は庭に舞い降りたカラスに、お茶請けの柿の種を投げてやる。おやつをもらったカラスは嬉しげに羽ばたき、飛び去っていった。
「どこまで飛べるかはわからんが、俺も空を目指すよ。井戸の中にずっといればいいのだろうが、広い世界を知ってしまった以上は、ここにはいられん。」
「そうかね。まあ、若さとはそういうものなのかもしれんの。……ニアムよ、
「ありがとう。そういや爺さん、結構長い付き合いだってのに、まだ名前を教えて貰ってなかったな。なんて名前なんだ?」
「……
「わかった、阿含一角だな。……いや待て!阿含一角って"豪拳"イッカクの事か!」
「そんな二つ名で呼ばれておるようじゃな。」
「……爺さんはえらい大物だったんだな。豪拳は爺さんの縁者なのか?」
「いや、ワシは小物じゃよ。果たし合いに敗れ、武道家生命を絶たれた爺ィに過ぎぬ。一角は愛弟子でな、
武道家の世界もなかなか大変らしいな、そんな事を考えながら、キーナムは庵を後にした。
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「軍にはアタシよりも強い奴がいる、か。爺さんの逸話じゃないが、まるで仙人の世界だな。」
荷造りをしながらキーナムは独りごちる。見舞いにきたアビゲイルから聞かされた台詞は、レスラーの心に火を点けた。自分を寄せ付けなかったアビゲイルよりも強い奴か、是非会ってみたいものだ。
「キーナムさん、荷造りは終わったんですか?」
後輩のウーゴはキーナムの家に間借りしていた。内弟子のようなものである。
「見てわからんのか? 今やってる最中だ。……トランクケースならもうあるぞ?」
「これは俺のですよ。キーナムさんと一緒に軍に入るつもりなんで。」
「60分1本勝負とかいう世界じゃない。負けたら……死ぬんだぞ?」
「俺は世界最強の男になりたくてプロレスの世界に入ったんです。さらに高い世界があるってんなら、挑むだけですよ。」
「そうか。二人で戦場に殴り込みをかけて、旋風を巻き起こしてやろう。」
「ウッス!プロレスこそ最強の格闘技、ですもんね!」
「ま、軍に入ったら武器の扱いも覚えにゃならんだろうがな。」
「こっからはタッグマッチですね!キーナムさんの足を引っ張らないように、精進しますから!」
「期待してるぜ。」
キーナムとウーゴはグータッチし、共に新たなステージを目指す事になった。
後のスレッジハマー大隊の副長と中隊長は、こんな経緯で軍に入隊したのである。
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